第10話 非常用通路→地上

 ――成功だ!


 誰か、知らない男の声が聞こえた。それに続いて、わっと何人分もの声が歓声のようにわく。

 うっすら開いた目で、周囲を眺めた。

 白い壁が見えた。壁にはところどころ隙間があり、その向こうにはいくつものディスプレイ。その更に向こうには、黒い箱のようなものにいくつものコードが繋げられているのが見えた。黒い箱は、まるで生き物が脈打つように、不思議な光を明滅させている。


 ――素晴らしい!

 ――いや、まだだ。生成が完了するまで油断はできないぞ。


 声が響く。そちらに意識を移す。

 白い壁と思ったものは、白い服を着た人間達だった。彼らは、硬いベッドに寝転ぶわたしを見下ろしている。

 視界がぼやけているせいか、彼らの顔は、ひどく歪んだもののように思えた。


 ――生成処理95%……96……97……

 ――もう少しだ……!


 声が、響く。

 寝ぼけたような意識の中で、苛立ちが募る。

 ……うるさい。


 ――なっ……なに!?


 驚愕の声を聞きながら、わたしはかたく目を閉じて、たゆたう闇に身を任せた。


 * * *


 ――ガコン、と音がして床が大きく揺れた。

「うわ、ちょっ……ふぎゃっ!?」

 その振動に耐えきれず、足がよろけて、踏まれた猫のような声を上げて尻もちをついた。

「くっそ……誰だよ設計者! 荒っぽすぎじゃん!?」

 真っ暗な空間の中で、一人叫ぶ。トウヤとシイナも近くにいるはずだが、見えない。自分の手すら見えないくらいに暗い。

 自分が目を開けているのか、そもそも本当に起きているのかさえ、分からなくなってくる。

「……トウヤ、シイナ、いる?」

「いる」

 低い声と、高い声。二つの音が重なるように届いて、ほっと安堵する。

 変な夢を見ていたせいか、これももしかして夢の続きなのではないかと不安になった。もし、トウヤとシイナと出会った事が夢で、本当はひとりきりだったとしたら。……さすがに心が折れるかもしれない。

 しかしつまり、わたしは立ったまま夢を見ていたわけか。そんな特技はなかったはずなんだけど。

 おまけに、白衣を着た人間に囲まれてたり、SF映画にでも出てきそうなマシンものが見えたり。何だってあんな夢を見たのだろう。

 そんな事を考えていると、ぱっと唐突に視界が明るくなった。連絡用通路に入る前の円形フロアの目が眩むような白さではなくて、ほどよい、わたしからしてみれば慣れ親しんだ明るさだ。

 その空間は、わたし達をここまで運んできたエレベーターの床面積より少しだけ広くとられている。形としては、おそらく長方形。わたしから向かって右手側の手すりの向こうにだけスペースに余裕ができていて、残り三辺は壁とほぼ接している。よく見れば、右手側の手すりにのみ開閉できる箇所が作られている。そこから出ればいいらしい。

 立ち上がって、トウヤとシイナを確認する。シイナは直立不動でわたしを見ているが、トウヤは戸惑っている様子であちこちに視線を向けている。なかなか個人差が出ている。

「……どこかな、ここ」

「……知らない」

「ですよねー」

 トウヤからのいろよい返事を期待してなんていなかったわたしは、トウヤの困ったような声を聞いて小さく笑いながら手すりの外側へ出た。奥の壁に、天井と繋がるように設置されているはしごがある。近寄ってその天井を見上げてみれば、正方形の切り取り線と銀色の取っ手が確認できた。

 迷うなんて無駄な事はせず、試しにはしごを上り、天井に取り付けられている取っ手に右手をかけてみた。左手ははしごを掴んで体を支えている。押すか、引くか。

「……引いたら頭にぶつかりそうだな。って事で押す!」

 びくともしなかった。仕方がないから試しに引いてもみたけど、それでもやはり一ミリだって動かない。

「んー……って事はロックでもされてんのかな?」

 となると、どこかに解除するための装置……スイッチのようなものがありそうな気がする。

 天井に向けていた視線を楽な位置に戻せば、視界の端に映った銀色の小さなボタン。それは横の壁に取り付けられていて、ボタンの上には赤いランプ。

「あったー! こんっなに分かりやすいのに、なんで見落としたかなー!」

 人間、一つのことに集中してしまうとそれ以外は結構見落としてしまうものだ。なんてずさんな認識能力。

 躊躇いなんて微塵もなしにそのスイッチを押す。カチン、と軽い音がしてランプの色が赤から緑に切り替わった事で、ロックが解除された事を確信する。特に何かが表示されてるわけじゃないけど、色が赤から緑に変わったって事で、十分その意味を汲み取れる。こういう認識はこの国もわたしの常識も大差ないらしい。不思議だ。

