TSUKUYOMI-Magia log-

真綾

Show time 1 アクシデンタル・コンタクト

「遂に……。遂に追い詰めたぞ……!」


薄暗い洞窟の中で一介の下級武士、石田ヒロマサが叫んだ。彼の目の前には背中から竜を思わせる翼、闘牛のような鋭利な角や槍のような形をした尾を生やし、肌の露出が非常に多い服装をした、見るからに悪魔の出で立ちをした美女が立っていた。こいつこそヒロマサの仲間を皆殺しにし、元は上級武士だった彼を落ち武者にまで追い込んだ悪魔である。彼女の後ろには断崖絶壁となっており、正に文字通りの絶体絶命な状況だった。


「私をここまで追い詰めた虫けらさんはあなたが初めてなの。それだけは褒めて上げるわ」


よくある悪役の典型的な死亡フラグのような台詞を吐くこの悪魔。彼女は先程この男の奇襲攻撃を受けて背中の翼を動かせなくなっていて、飛び上がって逃げる事が出来なくなっていた。だが彼女は全く動じておらず、それどころか余裕すら感じさせる態度だ。


「今日こそ我が同胞の仇を……。討たせてもらう!」


威勢の良い声をあげているヒロマサであるが、彼は今非常に優位な状況でありながらその額には汗が流れるように湧き、息を荒立てて体を小刻みに揺らしている、いや彼女に対する恐怖で震えていると言った方が正しいのだろうか。それに彼が両手で握り構えていたのは眩いばかり金色の輝きを放ち、あらゆる悪魔を薙ぎ払う伝説の剣……。ではなく金色に輝くハリセンだった。これは彼の家系に伝わる伝説の武器らしいのだが。これらの事情が重なり彼は足が竦んでしまって動く事が出来ないでいる。そんな彼の様子を見た悪魔は軽く笑みを浮かべながら彼の元へと歩みだす。恐怖のあまり動く事が出来ないヒロマサをよそに彼の顔に左手を伸ばして頬を撫で始める。


「恐怖で体を動かせないの? 可愛いわね」


引きつった表情をしている彼を無視して更に右手も伸ばし、両手で彼の頬を包む。更には足も絡め始めた。


「大丈夫よ。怖くなんて無いから。私が優しくしてあげる……」


そう言った彼女は彼に自らの唇を近付け始め……。






「ハッ!」


住宅街のある一軒家の中の部屋で一人の男が息を荒立てながら飛び起きる。まだ日も昇り切っていない時間だった。この男の名前は虚淵(うろぶち)チュウ、この春から進級して高校二年生だ。何の変哲の無い学生生活を送り、そして特に浮いた話の一つも無いまま卒業するはずだ。まだ春休みも後数日残っているのにも関わらずこんな早い時間に彼が起きてしまった原因は無理もない、悪魔に襲われそうになった夢を見たからだ。絶世の美女に襲われるのは男からすれば本望なのだろうが、それでも悪魔は悪魔である以上、彼にとって怖いことには変わりはなかったのだ。


「夢か……」


夢であった事を軽く恨みつつも溜息を吐きながら、チュウは部屋のTVから流れるニュースの音声をBGMにして再び床に着いた。


「ん?」


彼はここでもう一度飛び起きる。先ほどまでずっと寝ていて見てなどいないはずなのに何故TVの電源が付いているのだろうか。昨日寝る前に電源を切るのを忘れていたのか?いやいや、それはないはずだ。昨日の夜は特に見たい番組も無かったので、早めにTVの電源を落とすと、時計の針が十一時を回る前には床に着いていた。恐る恐るTVの方へ顔を向けて見ると、そこには床に寝転がって煎餅を食べながらTVを見ている全く知らない人間がいるではないか。三度チュウは布団を被ると、まだこれは夢の中なのかと思ってそれを確かめる為に自分の頬を力の限り抓った。痛い、非常に痛い。これは現実である。


(何がどうなってんだよ……どう触れたら良いんだよ……)


暗い布団の中で縮こまった状態で意味も無い対策を練っていると突然目の前が明るくなる。スッと見てみるとTVを見ていた人間が布団をひっぺ剥がしたのだ。


「うわぁ……」


チュウはもう覚悟を決めたのだろうか。奪われた布団を取り返そうとせずそのままベッドの上で身動きも取らずに静止している。


「久しぶりね、ヒロマサ!」


そう言ってそこに立っていたのは少し幼い姿になっているとはいえ、夢に出てきた女の悪魔だった。露出の多い服や、角や翼は生えていなくも長い尾が生えているのがその証拠だ。何故こいつがここにいるのか、何故俺のことをヒロマサと呼ぶのか、大体こいつは何者なのか。その全てが分からなかった。とりあえず真っ先に頭の中に浮かんだ言葉を彼女にぶつけてみた。


