Show time 2 黒装束を見た!
2012年5月6日 間切町
午後5時59分頃
一人の女性が薄暗い道を歩いている。この道は陽の光りを嫌うかのように雄々しく茂った木々によって、何時どの時間も非常に暗かった。女性はそれを気にせず携帯電話で友達と会話をしていた。
「それでさぁ、部長が私に何て言ったと思う? 『君はお茶運びしてれば良いの!』、だってさ! ホントマジふざけんなって感じでし!?」
部長の声を真似て低い声を出しながら、仕事に対する愚痴を友達に話す女性。
「ホント嫌になっちゃう。もうこの会社辞めちゃおうかな……って!」
彼女にとって愚痴を溢す事はこの上ないストレス解消法だ。つい夢中になってしまう、そんな時だ。
『ガァァァァ!』
木々に留まっていたらしいカラス達が、一斉に飛び立った。驚いて立ち止まる女性。それだけならまだ良かった。さっきから自分の周りに舞っていた小さな虫の気配すら消え失せている。まるで何かから逃げ出したかのように。そして女性は、ドサッと音を立てて地面に仰向けになって倒れてしまった。
「どうしたの? 何かあったの?」
異変に気が付いたのか女性を心配する友達。だがその声は女性に届かなかった。女性はその時既にその場で息絶え、その携帯電話は消滅していたのだから。
衣服や持ち物が消え、首から上が消えた状態で……
数日後
ここ「間切町」は、間切市を構成する町の一つであり、北は山に、南は海に囲まれた場所だ。
この町の海岸は知る人ぞ知るサーフィンに格好のスポットであり、数年前に有名人がTVのバラエティー番組で紹介したのを境にしてサーファーが多く訪れるようになったお蔭で、海沿いの施設は非常に活気に溢れていた。ただ、山に面する施設はその恩恵をあまり受ける事が出来ずにいて、この「間切第3商店街」は昼間だというのに殆どシャッタージャングルへと化し、活気の「か」の字が全く見当たらなかった。
そんな商店街のメインストリートを歩く一人の女性の姿があった。天条スズコである。
そのスラッとした手足の長い体型と風が吹くたびになびく赤みが掛かったセミロングの黒髪、日から始まる女性芸能人に何処と無く似たその顔立ちでは、一見すると刑事とは誰も思わないかもしれない。
彼女はある目的があってこの商店街のはずれにある一つのビルを目指していた。メインストリートのほぼ中間で左へ曲がり、更にそこから細く入り組んだ路地へ足を運ぶ。
「ホントにここはいつ来ても入り組んでるなあ……。何でこんな辺鄙な場所に事務所を構えているの、アイツは……」
いくら歩き進んでも目的の場所へ着かない苛立ちからスズコはつい愚痴を溢してしまう。額に湧き上がる汗をカバンから取り出したいつも愛用するマゼンタのハンカチで拭いつつ歩き続ける。そうこうして歩き続けること30分。蔦に覆われた赤茶色のレンガタイルの外装が特徴な3階建てビルの入口の前で足を止める。どうやら目的の場所に到着したらしい。
「やっと着いた……。問題はアイツが今ここにいるかどうか……」
ブツブツ小言を言いながら彼女はビルの中へ入り、2階へと繋がる階段を昇った。昇り終えた先に見えてきたのは一枚のボロボロな看板。それを見つけたスズコは走り寄る。
【ツクヨミ探偵事務所】
そう赤い文字で書かれている看板は、少し力を込めて拳を叩き込んでしまえば砕け散ってしまいそうに見える程ボロボロだ。スズコはそのすぐ近くにあるドアに掛けられた錆び付いたチェーンで掛けられている小さなプレートの白い文字を見る。そこには「OPEN」と書かれていた。
「アポ無しで来ちゃったけど居るみたい。良かったぁ……」
安心した表情になった後、すぐに気を引き締めてドアノブを回してドアを開く。部屋の中へ入るとそこは綺麗に掃除された室内で、アンティークもののインテリアが整然と並んでいる。そして奥の窓際に置かれたデスクと椅子でアンティークのコーヒーカップを片手に優雅に佇む一人の男性がいた。スズコの存在に気付くとカップをデスクに置き、彼女の方へと歩み寄りながら挨拶をする。
「ドーモ。オキャク=サン。ツクヨミです……。ってな~んだ、スズちゃんか」
顔を合わせて早々いきなり珍妙な挨拶をしてきた、ウェーブのかかった薄い茶髪をしているこの男。
月詠ホウマ、彼女の幼なじみであり、年齢は彼女より少し下の25歳。そして彼女とは小中学校の先輩後輩という関係の、探偵である。長い付き合いだからか、敬語を使っていない。半分こヒーローの左側のキャラのようなブラックジーンズにワイシャツを着用し、その上にチェック柄のべストを羽織っていて、まるで映像からそのまま抜き出したかのような服装をしている。流石に奇怪な音声を発するUSBメモリなど持っていないが。
「早速だけど私の依頼を受けて欲しいんだ。また警察に協力してくれない?」
彼の挨拶を無視するとスズコは探偵であるホウマに仕事の依頼をする。
「また変質者の逮捕に協力か? それともストーカー被害者のボディーガードかい? もうさ、スズちゃんからの、というか警察からの仕事の依頼は正直懲り懲りなんだが?」
ホウマはすぐに嫌そうな表情をする。過去にも依頼を受けて協力した事は何度もあったが、その度に酷くエライ目に遭わされてしまう事に強く嫌気を差している様子だった。それでも彼女はそんな彼の右手を両手で握った。
「お願い! 今度の案件は本当にアナタの能力が必要なの! だから……」
真剣な表情で女性に訴えられてしまったら、どんな人でも断り難い。ホウマは頭を左手で掻きながら困惑した表情になってしまった。そんなタイミングで事務所の給湯室の中から人が出てくる。
「ホウマ様、お客様が見えたようですのでお茶を淹れまし……」
ティーカップをお盆の上に乗せて歩いてきた、とあるお金持ちの生徒会役員の家に仕える元SM系のメイドのような女性。
井手島アイ、ホウマの秘書兼助手兼メイド兼事務係である。年齢はホウマと同じく25歳。長い浅葱色の髪を結わいて一本にまとめてポニーテールにしており、紺色のロングスカートのメイド服を着ているのが特徴だ。彼女の突然の登場にスズコはホウマの手を握ったまま硬直、それをどうしようも出来ないホウマにそんな二人を見るアイ。
「お二人共一体どうなさいましたか? そんな固まってしまって……。もしかして、逆プロポーズの途中でしたか?」
「んな訳あるか」
アイの素っ頓狂な発言にホウマはすぐにツッコミを入れた。
スズコの様子が落ち着いたのでホウマとアイは事務所内に何故かある茶の間でちゃぶ台を介して話を始める。
「それで、俺を必要とする事件ってどんな?」
ちゃぶ台に右肘を着き、拳で頭を支えながら問うホウマ。
「これなんだけど……」
スズコは肩に掛けていた鞄から書類の束を取り出すとちゃぶ台に置く。それをホウマとアイが手に取って読み始める。
「例の連続殺人の捜査資料……ですか」
間切町連続首無し殺人事件。
現在、間切町で起こっている不可思議な事件だ。2012年12月6日、間切町のとある閑静な住宅街から首から上の無い身元不明の全裸の女性の遺体が発見された。死亡推定時刻は午後6時丁度、残った体の方には傷が全く見当たらない、切り口には生活反応がない事を見て、犯人は被害者を殺害した後に首を切断し持ち去ったと警察は推察している。
また被害者の身元を証明するものはおろか、犯人に繋がるような確定的となる物証は未だに見つかっていない。それから2012年1月、2月、3月、4月、5月の6日に今回と同じ手口の事件が起きている。未だに犯人の足取りを捉えるどころか、被害者の身元特定事すら出来ていないというのが現状だった。これ以上の捜査の難航を防ぐ為、スズコは独断でホウマに捜査協力を求めたとの事だった。
「うん。まぁ確かに、こういう不可思議な事件はこの探偵事務所の一番の得意分野だ。俺は興味あるんだけどなぁ……。でも、まだこないだのストーカー被害者のボディーガードの依頼料貰ってないからちょっ~と無理かなぁ。こっちだってさぁ、慈善事業で探偵やってる訳じゃないんだぜ? Do you understand?」
右肘を上げ、代わりにちゃぶ台に左肘を着き、頬杖を突くホウマは表情を仏頂面になりながら右手を振り、彼女を追い返す仕草をする。ただでさえ辺鄙な場所に探偵事務所を開いている為か、仕事の依頼が少ないのがこの事務所の尽きる事のない悩みだ。以前、
「じゃあ何でこんな所に事務所構えてんの?」
とスズコがツッコミを入れた所、ホウマは理由を話さなかった上に、
「もう警察からの依頼は絶対受けねぇ」
と勝手にヘソを曲げてしまって困った事になった。なので彼女はそれだけは言わない事にしている。ただ、それでも苛立ってしまうものは仕方がない。
「へぇ~。私には生活にとても困ってる様子にはどうにも見えないんだけど?」
少し嫌味を込めたスズコの言葉の通り、光熱費などの督促状が一枚も見当たらない。つい最近購入したと思われる新型ノートパソコンを見た限り、それなりには稼げているように彼女には見えたがそれをアイは否定した。
「いえいえ、そんな事はありません。見た目だけでも繕っておかなければ依頼人は現れてはくれませんから。毎日のお掃除は非常に重要です。先日久しぶりにこの事務所で預かった依頼の相手が・・…・。守秘義務がありますので何方とは言えませんが、それなりに羽振りの良いお方でしたので、そのお陰もあってこれまで溜まっていた……。光熱費を昨日やっと払い終えたのです。私もやっと……。グスン、1月と2月のお給料を貰えました」
アイが涙を混じえながら事務所のあまりにも切ない経営の裏事情を語り始めてしまったのでスズコは必死に止めた。彼女がハンカチで涙を拭い始めると同時にスズコの肩へ罪悪感が重く伸し掛かる。
「あのノートパソコンは……。グスン、予てから付き合いのある電機会社の部長様からの贈り物です。未だにタイプライターで報告書を作っているのを……。グスン、ホウマ様の姿が見るに堪えないと……。グスン」
もう言わなくて良いからとアイを慰めるスズコを全く意に介さず、ホウマは事件の捜査資料を綺麗に整えて彼女の鞄の中へ片付けようとしていた。その際、その中の一枚を落としてしまい、右手で捜査資料をちゃぶ台に押さえた状態で拾う。だが、そこに書かれていた内容を流し読みしたホウマの表情が一変する。そして突然立ち上がり、茶の間を後にしてデスク近くの壁に掛けていた帽子を被ると、デスクの中からよく分からない装具を腰に取り付ける。そんな彼の様子を見てスズコは戸惑いを隠せない。
「いきなりどうしたの!?」
「どうしたのって何だ? 頼まれた依頼を遂行しに行くのが探偵だろ?」
先程のホウマの表情を真似しながらスズコが食ってかかる。
「依頼って……。さっきまであ~んなに嫌そうな顔してたじゃない!」
「確かにな。でも気が変わったんだ。俺はこの依頼を受けよう。これほどまで興味深く、そして犯人に強い怒りを覚える事件は初めてだ。俺は探偵としての誇りに掛けて、何が何でもこの事件の謎を明かして見せる」