 再び右腕を上へと伸ばし、天上を押し上げる。

 あんなにがっちり閉まっていた天井の口は、今度はあっさりと開いた。

 少しだけ開いた空間から、慎重にこの外に広がるものをたしかめようとした。けれど、そこから頭を出す前にぴくりと体が硬直する。

 カツン、カツン、と音がした。――足音だ。

 それを認識すると同時にほぼ反射的に身を縮めて天井のドアを元通りにしていた。

「タカラ?」

「しっ」

「…………?」

 不思議そうなトウヤと、無表情……いや、ゴーグルのせいで表情さっぱりわかんないけど多分無表情なシイナに向けて「静かに」と合図を送る。トウヤがなおさら不思議そうにした。

 しまった。二人は「しーっ」と言われたところで、その意味まで分からないのだ。

「……ちょっと静かにしててっ」

「……了解した」

 小声で伝えると、トウヤが小声で返事した。……わたしの真似、なのかな。やだ、何だか可愛いじゃないか。わたしより体大きいのに。

 天井と睨めっこするのも精神的に辛いので、トウヤとシイナを見下ろす。

 ……すでに笑いの波は去ったが、トウヤがボトルを斜めがけストラップで提げている姿は、どう見てもおかしい。このスタイルはどうしても、小学生の遠足風景が連想できてしまう。シイナはひたすらほほえましいが、トウヤはおかしい。なにせわたしより体が大きい。年齢も彼のほうが上だろう。果てしなくミスマッチだ。

 ふと、そういえばと今の自分の服装を振り返った。学校の制服だ。つまり、スカートだ。下に男を残してはしごにのぼるなんてはしたないって、友達に嘆かれそうだ。想像して、苦笑する。気づいてしまえば気にならないわけがないのだが、今は非常事態だと割り切る。トウヤとシイナはその辺りに興味なんてこれっぽっちもないだろうし。……ただし今後は気をつけよう。

 つらつらと、結構、かなり、どうでもいい事を考えながら、耳はひたすら天井の向こうの足音を追いかけた。多少無理な姿勢を自分に強いているから、腕や脚の筋肉が時間の経過とともに「この姿勢しんどい」という信号を送ってくるが、状況が状況なので強制スルー。

 ……耐えろ、わたし。

 腕とかすっごいプルプルしてるけど全力で耐えるんだ!

 ――カツン、カツン……カツ、……。

 足音がだんだん小さくなっていく。耳を澄ませていると、遠い足音がいくつも聞こえてくるのが分かった。近くを通っていたと思われる一際大きかった足音は、遠い足音の群れの中にまぎれて判別がつかなくなる。それから更に数秒、じっとそのままの姿勢で堪えた後、わたしは再び天井のドアをそっと押し上げた。

 白い。白しか見えない。そこが屋内なのか、屋外なのか、その判断材料すら見当たらない。

 視界が狭すぎると判断し、体を少しだけ捻って視界を右方向に移動させると、何人分かの足が見えた。ていうか足しか見えない。

 分かってはいたが、ひとがいる。いや、この国ではパーツか。

 突き出していた頭を内部に引き戻し、天井のドアをそっと閉めた。それから、大して高さのないはしごを降りる。だいたい普通の室内の一階分の高さだろうが、それでも落ちれば足を痛めかねない。下手を打たないよう、慎重に降りる。

 無言でトウヤとシイナがわたしを迎えた。無言でじっと見られる。表情もあんまりないせいか、何だか怖い。

 何だこのリアクション、と本気で焦った。が、すぐにわたしが「静かにしてろ」と言った事を思い出した。律義すぎる、こいつら。

「……もうしゃべってもいいよ」

「了解した。……何があった」

「側を誰かが通ってたから……ていうか、この上、結構ひと……じゃない、パーツがいるっぽいんだけど……」

「……私が見る」

「へ?」

「この上が国のどこなのか、私なら分かるかもしれない」

「……まあ、そらそうだ」

 わたしはこの国の事なんてトウヤに聞いた程度の事しか知らないのだから、当然この国のどこがどうとかはさっぱりだ。トウヤとシイナ、どちらもこの国の住人なわけだが、二人を比べれば、国内の情報についてはトウヤのほうが遥かに詳しいだろう。何と言っても管理パーツなのだから。監視カメラや死角の位置まで頭の中に叩き込まれてるくらいだ。わたしでは何も分からなかったが、トウヤなら何か分かる可能性は高い。