「君は一体誰?」


ごく普通の言葉を言ったはずだった。だが彼女は見る見るうちに顔を赤くしていき、涙を流し始めた。そしていきなりチュウに抱き付き始めたのだ。


「おい!何なんだよ!」


状況が状況なので正常な判断を下せないために彼女を引き離すことが出来ずにいる。もっとも彼女の抱きつく力があまりにも強過ぎて下手に動くと逆に危ないと思って何も出来ずにいるのが現実だった。


「私のこと忘れちゃったの? まさかあの時の約束も……?」


一度彼を開放した彼女が正座してマシンガントークを始めたのだが、全く要領を得ない、というよりも話すスピードが非常に速く、理解がほぼ不可能なのでほとんどを右耳から左耳へ受け流すしかなかった。一通り話し終わったのか静かになり、矢継ぎ早に話し続けたからか息を荒立てている。一呼吸置いて今度はチュウが話を始める。


「話が速過ぎて全然分からなかったけど一応言っておくね。俺の名前はヒロマサじゃなくてチュウだから」


それを聞いた彼女は一瞬目が点になる。すぐに意味を理解したのか両手を頬に付けて驚愕した顔になる。


「どういうことなの!? ねぇ!?」


ひどく動揺した様子でチュウの首を掴んで揺さぶり始める。先ほど抱きついてきた時以上に力を入れているため、もがき苦しみながらも何とか引き離し、気道を確保して呼吸を整える。平静を装いながら淡々と話を再開する。


「訳が分からない、聞きたいのは俺の方だよ。つうかさ、ヒロマサって誰だよ」

「ヒロマサ、石田ヒロマサっていうお侍さん」

「お侍さんかぁ……。え?」


彼女の放った驚きの回答に今度はチュウの方の側が目が点になる。


(今こいつ何て言ったの!? サァムラァ~イ? え? え?)


今の発言のせいで余計に訳が分からなくなる。何で悪魔が今はもう存在しない侍と約束したのか? 漫画とかでよくある契約だろうか? 色々と考えを巡らせていくうちにある可能性が閃く。それを確かめるべく彼女にある質問をする。


「どうでも良いけどさ、今年は何年だっけ?」

ホントにどうでも良い質問に彼女はきょとんとしたがすぐに自信に満ち溢れた表情で答える。


「簡単よ、そんなことぉ。今年は123……」


彼女が答えを言い切る前にチュウは止めた。それから今年は2010年だということ、もう侍は存在していないこと、だからもう石田ヒロマサという人間はもういないだろうということをゆっくりと説明した。彼女はショックのあまり全身が真っ白になって硬直してしまった。チュウは顔の前で手を振ったり、尻尾を引っ張ったり、尻尾をハサミで摘んでみたりしてみるが全く反応がない。ただの屍のようだ。何かするのにも飽きたのか、その辺に掛けてあったタオルを被せて再び寝ようとした所で全身に色が戻って持ち直した。涙を流さなかったが顔は赤く腫れぼったく見え、今にも我慢出来ずに泣き出しそうだ。


(尻尾が起動スイッチなのかコイツは………)


そんなどうでもいい事を考えながらやっと落ち着いた様子の彼女に話しかけた。


「そういやまだ名前聞いてなかったね。君の名前は? これで涙拭ったら?」


手に持ったままだったタオルを渡す。泣かれたら後で自責の念に囚われそうな気がしたからである。既に罪悪感に囚われているのだが。彼女は渡されたタオルで顔を抑えながら話す。


「私の名前はミーヴィル。もう分かっているとは思うけど悪魔よ。」


チュウはあぁ分かってるという顔をしないようにしている。次に彼は一番知りたい質問をした。


「お前が石田ヒロマサって奴と一体どんな約束をしたのか、出来れば教えてくれ」


そう言われてミーヴィルは少しずつ話し始めて……。






――時は戻って石田ヒロマサが彼女に勝負を挑んだ頃まで遡る。ミーヴィルが彼の唇を奪い、魂を自らの糧として喰おうとしたその刹那、彼が握っていた金色のハリセンによる一撃が顎にクリーンヒット。その勢いで洞窟の天井部分に頭から突き刺さってしまった。胸の下辺りまで埋まってしまったからか身動きが取れない様子だった。おそらく気絶しているのだろう。垂れ下がった尻尾がプランプランと空しく揺れている。おまけに若干体が痙攣を起こしている。


(凄まじい威力でござった………)


