4話『邂逅』
「合計1498円で~す」
気の抜けたレジ打ちに、大橋は尻のポケットから白のカードを取り出して、店員に差し出す。
「ん?」
グラスの底に残った最後の一滴まで飲んでいた矢島は、その様子を見て驚いた声を上げる。
「ちょいちょいオッサン!? ちょっと待った!」
グラスを置いて、一番奥のテーブルから慌ててレジまで駆ける矢島は、驚いて動きを止めてる店員と大橋のところまで行く。
「オッサンもう家も金もないんじゃなかったのかよ! それに、俺が引っ張ってきて選んだ店だし、捜査に必要なことだ、経費で落としてやるからカードはしまえ」
困惑する大橋をわきに押して、財布を開き支払いを済ませると、矢島はそのまま大橋を押して店を出た。
「なんだかすいません」
大橋は申し訳なさそうに謝る。
「いいんだよ。必要経費って言っとけば全部なんとかなる。そんなことよりさっさと笠持に合わないとな」
矢島は言うだけ言って歩き出した。
道すがらふと矢島は、それよりもと言うと。
「オッサン、お金ないんじゃなかったのかよ? なんだその白いカード」
矢島は大橋が片手に持つ無地のカードを指差す。
レジで出そうとして行き場を失って、そのまま握られっぱなしだったカードを見て大橋は思い出す。
「あぁ、これが遠堂さんに借りたお金ですよ。クレジットカードというより、借りた分の金が入っているので、図書カードやクオカードと言った方が近いかもしれませんが」
矢島はそのマネーカードを受け取ると一通り見てみる。
表は白の無地のように見えたが、よく見ると白い凹凸で文字が書いている。
「”時は金なり”か。遠堂の奴、いったい何を考えてやがる」
矢島は独り言をつぶやきながら、カードを裏向ける。裏はカードリーダーで読み取るための黒い線と、ICチップが入っているような1センチ角の膨らみがあるだけだった。
「オッサン。遠堂から借りた金がこのカードに入ってるって言ってたよな。どのくらい残っているんだ?」
「一二万くらいでしょうか。私にはもう多すぎる額ですが」
「一二万が全財産なのか?」
矢島も流石に狼狽する。しかし、大橋は更にとんでもないことを口にした。
「全財産が一二万でももう困ることはないですよ。会社でのんびり社長をやって家族を養っていた頃に比べれば、かかる生活費はずっと安い。それに残っている「タイマー」は二週間分と数時間、十分でしょう?」
「二週間!? 一四日ってことか。オッサンって40~50歳くらいだろ? オッサンの年なら「タイマー」は年齢と一緒くらい残ってるはずだろ?」
家族も仕事も持てる財産の全ても失うような境遇と理解はしていたが、改めて本人の口から聞くと事態が切迫していることに気づく。
しかし、大橋自身は落ち着いて、驚く矢島を横目にゆったりと前を歩いてゆく。
「そうですね。なんというか、数字としては理解できるのですが、感覚としては全く実感がないんですよ。体が重いわけでもなく、体の節々が痛いものでも無い、「タイマー」の減少は老化とは関係ないと聞いていましたが、本当なんですね」
「実感すらないうちに「タイマー」が減る。それと、マネーカード」
考え込むようにつぶやく矢島に、大橋は振り返り尋ねる。
「このマネーカードが、何か関係しているんですか?」
「ということはやっぱりこの事件、”システム”が絡んでいそうだな」
***
陽は天辺を過ぎ、もうかなり傾いていており、矢島は喫茶店でかなりの時間話していたことに気づく。
そして、街の中央を縦に貫く幅広の川にかかる橋の足元に、矢島と大橋がやってきた。
橋の影になり初冬の冷たくなった風が吹き込む河川敷に、少なくないダンボールが広げられ、鍵の壊れた自転車や雨に濡れた雑誌と乾いてパリパリになった新聞紙、ビールの空き缶などが転がり雑然としていたが、不潔な感じはせず、比較的最近住み始めたことがわかる。
しかし、矢島が求めている笠持という男はいなかった。
「オッサン。ここにいるんじゃなかったのか?」
「矢島さんを追いかけてるうちにはぐれてしまったので、もうこっちに戻ってきていると思ったのですが……」
大橋は昨晩飲み散らかしたままだった空き缶を端に寄せつつ言う。
それを聞いた矢島の判断は早かった。
「これじゃあ話が聞けないな。いつ帰ってくるかも分からないことだし、待ちぼうけは俺の趣味じゃない。遠堂の事務所があったってところに先行くか」
「そうですね。ここでじっとしていても事件解決につながりそうなモノはありませんし」
二人はあっさりと河川敷を後にし、土手に上がる。
空振りだったことでため息をつき、吐いた息が薄らと白くなったのを見て、再び寒さを思い出しスーツの襟をかき寄せる。