「じゃあお願い。ただし、見つからないように気をつけるんだよ」

「了解した」

 わたしが許可を出せば、トウヤは流れるようにはしごに向かい、上っていく。わたしはシイナと並んでそれを下から見守る。

 気がつけば、当たり前のようにわたしが司令塔ポジションになっている。これでいいのか、疑問に思った一秒後、いい悪いではなく司令塔になれるのがわたししかいないのだと思い直す。

 トウヤは国内に関する知識は豊富だが、それ以外については圧倒的に無知だ。シイナは国内についてすら詳しくないかもしれない。武装パーツとして不要な情報は与えないとか、とてもあり得そうだ。

 大問題なのは、この国を脱出するための知恵が二人にはないという事。わたしだってそんな知恵を持っているわけじゃないんですが。何せ平和ボケしすぎと言われるような国で生まれ育った人間なので。それでも、二人よりはかなりマシなのだろう。

 だから、わたしが行動の実行不実行を判断する立場になっているのは、ある意味当然だ。

 不思議なのは、トウヤが自然とわたしに行動の許可を求めてくるところだ。わたしが何を言ったわけでもないのに、トウヤはわたしの決定を待つ。提案まではできるが、わたしが「そうしよう」と言わなければ実行に移さない。

 シイナの頭が視界の隅に引っかかる。

「……あれ、もしかしてわたし、トウヤにまでマザーとやらの代わりにされてますか……?」

 あり得る、超あり得る。

 管理パーツは他のパーツに比べればマザーへの依存率は低そうだが、まったく依存していなかったわけでもないだろう。今まで判断を頼ってきたものだ。突然なくなれば、当然困る。

「……くそぅ、なんかずるい。わたしだってできれば指示される側に回りたいよ……」

 何と言っても、指示された事をするのは楽だ。重い責任が生じない。

 しかし、何をどう愚痴ったところで、トウヤやシイナに任せる事は難しい。無事にこの国から脱出できるか否かは、わたしがかつてないほど頭を使っていかに危険を回避するかにかかっている、という事か。

「……ハードル高いなオイ……」

 結論を出して、諦めて、大人しく現状を受け入れる事にする。

 ちらりと隣で直立しているシイナを見る。ゴーグルのせいで正確にどこを見ているかは定かでないが、多分トウヤを眺めているはずだ。

 無防備に投げ出されていたシイナの小さい手を握った。シイナの顔がこちらに向く。わたしは安心させるように笑って見せた。シイナには意味なんて通じないだろうが。

 小さな手。けれど、あたたかい手。

 自分達はパーツだと彼らは言うが、今わたしが握っているものはそんな無機物などではない。

 生きている。

 この子にも、トウヤにも、わたしと同じように、血が通っている。

 心臓が動いている。

 生きてるのだ、ちゃんと。

 トウヤもシイナも、わたしが巻き込んだ。ちゃんとしなくちゃ。

「タカラ」

 上のほうから名前を呼ばれて、顔を上げた。トウヤが天井のドアは開けたまま、わたし達を見下ろした。

「地上だ」

「ほ、ほんと?」

「ああ」

 ――地上。

 その単語に、少しばかり胸が高鳴った。何故なのかはいまだ不明だが、この国で目を覚ましてからずっと真っ白な壁に包まれた地下空間にいた。非常通路は白くなかったが、閉じきった空間であるという点では変わらない。

 ものすごく外が恋しい……そんな気がした。

 しかし、この上ではおそらく何人もの国の住人達が闊歩している。このまま出て行くのは、危険かもしれない。もっと歩き回ってる住人の数が減る時間帯を待つべきか、と考えて、そんな時間があるのかと頭を抱える。カメラの存在も気がかりだ。

