5話『契約書』
その部屋は、一階の安っぽい作りの部屋とは打って変わって、木目で落ち着いた色調の壁で、厳かな雰囲気を醸し出していた。部屋の中央には重厚で大きな木の机が鎮座しており、その奥にある高級なソファに、遠堂総司はゆったりと腰掛けている。
扉を開けた黒服のわきを通り部屋へ入る矢島。
壁際には背の低い檜の棚と、細かな装飾のされた古く動かない振り子時計、一見不釣合いなウォーターサーバーが並べられており、扉の向かいの奥には大きく開けた窓があり。幅の広い川が流れている。
遠堂は矢島を一瞥し促す。
「まぁまずは座りたまえ」
しかし矢島は無視してソファの背に回り、ひとつ確認する。
「四日前にとある女子大生と他に二人が寿命で死んで、今朝金髪の大学生が同じ死因で死んでいた。大橋のオッサンもタイマーが枯渇して後がない。この事件、お前は勿論知っているよな」
遠堂は矢島の態度にため息をつく。
「もちろん知っているとも。君の正体が特時で私を探していることも含めてじゃ」
「へぇ、それは話が早くて助かる。じゃあ洗いざらい話してもらおうか」
矢島は無礼な態度を崩さず、がさつにソファに腰を下ろす。
それを見て遠堂は黒服に指示し、グラスに一杯の水を用意させ矢島に出した。
「わしも話をするために君が来るのに合わせてここに戻ってきてやったのじゃ、少しはワシの気遣いに敬意を示して欲しいものだな」
「合わせてここへ来た? そういえばオッサンが、昨日はもぬけの殻って言っていたが、アレは勘違いではなかったのか」
「昨日? あぁ、昨日はこっちにいなかったからのう。それと、話はするといったがわしは忙しいから時間はそんなに取れんぞ」
「ふん、わざわざ俺に会いに来たってのが気になるが、不要な話はやめろってことか」
話す気のあるうちにさっさと聞いたほうが良さそうだと考えながら、矢島は出された水に口をつける。
そして整理する。
矢島が聞きたいことは三つ、事件の被害者は何を契約したのかと、マネーカードとタイマー消失の関連性、そしてシステムについて……。
この事件の首謀者が遠堂で間違いないのなら、必ず「タイマー」消失の原因が掴めるはずなのだ。
彼は水の入ったグラスを机に戻すと、視線を遠堂へ向ける。
「俺がこの事件の知ったのは四日前の十一月十三日の午後十時、ある女子大生が市内の公園で倒れているのを発見した。最悪な強姦事件かと思って駆け寄ってみたが、強姦やレイプの類いで公園に行き倒れていたわけではなかった。
その女子大生は矢島が警察の関係者と知ると、「最後だし話してもいいか」とグッタリとした体を起こして話した。
彼女は、遠堂に騙されたと言っていた。返済期間も保証人も無しで大金を借りられると聞いて、金が欲しかった彼女はすぐに借りに行ったという。こんなの言ってしまえば返す必要がないって言ってるような奴が大金ばら撒いているんだ、知ってる奴は飛びつくだろうな
だけど何の対価も無しに大金を貰えるなんて旨い話があるわけない、そうだろう?
タダより高いものは無い、なんてよく言ったものだな。
彼女はあるとき自分のタイマーの残量が著しく減っていることに気がついた。完全に異常事態だ。すぐに彼女はそうなった理由を自分の中と外に求めたらしい。そして遠堂に関わったせいだって直感的に感づいたそうだ。
彼女の直感の理由を聞く前に、彼女の「タイマー」は尽きてしまい寿命を迎えてしまった。
俺に残された情報は遠堂という誰かが大金をばら撒いているという事実と、タイマーの原因不明な消失によって寿命を迎えてしまうほどの異変が起きている現実だけだった。
もう少し聞いてくれ。
この事件発生を機に、特別時間管理課が動いた。正確には俺だ。
そして次の日の昼と日暮れに、女子大生と同じくタイマー枯渇によって死んだ男女が発見された。
最後に今朝、一歩間に合わず金髪の青年の死体を発見した。
女子大生の彼女が言っていた契約書、大橋のオッサンも契約がどうこうって言っていたから被害者は皆契約書を書いているんだろう?
