10話『好転と暗転』(前)

 矢島はウォーターサーバーのガラスタンクに手を置き言う。


 「こいつは”水時計のシステム”だ」


 完全に聞き手になっている大橋が曖昧に頷くのを見て、矢島は続ける。


 「水時計の歴史は余分だから置いておくが、その機能から説明しよう。水時計っていうのは水の入った容器の底に管が付いていて、その管から一定の感覚で水が流れ出すから、容器の中の水のかさが減るんだが、その減った水面の高さで経過した時間を計るっていう昔の時計のことだ。このウォーターサーバーをよく見てみろ、今説明した水時計とそっくりじゃないか」


 そこまで説明されて、大橋はなるほどと顔を上げた。


 「なるほど、水時計の容器がガラスタンクで、底に付いていて水を流す管が蛇口ってことですね!」


 「随分察しがよくなったじゃないか。おそらく遠堂は水時計の機能を、ウォーターサーバーでも代用できることに気づいたんだろう。そして『水が減ることで時間が経過する』という性質もウォーターサーバーに組み込んだ。それがこのメモリだな」


 水時計の容器の内側には、ひと目で経過時間がわかるように線が引かれているものだが、事務所に置かれているウォーターサーバーにも等間隔に線が引かれている。


 「俺のタイマーが減ったのは単純にウォーターサーバーから水が抜けたってのと、その水を最初に飲んだのが俺だからシステムと結合されたってわけだが……」


 そこまで言うと、矢島は顎鬚に手をやり考える仕草をし、後ろの壁に背を預ける。

 振り子時計やウォーターサーバーなど室内の装飾品を見ながら話を聞いていた大橋は、その様子を見て「どうしたのですか?」と尋ねた。


 「いや、俺のタイマーが無くなったシステムは理解できたんだが、それだけだとオッサンや他の被害者のタイマーが減っていることに説明がつかないんだ」


 そう言って矢島は指を立てながら不明な点を列挙する。

 ・被害者全員に水を飲ませるのは非効率すぎる。

 ・遠堂が大量の金をバラまく意味がない。

 ・ここにあるウォーターサーバーは五十年分の水しか入っていないが、それだと女子大生のように五十年以上タイマーが残存している人が寿命を迎えるのはありえない。

 そこまで矢島が言うと、そういえばと大橋が伝える。


 「もしかしてここに書いてある試製050と書いてあるのも何か関係があるのかも……」


 大橋はウォーターサーバーの白い土台の側面に小さく書かれた文字を指差して言う。


 「なにっ!? ちょっと見せてくれ」


 驚いて大橋の指差す文字を見て呟く。


 「試製……これは試作品というわけか。ではさっきいくつか上げた不可解な点を解消する完成品が、別の場所にあるかもしれないってわけか」


 「え? ここ以外に遠堂さんの拠点があるのですか?」


 「あぁ、裏社会のトップと名の知れたジジイ程の男が、そもそもこんな小さい事務所を本拠地にしているわけがないんだ。何日も事務所を無人にしていたのもそのためだろう。それともう一つ、ここにいたジジイは俺を気絶させる直前に、自分のことを遠堂では無いとかなんとか言っていた」