 わたしが考え込んでいる間に、トウヤがはしごを降りてきて、わたし達の前に立つ。

「この真上はシカクだ」

「え……」

「周辺を歩いているパーツはいる。しかし、危険はない。武装パーツの姿はない」

「……うん、ええ、っと……? 武装パーツがいなきゃ危険はないわけ……?」

「そうだ。イレギュラーの捕獲は武装パーツの役割だ」

「…………なんっつーか……アンタらのお仕事区分って結構厳格なのな……」

 パーツごとに役割が振られている、とは聞いた。しかし、どうもわたしが想像したよりもそこには厳格なルールがあるらしく、他のパーツの領域に踏み込む事はないらしい。本当に、自分の役割以外の事には関わらないらしい。

 そういう事なら、確かにトウヤの言うとおり、危険はないかもしれない。しかし、そうときっぱり断じてしまうのは怖い。もし、トウヤの認識がすべてではなかったら、どうなる。マザー辺りが臨機応変な判断をして、武装パーツ以外のパーツにわたし達の捕縛指令を出す可能性もゼロではない。

「……や、でも武装パーツよか全然マシか」

 管理パーツというそこそこ重要そうなポジションにいたトウヤが銃器類を携帯していない事から、そういった武器の携帯は武装パーツに限られていると考えていいだろう。銃は恐ろしい。あれが向けられないと思うだけでもかなり気が楽だ。

 少し迷う。もう少し上を歩き回ってる住人が減ったほうが、安全性が増すとは思う。しかしトウヤの言葉によると、今この周辺には武装パーツがいない。この国から脱出するにあたって一番危険な要素は武装パーツのはずなので、この事実は大きい。歩き回る住人の数が減っても、そこに武装パーツがひょっこり現れたら意味がない。おまけにこの場所がいつまでもマザーとやらにばれない保証も、ない。

「……ええいもーなるようになっちまえ! 上に出るよ!」

 わたしが下した判断に、トウヤとシイナはもう何度目になるかもわからない「了解した」を吐き出して、はしごに向かった。

 これでもしもすぐさま武装パーツとかち合ったとしても、トウヤを責めたりはしない。人間の視覚による認識なんてのはなかなか適当なものだ。つい先程自分で身を以て実感した。トウヤから見えない位置で、しかし比較的近いところに実はいたりする可能性は、なきにしもあらずだ。そのときはそのとき、運が悪かったんだと割り切って。

 全力で逃げるべし。

「捕まるのも廃棄されるのもごめんだいっ」

 となれば、行動は迅速に。トウヤが上り、シイナが上り、わたしもできるだけ急いではしごを上った。


 そしてわたしは、ぱっかりと大口を開けて、この国の姿を眺めた。

「しっっっっっっろ……!」

 白い。とにかく白い。

 舗装されている足下の道から、建築物の壁まで、すべてがすべて白だった。さらに、あちらこちらを闊歩している国の住人の衣類も白。トウヤの服もシイナの服も白だったのでぼんやり予想できてはいたが、どうやらこの国において衣類は全部白色の布地等で作られているらしい。

 トウヤとシイナを見比べてみる。基本デザインは同じようだが、グローブや胸当ての有無など辺りでパーツの役割ごとに違いが出るようだ。

 やっぱりこういう服なんかの用意を担当する専門のパーツがいるのかな。

「うええ……きれいを余裕で通り越しちゃって怖いわ、ここまで来ると」

 わたし自身は、別に白色が嫌いなわけではない。むしろ普通に好きだと思う。きれいだと思う。だが、これはあくまで通常の状況においての感覚だ。ここまで異様なほど白色で埋め尽くされてしまうと、逆に気味が悪い。おまけに、白は光を反射するからただ眺めているだけでも目が疲れてしまう。地下にいる間なんて、目がおかしくなるんじゃないかと本気で思ったくらいだ。

 こうまで徹底されると、無機的な印象が濃くなる。生活感がないし、何よりあたたかみが感じられない。あたたかみのある色とは何だ、と聞かれると少し考えるけど。個人的な意見としては、木の色がいい。茶系の色で、木目つきならなおよし。わたしのこれまでの人生十六年、木製の家具がない生活はなかった。遊びに行った友達の家にもあった。机、イス、ベッド。だから、そう感じるのかもしれない。

「……いやいやそれどうでもいいじゃんね!」

 ずれた思考が引き戻す。

「まあ、ここに『生活』っつー概念があるかどうかも怪しいからな。真っ白なのは、まあいいわ」

 見慣れないほど白い街並みに戸惑いはしたが、いまさらびっくり仰天まではしない。

 どちらかと言えば、場違いみたいにきっちり整備された花壇の存在に驚いた。

「……見事に花だらけだな」

「創った花の栽培をしているからな」

 わたしの独り言に、トウヤが返して来た。

 花を創っている、という話は聞いていた。地下の通路の側面に、何種もの花を飾っているのもこの目で見ている。創ってある程度育てた後はああして保存しているだけなのだと勝手に思い込んでいたんだけど、どうやらごくごく普通に花を育ててもいるらしい。