「それでオッサン。遠堂の事務所があったってのはどこなんだ?」
土手から更に川に沿って伸びるアスファルトの道路へ降りたところで、大橋は対岸を指差す。
「この橋を渡って少し行ったところですね。大通りから離れてはいますが喫茶店からここまでの距離よりは近いと思いますよ」
「そりゃ良かった。喫茶店で事情聴取にかこつけて休憩したが、昨夜から夜通し遠堂を探して歩き回ったせいで当分歩きたくない」
そこで矢島はひとつ気がついた。
「そういえばさっき自転車があったじゃないか! あれだ、あれを使おう」
「構いませんが、一台しかないので結局私の歩く速度に合わせてもらうことになりますよ」
少し考え込む風にあごひげをなぞると、思いついたと顔を上げた。
「……そうだな。こうしよう、俺が自転車を使う。そしてオッサンは俺に遠堂の事務所の場所を教える。それで笠持を引き止めて俺に会わせる。いいか? いや、それがいい!」
矢島はそう言うと、先ほどのダルそうな表情から打って変わって嬉々として河川敷に降りていく。
大橋は口を挟む暇もなく繰り出された提案に勢いで頷き、既に自転車の方まで戻っている矢島に届かない声で呟く。
「自転車を土手まで持ち上げて運ぶのも大変な作業だと思うのですが……」
そのとき、矢島は大橋と同じことを思い出したかのように自転車と頭を抱えた。
***
「ここが遠堂の事務所だったとこか」
ブレーキを引き、スタンドの壊れてしまっている自転車を壁に立てかける。
大橋に教えてもらった場所に来ると、雑居ビルの立ち並ぶ狭い道の一番奥に、コンクリート打ちっぱなしの三階建てがあった。
「確かに随分と閑散としているな」
矢島はビルを眺め、蛍光灯が点いていないことや玄関口が閉まっていることを確認すると、ポケットからピッキングセットを取り出した。
鍵穴を覗き込み単純な型なことを確認すると、ものの数秒でカチャリと音が聞こえる。
ドアノブをひねり、
「こうゆう時ピッキングの方法しっかり覚えておいて良かったと感じるな」
と足を踏み入れた。
やはり中は暗く、外の光が薄らと差し込む程度で視界は良くない。だが矢島が壁際のスイッチを押すと、フロアの蛍光灯が一斉に点いたので、電気は通っているらしい。
電気をつけたことで足元が鮮明に見えると、廊下に靴の跡が残っているのに気づいた。
「もしかしたら」
矢島は玄関からまっすぐビルの真ん中を貫く廊下の両脇に並ぶ扉の表札と、扉についた小さなガラス窓から中を交互に確認しながら、応接室を探した。
並ぶ部屋は物置になっていたり、デスクにパソコンや書類が山積みになっていたりしており、とても人が引き払ったあととは思えない内装だったが、応接室だけは見当たらなかった。
「これは、オッサンの誰もいなかったって言う見当は外れてると思った方が良さそうだな。しかし、応接室がなければオッサンはどこで遠堂に金を借りる手配を進めたんだ?」
矢島は、もう一度部屋の中を軽く確認しながら玄関へ戻る。
すると、玄関の隅に急な二階への階段を見つけた。入ってきたときは薄暗くて気づかなかったのだろう。
「二階か。こっちかもしれんな……ビンゴだ」
階段の電気を点け、二階へ上ると一番手前に応接室と表札のついた扉を発見して口笛を吹く真似をする。
さっさと調べてしまおうと取っ手に手を伸ばす矢島。
しかし、矢島が取っ手を掴む直前で、内側から扉が開いた。
「っ!? (やっぱり誰かいやがった!!)」
息を飲む矢島は、口の中で叫ぶ。
そして、固まる矢島に、扉の内側から迫力のある渋い声が聞こえた。
「ワシを追っているという若造がいると聞いていたが、随分と荒っぽい訪問じゃな」
その一言で、矢島は確信する。
顔も素性もしれない男の名を思い浮かべ、歯噛みする。流石にしょっぱなから本人とぶつかることになるとは思わなかったのだ。
「これが俺の流儀なんだ。話してもらうぞ」
「最近の若造は礼儀も知らんのか。だが、寛大な心で許してやろう。好きなだけ質問するといい、何も掴めはしないからのう」
矢島が踏み込んだ応接室の奥で声の主は高級なソファに腰を下ろしていた。
白い髪の毛をオールバックにし、同じ色のヒゲに、鋭い生気を放つ黒目と深く刻まれた眉間を持つ老人。
放たれるオーラはただの年寄りのそれとは別物であった。
これほど凄まじいジジイがいるのかと矢島は圧倒されそうになりながら、老人の名前を言う。
「ちゃっちゃと吐いてくれよ、遠堂総司」
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