金色のハリセンをまじまじと見つめながらそう思っていると上からくぐもったような声が聞こえてくる。


「出してぇぇぇ! ここから出~してぇぇぇぇぇ‼」


突き刺さって動けなくなったミーヴィルが意識を取り戻して両足をバタバタさせながら叫んでいた。両手で押したりしているが暖簾に腕押しな状態だった。


(どうなさろうか………)


一寸迷ったヒロマサだったが見ていられなかったので彼女を助ける事にした。疲労が溜まって諦めたのか一切動かなくなったミーヴィルが刺さっている天井目掛けて金色のハリセンをブン投げた。ハリセンは目に留まらない勢いで回転しながら天井に衝突、岩盤が瞬く間に崩れ落ちて、そのついでにミーヴィルも落下するが地面に激突する前にヒロマサがキャッチして怪我は無かった。彼女を適当な所に座らせた後砕けた岩石の中から金色のハリセンを見つけ出した。


「これを持って帰らねば奉公人に叱られてしまう。ではな」


そのまま立ち去ろうとするヒロマサをミーヴィルは尻尾を使って引き留めた。というか尻尾でグルグル巻きにして動けなくしたというのが正しかった。


「何をする!?」


殺気立つヒロマサとは反対に恥じらう顔をするミーヴィル。


「どうして私を助けてくれたの? 悪魔なのに………」


両人差し指の先端をくっつけながら話す彼女に呆れた顔をしながら話す。


「助けを求めているものを助ける事の何が悪いのだ。たとえその相手が悪魔であっても」


彼はただ当たり前の事を言ったつもりだったのだが、これが間違いだった。彼女は突如彼に抱き付き、肌をこれでもかと密着させた。ミーヴィルは彼に惚れてしまったのだ。目にはハートマークが浮かび、尻尾もフリフリと振っていた。


「あなたって素敵な人ね。気に入っちゃった」


ヒロマサは直感でこれは不味いと思ったのか何とか最悪の方向へ行かないようにしようとする。


「それで……。どうするのだ?」


「もちろんあなたのお嫁さんになるわ!」


やっぱりこういう流れかと思ったヒロマサはある考えが浮かび、すぐに実行した。


「そうか………。拙者もそろそろそういう年になるから丁度良い機会かもしれん。よし、そなたを嫁として迎えようではないか」


その言葉にミーヴィルはジャンプしながら歓喜した。


「ホントに!? やった!」

「ただし、条件があるでござる」


きょとんとした顔になったミーヴィルの顎を優しく手で擦りながら説き伏せる。


「もう二度と人間の命を奪わない、それを約束して欲しい。もう二度と人間が悪魔に命を奪われる光景を見たくないのだ。」


と悲しげな表情を浮かべながら話す彼の様子に心打たれたのか、ミーヴィルは三文返事で答える。


「分かった。もう誰も襲わない。約束する!」


真剣な表情で言う彼女を見てヒロマサも信用したようだった。


「信じよう、君のその思いを」


そう言って彼女の手を優しく握った。直後頭に衝撃が走って、そこからの記憶がなかった。


目が覚めるとそこにはヒロマサはいなかった。それで手に残っていた彼の温もりと気配を頼りに飛んできた結果、今に至るという事だった。






「そういう訳なの。目が覚めたら未来にいたってホントに不思議な話よねぇ~」


話を終え、不思議そうな顔をしているミーヴィルとは反対に険しい表情をするチュウ。


「お前さ……。こういう事言うのもアレなんだけどさ……」

「何?」


無邪気な表情を浮かべる彼女にチュウは思い切ってぶつける。


「お前騙されてたんじゃねぇーのか? 結婚するっていうのはただの出任せでさ、それで隙を作ってお前をその金色のハリセンとやらで成敗したんだろ。そうでもしなきゃ正攻法で人間が悪魔になんか勝てないからさ。そんでそのまま封印されて、今蘇ったって事なんじゃないの?」


そう言われた瞬間、彼女は再び全身が真っ白になって硬直してしまった。さっきよりも症状が明らかに重い、瞳からハイライトが消えてしまっている。更には聞こえない位小さな声で何かブツブツと呟いている。本気で好きになった相手に嘘の結婚の約束をされた上にハリセンでボコボコにされたら実際一溜りも無いだろう。もう手遅れなのかもしれない。戻る気配がしない、本当にただの屍のようだった。もう本当に見ていられない様子なので今度こそタオルを掛けて、チュウは再びベッドに戻って寝る事にした。だが次の瞬間背中に内側から焼かれるかのような激痛が走る。そのあまりの痛みに声も出せない。

