第9話 倉庫スペース203→非常用通路
ボトルの栄養液を摂取し終えると、タカラが大きく呼気を吐き出し、それとともに「あー」という音も吐き出した。
《タカラ》。
それがこの、見た事のないパーツの名称らしい。
タカラは私を《シイナ》と呼ぶ。それは私を表す名称ではないし、そもそも私に個別の名称はない。
しかしタカラは私を《シイナ》と呼ぶ。識別番号を尋ねられたので答えたが、タカラがそれを正しく繰り返す事はなかった。
タカラは私を《シイナ》と呼ぶ。《シイナ》とは私の事だ。それを理解していれば問題はない。
タカラは《トウヤ》と呼ぶパーツと一緒に行動するようだ。
トウヤは見覚えのあるパーツだ。何のパーツかは知らないが、少なくとも見かけた事があるパーツである事には間違いない。
トウヤも私を《シイナ》と呼ぶ。《シイナ》という言葉が私を指しているものである事は理解しているから、問題はない。
私はタカラからの指示を待つ。
タカラはじっと、見た事のない形状の荷物入れらしきものの中を見た。そのまま三秒。タカラは付属しているファスナーを動かした。ファスナーは武装パーツのポーチについている物とほぼ変わらない。タカラの入れ物はポーチより大きく、コンテナよりは小さい。素材はコンテナよりも、ポーチよりも柔らかいもののようだ。立体的な長方形だが、辺の線はいくらか歪んでいる。角の部分は丸くなっている。上方の二つの長い辺からは一つずつ輪が突き出している。タカラはその輪に手をかけ、そこに腕を通して輪を肩まで移動させた。
「うっし……トウヤ、シイナ、立って。行こう」
「了解した」
タカラが立ち上がり、指示を出したので、私とトウヤはそれに答えた。
私は、トウヤを見たとき、トウヤもタカラと同じものかと認識したが、そうではないらしい。指示を出すのはタカラ。トウヤはそれに従う。トウヤは、タカラより、私に近い。
私とトウヤが指示通りに立ち上がっている間に、タカラは素早い動きで栄養液を詰めたコンテナから再びボトルを二本取ってきた。タカラは私に一本、トウヤにも一本渡す。
「はい、これ、提げといて」
「……ストラップのボトルを取り替えるのか」
「そうそう」
トウヤが取るべき行動を確認し、タカラはそれを肯定した。私とトウヤが肩から胴体に斜めにかけているストラップと空になったボトル。タカラは、そのボトルと今手に持っている新しいボトルを入れ替えろと言っている。もともとこのストラップは、ボトルを所持したまま移動するためにあるものだ。使い方に間違いはない。私とトウヤは指示に従う。
タカラは私とトウヤを見比べて、動きを止めた。素体が小さく震えている。タカラは顔を右に逸らし、口に手を当てた。
「くっ……や、やばいコレっ……笑える、シイナはともかくトウヤがめっちゃ笑えるっ……! でっかい小学生かっ!」
私とトウヤが呼ばれたが、指示らしき言葉は見当たらない。私はタカラの指示を待つ。トウヤも待つ。タカラは震えている。わずかに見える口の端が上方に向かおうと歪む事を繰り返している。そのまま三十秒。
タカラは大きな動作で空気を吸い込み、吐き出し、震えは止まり、口の形も平常化した。タカラが私とトウヤを見る。
「……あれ、シイナ、それ……」
指示ではないが、タカラの右手の人差し指が私の右手に向かっている。私は目線を下に向け、私の右手を見た。ゴーグルだ。私の右手は、私のゴーグルを握っている。本来なら私の視界を補佐するために目を覆うように装着しているものだが、先ほどタカラの指示で取り外した。ゴーグル越しではない視界は、ゴーグル越しの視界とは色が違った。
タカラは私と目を合わせて言う。
「それ、元通り付けてようか」
タカラの口の線が、緩く弧を描く。
「でも、そのうち何にも見えなくなると思うから。そうなったら、改めて外そう」
「……了解した」
私の右手で握っていたスコープを、元通りの位置に戻す。見慣れた視界に戻る。ただし見慣れた記号の羅列は一切ない。視界の中のタカラを認識する。トウヤを認識する。タカラの情報もトウヤの情報も一切視界に現れない。これからは、これが私の視界なのだろう。
私とタカラとトウヤは倉庫スペースから出て、フロアの通路を駆け足で進む。国内での駆け足は基本規則で禁じられている。しかし、タカラは走るように私とトウヤに言う。だから、私は走る。トウヤも走る。
先頭を行くのはトウヤ。私とタカラはそれを追う。
トウヤが止まる。続いて私とタカラも止まる。
タカラの視線が一箇所に固定される。私はタカラの視線を追いかける。
白い壁の中に、赤い丸いものが埋め込まれている。壁は浅くくぼみ、赤い丸いものはそのくぼみの中にある。くぼみは透明なものでフタがされている。透明なフタは壁より少し出っ張っている。