数分前までふやけた表情をしていたホウマの姿はもう見当たらない。首元の緩んだネクタイをきちんと締めて、キリっとした目つきとなってドアを開いて飛び出して行く。状況が飲み込めないスズコもまた彼の後に続いていく。そんな彼らをアイはポケットから白いハンカチを取り出し、高く掲げて振りながら見送った。
「お気をつけて~」
颯爽と出発したホウマとそれに付いて行くスズコは、発生時期が近い5月6日の事件現場近くの住宅街で聞き込みを開始した。既に夕刻が近づいているがそれを気にせずに、ホウマは住宅街の中にある公園で世間話をしていた主婦3人からまず話を聞き始める。
「お話の途中すいません。ツクヨミ探偵事務所の者なんですが、少しだけお時間頂けませんか?」
お決まりの挨拶をしながら話を聞く。昔からホウマは他人と会話をするのが上手だったのをスズコは思い出した。場所を変え、時間帯を変え、買い物帰りの老婦人や帰宅途中の中学生、休憩中の土木作業員にも聞き込みをしたものの、3日経っても特にこれといった情報は得られなかった。
「ま~た収穫無しだったね」
「うーん」
そう言いながら自動販売機に小銭を入れて缶コーヒーを買うスズコ。ホウマはベストの裏側から取り出したビーフジャーキーを齧りながら返事をする。
「これからどうする? 一度出直して、また明日の朝に聞き込みに行く?」
「そうしたいけどなぁ。行ったら行ったでまた面倒な目に会いそうだしなぁ」
先ほどの聞き込みの最中、一度スズコとはぐれてしまったホウマが一人で聞き込みをしていた際に、色んな人に話を何ふり構わず聞きまわる動きが怪しまれてしまったのか、自治会の警備担当のおじさん達に捕えられてしまったのだ。
「お前何もんだ!? 新手の変質者か!?」
「違います! 違いますって!」
寸での処でスズコが割って入って、事情をこと細かく説明してくれたお陰で難を逃れた。
「探偵さんだったのかい。いや~、すまん事をしてしまったねぇ」
おじさん達に謝罪も兼ね自治会長の家に招かれて、お茶を淹れてもらった二人。物分かりの良い方ばかりでホウマは助かったと一安心した。だが、それを直ぐに後悔する事になる。
「じゃあちょっと依頼を頼んでも良いかい?」
数か月前から行方の分からなくなってしまった自治会長の奥さんを探す依頼を受けるハメになってしまった。
「はぁ……」
迷惑を掛けてしまった事が後ろめたいのでホウマはその依頼を断れなかった。ホウマとスズコは会長の奥さんの写真を受け取った。その写真には老齢の自治会長とは、言い方は悪いかもしれないが非常に不釣り合いの若く、美しい女性が写っていた。
「この人……。何処かで」
「どうしたの? もしかして知ってる人?」
何かに引っ掛かった様子のホウマにスズコが聞く。
「いや、こんな美人だ。きっと町を出歩いてる時に一度位は……」
彼の言葉を聞き流し、少し不機嫌になってその場から立ち去るスズコ。直ぐにそれを追って、自治会長の家を後にするホウマだった。
「まっ、なるようになるさ」
そう言って立ち上がったホウマは食べ終えたビーフジャーキーの残りのゴミを何故かスズコのスーツの胸ポケットに入れて、首筋の左側を手でマッサージしながら歩き始める。即座にスズコの鉄拳を後頭部に喰らってしまったのは言うまでもない。
「ふざけないで」
「ホントにごめんなさい」
患部を押さえながら頭を下げるホウマと、完全に機嫌を損ねてしまったスズコ。もう日が沈んでしまいそうで今日もこれまでかと思ったその矢先、彼らの元へ小さな来訪者が現れた。
「おにいちゃんって探偵さん?」
ホウマが振り返るとそこには5、6歳位に見える小さな男の子が話しかけてきたのだ。
(この子、昔のホウマにそっくりで可愛い……)
邪念が脳裏に過るもスズコは気を取り直してその男の子の目線に合わせてしゃがんで話をする。
「確かにこのおにいちゃんは探偵さんだけど……。でもボク、こんな時間にどうしたの? もうお家に帰らないといけない時間じゃない? お母さんとお父さんはどこ?」
優しく彼女が聞くとその男の子が後ろを指差す。その先でこの子の両親と思われる男女が老夫婦と談笑していた。
「長話に飽きちゃってこっちに来たって訳、か。それで少年くん、探偵の俺に何か用かな?」
スズコと同じように男の子の目線に合わせてしゃがんで話しかけるホウマ。見ず知らずの子供と話す時は大体彼は、相手を『少年くん』と呼んでいる。
「あのね……」
男の子が話を始める。何でも5月に発生した事件の現場の近くに住んでいる彼は、事件当日の夜に自分の部屋の窓から怪しい人影が現場とは反対方向へ走って行く様子を見たのだと言う。顔は全く見えなかったが、全身真っ黒だという事だけはよく覚えているらしい。後、鈴の音が鳴っていたとの事だった。既に両親には話していたのだが、寝ぼけていたんだろうとまともに取り合ってくれなかったのだった。
「鈴の音……。それと全身真っ黒ね。分かった。貴重な情報ありがとね」
スズコが男の子の言った事をメモに書くと笑顔で頭を撫でた。そんな彼女とは反対に男の子は不安げな表情をしている。
「本当に?」
「本当さ」
スズコの隣でしゃがんでいたホウマも笑いながら男の子の頭を荒っぽく撫でながら言った。だがその笑顔はすぐに厳しい表情へ変わる。
「少年くん、君は犯人の手がかりを教えてくれた重要な証人だ。誇りに思ってイイぜ。だがそのお陰でもしかしたら君も、君のお父さんやお母さんも、君の大切な人達が犯人に狙われてしまうかもしれない事になった」
それを聞いた男の子が涙目になってしまった。スズコはホウマに一発物理的な修正を入れたい衝動に駆られたが、次に彼が発した言葉を聞いてそれを堪えた。
「でも泣くんじゃないぞ、少年くん。君の事も、君の大切な人達の事も俺がちゃんと守るから。だから信じて欲しい」
先程の表情から一転して優しい表情へ変えてホウマは言った。それを聞いた男の子は笑顔を取り戻す。
「それにこのおねえちゃんだって警察官だぜ? だから怖がらないで平気だ。きっと君を守ってくれるさ、なぁ?」
そう言って隣にいるスズコに目線を移す。男の子もそれに合わせてスズコの顔を見る。
「モチのロンよ。ちゃんと捕まえるから安心してちょうだい、ね?」
スズコもまた笑顔で男の子の頭を撫でながらウィンクをしてそう言った。二人は男の子を親の元へ届けると事務所の方へと戻っていったのだった。
探偵事務所
「そんな事があったのですか~。その台詞を言っているホウマ様の姿を是非間近で見たかったです」
夜も更けてきたので事務所に戻った二人は今日の出来事をアイに話していた。
(ホウマ様そっくりの男の子か……。会ってみたいなぁ)
邪念を抱いているアイを知ってか知らずか、ホウマは自分のデスクのPCで資料をまとめつつ、何処かへメールを送りながらスズコに提案する。
「手掛かりは一応掴めた。早速、明日からは例の黒づくめの男を探し出しに行くとするか」
「えっ、たったあれだけでの証言でどうやって探し出せんの!? 一体どうやって?」
スズコの反応は至極当然のものだ。幾らなんでも全身真っ黒で、鈴の音がするという情報だけで対象を絞って探し出せるはずが無い。
「いや十分だ。後はさっき送ったメールの返答次第だが……。おおっと、噂をすれば何とやら、だな」
PCの画面に表示が出る。先程メールを送った相手から返信が来たようだった。その内容を読んだホウマが笑みを浮かべる。どうやら予想通りの内容だったらしい。
「よし、大体は絞り込めた。さて今度はこの子達にも頑張ってもらうか」
ホウマはデスクの引き出しから数枚のよく分からない模様が描かれたカード数枚とタブレット端末、懐中電灯、小型カメラを取り出し、その中からまず火を纏った鳥と魔法陣が描かれたカードを選ぶと、腰のベルトに下げていた大型ライターのようなものへ、銃弾を込めるように入れた。そして事務所の窓を開けて黒く染まった街中へ向けて引き金を引く。
〔スピリットライズ〕
すると何やら聞き取れない音声を発した後、柄の先端辺りからカードに描かれた模様と紫の炎が絡み合いながら出現し、タブレットに吸い込まれて行く。瞬く間にタブレット端末が変形し、小さな鳥のような姿へ形を変えた。
「じゃ、いってらっしゃい」
ホウマはその鳥に対してそう囁くと、鳥は街中へ飛び立っていった。
「ねぇ 今の何!? 何か燃えちゃってる鳥が出て来たけどどういう事よそれ!? ていうか何で使える事を隠してたの!? ねぇ!」
一連の流れをずっと見ていたスズコがホウマに詰め寄って胸ぐらを掴んで揺さぶる。それを止めるためにアイが二人の間に割って入った。
「落ち着いて下さい、スズコ様! そこまで気を立てないで下さい! 重い日が近いんですか!?」
「綺麗な顔してアナタ何言っちゃってんの!? もうそれ過ぎたから!」
アイはスズコの注意を自分に向かせ、やっとの事で彼女をホウマから引き離し、事務所に置いているソファーに座らせる事に何とか成功したが、スズコは興奮状態が収まらない。襟元を正しながら、
「そういやぁ、スズちゃんにこれまでずっと言ってなかったな。俺の実家、つまり月詠家は先祖代々魔術師稼業を営んでいてね。今見せた精霊の召喚は初歩的な魔術の一つだ」
ホウマがサラッと衝撃的な告白をし、更に懐中電灯をトカゲ、小型カメラを魚へとを変形させ、街中へと放った。アイは心配そうにホウマに問う。
「良いのですか? 話してしまわれても?」
「お袋とかには俺から言っとくから。それに今回の事件を調べる以上、彼女も魔術師の事情を知っておく必要がある」
そう言ってアイを安心させようとするも逆効果な様子だ。それを気にせずホウマは話を続けた。
「月詠家は、元々江戸時代よりからくりを得意とする旧家に、明治時代に欧州から日本へ渡ってきた魔術師家系の貴族の娘が嫁入りした事で誕生したんだ。双方の持つそれぞれの技術を融合させる事で、現代までその力を続けてきた」
幼なじみの家の成り立ちの秘密を知り呆然とするスズコ。そこにアイもやれやれといった感じで説明に加わる。
「言ってしまわれたものはもう仕方がありませんね。月詠家は高度なからくり技術を用いる事で、魔術師に掛かる大きな手間や負担を軽減させてきました。その成果の一つが、ホウマ様がお持ちであるこの《マジカライザー》です」
ホウマが普段腰にぶら下げて持ち歩いている大型のライターのようなもの。それが魔召術器マジカライザーである。
「魔術師に掛かる大きな負担の主な原因なのが呪文の輪唱、そして魔法陣の生成です。より力の強い魔術を使うためには、その分だけ魔法陣は複雑に、呪文は長くなり、唱えるだけで時間が掛かってしまいます。それに、一々魔法陣を書いていればこっちがやられてしまいますからね」
アイは空に指で簡易の魔法陣を描く動きをしながら説明をする。簡単に見える動きだが、魔術師にとってはこれが命取りになりかねない。
「マジカライザーは前もって簡略化された魔法陣と呪文を記したカードを装填し、使用する人間に代わって輪唱、及び魔術の発動を行うのです。これを我々は《マジカライズ》と呼んでいます。お陰で魔術師に掛かる負担は非常に軽減されて行きました」