 別に驚くほどの事でもないのかもしれない。しかし、わたしはあんぐりとして目の前の風景を眺める事しかできなかった。

 花壇は、わたし達が今立っている道の左右から、見えなくなるくらいずっと向こうまで続いている。また、わたしから見える限りのすべての道、すべての建物が、花壇に囲まれていた。

 花壇なので、もちろんそこには花が植わっている。茶色い土を覆い隠すように咲く赤い花、黄色い花、青い花。種類ごと、さらに色ごとにもきっちり分類され、整然と植えつけられて、道や建物だけなら無機質でしかないこの国に自然の色を与えている。

「っと、鉢植えやプランターもあるのか」

 よく見ると、白い鉢植えやプランターが建物の出入り口に所狭しと、しかしやはり綺麗に並べられている。窓からも花が見える。

「――何、これ」

 心底、異様だ、と思った。

 この国の在り様については、ある程度トウヤから聞いている。花があちこちで咲いている事に不思議はない。

 けれど、何かが違う。

 花は間違いなくきれいだ。道も建造物も白ばかりの中で花の色は一際輝いて見えるし、ほのかな甘い香りも心に優しい。

 けれど、道行く住人達も花壇の世話をしている住人達も、表情がぴくりとも動かない。

 トウヤとシイナはともかく、この国の中においてわたしは明らかに異質な存在だ。髪の色も、目の色も、服装すらも、この国の基準から大幅にはずれているはず。なのに、気にかけるような素振りを見せる住人は一人もいない。視線さえ向けられない。

「いや向けられるとそれはそれで困りますけどもね……!」

 聞こえるのは彼らが歩く音、衣擦れの音、かすかな風の音くらい。話し声らしきものは一切聞こえてこない。不自然な静寂が、妙に息苦しい。

 そんな中で、花だけが我関せずときれいに咲いている。

 ――それがどうして、こんなにさみしく思えるのだろう……。

「タカラ、何か問題があったか」

「え……あー、うん、や。何でもない」

 トウヤに呼ばれて、へらりと笑い返した。

 考えても仕方がない。わたしはこの国の住人ではないし、とっととこの国から脱出しようと考えている身だ。自分が、トウヤが、シイナが、無事にこの国を出る事。この光景に引っかかるものはあるが、とりあえず今は、脱出する事だけを考えるべきだ。

「……よっし、切り替えてこー!」

 パン、と両手で頬を軽く叩いて、まっすぐ前方を見る。

 この国は建物の高ささえ均一で、飛びぬけて大きなものも小さなものも存在しない。しかし、まっすぐに伸びる道は大きな壁に遮られている。

 即座に頭に浮かんだのは、『防壁』という単語だった。どうやらこの国は大きな壁に囲まれているらしい。あの壁までの距離を目測する事はできないが、かなり距離があると思う。ここは平地らしく、また道もまっすぐなため壁の手前まで何とか見えるのだが、

「……ミニチュアかっつの」

 むしろミニチュアのほうが大きいかもしれない、というレベルの小ささ。

 今度は上に視線を投げてみる。空は案外狭かった。

「……え、は? こんなもん?」

 いやいや、と首をひねる。さすがにいくら何でも狭すぎる。地上の面積のほうが明らかに広い。

 おかしいと思い、空を切り取っている枠線に視線を移した。それはこのルーデル・ポリスを囲う大きな壁の上端にあたるらしい。じっと、その上端から下のほうへと視線を滑らせてみる。

「うな? カーブして、る……? もしかしてあれ、半ドームみたいな感じなのか?」

 空が狭いと感じた理由は、それらしい。下は広いが、上は狭い。国を囲む壁が、そういう風になっているようだ。

「……この形状で崩れないのか。建築技術すげーな……どうなってんだろ」

 壁の上端につながる形で、空に太めの線が走っている。何か分からないので、保留。

 空が狭い割には明るく感じる。よくよく周辺を観察して見れば、巨壁に照明器具が取りつけられているようだった。遠いためはっきりとは分からないが、おそらく壁に等間隔で並べられている丸いものは照明器具だと思う。そこが一際白い。

