第7話

 宇宙暦SE四五一二年十月二十三日 標準時間、午前二時五十分(〇二五〇)


 クリフォード・C・コリングウッド候補生は、船外活動用防護服ハードシェルに身を包み、ブルーベルの搭載艇“アウル1”の座席に座っていた。彼はそれまでの自分の行動を思い出していた。


 艦長に呼ばれ潜入部隊に選抜されてから、三時間で下士官と兵を選抜するデンゼル大尉と行動を共にし、その後、八時間のシフト免除を与えられたが、興奮してほとんど休憩できていない。

 同室のラングフォード候補生はベテラン然とした余裕を持って、寝台からは軽い寝息まで聞こえてくる。


(さすがに余裕があるよな。僕は全然駄目だ……あと五時間くらいあるけど、全然眠れそうに無い……アウルに乗ってからも五時間くらいの待機時間はあるけど、宙兵隊みたいにハードシェルに身を包んだまま寝るなんてことはできないし……)


 彼はこの後の計画からここで休息を取っておくことが重要であると判ってはいた。

 だが、初陣と言うこともあり、興奮してなかなか寝付けない。そもそも彼のシフトではこの時間は戦闘指揮所CICで勤務している時間であり、急なシフト変更についていけないということも原因の一つではあった。


 彼は眠ることを諦め、このあとのことを静かに考え始めた。


(二三〇〇にFデッキに集合。最新情報を確認し、最終的な装備類を決定する。そのあとは〇二〇〇まで技術兵のシミュレーションの監督、〇二三〇までに装備を身に付け、兵たちの点呼を行い、アウルへの乗り込み……)


 そんなことを考えていたら、二二〇〇の起床予定時間まで眠りに落ちていた。

 アラームの音で起き上がるとラングフォード候補生は既に着替えを済ませている。

 さすがに彼も緊張しているのか、いつもなら嫌味の一つも言ってくるのだが、今回は黙って自分の準備に専念していた。

 彼もすぐに着替え、兵員室の食堂に向かう。

 食堂には潜入部隊組の下士官、兵たちが食事を取りにぞろぞろと集まり始め、狭い食堂はすぐに満員になった。

 最後の晩餐ではないが、いつもの味気ないレーションではなく、建国記念日か国王陛下の誕生日に出るような特別料理が並び、緊張気味の兵たちも少しだけ顔を綻ばしていた。


 彼は食事を終え、Fデッキに降りるが、特にすることは無く、掌帆長の指導の下、ヘーゼル・ジェンキンズ三等兵曹と六人の技術兵が行っているシステム潜入のための訓練を眺めていた。

 ジェンキンズ三等兵曹は掌砲長の部下で、通常は対宙レーザー担当を担当している女性下士官である。すらりとした長身で美しい金髪、切れ長の碧色の瞳が印象的な美人なのだが、周りからは“武器マニア”、“兵器フェチ”などと言われ、本人もそれを肯定する変人だ。

 技術兵として優秀な彼女だが、今回は彼女の知識、技術が直接、潜入部隊の命運を握ることになる。

 彼は技術兵たちの手際を見て、自分には出来ないと嘆息していた。


(どうも昔から細かいというか綿密な作業が苦手なんだよな。一人前の士官になるなら、こんなことではいけないんだろうけど……)


 〇一〇〇にデンゼル大尉が現れるまで、ラングフォード候補生と一言も言葉を交わすことなく、訓練を眺めていた。ラングフォードは自分の個人用情報端末PDAにメモを入れていたので、何をやっているのか理解しているのだろうと思っていた。


 〇二〇〇に自らの装備をつけるため、一旦、兵員室に向かった。

 そこで船外活動用防護服、通称ハードシェルを身に付け、装備の点検を行っていく。

 ハードシェルは、パワードスーツとも呼ばれ、硬質のセラミック系装甲にパワーアシスト機能と移動用ジェットパックを持つ宇宙服である。空気浄化系と酸素ボンベ、水分、簡易食料チューブ、排泄機能などを備え、十分に訓練された兵士なら二十四時間以上行動できる。今回は本職の兵士ではないため、行動時間は八時間以内に制限される予定だ。