恐る恐る痛みに耐えながら寝返りを打つと、ミーヴィルの尻尾が彼の背中に刺さっていたのだ。どうにかしようとしても段々と全身から力が抜けて行くため抜き出す事も出来ない。


「おい! どういうつもりだよ!」


痛みを堪えながら必死に叫ぶチュウをよそにまだ瞳にハイライトが戻っていないミーヴィルが恐ろしい程優しげな声で彼の耳元で呟く。


「あなたの感触を一度確かめただけで分かった……。あなた、あの人と同じ温もりがする。どうやら石田ヒロマサの末裔みたいね。こうなったら、あなた諸共あなたの一族全員滅ぼしてやる…」

「待てよ! おい! おい!?」


チュウの叫びも虚しく、左手で彼を抑えたまま右手を天に掲げて暗黒の波動を放とうとした………






「ウワァァァァァ!」


住宅街のある一軒家の中の部屋で一人の男が息を荒立てながら飛び起きる。まだ日も昇り切っていない時間だった。この男の名前は虚淵チュウ、この春から進級して高校二年生の予定だ。今日から新学期が始まるのだが、まだ随分と余裕のあるこんな時間に彼が起きてしまった原因は無理もない、悪魔に襲われそうになった夢を見たからだ。自分の先祖が悪魔を騙して葬ったからという理由だからって、一家全員が殺されるのは夢であっても後味が非常に悪い。


「夢で…良かった。」


チュウは息を整えた後、再び床に就いた。それがいけなかった。高校まで徒歩で行ける距離とはいえそれなりに遠いため、七時半には家を出なくてはいけないのだがこの二度寝の結果、起きたのが七時半だった。


「やべぇ! 新学期早々遅刻しちまう!」


大慌てで寝巻きから制服に着替えて一階のリビングへ降りて行く。


「何で起こしてくれなかったんだよ、母さん!」


母に八つ当たりしながら今日の弁当箱と水筒を受け取る。彼の母、虚淵セツコは悪気が無いかのように言い訳をする。


「いつも起こさなくても起きてくるから起こさなかったらこうなっちゃった。てへ」

「ぺろとは言わせねーよ。」


漫才のような掛け合いをしている二人を見て彼の父であると兄のゲキが冷やかし半分で揶揄かった。


「相変わらず仲が良いな、母さんとチュウは」

「早くしないと遅れるぜ?」


少し頭に来たのかチュウはゲキに顔を向けずにボソっと呟いた。


「黙れ、浪人野郎」

「てんめぇこんにゃろおおおおう!」


彼が非常に気にしている事だったのか立ち上がるほどにブチ切れるも、喧嘩している猶予が無いのでカバンに弁当箱を入れると玄関へ走って行く。そこにちょうど自分の部屋から降りてきた妹のシゲキと出くわす。


「あれチュウ兄、今日はかなり焦ってるね。もしかして昨晩自家発電し過ぎて寝坊したの?」

「黙れ、壁」

「何よ!? 短小!」


ここでも冷やかしを喰らわされたためボソっと呟く。これもまた、彼女が非常に気にしていた事なのか激怒した。靴を履き終えるとドアを開けて走って家を飛び出す。ゲージの所に彼と同じデザインの制服を着た一人の女性が立っていた。その女性を見つけるなりチュウは呆れた表情をする。


「やっと起きたの? 早く行こ!」

「待たないで先に行けよ……」


そう言いながらも二人並んで早歩きで学校へと向かい始める。


「別に良いじゃん。初めての学校楽しみだなぁ。」

「そう言っていられるも今のうちだから覚悟しとけよ」


この女性、彼女の正体は彼の夢に何度も出て来たミーヴィルである。実は彼女が彼諸共一家を吹っ飛ばそうとした時にチュウは思わず、


「分かったよ! お前は俺が貰ってやるから!」


と勢い余って叫んでしまった。これを聞いたミーヴィルはすぐに応じてしまい、何とか一家の滅亡は防がれた。家族には一切の事情を全てざっくばらんに話した。両親は家族が増えたと呑気に喜び、兄は何かが弾けそうになって、妹は若干邪気眼発動気味だったのもあってか彼女に興味津々。彼女が悪魔としての能力をフル活用して一緒に暮らす為の色々な偽装工作の一端を掴まされたのも災難だった。まだこの先に面倒な事態が山積みとはいえ、ここで逃げ出したらもっと面倒な事になるのは明らかなのでもう突き進むしかない。それが彼女を騙し討ちした男の子孫である自分のすべき事じゃないか。そう思いながら彼女と共にいつもの通学路を歩く。