 体をくるりと反転させると、背の高い建物がずぅんとそびえていた。均一な高さに揃えられた建物群の中、これは別らしい。

 この建物も、外壁はやっぱり白色。周囲は他の建物同様花壇やプランターに囲まれている。一階上に行くごとに面積が狭くなっているようだ。直径の違う高さが低めの円柱が一個ずつ積み上げられたようなつくりをしている。一階と二階の差になっていて外気にさらされている一階天井上からは、やはりというか何というか、赤とか青とか黄色とかその他色々な色がちらちら揺れている。たぶん、あそこも花壇になっているのだろう。

「スペースの有効活用度ハンパねえ……」

 その心意気にはいっそ感服する。

 この建物は一体何階まであるのだろう。見上げて数えてみようと思ったが、距離が近すぎて上のほうがほとんど見えない。というか、首が痛い。ので、早々に諦めた。

「トウヤ、これ、何階建て?」

「十三だ」

 即答だった。さすがは管理パーツ。

 視線を少し落としてみる。円柱として見ると高さ低めだが、一フロアと考えればそれなりにありそうだ。わたしの中の常識的な十三階よりははるかにのっぽな気がする。

 はっきり見えるわけではないけど、おそらくこの建物の一番上、十三階の天井、つまり屋上と外壁をつなぐように、放射状に太い線が空を横切っている。あれが何なのか気にはなるが、ひとまず確認すべき事項としての優先度は低いだろう。

 視線の高さを本来の位置に戻して、トウヤを見る。

「……トウヤ、普通外に出るにはどうするの?」

「通常は、あちらに設置されている門を通る」

「……門!?」

 トウヤが右手をすらっと伸ばして指し示した方面には、遠目に見ても分かるほど重厚そうで立派そうな大きな門が背の高い外壁に作りつけられていた。

 この国と、外の世界を繋ぐもの。そんなものが普通に存在しているという事に少しばかり驚く。

 質問しておいてなんだが、実はトウヤからは「外なんて出ない」という答えが返って来るのではないかと思っていた。

「へえー……この国の住人も外に出る事とかあんのか。……いや、それってどうなの? それでいいの!? あり得るの!?」

「問題があるのか」

「いや、うん、普通はないんだけどね。この国はちょっと……変わってるから」

「そうなのか」

 外にはこの国に持ち込んでしまうと管理社会としてのシステムが破壊されそうなあれやこれやそれやがわんさかと溢れているはずだ。この国が今の状態を保つには、トウヤのように現状に疑問を抱くような事があってはならないだろう。『知りたい』と思う事すらタブーになっていそうだ。それを発生させないために一番必要な事は、おそらくは《閉鎖》。思考へとつながりそうなものに触れさせないよう、外の世界から隔離し、拒絶する。

 トウヤは、この国以外に国があるという事を認識していなかった。だから外部との交流はないものだと思ったし、おそらく基本はそれで間違いないだろう。

 そうして国の住人達がドロップアウトするのを防いできたのなら、外に出る事は間違いなくマイナス要素だ。そんな事をしょっちゅうしてたら、間違いなくイレギュラーがわんさか発生する事になる。イコール、廃棄パーツ大量発生。そうなるとかなりの頻度でパーツを入れ替える必要がある。

 あり得ない、とは言わない。しかし、それはシステムとして問題あり、という気がする。コストパフォーマンスすごく悪そう。

「……トウヤ。外出るのってどんなとき?」

「三日に一度、武装パーツが外部の掃討作業に出る。直近で十四時間前に、作業に向かった武装パーツが戻ってきている」

「…………」

「…………」

「それだけ?」

「そうだ。他、非常時には管理パーツにも開門許可が降りる」

「ああ……マザーからね」

「そうだ」

「……ところで、《掃討作業》って何?」

「外敵を駆除する作業だ。武装パーツの役割に含まれる。武装パーツ運搬用の車輌を用い、武装パーツと使用する武器を敵拠点ポイントまで運び、武装パーツが敵拠点ポイントを攻撃する」

「……その《外敵》ってのはどういうの?」

「私は見た事がない」

 トウヤがシイナを見る。質問相手をシイナに変えてみる。

「シイナ、掃討作業に出た事ある?」

「ない」

 武装パーツのはずなのに、シイナは外に出た事がないらしい。もしかして、武装パーツの中にも役割の住み分けみたいなのがあるのだろうか。そう考えたわたしの隣で、トウヤが説明を補う。