 彼は愛用のハンドブラスターを腰のホルスターに納め、肩にグレネード付ブラスターライフルを持ち、Fデッキに降りていった。


 〇二三〇

 潜入部隊全員がFデッキにそろい、艦長からの訓辞を受ける。


「既に状況は判っていると思う。今回の任務は五年前の停戦以降、最も危険で困難な任務だろう。だが、諸君たちにこれだけは言っておきたい。諸君らの働き如何によっては戦争に発展する可能性があることを。そして、戦争を防ぎ得るのも諸君たちしかいないということを! この困難を乗り越え、祖国に戻り美酒を飲もう! 健闘を祈る。以上!」


 艦長の短い訓示が終わると潜入部隊員たちはピシッという音がしそうな揃った敬礼をする。艦長もお手本のような答礼を行い、Fデッキから出て行った。

 クリフォードは艦長の心中はどのようなものなのだろうと考えるが、今は任務に集中すべきと兵たちを先導して搭載艇に乗り込んでいった。


 そして、〇二五〇。

 搭載艇の座席に着いた彼は発進までのカウントダウンを聞きながら、緊張と興奮を友に初陣に挑む。


 〇三〇〇

 デンゼル大尉の「発進」の言葉を合図に静かにアウル1はブルーベルから滑り出していく。

 大き目の小惑星が盾になるタイミングに合わせており、すぐにステルス機能をフル稼働させてから、僅かに減速し、ブルーベルからゆっくり離れていく。

 これから約五時間、慣性航行を続け、敵ベースのある小惑星AZ-258877に接近していく。

 アウル1の艇内は前方にある操縦室と後方にあるカーゴスペースがある。どちらも与圧してあり、ヘルメットを脱ぐことも可能だが、操縦室にいるデンゼル大尉はバイザーの開放のみを許可するだけでヘルメットを外すことは許可しなかった。

 兵たちはやや不満そうだが、特に声を上げる者はいない。


(半数ずつでもいいのでヘルメットを脱ぐ許可を与えてもいいのにな。まあ、不測の事態を考えたら、指揮官としては許可しにくいんだろうけど……)


 彼は共に座席についているラングフォードに、「兵たちに楽にするようにいってもいいんじゃないかな」と周りに聞こえないように囁く。

 ラングフォードは「大尉の許可が無いのに勝手なことはできない。君が人気取りのためにそうしたいなら止めないが、忙しい大尉にそれを具申しない方がいいと思うぞ」と否定的な意見を言ってきた。

 先任であるラングフォードの言質を取ったクリフォードは、PDAでデンゼル大尉に意見を具申した。


「四時間後の〇七〇〇まで兵たちに楽にするよう指示を出すことを提案します」というメッセージを送る。

 数分後、デンゼル大尉から操縦室に来るよう指示があった。

 彼が操縦の扉を開けると、緊張した面持ちで操縦室に着くデンゼル大尉といつものようにのほほんとしたニコール中尉が彼のほうを向く。


「ミスター・コリングウッド。さっきの具申はどういうことか」とデンゼル大尉がやや怒気を含んだ声音で彼に尋ねてきた。


 彼は「作戦開始時刻まで五時間程度あります。兵たちは緊張していますから、できればリラックスさせた方がいいと思いまして……」と言ったところで大尉の声が被さる。


「君は何か不測の事態が起こったときに対応できなくてもいいと言いたい訳か」と更に大きな声で問われる。

 いつもと違う大尉の様子に驚きながらも


いいえ、大尉ノー・サー。ですが、アウルの防御力で不測の事態、例えば敵の攻撃を受ければ、どのように準備していても全滅は免れません。そうであるなら、作戦時のために英気を養う方が建設的だと考えました」


 数瞬の間があり、大尉もやや冷静になったのか、「そうだな」と呟いたあと、艇内放送のマイクを取る。そして、「全員、楽にしてくれ。〇七〇〇までヘルメットも外すことを許可する」と指示を出した。


「ナディア、我々も交代で休憩しよう。最初は君から休んでくれ」と言った後、「私も少しナーバスになっていたようだ。すまなかった」と笑う。そして、「候補生、ご苦労だった。退出を許可する」と言って、にこやかに手を上げる。