「そういえば、ちゃんと偽名使い続けられるだろうな? 後、尻尾とか羽とか無闇やたらと家以外で出すなよ」


歩きながら彼女に今後の心配要素を伝えると、底無しの自信が溢れ出る笑顔で応える。


「大丈夫だって。チュウがいるもん! これからは『ソラ』としてあなたに一生添い遂げます!」


近所に響くドデカイ声で言うのでチュウは即座に彼女の口を手で押さえると大急ぎでその場を後にした。これから彼女はソラという名前でやっていくようだ。


「バカヤロウ! 声がデカイんだよ!んな事は家の中でほざいてろ!」


怒り心頭に発しているチュウを逆なでるかのようにソラが目を閉じる。


「じゃあ誓いのキスして」

「調子に乗るな!」


我慢の限界に達したチュウは、カバンから隠し持っていた自作のハリセンで彼女の頭を引っぱたこうとする。それを見た彼女は頭を抱えてしゃがみ込む。どうやらハリセンそのものに恐怖を抱いているようだ。


「すいませんでした。以後気を付けます」


再び歩き出して反省した様子を見せる彼女を見て、チュウはため息をついた。


(ハリセンはホントに手放せそうにないな)


そう思いながらチュウは彼女と共に何の変哲もないが少しだけ面白くなりそうな高校生活へ向かって行ったのだった。


彼が今日の帰りから薬局で胃薬を大量購入し始めたのは言うまでもない。















「もう良いや、このラノベ」


 そう言って、カーテンの隙間から日差しが差し込まれた暗がりの部屋のベッドに横たわっていた男が、手に持っていた文庫本をゴミ箱へと投げた。その表紙には『イーヴィル・ハリセン~奉公悪魔~』という文字と可愛らしい悪魔が描かれていた。男はよれよれになったスウェットを着て、それに相応しくない大きなブレスレットを身に着け、顔はやつれ、目元には隈が浮かんでいる。


「どこもかしも同じネタばっかでつまんね」


 彼はそう言って、今度はティッシュやゴミで散らかったテーブルを片付け、ノートPCを起動する。そしてインターネットの掲示板サイトを真っ先に開いて気になる話題がないか散策し始める。


「おっ? 盛り上がってるなぁ」


 彼が目に止めたのは、最近注目されているアイドルユニット『エクトランス』のメンバーの一人『茅ケ崎ユイ』が、恋愛禁止を謳っているにも関わらず過去に同級生と交際していたというニュースで盛り上がるスレッドだった。


『応援してたのに! 裏切られた!』

『へぇ』

『思わず写真集破ったったwwwwwwたった……』

『そんなもんだよね』

『絶対許さないズラ!』

『実際こんなもんなんだから落ち着けよ』


 過激な意見も見られるものの、比較的落ち着いている方だった。それを見て彼は、苛立ちが募る。


「何でだよ!? 人気もののスキャンダルだぞ!? もっと盛り上がって、殺害予告とか出せよ!」


 苛立ちの余り髪を掻き毟り、近くにあったフィギュアを壁に投げつける。すると、部屋の外から声が聞こえた。


「ケンー? お客さんがいらしたよー?」


 母親の声だろうか、彼を呼んでいる。


「また宅配だろ!? 金なら部屋の外に……」


 苛立ちをぶつけるように叫ぶケンだったが、それを遮るように、


「あっ、ちょっと困ります! えっ? ちょっと!?」


 慌てる様子の母に驚き、冷静さを取り戻して行く。そして部屋のドアをノックする音が響いた。


「中野ケンさん? いますよね。開けますよ」


 ケンがドアを押さえようとするも間に合わず、ドアが開き暗がりの部屋が明るくなった。部屋の外には、赤みがかった黒髪をしたスーツ姿の女性とメガネを掛けた七三分けの男が立っていた。その後ろにも多くの人間が続く。


「えっ……。あの……」


 家族以外の人間と話すのが久方振りで、ケンは声が出なかった。それに構わず、二人はカバンから何かを取り出す。それを見たケンは硬直する。


「中野ケンさんですね。間切警察署の天条(あまじょう)と」

「右城(うしろ)だ」


 二人が取り出したのは警察手帳だった。更に右城はもう一つ取り出し、彼に見せた。


「中野ケン! お前にはアイドル『茅ケ崎ユイ』の所有しているスマートフォンに秘密裏にアクセスし、意図的に情報を流出させた容疑が掛かっている。今からこの部屋の家宅捜索を行う!」


 右城が見せたのは家宅捜査令状だった。


「えっ……。何で……。うあああああああああ!」


 ケンは気が動転し、近くの壁に掛かっていた金属バットを振り回し始めた。


「やめなさい!」


 天条刑事の静止も聞かず、彼は振り回し始める。


「取り押さえるぞ!」


 右城の合図と共に複数のスーツ姿の警官がケンを確保しようとするが、彼は意外にもすばしっこく、警官の波を掻い潜って窓から外へ飛び出した。


「逃がすな!」


 右城は警官を引き連れ、ケンを追う。反対に天条刑事は何かに気付き、部屋に残ってノートPCのコードを触っていた。


(有線LANのケーブルが繋がったままなのに、ネットワークが切れている?)






