3話『大橋一』
大橋は、ちびちびと飲んでいた水から口を離したところで、店のウェイトレスが注文した料理を持ってくるのを見た。
「食べながら話してもいいでしょうか?」
「あぁ、俺も食べながら話聞くから全然気にしなくていいぞ」
そうですかと、大橋は頷くとポツポツと話し始めた。
***
私は小さな下請け企業社長でした。
小さいなりに優秀な社員に恵まれている職場で、あるとき大きな仕事が遠堂さんから持ち込まれ、規模拡張を進めていた私にとってはわたりに船と喜んで話に乗りました。
「では、今後ともご贔屓にお願いしますよ。大橋社長」
遠堂さんの九十を超えているとは思えない力のある笑顔で言ってくれました。そうして私の会社は急成長したのです。
その後も順風満帆な経営は続いていたのですが、あるときを境に傾きました。
原因は、遠堂さんから定期的にあった大きな仕事が突然なくなったことでした。大口の顧客を失ってしまった私の会社は小さかったこともあり、ドミノ倒しのように仕事がこなくなりそのまま経営は破綻してしまったのです。
会社をたたむ時、今まで真面目に働いてきた社員たちに支払う給料すらない状況です。そこで私は、会社が一番波に乗っていた時に知り合った、遠堂さんのもとへ相談しに行きました。
遠堂さんは、根掘り葉掘り探りを入れるわけでもなく気持ちよくお金を貸してくれました。
しかし、それで私の正体不明の不幸な波は引きませんでした。
借りたお金が社員への給料に消えてゆくと、同時に私の「タイマー」も気づかないうちに大幅に消失していたのです。「タイマー」が経過した時間以上に減るなんて話は聞いたことのなかった私は、理解が追いつかず頭を抱えました。
お金を失い寿命も縮めた私は、妻と娘をもう養えないと考え離婚をしました。最後まで妻は「私が働くから」と言いましたが、私のために無用な苦労をかけさせることはできず、私は妻と娘を残して家を去りました。
エゴと言われるかもしれませんが、今でも私は私の選択が最善だと思っています。
***
「まさかオッサンもこの事件の被害者だったとはな」
矢島はつぶやく。
だが大橋にはよく聞こえなかったらしく、咀嚼音だと思った彼は、「聞いてますか?」と尋ねた。
それを見た矢島は、食べていた牛丼から顔を上げた。
「ん? ……ぁあ、聞いているぞ。」
いや、ホントに聞いてたぞ、と言いながら、牛丼と格闘していた。
「はぁ、続き話してもいいですか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。質問したいことがある。「タイマー」ってのは専用の注射器か時間の経過でしか減らないだろ、そのどちらでも無いのに「タイマー」が減少していたのか?」
「はい。減ったのを知ったときは原因の片鱗すらつかめていませんでした」
「なるほど、積まれた肉で下の白飯が見えない今と同じだったわけか。……そんなことはどうでもいいか」
矢島は肉をめくり、埋まったご飯を頬張ると、大橋に聞いた。
「原因すら掴めてなかったんならどうしてオッサンは遠堂に辿りつけたんだ?」
「それを、これから話そうと思ってました」
***
家を去る。
そうは言っても、生まれてから二三年と結婚して十数年実家や我が家が帰る場所だった私は、持ち合わせの金もなく、必然的に路頭に迷いました。
それが今日から三日前、行くあてもなくフラフラと近所の川原へ向かった私ですが、その日も今日と変わらず肌寒く、着の身着のままではもう「タイマー」の枯渇を前にして凍え死にも覚悟しました。そのまま、川にかかる冷えた橋脚に背を預け、浮かび上がる星を数えていると、矢島さん程の年齢の若い男が私に声をかけてきました。
「オジサンみたいな人が、こんな浮浪者のたまり場にいるなんて珍しいね」
彼は笠持と名乗り、私に寝食を提供してくれましたが、彼も「タイマー」と金を失った、近年増えてきたホームレスの一人でした。
「オジサンも遠堂にお金を借りたあとから「タイマー」が減りだしたみたいだね。僕が1週間前に「タイマー」の異変に気づいてから、同じ異変が起きてる人を見てきたけど、オジサンがこれで三人目だよ」
その夜、笠持さんにあてのない愚痴を聞いてもらっていました。そこで私の境遇と笠持さんの境遇、彼の出会った「タイマー」異変者の話の全てに、遠堂が関わっていことに気づきました。
笠持さんは流石に偶然ではないと言い、遠堂を探して話を聞こうと私を誘いました。
金もなく「タイマー」も残り少ない私たちでしたが、この異常事態を解決できるかもしれない希望が見え、遠堂を探すことにしたのです。
***
「俺が見つけた「タイマー」枯渇の寿命で死んだ人の数は四人だったが、オッサンと笠持って男と他の二人……、最低でも遠堂の被害にあったのはもう既に八人。いや、おそらく見つかっていない被害者がいると考えると二桁は超えそうだな」
矢島は食事の手を止め、呆れたように言った。
「それにしても、その笠持って男にも会って話を聞きたいものだな。どうやら事情はそいつが一番知っているようだ」
「そうですね。このあと会いに行きますか? まだ拠点にしてから二日ですが、私と笠持さんが寝床にしている橋脚にいると思います」
大橋は、食べ終えたトーストのパンくずを払い落とすと、水をあおって一息つく。
大橋は矢島がメニューを平らげたのを見計らい、
「ではそろそろ行きますか? 早いほうがいいでしょう?」
と矢島に尋ねたが、矢島は立ち上がろうとする大橋を手で制止して、
「いや、まだ聞きたいことがある。オッサンが俺と女子高生のあいだに割り込んで来たあの時、なぜあの場所にいたのかまで全部話してくれ」
と続きを促した。
実はもともと私と笠持さんが、派手な女子校生を追っていたんです。
話は少し戻りますが、遠堂さんと最後に会った事務所に私と笠持さんで訪ねましたが遠堂さんはもうそこを引き払っていました。
そこで、遠堂さんの足取りを追おうと手がかりを探しましたが、なにせ私は少し前までただの会社の社長です。素人に手がかりなどという大層なものは見つかるはずもなく、それでも諦めず街を歩いていたとき、以前遠堂さんがいたもぬけの殻の事務所に、例の女子高生が訪れているのを見つけたのです。
笠持さん曰く、彼女も「タイマー」を失い迷う私たちと同じ匂いを感じるということでした。彼女に話を聞くため様子を見ていると、どうやらサングラスをかけた背広のいかにも怪しい男があとをつけているのに気づきました。彼女も何か視線には気づいているのか挙動不審にあたりを見回して来た道を逆戻りしていきます。
その時、コンビニから矢島さんが突然飛び出して来て、女子校生を追い始めたのを見て、女子校生をつける背広の仲間かと思った私は、矢島さんを引き止めたわけです。
***
「まさか警察の方とは知らず、申し訳ございませんでした」
大橋は話し終わると頭を下げた。
しかし、矢島は気にするなと手を振った。
「オッサンに話してもらったことで、かなり手がかりがつかめた」
「今の話で、遠堂さんの居場所がわかるのでしょうか?」
「違う違う。次の目的が決まったってことだな。今まで街の中を闇雲に歩き回るだけだったから、一つ一つ目的があったほうが、行動が決めやすいし真相に近づける」
大橋は、なるほどと頷くと改めて聞いた。
「では行きますか?」
「あぁ、そうだな。まずはオッサンの話に出てきた笠持にも話を聞きに行ってみるか」
矢島はスっと立ち上がると、そう宣言した。
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