まず初めに契約書。そいつを見せて欲しいんだ」
矢島はそこまで言うと、ふぅと息を吐きソファに再び体を預けた。
黙って聞いていた遠堂は、そんなことかと何でも無いように言う。
「契約書が見たいなら、そんな長い前置きはいらんかったろうに……。おい、契約書を彼に見せてあげなさい」
遠堂は人差し指でクイクイと後ろに立っている黒服に指示すると、黒服は遠堂の後ろにある棚の引き出しから一枚の紙を取り出し机に置いた。
出された紙切れをサッと取り目を通す。
「へぇ、これが契約書か……よくこれだけの堅苦しく細かい字を大量に並べられるものだな」
契約書には、B5のコピー用紙に収まっているのが不思議な分量の規約が、難解な漢字と共に並べられていた。
「それだけ書いてあるが、要約するとさっきの話に出てきた娘の言ったように、無利子無担保で金を貸すって書いてあるだけじゃよ」
遠堂はおどける様に嘯く。
しかし、矢島は契約書に一通り目を通すとバカバカしいと、ある一文を読み上げる。
「甲は乙に対し金銭を借りる対価として時間を支払う義務が発生し、これは甲の返納若しくは乙への甲の責任能力の喪失によって失効される……か。ずいぶん滅茶苦茶書いてるが、この事件の核になる文言ってことで間違いないか?」
ズラズラと書かれた契約文書。契約のサインをするさいには必ず全文に目を通すのが重要だが、実際に全て読み理解した上で名前を書く人間はどれだけいるのか。
今回矢島は遠堂を疑っていたので、契約文にある時間という単語を重点に目を走らせ、羅列された規約の中にこの一文を見つけることが出来た。
しかし、無利子無担保で金を貰えるなどという話を鵜呑みにするような教養浅い者や、大橋のように金の工面に切羽詰まり、藁をも掴むような判断力の削がれた者は、遠堂の甘言で容易に惑わされることが想像に難くない。
遠堂は矢島の思考を読み取ったかのように返す。
「君は賢い人間か。てっきり金に目の暗んだバカ達の親戚かと思ったが、そうでは無いようで安心したよ。これで少しは話しがいがあるというものじゃ」
そうじゃな。と遠堂は続けて、
「契約文にある通り、ワシは彼らに大金を貸す代わりに、彼らから貸した金に見合った量のタイマーをワシが受け取る。それだけのことじゃ。ワシは何も契約違反をしていない」
「ふざけるなよ、貸した金に見合った時間だと? 女子大生は七十万しか借りてないと言っていたし、オッサンも、社員の給料を払うためと言っていたからおそらく数百万と少し。どう考えたって一生分のタイマーに釣り合った金額じゃないだろ!」
矢島はタイマーの為替レートを思い出していた。
一つ例を上げると、宝くじのCMに出てくるような何億円という金を積んでも、十年分のタイマーは買えない。
それほどまでに時間とは高価なのだ。
しかし叫んだ矢島とは対象に、遠堂はなにを今更と笑う。
「しかしこの契約に同意して署名したのは彼らだ。些細なことではないか? 特時がわざわざ出張ってきたのだ、詐欺だ、などとまだ寝ぼけたことを言うつもりはなかろう」
その言葉で、グラスに伸ばしていた矢島の手が止まる。
そう、矢島の管轄は時間。
「当たり前だ。契約書を見せてもらったのはほかでもねぇ。これが”システム”関連のことかどうかを確認したかっただけだ」
そして矢島は立て続けに質問する。
「システムが関わっているのなら、タイマーの消失と遠堂製の例のマネーカードが関わっているんだろう?」
システム……こいつの正体さえわかれば今回の事件、解決したも同然だ。
矢島は、持っている情報をつなぎ合わせて無理やりシステムに関連付けた質問をした。
彼はあわよくば遠堂が全て喋ってくれることを期待する。
しかし、今まで他人をバカにしたようなうすら笑いだった遠堂が、堪えきれないといった表情で笑う。
「ククク……その程度か。君ら特時が事件をどこまで掴んでいるのか知るために、わざわざ本社から出向いてみたが、その程度。私が無用に気を張りすぎていただけ、ワシの杞憂じゃったか!」
それを聞いて矢島は自分の思惑から外れてしまったと気づいた。
矢島は試されていた。
だが矢島の持っていた情報は遠堂に危機感を抱かせるどころか、安心すら与えてしまったらしい。
まずい。
遠堂は話は終わったとばかりに席を立つ。
「ちょっと待て! まだこっちの話は終わってねぇぞ!」
「そっちの話は終わっていなくとも、ワシの話はもう終わった。それにもう時間切れだ」
遠堂は壁際に並んでいる動いていない振り子時計の方を指差して言った。
動いていない振り子時計を見て、矢島が首をかしげている隙に、遠堂は部屋から出てゆく。
ここで逃がしてはならないと、焦って遠堂を追おう。
すると黒服が立ちふさがり邪魔をしてきたが、そこからの矢島は電光石火の動きだった。
「くそっ、どけこっちも時間がねぇんだよ!」
ドガッ!!
矢島は、立ちふさがる黒服の肩を掴み、足を払って思い切り引き倒すと、驚いたもう一人の黒服が腰から護身用の拳銃を取り出そうとするところを、倒した黒服から奪った拳銃で打ち落とす。
銃声に黒服の絶叫が重なるが、矢島はそいつを蹴り倒し、遠堂に詰め寄って眉間に拳銃を突きつけると、廊下の壁まで押し込んだ。
「動くな!! こっちは話し合いなんてすっ飛ばして、撃ち殺したっていいんだぞ」
残った黒服を大声で牽制するが、それでも遠堂は落ち着いた様子で。
「ワシを撃ち殺しても何も解決せんぞ」
と笑う。
衝動的に引き金を引きそうになるのを、ぐっと堪えて舌打ちしてから叫ぶ。
「全部吐け。法外な契約で人様からタイマーを掠め取るシステムがなんなのか! でないと、今この一瞬も誰かのタイマーが不当に減り続けてしまう!」
「全くもって不毛な脅迫じゃな。君はワシを殺せんし、ワシから君に話すことはもう無い。なにせ君はワシの本当の名前すら知らないのじゃからな」
拳銃を遠堂の眉間に押し当てたまま、矢島の思考に一瞬の空白が生じた。
遠堂ではないのか……?
しかしそれが致命的だった。
いつの間にか背後に回り込んでいた黒服に、持っていた拳銃を叩き落とされると、ほぼ同時に鳩尾に衝撃が走り、矢島の意識が刈り取られた。
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