 ケンは全速力で走り、近所の公園の茂みに身を潜めていた。


(何で……。何でサツにばれたんだよ……。絶対に捕まらないって聞いたのに……)


 そう心の中で思案していると、突如首元を掴まれ、彼は茂みから引っ張り出され、公園の脇に生い茂る木々の下に晒された。ここまでかと思ったケンだったが、その相手は金色の文字が刻まれた黒いローブを纏った金髪の男で、ケンには見覚えがあった。


「なぁ助けてくれよ! サツに追われて……」


 跪いて男にしがみ付きながら懇願する彼だったが、


「そうか~。お前がアレを買った相手はこんな顔で合ってたんだなぁ。」


 一瞬のうちに姿が変わり、首元の黒いチョーカーが光る見覚えの無い茶髪の男に変わる。ローブに刻まれた文字も紫色へと変化、そしてケンは振り払われて地面に尻餅を着いた。


「嘘だろ……」


 ケンの顔から血の気が消え、段々と青褪めて行く。


「最近噂の特殊LAN回線ユニット。一般的な通信を介さず、痕跡を残すことは無い。上手く使えば、不正アクセスだって何のそのだ。それに、元々ネットワーク通信の会社に勤めていたお前なら簡単だな」


 茶髪の男は近くにあった切株に座り、端子が飛び出たブレスレットのようなものを取り出す。それを見たケンはハッとして自分の腕を見る。一瞬のうちに彼の手に奪われていたのだ。


「でもそれは、一般的な話。俺たちの中ならその痕跡が分かる。まさか、ネットワーク通信用の魔導具が一般社会で売られるなんてこっちもビックリしたぜ」


 これまでかと悟り、ケンは顔を下へ向ける。


「ハハッ……。アンタは……。サツの仲間か?」


 自嘲的に笑いながら問う彼に対し、茶髪の男は、


「どうかな? 仲間かもしれないし、場合によっては敵かもしれない」


 とあやふやな答えを返す。そして、彼の手を掴もうとするが、


「ソイツは君の敵だよ」


 黒いローブを羽織った四人の男が現れ、その中の一人がフードを下ろす。それはケンが見覚えのある金髪の男だった。その金髪の男からブレスレットを購入したのだ。


「俺たちの商売も邪魔する、敵だ」


 茶髪の男への敵意を剥き出しにする金髪の男。茶髪の男も立ち上がって、同じように彼へ敵意を剥き出しにした。


「あぁ、敵さ。人の心を弄んで金を稼ぐ、お前らは俺たちの敵だ。大綱(おおつな)テンゴ」


 名前を呼ばれ、思わず金髪の男の顔が歪む。


「チッ、もう感付かれてたか」


 ローブの右袖に左手を入れ、テンゴと呼ばれた男が何かを取り出そうとする。同様に茶髪の男も懐に右手を突っ込んだ。


「連盟から除籍処分受けて、何処をほっつき歩いてると思ったら、ただの罪人にまで落ちぶれやがって」

 哀れむような言葉を吐かれて、テンゴは激高する。

「俺を追い出したことを後悔させてやろうと思ってなぁ。そのためにまず金を稼ぐのさ!」


 右手に持った杖を地面にかざし、


「Et inflammabit eos virtutem infernus(彼らを業火の力で焼け)!」


 そう唱えると同時に、ケンたちを巨大な火柱で包んだ。テンゴは勝利を確信し、高笑いを始める。


「ッハッハッハッハ! 悪く思うなよ、中野ケン! ヘマをしたお前を元々これから焼きに行く手立てだったんだ……」


 彼は言葉を止めた。何故なら、火柱があっと言う間に消え、ケンと茶髪の男が無傷でいたからである。二人の前には大きな紫の円状の魔法陣が出現していて、バリアの役割を果たしていた。


