第3話アインズとパンドラズ・アクター②

「……おかしいな。30分と言ったはずだが既に1時間近く経過している。パンドラズ・アクターは一体何をしているのだ」


 アインズは疑問に思いながら立ち上がる。

 部下達の忠誠心は高く、アインズの言葉は神と同様と捉えて仕えている。

(たかが一般人男性の部屋などさほどかかるまい。何かトラブルでも起きたのか?)

 自分の、鈴木悟の内装を思い出す。

(今俺がいるユグドラシル用の小部屋。後は隣のリビング、備え付けの物置。トイレ、スチームシャワー室、玄関横にある台所……まあワンルームにもう一つ部屋がある程度のものだ)

 元々営業職であった彼はそこそこ収入もあって、部屋もそれなりに金を掛けている。

 とはいってもその全てはユグドラシルのために用意してきたものなので、転がっている道具も大概その手の機材だ。

 だが大切なのは物音がしないということ。


「仕方ない奴め。大方、どれが重要なものか分からずにいるのだろう」


 やれやれと息を吐きながら隣の部屋のドアに手を掛ける。

 重要な物がない場所を、さも意味深な様子で調査するように言った自身も意地悪だったなと思っていた。

(上司が部下にプロジェクトを任せるときも、やたらプレッシャーを掛けてきていたな。実際はあっさり終わって肩すかしを喰らったものだ。

 とはいえパンドラは加減もできず、全力で仕事にあたるだろう。)

 ドアを開けながらリビングにいるであろうパンドラにアインズは声を掛ける。


「パンドラ! 調査を慎重に行うのはいいが時間が過ぎているぞ!」

「はっ! 時間を過ぎてしまい申し訳ありません、我が創造主! 召喚主が所持していたと思われる魔術書を発見しましたが、その書物の危険度が高いと判断し、御身の事を考えて、慎重に調査しておりました!」

「召喚主はあくまで可能性の一つではあるが、魔術書だと?」

「はっ! 禍々しき漆黒の書であります!」


 その返答にアインズは内心で困惑する。

(この部屋が元俺の部屋だとするなら召喚の線は皆無のはず。それを魔術書だと? そんなもの買った覚え…………あ)

 ピンとくる可能性が一つだけあった。

 しかしアインズはそれが本当だとすると悲劇が起きると察知した。

 だが時すでに遅く、パンドラは身を正すと片膝を突き、両手に乗せた“禍々しき漆黒の書”をアインズに差しだす。


「ま、待てぱんど――」

「これが禍々しき漆黒の書です! 宝物殿の守り手としてナザリック地下大墳墓に長くおりましたが、これほどの一品はなかなかお目にかかれません!」

「ぐはぁ!?」


 “それ”を見た途端、アインズは感情抑制が3連続で起こすほどの衝撃を受けた。

 異世界にてパンドラズ・アクターと初めて顔を合わせたとき以上の速度で感情抑制が起きている事実を気にしているほど余裕はない。

(なぜ!? なぜそれがここにある!? それは、その黒歴史に関連するものは全て処分したはず……い、いや、待て。黒歴史と認識し始めた初期に恥ずかしくて天井裏やらいろんなところに隠したから見逃しがあったのか!? それにしたってこれはないだろう!)

 ある意味、自分の恥ずかしい過去の写真やら遺物を子供が無邪気に見つけたときのような、思わずのたうち回りたい衝動を必死に抑えながら、アインズは震える手で受け取る。

(『漆黒の福音書 第死章』……ぐ、なんだこの痛々しい文面は!? 画数が多いだけで読みづらいし、これを当時の俺は本気でかっこいいと思っていたのか……状態異常にでもかかってたんじゃないか……っ)

 噂に聞く厨二病にも“病”の文字があるので確かに間違っていないのかもしれない。

 脳内は感情抑制により、動揺と冷静を激しい往復を重ねる。

 パンドラは何を思ったのか、若干興奮した様子で口を開いた。


「アインズ様、その漆黒の書ですが」

「……なんだ」

「どうやら著者の自伝や呪文の類が書かれている様でして、非常に高度なものではないかと愚考致します。あまりの禍々しさに思わず、私の魂も震えるほど興奮してしまうほどでした!」


(そりゃそうだろうな! 俺がこの手の痛々しいのがカッコイイと思ってた頃にお前を創造したからな! ……待て、今なんと言ったのだ?)