説明が全体的に長く分かり難いため、スズコは眉間に皺を寄せてしまっている。
「よくは分からないけど、手間暇を掛けずに魔術を使えるようにしてきたって訳?」
「大体そんな所だ。現代になるとからくりだけじゃなくて、巡るめく発展した科学技術も取り入れる事も始めたんだ。やっぱ時代を生き残れるのは伝統だけじゃなくて適応力の高さって事さ。俺が使ってるのは基本タイプ。他にも携帯電話型とかバックル型とかパスケース型だったりと色々ある」
そう言うとホウマは事務所の入口のドアまで歩き、ドアに掛けてあるプレートを裏返して、「CLOSED」に変えて鍵を閉めた。ここから先の話は更に秘密だからだろうか。
「ここ間切町は昔、魔力を放つ特殊な鉱石〈魔竜石〉の有名な産地の一つでね。魔術師は主にそういう採掘場があった場所に配属される。今は全くといって採れなくなったけど。でも極稀に工事現場とかから出て来ちゃったりするのさ。それの回収作業をしたり、それを狙って現れる悪者の退治だったり、平和な町を照らす光りを守るために、影に隠れて魔術師をやっているのさ」
間切町の秘密と魔術師の関係をホウマから聞かされて、茫然とするスズコ。まさか幼馴染がそんなことをしていたとは夢にも思わなかったのだろう。ここで、彼女の頭にある疑問が浮かぶ。
「もしかして、これまで私が依頼した時も魔術を使ってた?」
「まぁね。ストーカーとかの行動パターンを精霊たち使って把握したりとかやってたよ」
「だからあんなに用意周到だったり、滅茶苦茶回答が早かったんだ」
ホウマはそう即答し、スズコは納得したのか手をポンと叩いた。
「もう日も暮れちゃったし、女性一人で夜道を出歩くのは危ないから今日はここに泊まってきな。とはいえ、この事務所に来客用の寝室は無いから、アイの部屋で一緒に寝てもらうことになるけど」
「そうね。またこんな入り組んだ道で汗だらだらになって迷いたくないし、お言葉に甘えさせてもらうわ」
という訳でスズコは今晩この事務所で一泊する事になったのだった。
翌朝
「とりあえず精霊達が戻ってきたら街に出るか」
「そうね……」
アイのお手製のベーグルサンドを頬張りながら今日の予定を話すホウマに対し、疲れた様子で返事をするスズコ。明らかに元気が無いのが目に見えている。
「コーヒーのおかわりは如何ですか?」
「う~ん……」
尋ねるアイの声に対する答えもうつろうつろな感じで、昨夜のような覇気を全く感じられない。この様子からしてかなりの寝不足の様子だ。どうもアイのイビキが非常に煩くて寝付けなかったらしい。
「大丈夫なのか? 眠いんだったら無理しないでまた寝てても良いんだぜ?」
「平気よこれくらい。これ位でへばっていたら警察官なんて務めていられないから」
そう言うとスズコはベーグルサンドを片手にスマートフォンを弄る。どうやら同僚に連絡のメールを作成しているようだ。
「一応同僚には連絡したし、後は精霊達が帰ってくるのを待つだけか。署に戻ったら係長に説教を喰らっちゃいそうだけど」
「だからさっきそう言ったっての。やっぱり寝ていた方が良いんじゃないのか?」
スズコの空回り振りに呆れるホウマの元に、窓から昨夜街に放った精霊達が帰って来た。そしてそれぞれが元のカードの姿へ戻る。
「さぁて、何か見つけて来てくれたかなぁ?」
少しウキウキした様子のホウマは一枚目の鳥のカードを手に取ってマジカライザーに装填する。そこに精霊が見てきた街の景色が映し出された。スズコもそれに注目する。見始めて数十分後、少年が見たらしい黒装束の人物が出て来た。その人物が纏っている黒いローブの背中には何かの魔法陣と思われる紋章が描かれていた。その人物は薄暗い通りに入った後、そこから姿を消してしまった。二枚目のトカゲのカード、そして三枚目の魚のカードの映像も同じ場所にたどり着いていた。映像を止めたホウマはカップに残っていたコーヒーを飲み干して、壁に掛けていた帽子を被る。どうやら外へ出るようだ。
「手掛かりが相変わらず少な過ぎるけど行くんだ」
「違う、手掛かりを見つけ出すのが探偵の職務さ」
右手で帽子の向きを整えながら彼女に笑顔を向けて、事務所のドアを開いて街へと向かう。スズコもそれに続いて付いて行ったのだった。
「それで、何でアイさんまでここにいるの?」
「これから買い物に向かうついでに同行させて頂きました。それに一応、私はホウマ様の《助手》でもありますので」
少し不機嫌なスズコとおすまし顔のアイ。ちゃっかりアイは屋内で着ているのとは別のメイド服に着替えている。リボン位しか違いは判らないが、本人によるとこのメイド服の方がよく動けるという事らしい。そんな二人を他所に、先程見た映像を頼りに黒装束の人物がいた場所をマジカライザー片手に調べているホウマ。再び精霊達を召喚して探索の手伝いをさせている。何らかの痕跡を見つけようと必死だ。マジカライザーには探したい対象を探し出すために、ルーペを中心に描いた魔法陣が書かれたカードを装填している。
「ホントにここでいなくなったみたいだなぁ……」
彼らが今いるこの通りはいつからか出来た道の途中にある壁が原因で行き止まりになっていて、通り抜けが出来なくなってしまっている。しかも丁度壁の前でマジカライザーの示す痕跡の反応が消えているのだ。
「待てよ……」
ホウマはある可能性を思いつき、マジカライザーからカードを抜く。そして新たにのカードを装填し、引き金を引く。
〔ウェポライズ〕
するとマジカライザーに無数の魔法陣で構成された銃身が作られる。
「そんな物騒なもの出してどうするつもり!?」
度肝を抜かれたスズコを無視し、ホウマは行き止まりの壁に向けて引き金を引き、何度も発砲する。だが放たれた銃弾は全て壁に波紋が走って吸収され、傷が付くことは無かった。これで更にスズコは度肝を抜かれてしまった。
「どうやら壁はあくまでカムフラージュ。ここに魔術で結界が張られているようですね」
アイはそう言うと丈の長いスカートの中から、愛用しているホウキを取り出す。
「それどうやって入れてるの?」
「言ったでしょう? 私は仮にもホウマ様の助手ですよ? ですから多少の魔術をお手の物です」
驚くスズコを他所にアイはホウキの柄の先端部分にホウマと同じカードをかざす。音声は鳴らなかったが。
「下着の中には隠してませんよ?」
「そんな事聞いてないです。というかアナタもレディなんですから外でそんな事言わないで下さい」
アイとスズコが漫才している間に箒が魔法陣に包まれ、見る見る内に槍のように鋭利になり、それを彼女は壁の中心に向けて思い切り突き刺す。瞬く間に壁は消え失せ、そこに大きなトンネルの入口が出現した。
「ここに入っていったから消えたように見えたのね。じゃあ、アイツも魔術師……。って事で良いの?」
「そうみたいだな、おそらくは。おおっと、どうやらそっちからお出ましのようだ」
スズコとホウマが会話している中、トンネルの中から誰かが出て来た。そこにいたのは探していた例の黒装束の人物だ。顔は殆どローブによって隠れていて見えないが、怒りの感情を出しているのを感じられる。よく見ると装束には魔法陣のようなものが描かれている。
「ちょっと乱暴な真似してすいませんねぇ。こっちも仕事なもんで。少し貴方と話をしたいんですけど、よろしいですかぁ?」
ホウマは何故か挑発するかのように相手に向かって話し、左手を向ける。黒装束の人物は何も答えず、ローブの袖の中から鈴の付いたステッキを取り出し、それをホウマ達に向けると何かを囁きながら空に円を描く。
「まずい!」
それを見たホウマは即座にアイに目配せをし、スズコを地面に伏せさせた。それと同時にマジカライザーにカードを装填し、自分の真下の地面に向けて発射する。
〔ウォールライズ〕
黒装束の人物の描いた円からは無数の火炎弾が放たれるが、ホウマが出現させた隔壁に全て防がれる。
「ひぃぃ!?」
それによる衝撃音と地響きに怯える声を出してしまうスズコ。続けて黒装束の人物は次に天にステッキを掲げて、再び円を描く。
「次は!」
ホウマもまた、隔壁を消してマジカライザーに新たなカードを装填し、天に掲げて乱射。
〔ヒートライズ〕
空から無数の氷柱が落下してくるも、ホウマが放った多くの熱球によって全て融かされて雨へと変わる。焦りの様子を見せ始めた黒装束の人物はステッキで自分の周りに円を描き始めるが、その時ホウマの後ろに頭を手で押さえるスズコしかいない事に気付く。
「もう遅いですよ」
耳元で殺気の篭った声が聞こえ、後ろを振り返る。そこには両手に小型ナイフを持ち、首にその二つの刃を寸前で当てているアイがいた。描いた円も所々アイによってかき消されている。これでは魔術を発動出来ない事を熟知しているようだ。
「ゲェイムセット」
アイがそう呟くと同時に、地面に浮かんだ浅葱色の魔法陣から無数の鎖が出現し、黒装束の人物を縛り上げる。彼が手に持っていたステッキはホウマによって没収された。
「という訳で、話を聞かせてくれ!」
ホウマはホイっとスズコに投げてステッキを預けると、黒装束の人物が深く被るローブを上げた。その正体はあまりのホウマと年の違わなく見える青年だった。前髪を数個の髪留めで留めており、某魚アニメのサボりがちな公務員のような顔をしている。
「何でここに相馬家の魔術師がいるのか教えてもらおうかな? ここ間切町は月詠家の俺、この月詠ホウマの管轄なんだが?」
「君達に話す必要は無いな」
「お前がここにいる事は上の方も知ってるんだ。先方に確認は取ってある。どんな任務なのかは言えないみたいで教えてくれなかったけどな」
昨夜ホウマがメールを送った相手が相馬家だったのかと思いながらステッキ片手に待つスズコ。ふとホウマの方へ目を向けると縛られていた男の姿が無い。
「えっ?」
「お返しだ」
気付いた時にはもう彼女の首に男の右腕が回されていた。加減はしてくれているようだが十分息が苦しい。
「スズちゃん!」
「スズコ様!」
ホウマとアイはそれぞれの武器を構えるが、男はスズコを絞める力を強める。
「少しでも変な動きをすればこの女の命は無い」
スズコの命には変えられない。ホウマとアイは構えを解いて、それぞれの持つ武器を地面に投げ捨てた。
「よし、それで……。ギィィィ!」
男がいきなり悲鳴を上げる。スズコが渾身の力を込めて腕に噛み付いたようだ。
「アイエエエエ!?」
それに怯んだ隙にスズコは男に続けて目潰し、首を掴んでの背負投げ、地面に叩き付けたと同時に腹パンを叩き込んだ。
「スズコ様って結構お強いのですね」
「そういや昔から真っ向勝負でスズちゃんに一度も勝てた事無いな~俺。喧嘩も剣道も合気道もボクシングも徒競走も」
スズコが完全にグロッキー状態の男に手錠を掛けている様子を見ながら昔話を始めようとするホウマとアイ。
「そこ、感傷に浸らないで!」
キレ気味でステッキを向けるスズコ。これ以上怒らせると後が怖いのでホウマは愛用のガラケーを取り出して警察に連絡した。
