9話『水時計』
「大丈夫か!?」
「こっちは大丈夫です!!」
特時の矢島からかけられた叫びに、笠持も叫び返す。
声の様子だと大橋さんもワゴン車の爆発で致命傷を負ったなんてことはなさそうだと判断し、抱きかかえ爆風から守った雨宮の安否を確認する。
息も切れ切れな雨宮の手を取り立ち上がらせる。
「どこか怪我はしていないかい?」
全身緊張状態で興奮している現状では、擦り傷や少し打った程度では痛みを感じないことがあるので、脚や腕がちゃんと動かせるか確かめる。
「あり、がとう……大丈夫よ」
確認したところ、どうやら雨宮は少し肘を歩道のタイルで擦りむいた程度で済んだようだ。
暴走車と爆発にさらされて、擦り傷だけで済んでいることに、笠持が安堵のため息をついた時だった。
パンッ!
燃え盛るワゴン車の向こう側から、火薬の炸裂音が聞こえ、直後に矢島の叫び声が届いた。
「笠持!! 黒服がそっちに行った! 早く嬢ちゃんを連れて逃げろ!!」
「ッ!?」
笠持は返事をする暇も無かった。
ギャリィッ!!
燃えるワゴン車を避け、もう一台のワゴン車が黒服を乗せ笠持たちのいる方へ猛スピードでエンジンを唸らせ来たのだ。
「千里ちゃん!! 走るよ!!」
だが、息を飲み立ちすくむ雨宮の足が再び動くまでの数秒のうちに、ワゴン車は笠持たちを追い越し、逃げ場を塞ぐように停車した。そして息つく間もなく黒服が、後部座席の扉を思い切り蹴り開け飛び出した
黒服が雨宮を視界に捉えた瞬間に、彼の持つ拳銃の火薬が爆裂し鉛玉が飛び出した。
銃弾が雨宮を貫く直前、笠持は雨宮をビルとビルの間にある狭い路地に押し込み、彼も飛び込む。
雨宮と笠持は月明かりもほとんど届かない真っ暗な路地裏を必死に走り去る。
後方で黒服の声が聞こえる。
「俺はこのままあいつらを追う! お前は車で先回りしろ!」
会話から追手は二人だと推察しながら、暗い路地を細かく曲がり、追手の視界に入らないように闇へと消えてゆく。
***
笠持や雨宮が命懸けの逃走をしている時、矢島と大橋は急いでいた。
炎上してしまっている車を放置し、来た道を逆戻りするかたちでバイクを飛ばしていた。
「勝手にバイクをとってきてしまいましたが、本当に大丈夫なんですか?」
大型バイクのハンドルを握る矢島に、後ろに同乗している大橋から不安そうな声がかかる。
「ん? 大丈夫なわけないだろう。窃盗と無免許、逆走ノーヘル速度超過エトセトラエトセトラ……、騒ぎに気づいて巡回している警察に見つかったら、その場で現行犯逮捕ものだよ。俺だって逮捕する」
黒服の追跡車に襲撃された近くにあった駐車場から、手頃なバイクを貸してもらった・・・・・・・矢島たちは、交通量の少なくなった幅広な県道を、猛スピードで疾駆していた。
「じゃ、じゃあ私はやっぱり降ろしてくださいよ! 犯罪なんて……」
「オッサンを一人にするわけにはいかないだろ。さっき俺たちが見逃されたのは、単純に雨宮の嬢ちゃんの方が優先度が高かっただけだ。追手が何人いるかわからない以上、オッサンも安全じゃないんだ」
矢島にそう言われ大橋はすこし沈黙してから顔を上げ、少し諦めた表情で言う。
「分かりましたからスピード……落としませんか? 高速道路でも無いのに百キロ出すなんて馬鹿げて……」
「残念ながらそんな悠長にしている暇は俺たちに残されていない。時は金なりって言うだろ、一分一秒も無駄に出来ないんだぜ」
大橋の言葉を途中で遮り矢島は否定する。
同時にブワッと加速させると、長く伸びる道路の端に立ち並ぶ街灯の光が軌跡を残して後方へ流れていった。
途中巡回のパトカーに見つかって停められそうになって振り切ったり、対向車をかろうじて避けたりと冷や汗をかく場面が何度かあったが、幸い大事には発展せず事務所まで戻ってきた矢島と大橋。
事務所の一帯は昼間仕事のある企業ばかりのようで、どの建物からも明かりは見えず、エンジン音がやけに大きく聞こえるほど閑散としていた。
エンジンを切り、路肩に寄せて置いた矢島はスーツから再び拳銃を抜き出す。
「なんだか逃走劇を繰り広げていた時よりも疲労困憊です」と言わんばかりの大橋を横目に、事務所が入っているビルへ向かった。