 断続的に起こる感情抑制の中で、アインズの耳に看過できない言葉が届いた。


「まさかとは思うがお前、これがその、読めた、のか?」

「はっ! おそらく召喚された影響かと思われますがこの文字が読めるようになっておりました」

「は、はははは、そうか。そうか、読め……読めちゃった、のか……」

「はいっ。漆黒の書に書かれている文字がこの世界の文字だと思われますので、より一層の調査が行えるかと思われます!」

「あぁ、あぁ、そうだな。効率良くなったな」


 既に色々投げやりになってきているアインズ。

 度重なる感情抑制を防ぐためか、半分聞き流してさえしている。

 だがパンドラズ・アクターの無意識による恥辱はこれで終わらなかった。


「しかしこの召喚者はなかなかの手練でございます。どうやら千の鉄甲堕天使軍団なる者達と単騎で立ち向かったとか――」

「おい! ちょ、待て!」

「『汝深淵を覗きし者よ、漆黒の闇にて煉獄に等しい苦しみを』という詠唱文など――」

「いい加減ちょっと黙って貰おうかパンドラズ・アクター!」

「はっ」


 アインズはかつて宝物殿で出会ったときのようにパンドラを壁に押し付ける。

 そして若干ドスの聞いた声で諭し始める。


「これは危険な書だ。それは分かるなパンドラズ・アクター」

「はいその通りでございます」

「ならばみだりに書の内容を口にし始めるな! あくまで可能性だ。可能性だが俺を殺すような作用が起きるとも限らないであろう!」

「も、申し訳ありませんアインズ様! そこまでの考えにいたらず、このパンドラズ・アクター……」

「よい。お前の全てを許そう。しかしこの書は私が預かる。そして金輪際この書について語ることを禁ずる。無論、他者へ口外することも含めてだ!」

「はっ! 了解いたしましたアインズ様!」

「ほんと頼むよ、ほんとに……」


 最後は小さく呟きながらがくっと肩を落とす。

(悪気はないし、俺がそういう風に創造したから悪いんだけどさ。アルベドやデミウルゴスが一緒だったらよかったのになんでコイツと一緒なんだよ俺)

 頼りになる部下を思い出しながら、すり減らし続けた精神のせいか妙な疲労感を味わうアインズ。

 ただここで悶着しても仕方がないと考え、それ以外の報告を聞くことにする。


「それで、他には何か分かったことがあったか」

「他には、そうですね。どうもここ1、2カ月程ここの家主は外出しているのではと考えます。幾分埃が積もっていましたので」

「1、2カ月か。ん、待て、私が最初に居た部屋はさして汚れていない様に思えたぞ。それにこの部屋もだ」


 最初の部屋――ユグドラシル用に改造した部屋は気になるほどの汚れはなかった。

 そして今いるリビングもさして汚れた形跡はない。


「アインズ様がいらっしゃる部屋をそのままにはしておけないと急いで掃除したのです。ですが、最初に目が覚めた部屋だけは汚れという汚れが見つかりませんでした」

「つまり埃が玄関から奥の部屋は汚れておらず、近い方の部屋は埃が積もっていたと。妙だな、誰かが出入りしたとしても玄関を中心に埃が飛び、一番奥。つまり私達がいた場所が汚れているはず」

「召喚の影響でしょうか?」

「……判断材料が足らんな。やはり外に出て――」


 調べるべきか、そう言おうとしたアインズとパンドラの耳にピンポーンという高い音が聞こえた。

 咄嗟にパンドラズ・アクターが身構え、玄関の方を警戒した様子で見る。


「アインズ様、いかが致しますか」

「おそらく呼び鈴だ。ここの家主を呼んでいる様だが、少し様子を見るぞ」


(糞ッ! どうしてこう立て続けに問題が起きるんだ!)