「シイナはカプセルから出て日が浅い。掃討作業は稼動開始から一年以上経ったパーツのスケジュールだ。シイナが掃討作業を行った事がないという事実に、異常はない」

「……へぇ」

 結局のところ、《外敵》とやらについての情報はまるでないという事になるのだが。深刻に考えるのは後にしておこう。とにかく、この国の外には何かしら生命体が存在している事だけはたしかになった。今は、それが常識的な一般人間である事を祈ろう。

「っと。ちょっとズレたな。本筋に戻るか」

 やはり基本的にはこの国の住人が外出する事はないらしい。『非常時には』と但し書きがついている時点で、管理パーツでも外に出る事は通常ないのだろうと考えられる。

 外へと通じる門を通り抜ける事ができるのは、基本的に武装パーツだけ。武装パーツのスケジュールはマザーが管理しているのだろうし、管理パーツが相手でもマザーが門を開けてもオッケーという判断をしなければあの門は開かない。

「……もういっそマザー制圧するか?」

 いやいやどうやって。そもそもマザーが具体的にどういうものなのか、どこにあるのか、あるいはいるのかも分からないのに。

 最初はそんなに気にする事ではないかと思っていたのだが、よくよく考えると武装パーツよりマザーのほうが数段厄介なのかもしれない。

「なんかラスボスって感じがしてきた。何てこったい」

 自分の見通しの甘さが嘆かわしい。が、素通りしてきてしまったものは仕方がない。どうすれば目の前の問題をクリアできるのか、今重要なのはその一点だ。

「……あのさ、トウヤ。マザーってさ、えーっと、パーツ?」

「マザーはマザーだ」

 返答に言葉がつまる。現時点のトウヤに聞くのは無理があったかもしれない。

「……じゃあ、どこにある? のかな」

「《塔》の最下層だ」

「塔?」

 わたしはちらりとすぐ側に屹立している背高のっぽさんを見上げ、確認のために指差してトウヤを見上げてみた。トウヤが「そうだ」と肯定する。

「やっぱこれか! これの最下層……って……」

 最下層……一番下? ってことは一階? まさかのすぐそこ? マザー制圧フラグか?

「地下十三フロア目だ」

「え? 地下?」

 なんか予想の斜め下いった。

「…………ちょ、ちょっと待って。……もしかしてわたし達がさっきまでいたのって……この塔の地下?」

「そうだ」

「そういう事かー!」

 理解した。地上十三階、地下にも十三階、計二十六階の建物なのだ、このデカブツは。

「……んじゃあ、やっぱマザー制圧はなしだな」

 どうすればいいのかも分かっていないが、たとえどうにかできるにしても、もう一度地下深くにまで戻るのは避けたい。せっかく武装パーツとマザーの目を盗んで地上に出てきたのだ。このまま外を目指したほうが建設的だろう。

「ラスボスと戦うにはステータス足りなさすぎだしね、うんうん」

 何せバトルできるのがシイナ一人。トウヤは知識豊富だけど、応用力ないし。わたしはただの女子高生だし。逃げるが勝ちだ。

 他の脱出手段を考えよう。

 武装パーツの掃討作業に潜り込んで門を通って脱出、という方法も選択肢としてなしではないかもしれないが、マザーにばれたら大変な事になるので却下。リスクなしで脱出が無理だとしても、武装パーツの群れに入り込むなんて、いくらなんでもリスクが高すぎる。見つかった時点でジ・エンドだ。