「もしもし、警察ですか? 警官に喧嘩売った奴がいるんですけど……」
間切警察署
「まず君の名前から聞こうか」
「相馬ハルヒトだ」
取調室でスズコの上司である刑事課捜査一係係長、丘ヒトシが先程スズコによってボコボコにされた男と面と向かって話している。さっきまでとは違い大人しく応じていた。
「アイツは相馬ハルヒト。月詠家と同様に古くから魔術師家業を営む「相馬家」の次男坊」
買い出しへ向かったアイを現場に残し、取調室の外でホウマがスズコに月詠家と相馬家の関係の話を始める。
相馬家は古来より伝わる伝統的な魔術を得意とする保守的な立場で、科学を用いた魔術を使い始める先進的な立場だった月詠家とは険悪な関係が続いていた。その為長い間抗争が絶えなかったのだが、魔術の永劫と発展を妨げる事を防ぐという意見を一致させ、あらかじめ互いの活動場所を取り決め合い、現在はなるべく互いの管轄には不干渉主義を取る事がルールとなっていったのだった。
「ってな感じで今に至る訳さ。そして、ここ間切町は月詠家。その中でもここは俺の担当区域で、相馬家のアイツはたしか、笛木市が担当の区域だった筈」
頭に指を付けながら話すホウマへスズコがずっと抱えていた疑問をぶつけた。
「でも、何で相馬家の人だって分かったの?」
「一人前と認められた魔術師には魔術連盟っていう組織からローブが支給されているんだが、家柄やその人の得意とする魔術、例えば俺だったら防御魔術全般だったり、アイは物体を鋭利化する魔術だったり、あの相馬の坊ちゃんは……。よく分かんねぇや。まぁ、それによって色や描かれている魔法陣のデザインが違う。その人の所属を色で、得意とする魔術は一体何かを魔法陣で表しているのさ。黒のローブを使っているのは相馬家。ちなみに月詠家は藍色のローブを使っている」
そう言ってマジカライザーを持つ右手で、その場で出現させた魔法陣の中からローブを取り出した。
「まっ、実際普段から身に付ける人なんてあんまり見かけないんだけどな」
そう言うと再びローブを魔法陣の中へ戻す。そのまま更に話を続ける。
「梅雨から夏にかけては見ているだけで暑苦しいだけだし。ただ、それだとローブの意味が無いのは分かっているんで、魔術師は術具にそれぞれの家で決められた装飾品を付けなきゃいけない事にもなっているのさ。もちろん、装飾品にも魔法陣が刻まれてある。例えば、月詠家は術具にウルボロスを模した鎖を、相馬家の使う術具には鈴を付けるルールがある」
「だから手がかりは十分だって言っていたのね」
数少ない手掛かりを教えてくれた少年にホウマが言っていた事がようやく分かった。ホウマは黒のローブと鈴の音でもう殆ど人物像を掴んでいたのだと。
「それでもまだ確信は半分しか無かった。だから相馬家の方へメールを送ったのさ。『ここ最近、自分の担当区域外を頻繁に出入りしている魔術師の情報を把握してないか? 』ってね」
昨夜の彼が送ったメールの相手が相馬家とやり取りしている、笛木市で働いている同じ魔術師の知り合いだったらしい。相手はいきなりで驚いたらしいが、すぐに返事をくれたそうだ。何でも、どっかの馬鹿な奴が勝手に管轄外の事件を調べているという噂がある、と。
「その馬鹿があのハルヒトって人なの? 随分と悪い言われようね」
「筋金入りの問題児みたいだな。今は大人しいけど実際には気が短くてかなり血気盛んな性格らしいって聞いていたが……。あれはただ周りを見ていないだけな気もするが」
そうこう二人が話しているうちに取調室の中からヒトシが出てくる。頑なに話そうとしないハルヒトに痺れを切らして怒鳴りそうになったため、頭を冷やす目的で部屋の外へ出て来たようだ。
「全く何も話しやしない。困ったもんだな……おお、天条に探偵の坊主か」
取調室から出てきたヒトシは外にいたホウマ達に気づく。彼は昔気に入った人間の事をよく坊主と呼んでいるのだ。ヒトシは二人に礼を言った。
「いやいや、今日も捜査協力ご苦労さん。おかげで連続殺人事件の捜査がやっと進展しそうだ。まだ決め付けるのは早計だけどな」
「いえいえ、お気にせずにどうぞ。それに俺は何もしちゃいませんし。捕まえたのはあくまで、スズちゃんですから」
そう言ってスズコの方に手を向けるホウマ。少し照れくさいのか、スズコは鼻を指で掻いている。
「警察官として当然の事をしただけですよ、係長」
「照れるな照れるな。お前が出来る奴だって知ってんだから」
そう言われて顔を赤らめて照れるスズコ。それを誤魔化すためかホウマの右肩を叩いた。
「いっでぇッ! っんだよ、いきなり!?」
叩かれた肩を摩りながら抗議するホウマ。それを無視してスズコはヒトシにある変化がある事に気づく。
「係長、そのストラップに付いてる缶バッジはどうなされたんですか?」
彼のズボンのポケットから顔を出していた青い猫が描かれた缶バッジが気になったようだ。
「これか? 娘がくれてな。お揃いなんだと、生まれてくる孫とな」
「マジっすか!? というかリコさんいつの間に結婚まで!? 俺そんなこと聞いてませんよ!? これでも長い付き合いなのに!?」
「娘さんの名前まで知ってたの!?」
しれっと告白された情報にホウマは驚く。逆にスズコはヒトシの娘の名前を知っていたことに驚いた。実はホウマとヒトシの仲はスズコが赴任するより前からのものである。
「最近お前はここに顔出してくれねぇから言いそびれちまっただけだ。リコもたまには会いたがってる」
気を取り直したスズコはそのまま話を戻した。
「お孫さん、秋ごろには生まれるんでしったっけ?」
「あぁ。顔見れるかな……」
悲しげな表情を見せるヒトシに明るい笑顔でスズコは言った。
「私、係長がちゃんとお孫さんの顔を見れるように頑張りますから!」
「そうか……」
彼女の言葉が嬉しかったのか涙ぐむヒトシ。ホウマは、本当に彼が慕われているのだなと実感したのだった。
ハルヒトの身柄を丘ヒロシら間切警察署の面々に任せたホウマ達は一度探偵事務所に戻るため、警察署を後にする。道中でアイと合流するも、ここでホウマがスズコにツッコミを入れる。
「何でスズちゃんまでここにいるんだ? 上司の仕事手伝わなくて大丈夫なのかよ?」
「係長に任せておけば安心よ。私はアナタと一緒に行動しろって命令出されたし。まぁ、独断であなたに捜査協力を依頼したのは叱られちゃったけど」
舌を出すスズコに懐疑的な表情をしながら歩くホウマだったが、何故か急に歩く速度を速める。それにスズコとアイが喰らいつく。
(どうやらずっと付けられているらしい)
そう小声で二人にも伝えるとホウマ達は一斉に走り出す。しばらく走り続けた後、高架下の通りにあるゴミ捨て場の陰に身を潜める。荒くなった息を整えたところで、アイがホウマに尋ねる。
「いつ気が付いたのですか?」
「警察署を出た辺りから寒気を後ろから感じていたんだが……。もしかしたら、それよりもずっと前から付けてきた可能性もある」
そう言いながらベルトにぶら下げていたマジカライザーを手に持つ。アイもスカートの中からホウキを取り出した。スズコは両手で頭を抱えて蹲っており、その上恐怖心からか体がブルブル震えてしまっている。三人がそれぞれの体制で警戒していると、突如彼らの真上に半径数メートルの闇雲が出現した。空かさず急いで走り去るが闇雲もそのまま続いてこちらへ向かってきた。アイはホウマに確認する。
「あれが……。ストーカーの正体ですか!?」
「あぁ間違いねぇ! この寒気……。さっきからずっと感じてた気配そのものだ!」
帽子を手で押さえつつ、後ろを振り返りながら走るホウマが睨みつける先にいる、その闇雲は中心に台風の目のような穴が開いていて、その周りには無数の稲妻が走っている。鞄を胸に抱えて走りながらスズコは叫んだ。
「相馬ハルヒトの精霊だったりする!?」
「いやそれは無ぇな! 奴の精霊なら奴と同じ気配がするはずだ! おそらくは……」
ホウマの話を遮るがごとく、闇雲はその中心から光弾を放ち始め、ホウマ達を追い詰めようとする。何とか攻撃を避けながら逃げ続ける。光弾が着弾した壁や地面がまるで抉り取られたかのように消えてしまっているのを見て、三人は更に走る速度を上げた。
「仕方無い!」
急停止したホウマは体の向きを変えてアクロバティックに宙を舞い、マジカライザーにカードを装填。そして着地と同時に地面に叩きつけるかのように引き金を引いた。
〔ポールライズ〕
するとそこから闇雲へ向かって地面に稲妻が走り、闇雲の中心の真下から魔法陣と共に巨大なトーテムポールが出現、ドガンッ! と大きな音を立てて、闇雲の中心を瞬時に貫き高架の天井まで達した。
「どうよ!?」
スズコが勝利を確信した叫びをしたのも束の間、トーテムポールは瞬く間に黒ずんで行き、シロアリに食われて腐り果てた柱のように崩れ落ちてしまった。闇雲がこちらの方へ進む事をやめないのを感じたホウマはアイに目配せをする。それを受けたアイはスズコを肩に担いだ。
「よっこいしょと」
「ちょっと!? 何始めるつもり!?」
状況が掴めず混乱するスズコを無視して、アイはホウマの元へ駆け寄り、ホウマは一枚のカードをマジカライザーに装填し、地面に撃ち付けた。
〔テレポートライズ〕
その瞬間地面に巨大な魔法陣が現れ、一瞬で三人を飲み込むと何処かへ消えてしまった。闇雲もまたそこから消えて行った。
スズコが気付いた時、三人は探偵事務所の中に移動していた。ホウマがテレポートの魔術を使い、闇雲の追跡から何とか逃れたのだ。
「気が付きましたか? お茶を淹れましたのでお飲みください」
既に着替えを済ませたアイがスズコの元へティーカップを運んでくる。ホウマの方は応接間のソファーに寝そべって眠っていた。心配そうな表情になったスズコへアイは優しく言う。
「ホウマ様は大丈夫です。仕事中に疲れるといつもあそこで寝ていますから」
「そうなんですか……」
「えぇ。それと別に私へ敬語を使わなくても良いですよ。普段ホウマ様とお話になられてるようにして下さい」
寝ているホウマを起こさないように、二人は茶の間に移動してお茶を飲む。しばらく間が空くがアイが口を開く。
「ホウマ様を巻き込んだ事を後悔していますか?」
「ブフッ!」
飲んでいたお茶を思い切り吹いてしまうスズコ。布巾で飛んだ滴を拭きながらアイは話を続ける。
「殺人事件の捜査協力のつもりが魔術だとか、抗争だとか何だとか、普通ならこんな面倒事に巻き込まれたくないですよね。しかしホウマ様はむしろ……。そういう事に自分から突っ込んでいくタイプなんですよ、昔からずーっと」
ここでスズコは彼女へ今までずっと気になっていた事を尋ねる。
「そういえば……。アナタとホウマってどういう関係なの? アナタ、私と同じ位の年みたいだけど、常にホウマに敬語使ってるから……」
そう言うとスズコは飲みかけのお茶を再び口にし始める。だがそこでアイがとんでもない発言をした。
「異母姉弟です。数か月違いの」
「ブゥーッ!」