 心の中で毒付きながら静かにしていると外から呼ぶ声が聞こえる。


「鈴木さーん! お届け者でーす。鈴木さーん! いらっしゃいませんかー?」

「届け物ということは荷物か。ここは居留守を使って……いや、待てよ?」


 自分もパンドラズ・アクターも今は人外の姿をしている。

 出れば不要な騒ぎを起こすため、居留守を使おうと思ったアインズだったが一つの疑念が沸いてしまった。

(ナザリックから転移するという異常事態。偶発的要因で来たと思ったが、他者による故意的な要因も無視できない。

 そして我々が起きて1、2時間という落ち着くには十分な時間に荷物が届く。偶然にしては出来過ぎている。ならば荷物には敵からのもの、そうでなくとも何かしらの情報が得られる機会とも取れる)

 慎重に慎重を重ねるべきだとしても、解決の糸口を逃す可能性は看過できない。

 そうでなくとも先ほどは黒歴史というくだらないことで慌てる姿はナザリックの支配者として情けない姿だった。

(どこにいたとしても俺はナザリック地下大墳墓の主として恥ずかしくない姿であらねばならない。たかが人間一人に慌てるなどあってはならぬ。ならば――)

 古い記憶を頼りに、アインズは近くの戸棚開けて目的の物を取り出す。


「パンドラズ・アクター、この写真の男に変身して応対するのだ」

「この男は……」

「おそらくこの部屋の主であろう鈴木という男だ。それとこのハンコも持っていけ。使うだろうからな」


 そういってアインズは鈴木悟の写真――社員証と印鑑をパンドラに渡す。


「なるほど、このパッとしない部屋の主に相応しい冴えない男ですな」

「う、うむ。そうだな。パッとしないよな」


(冴えない男で悪かったな! 女性経験もないままアンデッドになったから未使用だし……いや、今はどうでもいいと思ってるけどさ!)

 元自分への辛辣な評価に内心ちょびっとだけ傷付くアインズ。とはいえ彼だけが特別おかしいわけではないのだ。

 ナザリック地下大墳墓に所属する者達にとって、ナザリックが至高であり、以外の者は路傍の石コロか以下の存在。中には汚泥のごとく嫌う者すらいる。

 アインズがよく一緒に行動していたメイドなど、ナチュラルに相手を前に虫に例えて見下すくらいだ。

 パンドラズ・アクターはそこら辺の悪感情は抱いてないものの、一言余計に口を挟むタイプの様であった。


「と、とにかく早く変身するのだ!」

「畏まりました。ではこのパンドラズ・アクター、行ってまいります。はっ! …………」

「どうしたのだ。早く行けと言っておるだろう」

「あ、アインズ様、大変です! スキルが使えません!」

「なんだと!?」


 その言葉にアインズは己の不覚を悟る。

(いや、考えてみれば当然だ。現実でスキルや魔法など使えるはずがない。むしろユグドラシルから異世界へ飛ばされたときだって、同じ魔法体系やモンスターがいたことに疑問を感じていたんだ。世界が変われば理も変わる。

 しかしそうなるとアンデッドである私の存在自体がおかしいということになるのだが……糞ッ、情報が足りなさすぎる!)

 配達員は根気がある性格なのか、話している間も呼び鈴は鳴り続けていた。

 だがそろそろ帰ってしまうだろう。

 そしてアインズは仕方ないと考え決断する。


「ええい仕方ない! パンドラズ・アクターよ。そのままの姿で応対するがよい」

「よろしいのですか?」

「情報がとにかく欲しい。その鈴木とやらの荷物も何かしらの手掛かりになる可能性がある以上捨ておけん。とにかく骸骨である私が向かうよりは、お前の方がまだ被りものとでも思ってくれるかもしれないから早く行くのだ」