 拳銃を向けたときに、嘲笑するかのように告げられた言葉を思い出す矢島。


 「それは一体どういう意味でしょうか?」


 徐々に整理がついてきたと笑い、矢島は宣言する。


 「俺はこう推測する。俺たちをシステムと結合したのは、遠堂のフリした偽物だ」


 大橋はそれを聞いてハッと顔を上げた。


 「それでは真犯人は遠堂と言う名前を騙った別人というわけですか!? でもどうしてそんなこと……?」


 聞かれた矢島は、先ほど棚を物色している時に見つけた一枚の紙を大橋に見せつけるように机に広げた。

 その紙は、遠堂と名乗る男の顔写真付きの企業パンフレット。本社の場所を示すであろう住所と企業の名前が書かれている。


 「あぁ、遠堂が相手だと思って慎重に時間を掛けて捜査してきたが、そのせいですっかり忘れていた。この顔は昔見たことがあるが、遠堂なんかじゃない」


その目には、確信の色があった。そして同時に、憎悪の炎が渦巻いていた。


 「偽遠堂がいるのはここで間違いない」

 予想していたよりも小物。

 畳み掛ければ潰せると踏んだ矢島は、「まずは一匹」と口元に邪悪な笑みを浮かべた。そのことに、大橋は気づかない。



  ***



 狭く暗い路地裏を駆け抜ける、笠持と雨宮の表情に余裕はない。

 積まれた室外機や放置された自転車、使っているのかも分からないゴミ箱が彼らの行く手を阻み足を鈍らせる。

 早く走ろうと障害物を押し倒し走るが、その音で自分たちの位置がバレ、背後の追手の足音が的確に向きを変えて近づいて来る。

 常人なら冷静に対処できるはずがない。

 そしてこの国の裏路地は広くない。いくら路地裏で進路を変え曲がり視界から振り切ろうとしても数十メートルも進めば次の道路に出てしまう。

 もう既に矢島と別れた場所から道路三本も離れた、その先の路地を走っていた。

 笠持が雨宮の手を引き、雨宮は彼の手を必死に握り返して置いていかれないよう息も絶え絶えに走っている。


 「このままじゃ埒が明かないね」


 不意に笠持がそう呟いた。

 それから笠持は走りながら周囲を見渡した。あるものを発見すると雨宮に説明する。


 「この階段登って上でしゃがんでおいて!! それで追手の視界には入らないはずだ!!」


 笠持が指したのは、ビルの脇に設置された外階段だった。

 その階段はちょうど柵に不透明なプラスティック板が貼り付けられており、夜の暗い路地からでは中が見えない構造になっていた。


 「さぁ早く登って。声は出してはいけないよ」


 「いったい何をするつもり?」


 「僕はあの追手を無力化するよ。幸い直接追ってきているのは一人みたいで、仲間はおそらく車で大通りを見張ってるだろうからね」


 笠持が宣言すると、雨宮は驚く。


 「そんなの危険よ!?」


 危機迫る状況からか、早口になり小声で訴える雨宮だったが、笠持はそれを否定する。


 「危険なのはじっとしていても変わらないさ。さぁ早く」


 笠持の決断は固いと知り、雨宮は素早く思考を切り替え、音を立てないよう素早く階段を駆け上がる。

 笠持は、その様子を見るなり手近にあった中型の青いポリバケツを掴み、階段とは逆の通路の方へ放り投げた。

 バムッ! とポリバケツの跳ね転がる音が響くと同時に、笠持は雨宮の潜む階段のある十字路の一つ先の角の闇に息を潜めた。

 すぐに音に気づいた追手の黒服は、進路を調整してこちらに向かってきた。

 笠持には黒服の足音がかすかに聞こえていたので、近づいて来るとすぐにわかったのだ。

 壁に背中を押し付ける笠持は、路地裏に散らばっているダンボールの隙間から黒服を凝視する。

 雨宮が伏せている階段とは反対側で、ポリバケツが転がっているのを見つけた黒服は、笠持の思惑通り路地を右に折れた。

 それを確認した笠持は一気に角から飛び出す。足音は殺した。

 一息に十字路まで戻ってくると、勢い殺さず黒服の曲がった方へと突っ込む。


 「(いた!!)」


 すぐに黒服の背中を発見した笠持は、そのままタックルをかまそうと姿勢を低くする。

 しかし、黒服も視界が悪いこの環境で、耳に神経を尖らせていたのだろう。

 笠持が迫る足音を聞くやいなや振り返り、銃口を突きつけるべく腕を跳ね上げ構える。

 だがそこまでは笠持の予想通り。

 向けられた拳銃の射線の下に潜り、伸ばされた腕を取って外側にひねり関節を抑えて動きを封じようと試みる。


 「うおっ!!」


 「ぐっ――がっ!!」


 攻防は一瞬。

 ところがうめき声を上げたのは笠持だった

 黒服は腕をひねられる直前に、笠持を空いていた反対側の手で鷲掴みにして引き剥がし、ビルの壁に叩きつけたのだ。

 衝撃で肺の空気をまとめて吐き出し息が詰まる。

 むせる笠持に対して、ようやく獲物を捕えた黒服の追手は、倒れる笠持に馬乗りになると拳銃を眉間につきつける。


 「あんまり苦労させるな小僧。小娘の居場所を吐け」


 非常に良くない展開になったと心の中で毒づく笠持は、それでも持ち前の糸目を皮肉げに歪め一言。


 「言うわけ無いでしょう」


 ズドンッ!!


 一瞬笠持には何が起きたのか理解出来なかった。

 しかし、黒服が持つ拳銃の銃口から硝煙が上がるのを見て気づく。

 気づいてから痛みに襲われる。脇腹が、燃えるように熱い。

 噴火した火山から溢れ出る溶岩よろしく、鮮血がコートを赤く染めていく。


 「ぐあぁぁぁあああああっっっ!!!」


 意識が飛びそうだったが辛うじて叫ぶに止めた。

 目を見開いて冷や汗を流していると、黒服がまだ熱い銃口を傷口に押し当てて笑う。


 「もう一度言ってやる。あまり苦労させるな小僧。小娘をどこへ逃がした?」


 痛みが飽和して五感が正常に働いていなかったが、どうやら次はないという事くらいは伝わってくる。


 「――くっ……」


 このままだとタイマーが尽きるとかそれ以前の問題だ。笠持は何の変哲もなく銃殺されてしまう。

 意識が……飛びそうだった。

 しかしまだ死ねない、雨宮がいる。

 だがどうすれば状況を打開出来る!?

 笠持は焼き切れそうな程思考を回転させ必死に考える。

 このままでは終われないのだ。



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