 彼はカーゴスペースに戻り、ヘルメットを外した。

 横ではラングフォードが睨んでいるが、黙って自分のPDAを眺めることにした。


■■■


 アウル1が発進した直後、ブランドン・デンゼル大尉はかなりナーバスになっていた。

 前日の一〇〇〇(午前十時)に別働隊の指揮を命じられてから、ほとんど休んでいなかったことも原因の一つだが、真面目な彼は休む時間を与えられたものの休まなかった、いや、休むことができなかったのだ。


(作戦案の立案、志願者の選抜、潜入時の注意事項……、やること、考えることが多すぎて、パニックになりそうだ。自分に二十四人の部下の命が掛かっている。いや違う、潜入すれば全員が無事に帰ってこられることはあり得ない。だから、既に何人もの部下を殺す仕事をしているんだ……)


 彼は引き返すことができないところまで来ていることに焦りを感じていた。そして、選んだ部下たちの顔を思い出し、この中の誰が死ぬのだろうと考えていた。

 次席指揮官のニコール中尉が時折話しかけてくるが、最小限の受け答えしかせず、彼女も次第に無口になっていく。


 アウルが発進し、軌道が安定したあと、部下たちにバイザーの開放を許可した。

 ニコール中尉はシートへの固定解除とヘルメットを外す許可を出してはどうかと提案してくるが、「不測の事態に備えるため、許可できない」と憮然とした表情で答えた。


(リスクは少しでも減らすべきだろう。そんなことも考えないのか!)


 何とか罵声を浴びせることは耐えたものの、心の中では彼女の考えの無さを罵っていた。

 数分後、クリフォードからのメッセージが入った。

 内容はニコール中尉と同じ内容の提案で、彼はそのことに苛立ちを隠せなくなっていた。


「ミスター・コリングウッド、操縦室に至急くるように」


 彼はクリフォードが軽率な提案をしてきたことに対し、裏切られたような気持ちになっていた。


(クリフォードなら私の状況を理解できていると思っていたのに、やはり候補生と言うことか……)


 クリフォードが操縦室に来ると、「ミスター・コリングウッド。さっきの具申はどういうことか」といつもより強い口調で問い詰めていた。

 クリフォードが「作戦開始時刻まで五時間程度あります。兵たちは緊張していますから、できればリラックスさせた方がいいと思いまして……」と言ったところで、彼の言葉を遮り、「君は何か不測の事態が起こったときに対応できなくてもいいと言いたい訳か」と更に感情のボルテージを上げていく。

 いつもの彼なら部下の発言を遮るようなことはしないのだが、冷静さを欠く今の彼はそのことに気付いていなかった。クリフォードはいつもと違う彼の態度に一瞬だけ戸惑いの表情を見せるが、すぐに落ち着いた声で、話し始める。


いいえ、大尉ノー・サー……」と落ち着いた声で話し始めるクリフォードの声に、彼は自分が冷静さを欠いていたことに気付いた。


(何ということだ。士官学校を卒業して、まだ二ヶ月も経っていない候補生に気付かされるとは……兵たちも不安に思っているだろうな……だが、まだ間に合う。今から冷静さを取り戻せばいい……)


 そして、大きく息を吸い、無理やり笑みを作ってから、艇内に楽にするよう指示を出した。


(指揮官が常に張り詰めていれば、部下は不安に思うだろう。彼はそれに気付いたから、私の不興をかうことを厭わずに進言してきてくれたんだろう)


 クリフォードが聞けば、過大評価だといいそうだが、今の彼にはそうとしか思えなかった。


(艦長はそれが判っていて彼を私に付けたんだろうか? ナディアにも謝罪しておくべきだろうな……)


 彼は落ち着きを取り戻すと、ニコール中尉に謝罪し、余裕の笑みを浮かべるように努力し始めた。


■■■


 ナディア・ニコール中尉はさり気無くした提案に対し、強い口調で否定されたことに驚き、上官であるデンゼル大尉の様子に危惧を抱いていた。


(いつもの大尉と違うわ。大丈夫かしら? こんな作戦の指揮を任されればどうしても最悪の事態を考えたくなるのも判るのだけど……)


 そして、元々低いこの作戦の成功率が更に下がっていくと悲観していた。


(ああ、これは駄目ね。やっぱり副長ナンバーワンかロートン大尉の方が良かったかも……生きて帰れるかしら?)