「承知致しました。それでは行って参ります!」

「いいか! 普通に、普通に応対すればいいからな」


 仰々しく腰を曲げながら、右腕を軽く胸に手を当て頭を下げるパンドラ。

 その様子に不安を抱きながらも、アインズは玄関から直接見えない位置に隠れ、様子を窺う。


「――鈴木さーん! あー居ないのかよぉ。今日は居ない人多いなあ。また配達しにくの面倒だわー」

「ああ、いえいえこぉぉのパンドラズ! アクターが! 今、参りましたよー!」

「……どうしてそこまで仰々しく応対する!? お前の普通はそれなのか!?」


 明らかに気取った様子で対応している様子に頭を抱えるアインズ。

 そんな彼の苦悩も知らずにパンドラズ・アクターは明るい声で応対し始める。


「あ、鈴木さんいらっしゃったんですねー。お荷物なのでここにハンコお願いしまーす」

「ハンコ……ほうこの冴えない名字が掘られた物でやればよろしいのですか」

「あはは、自分の名字なのに冴えないって変な人ですねー」

「変だから変という。このパンドラズ・アクター、そこに何の偽りも詭弁もありません」

「変わった人ですねー」

「……おい何で普通に対応できているんだ。卵頭だぞ。変な軍服来ているんだぞ。言動も含めて徹頭徹尾おかしいのに、あの配達員はプロか。プロ根性なのか!? 」


 不審者ですと全身からオーラを発しているはずのパンドラズ・アクターに対して、配達員は眉一つ変えずににこやかな応対をしている。

 素晴らしいとさえ言えるスルーっぷりには惜しみない賞賛を送りたいほどだった。

 しかしそれも長くは続かなかった。


「はい、いただきましたー。それにしてもお客さん凄い服装ですねぇ。軍服ってやつですか」

「なんとこの服装の良さが分かるのですか!」

「まさか配達員がそっち方面の知識があるだと!? いかん、雲行きが怪しくなってきた」


 喜色を含んだ声のパンドラズ・アクター。

 だが一方でアインズはこの会話を危険だと感じていた。

 そう、この手のオタクは一度話出すと止まらないのだ。


「モチロンですよ。アーコロジー戦争以降に流行ったネオ・ナチの軍服を模した物ですよね。友人はコテコテ過ぎて苦手と言いますが、僕はキリっとした服装で大好きなんですよ」

「なんとなんと! ネオ、は分かりませんがとにかく素晴らしい。まさか同好の士に出会えるとは!」

「や、やめろ、お前ら……俺の黒歴史を刺激するんじゃない……」


 繰り出される会話。普通なら同じ趣味を持った者同士の会話なだけなのだが、アインズにとっては過去にやらかした様々な出来事を突きつけられるようなものだった。

(かっこいいと思って軍服で出歩いて捕まるとか恥ずかしい思いをした。頼むから、頼むからそういう会話はやめてくれ……というか会話が長引いたら色々危険だろう!)

 しかしアインズの願いも虚しく会話は止まる気配をみせない。


「僕もこんなところで会えると思いませんでしたよー。ほら写真があるんですが、こういう勲章を左胸に飾ると更にかっこいいんですよねえ」

「こ、これは!? す、素晴らしい……っ! こういう装飾もあるのですか! これは我が創造主と相談して……」

「ん、創造主ですか?」

「そう至高なる偉大な御方で――」

「いい加減、待ってもらえませんかね御二人方! ……あ」

「あ」

「アインズ様」


 思わず飛び出してしまったアインズ。

 パンドラズ・アクターだけいつもの様子だったが。

(まずい、騒ぎになるぞ!? 糞ッ、できれば穏便に事を進めたかったが――)

 こうなれば殺してでも、そう思った矢先配達員から意外な言葉が飛び出る。


「あぁ、すいません双子・・の方だったんですねー」

「ふ、双子だと?」

「玄関で騒いじゃってすいません。それじゃ僕も配達の途中ですんで」

「ま、待て。少し聞きたいんだが、この写真を見てどう思う!」


 目の前には卵頭の軍服と骸骨にローブ姿の男。

 だがあっけらかんとした配達員の様子にアインズはある可能性を考慮して咄嗟に引きとめた。

 アインズが出したのは鈴木悟の社員証。

 それの怪訝そうな様子で配達員が見ると、


「これってお客様の写真ですよね。よく撮れていると思いますよー」

「撮れている……つまり同じ顔だと?」

「……? 同じだと思いますが。すいません、もう行っても?」

「あ、ああ、引きとめてすまなかったな」

「では失礼しましたー」


 配達員が出て行ったあとアインズは顎に手を当て考える。

 これは非常に重要な情報だったからだ。


「俺は、いや俺たちは他者からは、鈴木悟の姿に見えているということか!? どういうことなんだ! 一体全体何が起こっているのだ!?」


 感情抑制で何度か冷静なって見ても、アインズ達には現状がどうなっているのか分からなかった。


「あの、アインズ様」

「なんだパンドラズ・アクター!」

「とりあえず荷物を」

「ああ忘れていた。どれどれ…………って、おい。……あぁうん、まあ、そうなるわな。どうして貴重な紙資源を使って送ってくるかね」

「アインズ様」

「さして重要な情報ではない。一人で騒いで今日はもう、なんというか疲れた。外も暗くなってきているし、終わりだ終わり!」


 結局その日はいくらか話し合いを設けた後、特に行動することはなかった。

 アインズが無造作に鈴木悟あての紙を投げ捨てる。

 そこには“解雇通知”という無慈悲な一文が書かれているだけであった――


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