「何故だ! 何故生きている!?」


 驚くテンゴを他所に、茶髪の男は魔法陣を消すと、右手に持った大きなライターのような道具を見せ付けるように動かし、


「お前がわざわざ手間を掛けてるからだろうが。最も、マジカライザーを没収されたから呪文を唱えるしかないんだろうがな」


 男は右手の道具に二枚のカードを入れ、銃の引き金のようなスイッチを引く。


〔カテナライズ〕

〔パルスライズ〕


 音声が響くと同時に、テンゴを含めた四人のローブの男たちの周りに紫の魔法陣が出現、そこから放たれた鎖で拘束され、更に電気ショックを浴びせられて、気を失ってしまった。


「残りの不満は監察評議会でよろしく」


 茶髪の男は再びカードを道具に装填しスイッチを引く。


〔エキスポートライズ〕


 音声が響き、四人は紫の魔法陣に包まれると何処かへ消えて行った。


「何だったんだ……」


 ケンは目の前で起きた出来事が余りに信じられず、その場から動くことが出来なかった。そこに茶髪の男が歩み寄る。


「さて、ちょっと派手にやっちまったなぁ。管理部も大変だなこりゃ」


 陽炎が昇る辺りを見渡した後、ケンの隣に座ると、一つ溜息をついて話し始めた。


「嫌なことがあったのは分かるけど、関係ない人を中傷するのは見当違いだぞ、ケン坊」

「何でそんな風によ……。お前まさか」


 思わず突っかかりそうになったが、その言葉でケンは彼の正体に気付いた。


「おいおい、気付いて無かったのかよ~。寂しいじゃねぇか」


 茶髪の男は身体をワザとらしくカクっとさせて驚く。


「お前、ホウマか!? 高校の卒業式以来だから気付かなかった……。というか元々悪い顔付きがもっと悪くなった気がするな?」


 同様にケンも驚いていた。しばらく会っていなかった旧友が目の前にいたからである。


「うるせぇ。もうそんな前か。人は変わるもんさ。でも、ケン坊のちょっと抜けてるところは全く変わってなくて安心したよ。これでも毎年年賀状と暑中見舞いをお前の実家に送ってたんだぞ」


 ホウマと呼ばれた茶髪の男はそう言いながらケンの肩を叩く。するとケンの瞳に段々と涙が溢れて来る。


「そんなこと……。俺……。ずっと部屋に籠ってて……」


 彼の言葉を遮り、ホウマが懐からハンカチーフを取り出した。


「良い良い。そんな暗い話はもうヤメだ!」


 そしてホウマはそれを渡して立ち上がった。


「ケン坊。また何か嫌なことあったら、その時は遠慮なく俺に連絡寄越してくれ。今度は少しでも力になりたいからさ」

「あぁ」


 そう言い残してホウマは左手を振りながらそこから茂みの方向へと歩き去る。その後、ケンは公園まで捜索に来た警官たちに自ら出頭した。それを木陰から見届けたホウマは左手に巻いた腕時計のような装具と右腕のリストバンドの位置を腕を軽く振るって直し、改めてその場を後にしたのだった。






 四日後、間切警察署から中野ケンの身柄が警視庁へ引き渡された後送検された。彼は高校卒業後、静岡に本社を置く大手ネットワーク通信会社「トラストワーク」に就職するも先輩たちからのいじめに会い二年で依願退職、以後実家のある間切市に戻って来てからずっと引きこもり生活を送り、惨めな自分と華やかに見えた同年代や年下の芸能人に逆恨みや嫉妬し、今回の事件を起こしてしまったとのことだった。しかし、天条刑事が気になったネットワーク回線の件だけは何も分からず、証拠となるはずだった不正アクセス使用したツールも何故か特定出来ずにいるため検察は不起訴処分にしたいらしいが、その場合世間からの風当たりが強くなりかねないため警察と検察上層部は頭を抱えているらしい。


「って言うのが今回の事件の顛末って訳? スズちゃんに、ライトさん?」

「そんなところかな~」

「平然と捜査情報を会話で交わすのはやめてもらえないか、探偵に天条刑事。後俺を変な呼び名で呼ばないでもらおうか」


 とある雑居ビルの一角の部屋で右城リュウ刑事、スズちゃんこと天条スズコ刑事、そして部屋の主である月詠(つくよみ)ホウマがテーブルを囲んで話していた。まるで昼下がりのティータイムのように。


 ここはツクヨミ探偵事務所、月詠ホウマが所長を務める探偵業者である。とは言っても従業員は彼を含めて現在二人しかいないのだが。スズコはホウマを情報屋としてひいきにしており、これまでも度々協力を仰いでいた。今回はリョウが彼女を仲介してホウマに捜査協力を依頼した。今回被害に会ったアイドルが彼の知り合いだったらしい。今日はリョウから依頼料の徴収と事件の概要を聞かせてもらったのだ。


