6話『システム』(前)


 「……っ」


 鈍痛が残る頭を抑えながら矢島は仰向けのまま目を開いた。

 あたりは暗くなっており、街の光が夜空の星をかき消している。時間は夜の九時頃だろうか。

 何があったんだっけ……と、矢島は頭を持ち上げあたりを見渡した。


 「ようやく目を覚ましたみたいだね」


 地面のコンクリートタイルと眼前を流れる川から、遠堂の事務所の裏にある河原だと確認していたところに、横合いから若い男の声が聞こえた。


 「随分探したよ。刑事さんが居ないって聞いてあちこち歩き回ったんだ」


 その男は二十代前半、新社会人か大学生くらいと言った若い風体をしており、ベージュのコートを羽織っている。ほっそりとした顎のラインと、糸目が特徴的な男だった。


 「誰だ……あんたは?」


 「笠持さ、笠持和也、はじめましてだね。大橋さんに聞いてないか?」


 「あんたが笠持か。オッサンから話は聞いてる」


 笠持和也かさもちかずや、路頭に迷っていた大橋に声をかけたこの青年も、遠堂の被害者で、矢島は話を聞こうと訪ねたが行き違いになっていたのを思い出す。


 「そうだ。そのオッサンはどこにいる?」


 「私もいますよ。気絶していたようですが、大丈夫ですか? 私は救急車を呼ぼうかとも考えたのですが」


 笠持が立っていたのとは反対側に大橋はしゃがんで矢島を覗き込んでいた。どうやらずっと居たらしいが、薄暗くて気づかなかったようだ。

 大橋は、怪我はないかとか体に異変はないかと質問してきたが、そこに笠持が真剣な面持ちで割り込んだ。


 「刑事さんには申し訳ないけど、僕たちには時間がないんだ。救急車なんかで運ばれたら、次に話が出来るのは明日になるかもしれないからね」


 僕は寝ている時間だって惜しいんだ。小声で付け足された声にも、笠持の激情が感じられた。

 矢島は薄らと残る後頭部の痛みをさするが、すぐに頭をガシガシと掻くふりをして頭を左右に振って、もう一度目を覚ます。


 「あぁ、助かった。あんたの話が聞きたかったんだ。もう随分遅い時間みたいだが、昼間はどこで何をしていたんだ?」


 「そうだね。その前に一人紹介しておきたい娘がいるんだ。今朝刑事さんが追っていた女子高生だよ」


 矢島はハッと、後ろを振り向く。

 背後の土手には、川にかかる橋を眺める女子高生がいた。


 「私は雨宮千里あまみやちさと。あなた、警察の人だったのね。そうならそうと言ってよ、ホント殺されるかと思って必死だったのよ」


 矢島のほうを見るやいなや雨宮と名乗った女子高生は少し怒った風にいう。

 彼女は今朝見た通り学校指定の制服に高価なネックレスを首から下げており、少し化粧もしているのか、暗い夜でも薄らと頬が朱に染まっているのがわかった。

 そんなことよりも、と矢島は驚いた声で尋ねる。


 「ここにいるってことはもしかして嬢ちゃんも遠堂の事件で「タイマー」が無くなっているのか?」


 だが雨宮は首を横に振った。


 「私自身は遠堂とかいう奴に「タイマー」を取られたりしたわけじゃないわ」


 「だったらどうして?――」


 矢島は、それよりも、と思い直し質問する。


 「――いや、嬢ちゃんは今朝何があったんだ?」


 「そうね。笠持さんや大橋さんに聞いたのが正しければ、あなた「タイマー」に詳しい警察らしいじゃない。ホント大変だったんだからちゃんと聞いてよね」


  ***


 私は、五日前に出かけてから家に帰ってこないお姉ちゃんを探していたの。

 といっても、お姉ちゃんはよく外泊していたし、少し前から何かいい仕事を見つけたらしくてお金は持っていたから、どうせどこかで遊んでるんだろうってお母さんも私も考えてたのね。

 けれど、三日も家に帰らないなんてことは無かったし、メールの返信は早いお姉ちゃんだったから音信不通なのも不可解だったの。それで、流石に心配になった私とお母さんはお姉ちゃんの友達とか大学に連絡してみたの。でもお姉ちゃん、五日前から学校にも来てないみたいだし、友達の家にも行ってないって聞いたの。

 警察に相談してみようかって話にもなったけど、お姉ちゃんも大学生だしこんなこともあるだろうってお母さんはもうちょっと待つことにしたのね。


 お母さんがそうは言ってもやっぱり心配だったみたいで、あまり落ち着かない様子だったから、私はこっそり一人で探すことにしたってわけね。

 それで、お姉ちゃんが前に口を滑らしていた遠堂ってお爺さんを訪ねることにしたの。


 記憶を頼りに、学校へ行く前に少しだけ覗いて見ようと思ったの。

 それらしいところに来てみると、いかにも怪しい黒い服を着た体格のいい男の人たちが二人と白髪のお爺さんがいたのね。

 私がのぞき見たとき丁度大きいダンボール箱をビルの中に運び込むところだったの。

 特に何でもなさそうだし、手の空いたお爺さんに話を聞こうと思ってそこに近づいて行ったんだけど……


 ここからが大変なの。

 私が明るく声をかけようとした時よ。

 あの黒服の男の人たちがこっちに気づいたの。すると驚いた顔をして、男の人は抱えていたダンボール箱を体で隠して奥へ行ったと思ったら、もう一人の黒服の男の人が突然、なんていうの? ほるすたー? から銃を取り出してこっちに向けてきたの!