昼間と同じ手順で鍵をこじ開け屋内の電気をつけると、大橋に静かにして着いてくるように手招きし、さっさと二階へ上がり応接室に入り素早く電気をつけ拳銃を構える。
しかし、もぬけの殻だった。
「ふぅ、誰もいないか助かった」
昼間のように待ち伏せされていたら殺し合いになっていたかもしれない。そう予想していた矢島は安堵のため息をつき、さっさと済ませようと部屋を見渡す。
記憶通り動いていない振り子時計の隣に、ウォーターサーバーは鎮座していた。
あとから入ってきた大橋も、矢島の見ているウォーターサーバーを見る。
「これが、そのナントカと言うシステムなんでしょうか? 普通のウォーターサーバーにしか見えませんが」
ウォーターサーバーを観察していた矢島は振り向き答える。
「確かにパッと見はそうだが、よく観察すると少し違う。こいつを見てみろ」
昼間の位置と変わらないウォーターサーバーは、白のプラスティック製の本体とその上部の円柱型の透明なガラスタンクで構成されており、その中間あたりに蛇口が一つ付いている。
その水が溜まっているタンクの側面に刻まれた、白線のメモリを指差す矢島。
「俺も今見て気づいたんだが、こいつは内容量を示すメモリじゃねぇ」
「ホントですね、単位がリットルでなく『Y』……?」
白線のメモリは底から等間隔に引かれ、一番上は50Yとなっている。
「このY。おそらく年を表す英語の『year』の頭文字から取ったものだろうな」
矢島はポケットからスマホを取り出し、タイマーのアプリを開く。
地下鉄にいた時に五年寿命が減っていたが、今も変わらず五年減ったままだった。
「オッサン。タンクに入っている残量を見てみろ。メモリが45Yになっているだろう?」
「えぇ、それと何か関係が?」
「……察しが悪いな。じゃあこのアプリの数字をよく見とけ」
矢島は大橋に自分の残りタイマーが表示されたスマホの画面を向けると、サーバーの蛇口を開く。
ジャバッっと水が流れ出し、受け取られることなく流れ落ちた水は、そのまま下に取り付けられた排水用のタンクに消えてゆく。
二~三秒流した頃、スマホの画面を見ていた大橋が驚愕の声をあげた。
「あぁ! や、矢島さん。タイマーが、ものすごい勢いで減ってますよ!?」
それを聞いてから、矢島は「当たりだな」と蛇口を閉めてスマホを覗き込む。
「オッサン。今ので俺の残りタイマーはまた五年分くらい減ったよな。メモリを見てみろ、今のを合わせて全部で十年分近くタイマーが消えてるわけだが、タンクの中身も10Y分減っているんだ」
これが偶然と思うか? と矢島が問う。
「なるほど、このウォーターサーバーから水が無くなった量だけ、矢島さんのタイマーも無くなるというわけですか……って、分かっているなら矢島さん自身の貴重なタイマーを、みすみす手放すなんてこと!」
「そういうことだ。それと、今更五年タイマーが減ったところで何も変わらん」
慌てる大橋に対し、実際にタイマーを減らした矢島はケロッとした顔で答える。
呆れそうになる大橋だったが、少し考え込むと新たな疑問を話した。
「しかし、私の記憶からすると、今回の事件はウォーターサーバーの性質に細工をしたということになりますが、一体どのような細工をしたのでしょうか?」
今度は室内の棚や引き出しを物色していた矢島は、その疑問に指を鳴らす。
「よく聞いてくれたオッサン」
矢島は初めてこの部屋に入ったときのように、ソファの背もたれに後ろから肘をつきもたれ掛かる。
「先に聞いておきたいんだが、オッサンは時計と言われて何を想像する?」
「え?」
大橋は矢島の質問の意図を測りかねて困惑を返す。
「普通は長針と短針があり一から十二の数字が円になっているアナログ時計か、もしくはスマホなんかにもついているようなデジタル時計を想像するだろうな」
「えぇ、それとウォーターサーバーが関係しているのですか?」
「いいや違う。忘れられがちだが、時計の種類はさっき上げた二つだけじゃない。日時計や砂時計、水時計や火時計……他にもあるが名前を聞いてパッとわかるのはこんなもんか? そして、今回の事件に関わってるのはおそらく水時計」
”水時計のシステム”だ。
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