再びスズコは口からお茶を思い切り吹き出す。それを再びアイが布巾で拭き取ると、咳き込んでいる彼女の背中を摩る。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫な訳ないでしょう! というかそれホントの話!? 信じられない……」
「それでは信じて貰えるようにお話します」
アイが昔話を始める。元々アイの母は月詠家に仕えていたメイドの一人で、彼女を目にかけていたのがホウマの父だった。彼は既に妻を迎えていたのだが、女癖が非常に悪い事で評判であった。だが、間が悪いのか、天罰なのか、アイの母も子供を授かるとほぼ同時期に彼の妻がホウマを授かってしまったとの事だった。この事には流石に当時の月詠家の当主であったホウマの祖父は大激怒。罰としてホウマの父は勘当され、家を追い出されてしまっただけでなく、月詠家の家系図からも存在を消されてしまったのだった。それに対してアイの母は、被害の側であるとしてお咎めは無しとなった。
「かなり複雑な事情を抱えているんだ。アナタも、ホウマも」
スズコが同情しながら言う。だが心の中で更に続けた。
(そして私も)
アイは文字通り複雑な顔をしたスズコを見つつ話を続けた。
「ええ。ホウマ様のお母様は私にその話について何も言いませんでした。私以上に触れられたくないんだと思います。自分の旦那が引き起こした大失態ですし。私はあくまで月詠家に仕える奉公人、その子ホウマは次期当主になられるかもしれないお方。そうお考えだったようです。私に魔術の才能を見出してここまで厳しく指導してくれたのも、助手として傍に置くことを決めたのもホウマ様のお母様です」
胸に光るブローチに手を当てながら感慨深く話すアイ。それを見つめるスズコ。
「このブローチもまたホウマ様のお母様からの頂き物です。私が一人前の魔術師として認められた時にくださりました。形見と言っても過言ではありません」
「ホウマのお母さんまさか……」
思わず溢れた言葉に泣きそうになってしまうスズコであったが、直ぐにそれを覆される。
「今はハワイでゴルフ三昧の生活を送っています」
ズデッっとギャグアニメによくあるひっくり返りを見せるスズコ。左足が若干痙攣している。
「どうなさいました?」
「今までの話の流れだとてっきりもう亡くなっていたのかと思ったのよ」
「ゴルフ三昧と言ってもお休みの時だけです。今は月詠家の当主ですから」
それも仕方あるまい。そう思いながらそろそろ起きだしそうなホウマにお茶を用意し始めるアイ。するといきなりスズコのスマートフォンを取り出した。誰かから電話が着たようだ。
「はい、天条です……。本当ですか!? すぐに戻ります」
電話を切るとスズコはさっさと荷物を片付け始めるのでアイが質問した。
「どうなさいました?」
「係長から連絡があって、新しい参考人を引っ張ってきたから戻って来い、だって。だから行ってくるね」
一人で行こうとするスズコをアイが引き留めた。
「女性一人で行くのは危険ですよ。私も付いて行きましょう」
そう言うとアイは部屋用のメイド服のまま外出の準備をする。ホウマにベーグルと置手紙を残して、二人は探偵事務所から出て行ったのだった。
「おい! 起きろ、アイ!」
アイが目を覚ますと目の前にホウマがいた。高架下の道路の歩道で、ホウマがアイを抱きかかえられている状態だ。いまいちアイは状況が掴めない。
「ホウマさ……ま? 一体どうし……ッ!」
起き上がろうとした瞬間首筋に痛みが走る。どうやらスタンガンによる電撃を浴びせられて気絶させられていたようだ。
「なんて不甲斐ない……。スズコ様は? スズコ様は何処に!?」
痛みを堪えながら立ち上がり、周りを見渡すアイ。だが何処にもスズコの姿は見当たらない。
「置手紙を見た。その直後に嫌な予感が過って、ここまで走って来たらお前がここに倒れていた。既にその時にはスズちゃんの姿は無かった」
ホウマの言葉を聞いてアイは何があったのか、ようやく思い出した。スズコに付いて警察署まで歩いて行く途中でここに差し掛かった時、アイは気配を感じて後ろに振り返った。気のせいかと思って、元の向きに直った瞬間、そこから世界がブラックアウトした。
「敵は……。ホウマ様がいない隙を狙って……」
自分の情けなさに苛立つアイ。だがそれ以上に自分に苛立っていたのが、地面に膝を付いたままのホウマだった。
「クソッ!」
ホウマは自分の不甲斐なさに腹が立ち、地面を拳で思い切り叩く。
(俺は勘違いをしていた……。敵は自分ではなくスズちゃんを狙っていた……。それを予測することだって出来たはずだったのに……)
ふと、地面に向けた目線を上げた先に何かが落ちていた。それに急いで駆け寄り、ハンカチで指紋が付かないように拾う。それが何かに気付いたホウマはそれを持ったまま急いで走って行こうとするが、アイが黙ってそれを止めると彼の右頬に一発ビンタを、しようとしたが受け止められる。だが隙を与えず左頬へ一発ビンタを浴びせた。
「これで少しは頭を冷やして下さい。探偵が感情に任せて動いてしまえば、誰も何も助ける事が出来ません。それをお忘れですか?」
「……そうだった。こういう時こそハードボイルドにならないといけないなぁ」
今のビンタで頭を冷やしたホウマは一度帽子を脱いで被り直し、アイに礼も兼ねて笑顔を見せると、マジカライザーにテレポートのカードを装填して、アイと共にそこから消えていった。
「ひ~と~し~さぁぁぁん?」
突然刑事課に響く声。呼ばれたヒトシが振り返ると壁に肘を付けてかなり険しい表情をしているホウマとアイがいた。
「どっ、どうした探偵坊主。かなり機嫌が悪そうに見えるんだが……」
そう言って彼が近付くといきなりホウマが彼を殴った。周りは騒然とし、ヒトシも突然の事に絶句してしまう。すると彼の地に付いた右手から黒い蛇のようなものが出て行って、アイがそれを箒で叩き潰した。
「荒療治で申し訳ありません。俺の機嫌も悪いし、スズコの命も危ないからさっさと吐いてもらいますよ。アナタ、スズコを攫いましたね? 攫ったよな!?」
いきなり浴びせられた言葉に困惑するヒトシ。ホウマの口調は普段からは考えられない程に荒くなってしまっている。ホウマは彼に喋られせる暇を与えずに追撃する。
「おおっと、言い逃れはさせませんから。スズコが消えた場所にこれが落ちていたんですよ。これ、アナタのもので間違いないですよね?」
ホウマがその手に持っていたのは青い猫が描かれた缶バッジ。先ほどヒトシが携帯ストラップに付けていたのをホウマは覚えていたのだ。
「いや、俺は何も知らんぞ! 一体何の事だ?」
「じゃあ何でアナタの持ち物があの場に落ちていたんですか? ついさっきまでこれを付けていたのに、今はどうして付けていないんです?」
否定するヒトシに対して更に押しを強めるホウマ。彼は思わず刑事課を飛び出すが、アイにワイシャツの襟を掴まれて逃げられなくなった。
「俺は攫ってはいない! 本当だ!」
「〈攫ってはいない〉……。って事は、じゃあ他の事はしたんですね!?」
微妙な言葉のニュアンスの違いをホウマは聞き逃さなかった。観念したのか、その場にヒトシは項垂れた。取調室を借り、アイがドアの外に立って見張りをする。万が一の事を考えて魔術で結界を作って誰も侵入出来ないようにし、彼に本当の事を話させた。ホウマは先ほどまでに比べて落ち着きを取り戻している。
「ある人に頼まれて……。間切町に住む、ある共通点の持つ女性をリストアップしていた」
「ある共通点?」
ヒトシは着ているスーツのポケットの中から畳まれた数枚の紙を取り出して、机の上に広げた。
「幼少時にこの町の教会に併設されていた孤児院で生活していた女性のリストだ。赤い×印が付いているのが事件の被害者だ」
女性の来歴、生年月日を含めた個人情報、生活習慣などがこれでもかという位までに細かく書かれている。
「皆に尊敬されている程のアナタが、何で犯罪者に協力なんてしたんです?」
こみ上げる怒りを抑えて問い正すホウマ。その答えは意外なものだった。
「ついさっき、俺にも孫が出来るって話をしたよな?」
「はい。秋には生まれるんですよね」
「俺は孫の顔を見られないかもしれない」
ヒトシは去年の秋ごろに娘夫婦からの妊娠の報告を受けたとほぼ近い時期に、医者から肝臓がんの診断を下されていた。しかも既にもう治療の余地がないまでに進行した状態だった。
「何とか抗がん剤治療を行っているが、いつ意味が無くなるかも医者にも分からない。男手一つで育ててきた一人娘にやっと出来た念願の子供だ。だからどうしても生きて顔だけでも見届けたかったんだ。それが叶わないんじゃないかってそんな不安に苛まれていた。そんな時だったよ、悪魔の誘いに乗ってしまったのは」
ある日、非番だった彼が公園のベンチで寂しく座っていると隣に、派手過ぎない赤いドレスを着た女性が座った。気付くと彼は何故か自分の身の上話を彼女にしていた。それが終わった後、彼女はこう言ったのだ。
「その生きたいという願い、叶えてあげるわ。私の願いを聞いてくれたらね」
彼女は彼に得体のしれない液体の入った魔法瓶を渡した。これを飲めば生きる時間を延ばす事が出来るのだと。彼は迷いもせずにそれに応じ、警察官の職権を利用して言われた通りに女性をリストアップして、そのデータを彼女に渡した。
「ありがとう。これからもよろしくお願いしますね」
彼女はそう言うとあるデータをヒトシに渡す。そこには過去に生きていた人間のDNAのデータと、それと他のDNAを照らし合わせるアプリが入っていた。
「これを使って、この町にいるこのDNAの持ち主に酷似した人間を探して」
彼は言われた通り、彼はそれを使って探し出した。それがスズコだったのだ。そしてタイミングを見計い、スズコとアイをスタンガンで気絶させて、スズコだけを闇雲の中へ入れた
「馬鹿だなあ、俺は。自分の為に多くの人間を巻き込んでしまった」
目に涙を浮かべながら、顔に手を当てて自らの行いを悔いるヒトシ。
「こんな形でまた貴方の涙を見たくなかった。おそらくアナタはその女性と初めて会話した時点で無意識の内にソイツの
ホウマはそう言って彼をフォローする。だが続けてこう言った。
「そして同時に、アナタはその時に警察官でも無くなっていたんだ」
その言葉に何も言い返せず、ヒトシは深く項垂れてしまう。その時、ホウマはいきなりマジカライザーに銃身を生成する。顔を上げたヒトシの真横を霞めて、銃弾は取調室の壁に着弾する。振り返るとそこには小さな闇雲が出現しており、床に銃撃によって切断されたと思われる触手がピタピタと動いていた。闇雲は逃げるように消滅する。
「これは……。どういう事だ?」
「どうやら黒幕はアナタを見限ったようです。だから消しに来たのでしょう」
改めて自分のした行いの意味を知ったヒトシ。だがホウマは彼の肩に手を掛けてこう言った。
「たとえ悪人だろうと、この町の人間の命が危ういなら俺は守ります。アナタを死なせたりしません、ちゃんと罪を償ってもらうためにも」