 彼女は自分でものんびりとした性格だと思っているし、兵たちが陰で“のんびりやカームリィ”と呼んでいることも知っている。

 さすがに今はかなり緊張しているが、次席指揮官と言うこともあり、それほど重い責任を感じていない。

 だが、この状況を変える責任は感じており、何とかしようと必死に考えている。そのため、余計に無言になってしまい、重い空気が操縦室を支配していく。


(何とか無くちゃいけないんだけど……)


 そう思っていると、大尉のPDAに何かメッセージが入ったようだ。

 大尉は更に険しい表情になり、コリングウッド候補生を呼び出す。話を聞いていると自分の提案と同じ提案を候補生は行ったようだ。

 お気に入りだと思っていた候補生に対してもかなり強い口調で接しているが、コリングウッド候補生は少しだけ戸惑っただけで、すぐに落ち着いた口調で説明し始める。


(この子の声を聞くと落ち着くわね。どうしてかしら?)


 そう思っていると、大尉も同じように感じたのか、少しだけ余裕が出てきたようだ。

 彼女は黙って二人のやりとりを聞き、そして自分への謝罪の言葉を聞き、とりあえずの危機は去ったと感じた。

 彼女はヘルメットを脱ぐと、操縦室のリクライニングを倒して目を瞑る。

 そして、クリフォードのことを考えていた。


(どうしてこの状況であんなに落ち着いていられるのかしら? 死ぬかもしれないのに……うふ、副長から課題を与えられた時もあのくらい落ち着いていられたら、もっと評価が上がるのに……)


■■■


 サミュエル・ラングフォード候補生はアウル1の座席で苛立っていた。


(どうして、あいつはあんなに落ち着いていられるんだ? あの有名な父親の血がそうさせるのか?)


 彼は初めての実戦、それも危険な強襲作戦と言うことで、自分が選ばれてから一度も緊張を解くことができなかった。

 自分が死ぬかもしれないこと、ミスをして任務を失敗させてしまうかもしれないこと、自分のせいで誰かが死ぬかもしれないこと、そして、デンゼル大尉、ニコール中尉の二人が死に自分が指揮を執らなくてはいけなくなるかもしれないことなどを考えると、思考がグルグルと循環し、その度に緊張感が増していった。

 シフト免除中も無理に寝台に横になったが、本当は何か気を紛らせることをしたいと思っていた。最初のうちはコリングウッド候補生も眠れないようだったので、わざと寝息を立ててみたりしたが、そのうち、後輩の方が本当に眠り始め、余計に焦ってしまう。


 彼は子供の頃から宇宙軍に入ることを夢見ていた。それも兵としてではなく、士官として、将来は一艦を指揮する艦長になりたいと思っていた。

 十歳になった頃、この国の身分制度では平民である自分は士官になれないという事実を知った。彼は絶望しそうになったが、彼の両親はその夢を叶えるべく、騎士の養子になれるよう東奔西走し、何とか士官学校への入学資格を手に入れてくれた。

 士官学校では両親の期待に応えるべく、努力を続け、何とか優秀とされる全体の10%以内の成績を残して卒業した。

 配属先は身分の差を感じさせない、小さな艦であるスループを選んだ。

 一年が過ぎ、後輩がやってきたが、その後輩は貴族の生まれで、それも有名な軍人一家の長男だった。その話を初めて聞かされた時、やり場のない怒りが込み上げてきた。

 クリフォード・コリングウッド個人に対して思うところは無いはずだが、どうしても素直になれない。何か言ってしまう度に、自分は狭量な男だと思い、更に落ち込むが、一度掛け違えたボタンは容易には掛け直せなかった。

 今回の件でもそうだが、コリングウッドという男は自分の劣等感を増大させる存在だ。

 士官たちに堂々と意見を言い、結果的には彼の意見で今回の作戦が決められた。そして、今もカリカリしているデンゼル大尉に物怖じもせず、意見を言い、結果として兵たちの信頼も勝ち取っていく。


(俺とあいつの違いは何なんだ! どうしてあいつは……)


 彼は横でのんびりとPDAの眺めている後輩に嫉妬していた。

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