「しかし、いじめを受けた人間が別の人間を傷付ける真似をするとは。全く嫌な世の中になったものだな」


 カップに入った紅茶に何個も角砂糖を入れながらぼやくリョウに対し、


「そうかい? 昔からそうだ。人は皆知らず知らずのうちに他人を傷付けているもんだぜ、右城刑事」


 ホウマはそう言うと近くの棚から箱を取り出し、スズコやリョウに向かってオレンジピールのチョコレートをホイと投げる。これを右手で受け取るものの、リョウは苦い顔をした。彼はオレンジを始めとした柑橘系が苦手だからである、加工されたものも含めて。スズコは嬉しそうに頬張っている。


「というか、二人とも呑気にしてるけどそろそろ署に戻った方が良いんじゃないのかぁ?」


 ホウマに促され、二人が腕時計を見ると既に3時半になっていた。2月も終わりに近付き、春が間も無く来る頃だがそれでも日が暮れ始めている。


「もうこんな時間。じゃあ今日はこれで帰るね。紅茶とチョコありがと」

「長居してしまった。今度来た時は別のチョコを用意してもらえるか。酸っぱくないの…」


 二人は壁に掛けていたコートとカバンを手に取り、事務所のドアまで移動する。軽く手を振るホウマに見送られ、二人は事務所を後にした。


「さて……。っと」

 

 姿が見えなくなったのを確認すると、ホウマはドアを施錠しデスク横の戸棚の上段から魔法陣のようなものが描かれた分厚い本を取り出し、見開きにして真っ白なページの上に右の人差し指で円を描き、その中心にそのまま手をかざす。すると、真っ白だったはずのページ紫に光る文字列が出現し、宙に浮かび上がったかと思うと今度は円状に並び、人の上半身のホログラムを映し出した。その見た目は壮年の男性で白いちょび髭を生やしている。


「頼まれていたブツ、全部回収完了しました」


 そう言うとホウマは戸棚の下段に右手を入れ、大きな黒い袋を取り出す。中にはケンが着けていたものと同じブレスレット型の魔道具が無数に入っていた。


「ご苦労だった。これで一安心といったところか」

「えぇ。それで、大綱テンゴの処遇はどうなってます、最高監察官殿?」


 彼の相手、それは違反行為を働いた魔術師に対する処罰を決める権限を持つ監察評議会の最高監察官である。ホウマは彼から魔導具の一般人への無断販売を調べるよう依頼を受けていた。調べるうちにそれが大綱テンゴの仕業であると分かり、結果としてアイドル中傷事件にも繋がったのである。魔術が絡んだ事件は秘密裏に隠匿され、情報が出回る事は無い。今回の事件で使われたツールが魔導具であったために結果として中野ケンは不起訴処分が検討されているのだ。


「評議はこれから始まる故まだ話せる段階ではないが、これまで何度も違反行為を働いている以上重いものになるぞ。魔導具を一般人に売りつけ、魔術連盟への襲撃を企てていたことは重大な事態だ。場合によっては……。最悪強制的に魔力剥奪もあり得る」

「そうですか。しかし、アイツのことですし確実に脱走しそうですよ?」

「その時はまた捕まえてくれるかな?」


 最高監察官の言葉に苦い微笑を浮かべるホウマ。思い出したように袋の口を左手で叩き、


「直ぐにでもこれをそちらへ送ります。またいつか」

「あぁ。これにて失礼させてもらうよ」


 ホログラムが消えたのでホウマは本を閉じようとした。だが再び出現し、驚いて椅子から床へと崩れ落ちてしまった。


「聞き忘れていた。ところで、魔術師として活動で得た情報は漏らしたりしてないだろうね?」


 腰を右手で押さえながらホウマは立ち上がり、


「も、もちろんですよ~!」


 そう返して本を閉じたのだった。その顔には汗が滲み出ていたのは明白である。






 同刻、間切第三商店街入り口


 スズコとリョウが警察署へ向かって並んで歩いていた。そんな中、通りかかりの道の傍にあるドアの開いた喫茶店からラジオのニュースが聞こえて来た。


「検察庁特捜部は不正会計の疑いで、大手ネットワーク通信会社『トラストワーク』本社へ捜索に入りました。またトラストワークでは先輩社員から後輩社員へのいじめ行為が横行していたという情報もあり、静岡県警も捜査協力しています」


 それを聞いた二人は思わず立ち止まる。


「トラストワークって……」

「こないだ逮捕したアイツが働いてた会社か。悪い会社は何処にでもあるもんだな」


 何かが引っかかったものの、特に気にせず二人は再び歩き出したのだった。




To Be A Continued

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る