第4話ペロロンチーノとシャルティア①

 アインズ達が騒いでいた頃。

 鈴木悟が住まうマンションの外では一人の男が手持ち無沙汰な様子で空を見上げていた。

 全体的には華奢な印象だがスラッとした体格。

 細目で、口を尖らせながらまだかなと呟く姿はどことなく鳥類を思わせる。


 そんな彼の視線の先にはドーム状に覆われた特殊ガラスの向こう側。

 絵具を何重にも塗りたくったような分厚い薄茶色の雲が覆っている。

 それが晴れたところを彼は一度も見たことが無い。


「酸性雨とかくるなよ。折角新作エロゲー買ったんだから環境音に邪魔されたくないしさ」


 ちらと助手席下に置いた荷物に視線を向ける。

 それは彼にとって人生と公言して憚らないゲームの数々。早く帰ってプレイしたくて堪らなかった。


「いやー待たせて悪いねー」


 へらへらと笑いながら配達員姿の男がやってくる。

 車に乗り込むと相方の男は軽く溜息を付きながら文句を言う。


「遅いって。ボロアパートみたいだし、面倒な客だったの?」

「うーん、別にそうでもないんだけどねぇ。ここら辺は結構お行儀良い人らばっかりだよー。まあ仕事人間とも言うけど。それに都市の近くだから警察も巡回してるし、治安もバッチシ」

「よく分からないんだけど、企業に入社してる人らが多いんだっけ? アーコロジーの内部に行かせて貰えるようなエリートさん達」

「そうそうガッコ行ってるような頭良い人達」


 そう言いながらエンジンをかける配達員。

 環境が破壊された現代ではアーコロジーと呼ばれる巨大複合企業が作り出した大都市は綺麗な空気を吸える楽園だ。

 しかし当然ながら住むにはそれ相応の金がいる。一部の富裕層以外はまず住むことが難しかった。

 そのためお金のない貧乏人達は学校で一定の教養を身につけて都市で働くか、同じ貧民相手に商売するのが一般的だった。

 ガッコという単語を聞いて待ちぼうけを喰らっていた方は苦虫を潰したような顔をする。


「でも学校もすげぇ金かかるんだよな。うちは両親が行かせてくれたからいいけど、仕事きつそうだったな……」

「まあ大半の家はそうだし多少無理してでもやらないと行けないからねー。企業様の考えは奴隷は愚かなままでいいってスタンスだしー」

「企業様は神様ってか。嫌だ嫌だ。こういうときはエロゲという人生に浸るのが一番だな」

「あははー君はいつもそうだねえ」

「もちろん。エロゲーisマイライフ! エロのない人生なんて死んでるのと一緒だぞ。というわけでさっさと車だして帰ろうぜ。手が足りないっていうから車の番の手伝いはしたけど、正直待ち過ぎて疲れたし」

「はいはいさ。あ、もう終わりだから会社に着くまで仮眠してもいいよー。空気汚染予報が出てるからマスクはしといた方がいいけど」

「もう降り始めてるじゃん」


 ドーム状の透明ガラスの先では茶色く濁った雨が打ちつけ、騒音を起こし始めていた。

 住宅街が一気に薄暗くなり、ぽつぽつと灯りが付き始めている。

 汚染された空気はできるだけ遮断しているが、アーコロジーのような完全に密閉できるわけではなく、人はマスクをしなくては肺がやられてしまう。

 男は煩わしさを感じつつ、マスクを装着し、そのまま目を瞑るのだった。




 ――――――




「それじゃあ、会社の都合がついたらまた手伝いお願いするかもー」

「入荷したエロゲを流して貰えるのはいいけど、お手伝いをあんま酷使しないでくれよ。こちとらシナリオライターが本職なんだから」


 彼の仕事はシナリオを書くのがメインで、配達はあくまで手伝いだった。

 配達員はその言葉に何かを思い出す。


「そういえばエロゲーも最初は勉強がてらやってなかったー?」

「そういった過去は忘れた。今はエロゲ一番」

「趣味と仕事が逆転してるねー」

「そんなもんだろ人生って。んじゃー」

「またねー」


 仕事も終わり、後は帰宅するだけ。

 さっきまでは世界の全てがどんより暗くなっていたが、ゲームができるとなると気分が高揚していた。

 すれ違う人が気持ち小さく見えるような変な全能感すら味わっていた。


「どれからにするか。のんびり純愛の『妹ラブストリーム』をするか、伝奇の『宵月神楽』でしんみり楽しむか、はたまた『超昂電サンディスター』で熱いバトル物を楽しむべきか」