ヒトシは深く頷く。ホウマは月詠本家に連絡し、警察と協力して彼の警護をするように頼んだ。するとヒトシはホウマの手にあるものを渡した。
「あの女を隠し撮りした写真だ。顔さえ分かればお前も探しやすいだろう。せめてもの罪滅ぼしだ」
「ありがとうございます」
ホウマは礼を言うとその写真を見る。彼はそれを見て目を見開く。
「ここで繋がったとはな……」
探偵事務所
「何故私は解放されたのだ? そもそも何故私は警察に拘束されていたのか教えてくれ」
「この方は……。馬鹿ではなくて、ただ頭が弱いだけなんじゃないですか?」
ホウマとヒトシの口添えもあって、ハルヒトは留置所から出る事が出来た。だが彼は何で自分がこんな目に合ったのか全く分かっていない様子だ。それでも、とにかくホウマとアイにはこの男に聞きたい事が山ほどあるのだ。
「もう面倒臭いから一々説明しなくて良いや。そろそろ話してもらうぞ。何で規則を破ってまで管轄外で活動していた?」
単刀直入に疑問をぶつけるホウマ。ハルヒトはやれやれと言った感じで話し始めた。
「相馬家が魔術師による《賢者の石》の創造をしていないかを監視をしているのは知っているだろう?」
賢者の石。それは、あらゆる事象を覆す事が出来る究極の物質。しかもその効力そのもの自体が未だ計り知れない程に未知数。かつてそれを欲した王達が戦争を繰り広げたとも言われている。多くの魔術師が永遠の命を求めて研究を重ねていたとも言われている。言うなれば『禁断の果実』だ。
「その製造過程や石の力に目が眩んだ者達が引き起こした戦争や過ちの反省、賢者の石が起こす力の危険性から、魔術師の最大の禁忌として創造はおろか、資料すらも全て閲覧を禁止された。だが去年の12月から、毎月6日に賢者の石の反応が確認された。ここ、間切町で」
ハルヒトのその言葉に驚愕する二人。とても信じられない様子だ
「そんなまさか!?」
「そのまさかだ。しかもかなり魔力が強大だ。私は居てもたっても居られず、5月の6日にここに来た。本家にもばれないようにしていたのだが……」
首をかしげながら話すハルヒトにホウマが辛辣な言葉を浴びせる。
「いや、そこは断りを入れろよ。後、俺にも非はあるけどあの時何で俺達を攻撃した?」
「気持ちよく寝ていた時にいきなり家を破壊されたら誰でも怒るだろう?」
アイが壁を破壊した時、ハルヒトは夢の中からいきなり呼び戻されたのだ。それで怒りに身を任せてホウマ達に襲い掛かったらしい。
「だからって襲い掛かんじゃねぇ。そのせいでお前が捕まる羽目になったんだろ。結局自業自得だったのか……」
彼に呆れて何も言えなくなるホウマ。それを無視してハルヒトは続けた。
「おそらく今間切町で起こっている連続殺人事件と賢者の石の件は繋がっている」
「何でそう言えるんです? 根拠のない自信だったらただじゃ済みませんよ」
苛立ちを抑えつつ質問するアイ。ハルヒトはローブの中から丸まった羊皮紙と透明なシートを取り出して広げた。
「今度はそんな事無いぞ。これは賢者の石の反応があった地点を記した地図だ。そしてこっちは連続殺人事件の起こった場所を記した透明なシート。これを合わせてみると……」
ハルヒトは2種類の紙を重ねる。すると、見事に事件発生現場と反応があった地点が重なったのだ。驚愕するアイを他所にハルヒトは続けた。
「それだけではないぞ! 実はこの地点全ては無作為に選ばれたのではない。ある明確な意思によって選ばれていたのだ!」
自信満々で話すハルヒトに不安を抱きながらアイは聞き返す。
「明確な意思?」
よくぞ聞いてくれた! という嬉しい様子でハルヒトは話す。
「そう! しかもそれは……」
「
ホウマが一枚の紙を持ってきて、ハルヒトの話を遮って主導権を自分に戻した。
「黙示録って……。新約聖書に出てくる最後の一書のことですか?」
うろ覚えの記憶ながらアイがホウマに尋ねる。
黙示録、正式には「ヨハネの黙示録」とはその通り、新約聖書の最後に配置された書の事である。ホウマは頷くと説明を続けた。
「そこに登場する7つの教会のあった場所、エペソ、スミルナ、バルガモ、テアルラ、サルデス、フィラデルディア、ラオデキアの所在地を記した地図がこれだ」
手に持っていた一枚の紙を広げる。そこには彼の言った7つの教会のあった地点の位置が描かれている。それを見せられたアイは更に驚く。
「これも、事件と石の反応のあった地点と位置関係が同じ!?」
「そうだ。これが依頼を引き受けた理由でもある。スズちゃんから貰った捜査資料を見た時、俺も驚いたよ。そして思い出したのさ。この並びを中心にして巨大な魔法陣を作れば、異世界へ繋がる扉、地獄の門を作れるという禁断の魔術の存在を」
かなり情報がこんがらがってきた為、アイは物置からホワイトボードを取り出してきた。
「私たちを襲った闇雲……。丘係長を唆した女性……。賢者の石……。黙示録……。地獄の門、七つの教会……。殺人事件……。スズコ様の誘拐。キーワードがどんどん出てきましたね」
一旦事件について纏めるためにホワイトボードに時系列を纏めるアイ。
十月ごろ、丘ヒトシが謎の女性に唆されてリストを作成する
十二月、この月から殺人事件が起こる。同時に賢者の石の反応も起こる
一月~五月、毎月6日に起こる殺人事件と賢者の石の反応
現在、謎の闇雲が我々を襲撃、天条スズコが何者かによって誘拐、丘ヒトシも命を狙われる
「これだけではやはりまだ繋がりが見えてきませんね…… 」
悩めるアイとハルヒトだったが、ホウマがホワイトボードに書き加えた。
十一月ごろ、自治会長の妻が突然の失踪
「一体何故それを書き加えるのだ? 関係のない話だろう? 」
疑問に思うハルヒトに、ホウマはあるものをホワイトボードに張り付けた。
「こっちは行方不明になった自治会長の妻、久月(くげつ)カミラの写真」
そしてもう1枚の写真を張り付ける。
「これは、丘係長が何とかして撮影した、例の謎の女の写真だ」
何と二つの写真は、あまりにもそっくりだった。これにはハルヒトも声を上げて驚く。
「まさかこんなのに繋がるとは……。とてもナンセンスだな。うん? 久月カミラ……。カミラ……。何処かで聞いた事あるような……」
しばらく考え耽っていると、ハルヒトは思い出した様子で、空に魔法陣を出現させてそこに手を突っ込む。そしてそこから埃の被った分厚い本を取り出した。その本のページをパラパラと捲り始める。アイが彼に尋ねる。
「それは一体何なのですか?」
「古い魔術裁判の記録だ。確かここら辺に……。あったぞ!」
目的のページを見つけるとハルヒトはその中の一文を指差して読み出した。
「カミラ・セプテンブ……。賢者の石の製造及び、キメラの実験を行った罪で流刑」
ホウマとアイは彼の持つ裁判記録を奪い取るやじっくりと読み始めた。
「石の詳しい製造方法まで書かれて……。こんな裁判記録見た事がないです」
「俺もないな。おそらく禁書扱いされているものだ。一体、お前は何処でこれを手に入れた? 禁書を持ち出すのは厳罰ものだぞ」
ホウマは入手経路をハルヒトに問う。
「家の倉庫から持ち出したのだ。無論内緒で!」
その答えを聞いて額を手で押さえ始めるアイとホウマ。そのうえアイはハルヒトを憐れむような目で見始めた。
「どうした、その憐れむような眼は? 今は置いておくとして。カミラ・セプテンブが久月カミラという名前を騙って活動していた。おそらく、その方が都合良かったのだろう。他の魔術師に見つかりにくくなるからな。賢者の石製造で捕まった事を逆恨みしてこんな事件を起こしたのかもしれない」
探偵気分で喋るハルヒトにアイが疑問をぶつけた。
「ですが、一体何のためにこのような事件を? それに彼女が流刑されたのはかなり昔なのですよね? 既に死亡しているのでは?」
それに返答できず言葉に詰まるハルヒト。再び呆れ顔になるアイだった。
「ホウマ様も何か言ってあげて下さい」
そう言ってアイがホウマの方へ顔を向けると、ホウマは裁判記録を読み耽っており、更に空へ何か古い魔術文字をマジカライザーで書いていた。
「一体何をなさっているのです?」
何が起こっているのか分からないアイ。ホウマは空に文字を書きながら説明する。
「この書の中の、このカミラに関する記述をある解釈法を使ったら、隠されたメッセージが出てきたんだ」
そう言うとホウマは人差し指を立てて、くるりと回した。すると空に書かれた魔術文字を全て並び替える。すると一つの一文らしきものが出来上がった。それをマジカライザーで翻訳して読み上げる。
『カミラは賢者の石の創造のために多くの人間の命を犠牲にしただけではなく、自らの体内に賢者の石を宿して永遠の命を得てしまった。これを受け、我々は彼女を永遠の苦しみの中で贖罪を行わせるため、《終焉の地》へ封じ込める事を決定した』
今のメッセージを聞いてしばらく考え耽っていたアイとハルヒトはある結論に至ったのか、同時に頭を上げる。その拍子に互いの体をぶつけてしまった。ぶつけた箇所を摩りながら二人は呟く。
「つまりカミラの居場所は……。終焉の地!」
「彼女はこの世界と終焉の地を繋げようとしているという事ですね!」
二人の言葉を聞いたホウマが更に続けた。
「そしてそこにスズちゃんもいる! 俺達が派手に動き始めたからさっさと攫って行ったんだろう。きっとこっちの世界には手下か何かがいる。それがヒトシさんを眷属にし、自治会長の妻として生活していた」
怒りに満ち溢れてくる一同。全員は顔を見合わせてそれぞれ自分の魔導具と、両腕両脚部に特殊装甲を身に着け、魔術連盟から与えられたローブをその身に纏う。更に念には念を入れ、魔術連盟日本支部にも連絡を入れた。
「行くなら今すぐの方が良い。俺がゲートを開いて、終焉の地まで連れて行ってやろう!」
そう言ってハルヒトはステッキを両手に持って、床と天井に3人が入っても有り余る程の魔法陣を描く。
「さぁ、準備は良いか! 返答は求めん!」
ハルヒトが両手のステッキを自らの頭上でカンと鳴らす。すると3人は魔法陣に包まれて赤い球体と化し、探偵事務所から消えてしまったのだった。
「おい、ハルヒト。何でお前が終焉の地へ行く魔術を知ってんだよ?」
移動する球体の内部でふと気づいた疑問を訪ねるホウマ。
「それはもちろん、禁書を勝手に覗いてマスターし……」
彼が全てを言い切る前にホウマとアイの鉄拳が左右から彼の顔に叩き込まれたのだった。
終焉の地
ここはあらゆる世界から吐き出された強大な闇の魔力で満ちた、暗く非常に息苦しい世界。広大な海に島が一つ浮いているような場所だ。そんな場所に今スズコは囚われの身となっている。蓮のような穴がたくさん開いている岩に両手と両足を縛られた状態だ。そんな彼女の顔を冷たい手で撫でる者が一人。
「とても綺麗な顔をしているわ。私の遺伝子は本当に優秀なのね」