 もうわけがわからないでしょ!?

 それで優しそうだなと思ったお爺さんには突然「止まれ! 何もんじゃ!?」って怒鳴られるの。

 止まれって言われなくたって、もうとっくに驚いて体のあちこちガチゴチなのよ!

 黒服の男の人は銃を持ちながらこっちに迫ってくるの。わかる? ホント死ぬかと思ったわ。 

 けれどすぐに頭が回りだして体も動くようになった私はこう考えたの。

 いきなり人に武器を向けてくるような奴にまともな人はいないってね。これは玩具のエアガンでも一緒よ。

 私は咄嗟に、横の置いてあった青いゴミバケツの蓋を思いっきり投げてビルの影に隠れるようにしながらヤバイ人たちから逃げたの。

 一度追いつかれかけたことがあって、一発銃弾を撃たれたけど、運良く逸れてくれたおかげで今は五体満足って感じね。



  ***


 矢島は、自分もいきなり拳銃を人に向けるどころか押し付けたなぁと、事務所での出来事を思い浮かべ苦笑いしながら口を挟んだ。


 「随分と肝が据わったお嬢ちゃんだな。そんなことがあったから、俺に見つかったときあんな凄い全力疾走したってわけか」

 「そうよ! どれほど私が命の危機にあったかこれでわかったでしょう?」


 彼女は再び当時の緊迫感を思い出したのか、少し青ざめているように見えた。

 そして彼女の話を矢島と同じように聞いていた笠持は言う。


 「そして千里ちゃんの危機はまだ去っていない。刑事さんが大橋さんと会った頃、僕は千里ちゃんとあっていた」


 そうなのか? と矢島は雨宮に聞く。


 「ええ、そうよ。彼が隠れることを提案してくれなかったら今も家で震えてるか、どこかで見つかって撃ち殺されたんじゃないかしら」


 「それじゃあ嬢ちゃん、いくら暗くなったからってこんな河原にいるのはまずいんじゃ……」


 「あんたを探すために出てきたんでしょーが! 全く、人の親切をなんだと思ってるの?」


 「悪い」


 比較的気が大きい矢島だが、そこまで言われて偉そうにできるほど厚顔無恥では無く素直に謝る。

 笠持はまぁまぁと雨宮をなだめて言う。


 「僕たちは隠れている間に色々襲われる原因を考えたんだ」


 「でも私があいつらのところで見たのは大きなダンボールぐらいだし、それが原因と考えたの。あんたは何か見なかった?」


 話している内に川を渡り、矢島たちは大橋や笠持が寝床にしていた方の川へ戻ってきていた。


 「刑事さんは遠堂の事務所に行っていたらしいね。千里ちゃんも遠堂が事務所に入るのを見ているし、刑事さんもあんなところで気絶していたんだ、何も無かったわけじゃないでしょう?」


 橋脚の下に広げられたビニールシートとダンボールの上に座って、笠持は矢島に質問する。

 それを聞いて矢島は胸ポケットを漁る。


 「そのダンボール箱とは関係ないかもしれないが、収穫はあったぞ。……あったあった、拳銃は取り返されたみたいだが、深く忍ばせておいた契約書はバレなかったみたいだな」


 折りたたまれて小さくなった契約書を広げると、笠持や大橋が覗き込む。


 「あぁ、これですよ。私が遠堂さんにお金を借りるときに名前を書いたのもこれと同じ契約書です」


 「そうだね。僕のもこんな感じだったかな」


 「この辺よく読んでみろ。金を借りたやつから「タイマー」を徴収するって書いてあるだろ」


 矢島は契約書を読んで気づいた情報を、意訳して彼らに伝える。


 「お前らも含めて被害者は皆、全文に目を通さなかったんだろう?」


 それを聞いて大橋は苦虫を噛み潰したような顔をする。


 「迂闊でした。社長をやっていた頃には、取引先との契約内容などには気を配っていたのですが、倒産して焦ってしまったみたいですね」


 笠持も眉間にしわを寄せ、険しい表情をする。

 その時雨宮はコンクリートの橋脚に背を預けたまま話を聞いていたが、ふと首を傾げた。


 「金を借りた人から「タイマー」を貰うって書いてあったことは理解できたけど、一体どうやって「タイマー」をバレないように抜き取るの?」


 矢島と笠持は、雨宮の疑問に少し閉口する。

 頭によぎるのは”システム”という単語。

 これがこの事件の鍵であり、特別時間管理課の矢島が第一線に出てきた理由でもあった。

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