 毎日がつまらない日常の中で、この長方形の平べったい物体には夢と希望と世界が詰まっているのだ。


「初回限定版のパッケージ付きのエロゲ――やっぱりデータだけじゃ味気ないし、今回もゲットできてよかったぜ。さーて説明書説明書っと」


 資源が乏しくなった今ではダウンロードが主体。

 そのためエロゲーのパッケージ版は貴重で通常の入手方法では困難を極める。

 男は流通関係の友人を持っていたためタダ同然で手伝う代わりに、品物を一部流して貰っていたのだった。

 キャラ絵や声優のキャラクターボイスを暇つぶしに見ていたところ、気になる部分をみつけてしまう。


「やはりここはエロ原点としてオーソドックスな妹ラブから……って、げぇっ! 姉貴のキャラいるのかよ。糞ッ、友人の妹枠とかホームページになかったぞ!」


 CV――キャラクターボイスの中に自分の姉の名前を見つけた途端、がっくりと肩を落とす男。

 彼は声優の姉がいた。

 人気声優でロリ声を持つ姉とは何かと喧嘩も多く、しかも肉親。

 ゲームの世界に没入したいのに、何が悲しくて姉の声――最悪喘ぎ声等のエロボイスを聞かされなくてはならないのか。

 「極力コイツの攻略は避けよう」と心に誓いながら伝奇モノを先にプレイしようと心に誓う。

 あらすじや設定を読みながら男は何を思ったのか携帯端末でメモを取り始める。




 そんな小さな不幸に遭いつつ、男は自分が住まう家に着いた。

 普段は両親と一緒に暮らしているが、しばらく家を空けるとのことで家人に気兼ねすることなくゲームライフに勤しめると喜びながら自室へと向かう。

 厄介な姉は一人暮らしなので当然気にする必要もない。

 いつものように鍵を開け、いつものようにエロゲーのデータをインストールする。

 その間に空気浄化装置を付け、マスクを取り、ラフな格好へと着替えてまたパソコンの前へといく。

 最初にプレイするのは伝奇物のエロゲ―。ホラー要素もあるため、臨場感をできるだけ味わうために、その日は電気を消したままプレイすることにしていた。

(……なんか良い香りがするな。芳香剤なんて代えたっけな)

 いつもと違う部分があったものの気にしない。

 ヘッドホンを装着して座布団の上に腰を降ろす。プレイ環境をできるだけ整えるために買った高級座布団だったのだが。


「――かしぃかおり……ぷぎゅっ!?」

「ん、なんか聞こえたか? まあいいか」


 いつもより平べったくて冷たい座布団な気がしたが男は特に気にしなかった。

 そんな些細なことより、ゲームゲームとスタート画面を起動させる。

 紙芝居から進化していないと言われて久しいゲームだったが、娯楽の少ない現代では貴重な庶民達の娯楽としての地位を築いているエロゲー。

 オープニング曲が流れ、刀を持った巫女が妖怪相手に立ちまわっている。

 シナリオライターとしての癖か、オタクとしての性か、独り言のように評価を口にしていく。


「さすが伝奇物を100年以上作ってる老舗メーカー。派手じゃないけど堅実な作りだ。スマッシュヒットはしないけどOPからして安定感が半端ない」

「……っ!? この御声、もしかして……あれ、お、おかしい、力がでないでありんす……」


 下から明らかに声が聞こえているのだが男の耳には届かない。

 集中している上に、ヘッドホンから大音量で音楽を聴いているため気付いていなかった。


 OPが終わるとさっそくとばかりにゲームを開始する。

 整った顔立ちの男が化け物達と立ち回っていた。


「相変わらず男がイケメンだな。しかも手練れってのはシリーズの御約束かあ。今回は妖怪も結構怖い感じで描いてるな」

「で、でも想像通りなら至高の御方の敷物になっているわけでありんすか。それはそれで……」

「……んー何だろ?」


 もぞもぞと座布団が動く。

 そんな感触に不思議に思ったのか、男はヘッドホンを外してふと下の方に目を向けた。

 真っ暗な部屋。照らすのはパソコンの灯りのみ。

 ぼんやりと自身の下から浮かび上がったのは、


「はぁ……はぁ……あ! やはりペロロンチーノ様!」

「………………は?」


 真っ白な死人みたいな顔とゴスロリっぽいフードを被った少女。


「やっと、やっと御帰りくださったのですね! このシャルティア、一日千秋の想いでお待ち申してありんした!」

「………………」


 犬歯の伸びた歯。喜色満面の少女は目元を僅かに湿らせながら、紅い目を輝かせる。

 その姿はさながら、


「? どうかされたのですかペロロンチーノ様?」

「…………ぎゃ」

「ぎゃ?」

「ぎゃああああああああお化けだああああああああああ!!!???」

「ペロロンチーノ様ッ!?」


 ――さながら、どこぞのホラー映画に出てきそうなお化けの様あり、それが自身の股の下で、はぁはぁと荒い息を吐き、目をギラギラさせながらこちらを呼びかけるという状況。

 男でなくとも驚くのは無理もないだろう。

 驚きのあまり部屋から飛び出す男。だが男の受難はまだ終わっていなかった。

 突然、目の前で星が散る。

 飛び出す際、ガンと頭をしたたかに打ちつけたのだ。

 痛みにうずくまる男。

 しかし入る際は気にしていなかったが男は自分の目線が妙に高いことに気づく。

 そして少女が口にしたペロロンチーノという言葉。少女の姿もどこかで見た記憶がある。

 男は玄関横に置いてある姿見を恐る恐る覗いてみる。


「ま、待ってくれ。夢だ、夢に違いない。だってこのキャラは……ユグドラシルの」


 背中には一対の翼。気づけば手が鍵爪――鳥類によく見られる特徴的な鋭い爪を持ち、全身を羽毛で覆われた姿。戦士風のバードマンといった風貌。

 鏡越しに見た姿に思わず呟く。


「ペロロン、チーノ……」


 それはかつて男がプレイしていたユグドラシルというゲームのキャラクターそのままだった――

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