派手過ぎない赤いドレスを着て、赤く光る美しい髪をし、それと対照的な白い肌、切れ長の赤い瞳の女だ。スズコから放たれる雰囲気が正だとするなら、彼女からは負の雰囲気、それしか感じ取れない。まるでそれ以外が全て抜け出したかのように。スズコはそんな彼女の様子に気味の悪い表情をしていた。
「何の話か全く分からないんだけど?」
「私には子供がいたの。生まれて直ぐに離れ離れになっちゃったけど。その子孫があなた。つまり、あなたは私の血筋を引いている。そして人一倍強大な魔力をその体に宿しているのよ」
自分のルーツを知らされるもスズコは全く理解が出来ない。突然目の前の景色が真っ黒になり、気が付けばこんな場所にいた。まだ頭が混乱しているのだ。
「それで、あなたは一体何をしようとしてるの!」
威勢を強く見せようとしているスズコに恐怖を感じさせる笑みで返す。
「あなたは大事なお客さんで、そしてディナーのメインディッシュ。せっかく特等席も用意してあげたから楽しみにしておいて。ウフフッ、どうやら来たみたいね。貴方を助けに来た騎士達が」
スズコが見上げると天空から燃える赤い球体が終焉の地の大地に激突し、噴煙を上げる。その中から人影が出てきた。ホウマ、アイ、ハルヒトの三人だ。
「ホウマ君!」
暗い世界の中にスズコの希望が輝いて見える。それに応えるようにホウマも笑顔になる。
「ようやく会えたな、スズちゃん。そしてカミラ・セプテンブさんよぉ!」
左の人差し指を向けた先にいる人物、ホウマが探すように依頼された自治会長の行方不明になった妻の久月カミラ、いやカミラ・セプテンプはスズコから離れる。その風貌はホウマよりも遥かに年上であるはずなのに全くそれを感じさせない、むしろホウマよりも若く見える外見をしている。
「あら、探偵さんが何の用かしら?」
とぼける仕草をする彼女に対し、ホウマは敵対心剥き出しで話を続ける。それと同時にマジカライザーに何枚ものカードを装填している。
「猫を被るのはもう終わりにしたらどうだ? お前の正体はもう分かってんだよ」
続けざまに彼の隣にいるアイが懐から丸められた一枚の羊皮紙を取り出して大きく広げる。それは古い裁判の記録が書かれたものだった。
「魔術師の歴史の中で、魔術師の最大の禁忌である《賢者の石》の創造、そして複数の動物と人間の
暗い空間にアイの言葉が響き渡る。しばらく黙っていたカミラが口を開いた。
「そう。私が魔術師の汚点『血濡れの魔術師』と言われたカミラ・セプテンブよ。私はただ、魔術を使う者として研究に貪欲なだけだった。それだけのことなのに……。それを快楽殺人鬼だの、頭の狂ってしまった魔術師だなんてねぇ。笑っちゃうわ。ウフフフッ」
口に左手を当てながら話すカミラ。そんな彼女の態度に普段は温厚であるはずのホウマの逆鱗に触れてしまったようだ。
「ふざけた事を言うな! 賢者の石の精製の為に、何万人もの命を犠牲にした張本人だろうが!」
「どういう事なの!?」
スズコの問いにアイが答えた。それによって賢者の石の真実を知る。
「賢者の石は巨大な魔法陣の中心に特殊な魔石を置き、それ媒介にして……。多くの人間の肉体と魂を膨大な魔力に変換し、たった数センチ程の大きさの石まで急速に凝縮させる事で作り出すものなのです。そして彼女はそれを7つも作り出し、一つは体内へ取り込んだ!」
あまりの内容に何も言えなくなるスズコ。ここでハルヒトが推理の説明役を勝手に買って出た。
「お前の計画はこうだ。第一段階は俺たちの世界に送り込むか眷属にした傀儡を自治会長の妻に扮して、尚且つ過去に間切町の教会に併設されていた孤児院で生活していた女性を6人探す。その為に間切警察署の丘ヒトシを懐柔して協力させたのだ。アイツの命がもう永くないのを利用し、賢者の石から生成した生命の水を報酬としてな! 無論そんなのウソだ!」
上司が敵の傀儡だった事に衝撃を受け絶句するスズコ。更にハルヒトは続ける。
「第二段階として黙示録に登場する七つの教会の位置関係に準え、前もって被害者達には特定の時間にその場所へ行くよう催眠魔術を掛けた。地区の自治会長の妻の身分を使えば相手に近付くのは容易いからな。まず一つ目はエペソ、二つ目はスミルナ、三つ目にバルガモ、四つ目はテアルラ、五つ目はサルデス、六つ目にフィラデルディアにあった教会にそれぞれ相当する地点で、探し出した女性を襲ってその首を掻っ攫う」
指で数える仕草をしながら説明をするハルヒトを押しのけてホウマが推理の終着点を言う。
「第三段階で七つ目のラオデキアの教会があった地点に相当する場所に掻っ攫った6つの首を円状に配置して、ここ終焉の地と間切町をまさに道で繋いで各地点に賢者の石を送り込む。生贄役にちょうど良かったのが自分の子孫にあたるスズちゃんだった訳さ。最後にそれぞれの地点を繋いで関東圏を軽く覆う程の巨大な魔法陣の中心を作り、《地獄の門》であの世界と終焉の地を繋げて融合させて最悪消滅させる。それがお前の目的なんだな!?」
今までに得た情報と己の推測を組み合わせて、ホウマ達が導き出した結論に対してカミラは笑顔を浮かべながら返答する。
「そうよ。こんな薄暗い場所で一人ぼっちでいるなんてイヤよ。私は自らの体内に賢者の石を宿したお陰で永遠に近い時間を生きられる。そんな私にとってそれは苦痛でしかないわ! 貴方たちに分かるの!? こんな暗い場所で、何も無い場所でずっとずっと苦しく生き続ける苦しみが!」
彼女の一連の事件を起こした原因が余りにも身勝手で、ここにいる者達は怒りを抑えきれない。
「そんな理由のために……! それに終焉の地に在留する強力な魔力が元の世界に流れ込んだりしたら、それに耐えられない多くの人間の命がどうなるのかお前も分かっているだろう!?」
温厚な態度を保っていたハルヒトも声を荒げる。それだけカミラの事を許せないのだろう。
「そんなの知ったこっちゃないわ! 私をこんな目に合わせたこの世界がどうなろうと、私の憎しみはそれだけ収まらないの。憎くて、恨めしくて、許せない。いっその事、あの世界に存在する全ての命を根絶やしにして……。私があの世界の神として君臨してやるわ、この極限の力で! ウッフッッフッフ……。フッハッハッハッハッハッハ!!」
狂ったかのように笑い出すカミラ。それと同時に終焉の地の風の流れが急変する。どんどん彼女の頭上に魔力が集まって来ているのだ。彼女の憎しみに周囲に蔓延る邪悪な魔力が感応したのか、カミラの体の中へ凄まじい勢いで吸い込まれていく。カミラの姿はまるで暗黒の破壊神のように黒く、禍々しき赤い紋様が全身に走る悍ましい姿へ変貌した。それと同時に地面から大量の触手が生えて行く。
「もはや人である事も捨てたか!」
ハルヒトは空にステッキで円を描くと、カミラへ向けて無数の氷で出来た刃を生成し投げ付ける。だがカミラはそれを魔術の発動動作無しでテレポートを発動して、全て避け切るとハルヒトの目の前に出現し、腹部に手をかざして強力な波動を撃ち込む。そのあまりの威力に吹き飛ばされて、砂塵を上げながら壁に減り込んでしまう。更にそこへ高重力を掛けて彼を押し潰そうとする。
「ハルヒト様!」
彼を助けに行こうとするアイだったが、足に触手が絡みつき、身動きが取れなくなる。触手は更に彼女の両腕にも絡みついてしまう。
「くッ!」
何とか自分の体から引き剥がそうとするも、足搔けば足掻くほど触手は締め付けを強くする。
「馬鹿な奴らね。敵いもしないのに……」
蔑むような口調で話すカミラ。その声は先ほどのヒステリックな甲高い声色からかけ離れて、非常におどろおどしい低いものとなっている。そんな彼女が一旦動作を止める。振り返るとホウマがカミラの顔の側面に銃撃を加えていたのだ。いつも被っている帽子は腰のホルダーに掛けて固定して、無くさないようにしている。
「敵いもしないなんて誰が決めたんだ? それにもう悲劇の主人公を気取るのもいい加減にしな! ただ腹が立つだけだ」
「そちらも勇者気取りもいい加減にしなさい、お坊ちゃん?」
カミラが両手を広げると強力な波動が発生し、ホウマは吹き飛ばされて地面に叩き付けられてしまう。その上両足に触手が絡みついてくる。
「こんなのに負けてられるかよ!」
自らの両足に絡みついた触手を右手に持っていたマジカライザーへ剣身を精製して切り裂き、体をアクロバティックに回転させつつ、足技を放って触手を斬り裂き撃退しながら空を舞うその姿は、まるで神に対して感謝の念を捧げる為に、舞台で舞を披露する巫女のようにも思えた。踊っているのは男なのだが。
「ハッ!」
マジカライザーを左手にコピーさせ、銃へ変身させると乱発射して地面に蔓延る触手を撃ち抜き、銃撃で衝撃を和らげつつ地面に降り立った。右手に持つ剣も銃へ変化させ、真正面へ乱れ撃つ。向かってくる触手は見る見る内に肉片と化して行く。
「ハァァァ!」
もう一度空へジャンプし、体を横へ回転させつつ両手の銃から青く光る火炎を放ち、再び自らを襲おうとする触手を燃やして行く。そして前方へ一回転しながら地面に着地した。
「喰らえ!」
触手の隙間から微かに見える久月カミラの顔へ向けて銃口を向け、無数の銀に輝く弾丸を撃つ。放たれた無数の弾丸はホウマの意思によって自由自在に弾道を変えて、僅かな隙間を突き抜けていく。
「愚かな!」
カミラが手をかざした瞬間、地面から大量の尖った岩が出現し、触手ごと弾丸を破壊していく。弾道に沿いながら出現する岩はやがてホウマのいる場所まで到達してしまった。
「ホウマ!」
捕えられて身動き出来ないスズコの叫びが暗い空間に響き渡る。カミラは勝利を確信した。
「お坊ちゃんごときがこの私に刃向かうなんて……」
「誰がお坊ちゃんだ!」
聞き覚えのある声が聞こえた直後、カミラの立つ真下の地面が砕け、その粉煙の中から赤いオーラを纏った剣による一撃がカミラを襲う。寸での所で直撃を避けて彼の左頬に傷を入れたものの、腹部に微かだがダメージを喰らってしまう。砂塵の中から姿を現れたのはホウマだ。
「昔からずっと防御魔術と、穴掘りは大の得意でな。誰にも負けないぜ!」
あの岩による攻撃を喰らう寸前で自分の周囲へバリアを展開、更に両手の銃をショベルへ変化させ、体を回転させながら地面の中を掘り進んでいたのだ。
「さぁって、そろそろ決着を付けようか?」
右手の甲で左頬に流れる血をを拭い、軽くて振るってホウマは左手に持つスコップを三度銃へ変化させてカミラへ突きつける。その姿勢にカミラは何を思ったのか拍手をし始めた。
「とことんしぶとい子ね。あっちの世界でのあなたの噂は聞いているわ。流石は月詠家の次期当主に相応しいって言われているだけの事はあるようね」
カミラは左手を鳴らすと、自分の周りに出現させている触手を全て消滅させた。続けて自らの右手を鋭利な剣へ変化させる。
「その実力は認めてあげても良いわ。こう思える魔術師に生まれて始めて出会えて私、嬉しい。でもそれだけの力を持っている貴方が何で下らないあの世界を守ろうとするの? 何で魔術を否定する多くの愚か者達への味方をするのよ!? 何でそんなものの為に私の邪魔をするの!」