 ふと、壁とつながっているものが改めて視界におさまった。

 視線を上へと滑らせる。塔の天辺から伸びるもの。線にしては太くて、橋にしては細い何か。それは塔のてっぺんと国を囲む壁の上端とを結んでいる。

「……ねえ、トウヤ、あれは何?」

 上空を見上げたまま尋ねる。トウヤが首を動かしてそれを確認し、上を向いたまま答える。

「あれは水路だ」

「水路? あんなとこに?」

「雨水があの水路を伝い、外壁内の浄水場へ届き、国に必要な水を精製する」

「あ、水で思い出した! トウヤ、この辺に蛇口とかない!?」

「『ジャグチ』とは何だ」

「えぇっと……水が出るところ!」

 若干求められた説明とはちょっとずれているが、今わたしが求めているのは水が出る場所なので、間違っていない。……と、いう事にしておく。そのうち訂正しよう。

「それなら、あそこだ」

 トウヤが指で示した先にはあったのは、白い壁の下のほうから伸びる白いホースだった。おそらく花壇の水やり用に取り付けてあるのだろう。

 わたしはその場から動かないまま、目を凝らしてそれを観察した。今立っている場所はカメラの死角だが、そこから動くとマザーに見つかってしまう。

 ホースの周辺に、水を出したり止めたりするようなスイッチらしきものは見つからない。

「トウヤ、あれの使い方知ってる?」

「ヘッド付近に操作用パネルが取り付けられている。パネル上のボタン操作で、水の放出と停止を行う」

「水の放出なんかはマザーが管理してるわけじゃないんだね?」

「水の放出と停止は《散水パーツ》の役割となっている」

「散水までパーツ仕事!?」

 という事は、他にも肥料あげるパーツや雑草の処理するパーツなどがそれぞれいるのか。住み分けが思った以上に細かい。

「……まあいいか。とにかく、水が自由に出せるならオッケー!」

 後で忘れないようにボトルの中に確保しておこう。

「じゃあ本筋に戻るよパートⅡ! ――上の水路ってさ、幅がどんくらいか分かる? こんなには……ない、かな?」

 両手を軽く持ち上げて、手のひらを向かい合わせるようにして、自分の胴体がすっぽり収まるくらいの幅を示してみた。トウヤは数秒、わたしの両手を無言で見下ろしていた。少ししてわたしの両手を掴んで、左右に押し広げる。

「……こうだ」

「……けっこー広いのなー」

 わたしどころか、トウヤの胴体もすっぽりだ。

「……ちなみに、あの水路、あっちの壁につながってるんだけど……ひょっとして壁の天辺も水路だったりする?」

「そうだ」

「幅はやっぱりこんくらい?」

「いや。その三倍はある」

「はー、広いなー。そんで、あの壁はただの壁じゃなくて、内部に施設があるんだね? 浄水場とか言ったよね、さっき」

「そうだ」

「よしきたぁ!」

 思わず両手でガッツポーズ。

 雨水がその水路を通って壁内部の浄水場へ送られる。つまり、外壁上の水路から下に向かうところがあるはずだ。水の通り道的なものだけという事はないだろう。機能的トラブルや不測の事態に備えてパーツが行き来できるような設備になっていないと問題ありだろうし。運がよければ、壁の内部から国の外へ出る方法が何かあるかもしれない。最悪、外壁の天辺から降りるとか。……その場合、ロープか何かがいるな。

「……ノーロープバンジーとかしたら絶対死ぬな、あの高さは」

 注意深く周囲を観察して、使えそうなものがあったら頂戴しよう。とりあえずは、外壁の内部に潜り込む。それしかない。

 わたしは思い立ったその内容をトウヤとシイナに伝えた。二人は黙々とわたしの話を聞き、「それでいい?」と尋ねたら「了解した」と返事をしてきた。

「って違うからー! えっと……ほら、こうしたほうがいいんじゃないかとか、思う事あったら言ってよね、遠慮なく」

「ない」

「でーすーよーねー!!」

 トウヤとシイナの揃った即答に乾いた笑いが浮かぶ。

 二人の頭には「外へ出る=門を通る」くらいしか思い浮かばなかったはずだ。あるいはそれすら浮かばないかもしれない。そのように教育されてるはずだと思う。

「分かってるよ……分かってんだけどさ。切ないっつーかむなしいっつーか……」

 不安なのだ。わたしが勝手に考えて、勝手に決めて、勝手に行動に移そうとしているみたいで。

 わたし一人の判断で全てが決まる。その重さが、恐ろしい。

「うぅ、くそ……失敗しても責めるなよ!?」

 いや、そもそもこの二人に責めるという感覚自体ないだろう。実際、トウヤが「何を言っているのか分からない」と言いたげな視線をわたしに向けている。

 分かっている。最初から、分かっていた事だ。シイナはもちろん、トウヤにも判断能力などという上等なものはない。ある意味で、彼らは何も知らない子供のようなものなのだ。責任を負えるのはわたししかいない。それは、わたしの《役目》だ。

 両手で、少し強めに頬を叩く。

「……っし。腹くくれ、成海宝良!」

 次に向かう先は決まった。目的は最初から変わらない。覚悟があろうがなかろうが、動かなければ終わりしかない。

 動き出すしかないのだ。その先にあるものが、何かも分からなくても。

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