カミラの叫びを聞いたホウマはしばらくの間口を開かなかった。しばしの間が開いた後、ホウマは深呼吸をしながら言った。
「理由なんか別に要らないさ」
右手に持つスコップを剣へ変化させ、構えを取る。
「お前の言う下らない世界が好きな事に理由なんか要るのか? お前の言う愚か者の笑顔が好きな事に理由なんか要るのかよ!?」
スズコの脳裏にホウマと共に捜査の途中で出会った間切町に住む人達の姿が浮かぶ。私も赴任してからずっとあの町が好きだった。
「あの町には守らなきゃいけないものがある。それを守りたいから、俺はその為にこの力……。この魔術を使う! それだけだ、ただそれだけで十分だ!」
そう言い切るとカミラに向かって走り出す。右手の剣を素早く振るいダメージを与えようとするも、カミラの剣は全て防いでしまう。
「やっぱり貴方も下らない人間の仲間なのね……。ならば失せろ!」
失望と怒りの声を上げるカミラ。だが防がれる事を見越していたのか、それと同時に銃口を久月カミラが先程受けた腹部の傷に突き付け引き金を何度も引く。これによってカミラは後退りして怯んでしまう。更なる追撃を加えようとするホウマへカミラは直ぐに体制を整えて、左手を彼の胸の前へかざす。その瞬間にホウマはその手から放たれた波動で吹き飛ばされてしまう。
「タァッ!」
空中で姿勢を整えたホウマは、岸壁を蹴りながら剣の先端を鋭利に尖らせた光りの鞭へと変化させる。それを久月カミラの剣に絡みつかせたが、カミラはそれに動じず自分の側へと思い切り引き寄せる。
「これで終わり!」
カミラは左手に光球を作らせて、ホウマへぶつけようとした。しかし、その瞬間ホウマは魔法陣に包まれて消えてしまい、攻撃を外してしまった。
「何!? 何処へ行った!?」
カミラが振り返ると、壁に減り込んでいたはずのハルヒトがステッキを構えて立っていた。その隣にはホウマもいる。彼は自分のダメージを顧みずにホウマをテレポートさせて、危機を救ったのだ。
「余計な真似を!」
カミラが二人に近づこうと足を踏み出した瞬間、彼女の周りの地面に無数の小さな魔法陣が現れ、爆発と共に大量のまきびしが吹き出した。煙に包まれたカミラが腕でそれを振り払った同時に、死角から放たれた一本の長槍が彼女の右肩を貫いた。
「魔術師は彼らだけじゃないのをお忘れですか!」
後ろから息を荒立てたアイの声がする。何とかして絡みついていた触手を自力で切り払い、渾身の力でまきびしを撒き箒を槍に変えて投げたのだ。
「貴様らぁぁぁ!」
体に刺さった槍を引き抜くと両手を広げて雄叫びを上げ、全身に邪悪なオーラを再び纏い始める。
「マズイ!」
「ここは私達が!」
ハルヒトとアイは意外な手段に出た。とっさのコンビネーションで、ハルヒトはカミラの足元へ魔術で瞬間的に圧縮させた無数の熱球を放って足止めし、アイが懐から取り出した8本のクナイを取り出して、カミラの足に投げ刺して動きを止めた。
「クッ!」
再び邪悪な波動を放とうとするカミラ。そしてここでホウマは彼女に向けて勢いよく走り出した
「ウォウリャアアアア!」
両手に持つ剣に紫のオーラを纏わせて、カミラの胸部をX字に切り裂く。最後に自分の中にある全ての魔力を込めた紫のオーラを纏った右の拳を、その傷へと叩き込む。カミラはグウの音も上げられずにその動きを止めた。ホウマがでんぐり返しをしながら離れると同時に爆発、その中心に残ったカミラの体から魔力が抜けていき、段々と元の人間の姿へ戻っていく。
「これで終わった……」
スズコ達を拘束していた触手は消え、やっと解放される事が出来た。だが、彼女がいたのは暗い空間の遥か高い場所。そのまま地面へ急降下してしまう。
「やっぱりこうなるのーー!」
今回ばかりは諦めてしまったのか目を閉じてしまうスズコ。しかし、しばらく経っても地面に落ちた感覚がしない。不思議に思った彼女が目を開けると、アイが彼女をお姫様抱っこしていた。
「ご無事でしたか、スズコ様?」
いつもと変わらぬ彼女の態度に安心したのか、スズコは泣き出してしまう。彼女を下ろしてヨシヨシと頭を撫でるアイ。ホウマはその時、力尽きていたハルヒトを引っぱたきながら立たせていた。それを終えるとホウマは久月カミラを抱え、ハルヒトの作り出した魔法陣で彼らと共に元いた世界へ戻って行った。だが彼らは気付かなかった。
「良いものを手に入れた……」
何者かが地面に落ちていたホウマの血を回収し、何かを企てていたことを……。
1週間後
月詠探偵事務所
ホウマは一人、デスクのノートパソコンに今回担当した事件の総括を報告書として書き記していた。今まではタイプライター打ちで専用の用紙に文字を打ち込んでいたのだが、この案件からは経費の削減も兼ねてデータにして保存する事にしたようだ。パソコン用のメガネまで掛けている。
『間切町で発生した凄惨な女性連続殺人事件。
その裏では一人の、欲望に負けた魔術師の成れの果てが糸を引いていた。久月カミラは終焉の地から脱出した後、事前にお袋が連絡して待機させていた魔術連盟の使者達によって身柄を拘束された。現在、彼女に対して再び魔術裁判の準備が行われている最中だ。カミラが連行されて行く祭、何故か笑みを浮かべていたのが気がかりだ。
連盟は警察にマスコミに対して犯人を逮捕し、既に送検の準備にかかっていると発表するように要請した。また彼女が自治会長の妻に扮していた事は連盟の担当者によって情報と記憶操作が行われ、無かった事にされている。流石と言うべきだろうか。今後カミラにはどのような罰が命じられるのか、同じ魔術師として最後まで見届ける必要がありそうだ。それにまだこの世界で暗躍していたカミラの傀儡の行方も掴めていない。
被害者全員の頭部は俺たちの推測通り、ラオデキアの教会があった地点に準えた地点の森の中で発見された。被害者の持ち物もそこに全て残されていたらしく、警察の元で確認を行った後改めて葬儀が執り行われる予定だ。俺もそこへ線香をあげに行こうと考えている。
カミラに協力した間切警察署の刑事であり、天条スズコの上司でもあった丘ヒトシは自分の行い全てを自供し、逮捕された。彼に面談へ行った時、彼は『残された時間は罪を償うことに専念する。自分勝手で傲慢かもしれないけどな』と言っていた。丘さんとは長い付き合いだったが故に今回の事は非常にやるせない。今回彼が仕出かした行為は非常に汚らしく到底許されないことだが、彼のその言葉を俺は信じたいと思う。俺はそれに対して彼に、
『お孫さんの為にも、ね』とだけ伝えておいた。
相馬ハルヒトは事件後、直ぐに実家に強制帰還させられ2ヶ月の自宅謹慎を命じられた。本来なら彼も査問委員会に掛けられて仕方ない筈だが、今回の働きは彼の力無しでは成し得なかったと俺が進言した事で魔術連盟が考慮してくれたようだ。ただ、これに懲りてもう二度と管轄外での無闇な行動を慎んでくれる事を実に願うばかりである。アイツの世話を焼くの正直もう御免だ。でも何処かでそれを期待している自分がいるのが、ちょっと意外だ。
天条スズコに対しての処置だが、俺が不用意に魔術師の事情を話してしまった事と、彼女はあくまで巻き込まれた身である事を考慮され、俺が彼女に対する責任を持つ事と彼女が今回の案件を含め、彼女が知り得た魔術師に関する事を一切口外しない事を条件にして、記憶消去は免れた。魔術連盟は監視員を送り込みたかったようだが、それは理事の一人であるお袋によって止められたようだ。流石鋼の魔術師とだけ言われていた事がある。よっぽど俺を信頼しているのか、それともアイの方を信頼しているのか、それはお袋にしか分からない。きっと後者だろう。
今回の事件は別に特別なものだとは思わない。どの時代にも研究に対して貪欲な人間はいる。別に悪い事ではない。でも知らず知らずの内に感覚が麻痺して、善悪の判断を見誤る人間も少なからずいるのは事実だ。俺も一度のめり込むと周りが見えなくなる人間だと自覚している。今いる全ての魔術師も久月カミラと紙一重の存在のはずだ。でも、その一重を超えるか超えないかの差は大きいものだ。その差を生むのは、何の為に、誰の為に魔術を使うかに掛かってくる。俺はこの力を間切町の人達を守るに使いたい。たとえ綺麗事だと言われようがそれが……』
そろそろ書き終える頃に差し掛かった時、事務所のドアがガランガランと音を立てて開く。目線をそこへ向けると、スズコがこちらへ向かって来ていた。
「あれ、スズちゃんどうしたの? しばらくここを離れて一人旅でじぇじぇじぇ! な気分を味わって来るんだ~とかこないだ言ってなかったっけ?」
一度パソコンを閉じ、メガネを外してデスクから立ち上がる。スズコは呆れた顔で話し始める。
「もう、刑事がそんな遊び感覚で務まると思う? 事件の後処理に手間取っちゃってさ~。署の方はかなりゴタゴタになっちゃってるもんで、猫の手も借りたい位なのよ~。そんな時に休んでいられますか!」
どうやら大分元気を取り戻した様子だ。事件解決直後はひどく項垂れていた為、ずっと心配していたのだ。
「でも、元気になってくれて良かったぜ。ホントに良かった」
安心する表情をしたホウマへの返答に困ってしまうスズコ。思わずそれを隠そうとしてホウマの右肩を思い切り叩いてしまう。
「いっでぇッ! なんだってんだよ!?」
「べ・つ・に! あっ、そういえばアイさんはどうしたのー? いつも通りならお茶を淹れてくれるハズだけど?」
話題を逸らしてスズコはお茶を濁す。右肩を摩りながらホウマは答えた。
「あぁ、今休暇取らせてお袋とエジプト旅行中。前々から行きたがっていたからさ」
「そうなんだ……。そうだ忘れてた」
何か大事な事を思い出して、カバンの中身を漁り始めるスズコ。
「こんな下らない無駄話はさておいて。私そんな事の為にここに来た訳じゃなかった」
「下らない無駄話ってなんだよ。そんな事ってどういう意味だ? 」
彼女のトゲのある言い方に思わずカチンと来るホウマ。それを抑えつつ本題に入るスズコ。
「まぁまぁ。今日来たのは、また捜査協力の依頼に来たの。かなりヤバイ案件で刑事課だけじゃなく、生活安全課も捜査に乗り出してるんだ」
嫌な顔をしながらも彼女から捜査資料を受け取るホウマ。
「ちょうど抱えている依頼も無ぇし、早速受けてやるかな、その依頼を」
壁に掛けている帽子をホウマは手に取り、頭にかぶり始める。直ぐにでも捜査に乗り出すつもりだ。
「この町を泣かせる奴は絶対に許さねぇ。それは探偵も、警察官も変わんねぇだろ?」
「それでこそホウマ君だね!」
ホウマの言葉に深く頷きながらサムズアップをしたスズコ。
ホウマはドアに掛けているプレートの面を「CLOSED」に変えると、スズコと共に町へ向かって行く。
そこには彼らの守りたいものがあるのだから
「いい加減依頼料払えよ?」
「……。分かってるわよ」
To Be A Continued
TSUKUYOMI-Magia log- 真綾 @DxFstories
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