「これ、カバー壊したらいいんだよね?」
「…………」
タカラの問いかけ。私は知らないので答えられない。トウヤも答えない。
タカラがトウヤに顔を向けた。
「……ちょいと、トウヤ?」
「……本来は、メインシステムエリアの専用端末に規定のコマンドを入力して扉を開閉する」
「え、つまりトウヤ、このボタンの役割知らないの?」
「知らない」
トウヤの回答を聞き、タカラは首を根元から前方に折り曲げた。
「トウヤー……一体どうやってこの先に行くつもりだったのさー」
「…………」
「分かった、考えてなかったんだな」
「……カンガエテナカッタ」
タカラの口から大きな呼気が流れ出し、その後すぐにタカラは頭を元の位置に戻した。それから再度赤い丸いものを見た。
「……ま、普通に考えてこのボタンだな。とにかく押してみよう。って事で、このカバー、壊さないとね」
「破壊行動なら、武装パーツが適任だ」
トウヤが私を見る。タカラも私を見る。しかし、タカラの視線はすぐさまトウヤに移動する。
「……シイナ?」
「この場に武装パーツはシイナしかいない」
「……ですよねー」
タカラが私を見る。口を閉ざしたまま、私を見る。私はタカラの指示を待つ。
「……シイナ。ちょっとその、拳銃? 貸してくれる?」
「了解した」
指示に従い、私は腰から銃を抜き、銃身を握ってタカラに差し出した。タカラは銃に手を伸ばし、触れる直前でほんの数センチ手を引き戻したが、すぐにまた手を伸ばして銃のグリップをしっかり握った。
「ありがとう、シイナ」
「…………」
呼ばれたようだが、初めて聞く言葉に、返す言葉が見つからない。
「タカラ、さっきも言っていた、その《アリガトウ》とは何だ」
トウヤも知らない言葉だったようだ。トウヤは時折こんな風に、私にはわからない言葉の応酬を、タカラとする。
「感謝の言葉だよ」
「……《カンシャ》とは何だ」
「……えーっとだな……。誰かにしてもらった事とかで、嬉しいなあって思う事?」
「…………」
「……分かんないよね、うん、分かってるから! 無理に理解しようとしなくていいよ。そのうち頭パンクすんぞ」
言いながら、タカラが銃身を握る。そして、右腕を少し掲げる。グリップが天井を向く。
「……せぇ、のっ!」
タカラが声とともにそれを振り下ろすと、一瞬高く音が鳴り、同時に銃のグリップの角が壁の透明なフタの内側に侵入した。
「うっし。はい、シイナ。返すね」
返却された銃を、再び腰のホルダーに収める。タカラは右手の人差し指を赤い丸いものに向かって突き出す。タカラの右手の人差し指が、先ほどタカラが銃を使用してつくり出した透明なフタの孔を通り抜ける。
「軽く念願だねえ……というかまさかもう一度見えることになるとはってか。……いやいやどうでもいいね? よし、ほんじゃいっきまーす。――ポチっとな!」
タカラの指が赤い丸いものに触れる。赤い丸いものを奥に押し込む。
カチリ、と小さな音が静かに響いた。
直後、その隣の壁が駆動音を立てて消失した。
「……開いた」
トウヤが言いながら現れた大きな孔を眺め回す。
「開きましたー」
タカラが言いながらその孔の中に踏み込んでいく。
私はタカラの後に続いた。私の後にトウヤが続く。
孔の中は通路に比べて光量が少ないようだ。ゴーグルが自動的に暗視モードに切り替わった。
「……暗い」
「あっちは明る過ぎだけどね」
「そうなのか」
「……まあ、トウヤ達は慣れてるんだろうけどさ。わたしからしてみるとあっちは目がチカチカして、すんごい疲れるよ。目が痛くなる」
タカラとトウヤが言葉を応酬している。トウヤは動かないが、タカラは孔の周辺の壁を手で探っている。
「ん、っと……ないかなー…………、おっ?」
タカラの声が跳ねた。ガシャコン、と音がした直後、孔の内部の光量が増加したようだ。しかし、ゴーグルは暗視モードのままだ。やはり孔の外側よりも光量が少ない事に代わりはないらしい。
「あったり!」
タカラの右手は、壁の突起物を掴んでいる。レバーのようだ。
「それで、通路の照明を点灯したのか」
「うん。さすがに暗すぎだし、非常通路に非常ボタンとくれば、絶対なんかあると思ったんだ。よし、進むぞー!」
「了解した」
少しだけ明るくなった通路を、私とタカラとトウヤが進む。気が付くと、先頭にはタカラが立っていた。タカラの後を、私とトウヤが追いかける。
カツン、カツンと、三つの規則性を持った足音が孔の中に響く。明るい通路を歩くときよりも高く、軽い音だ。
孔の中の天井には、規則的に照明が取り付けられている。窓のようなものは一切ない。孔はまっすぐ奥へと続いている。
「……ねえトウヤ。この通路の外ってどうなってんの?」
「……知らない」
「そっかあ」
タカラとトウヤがそう応酬した。それきり孔の中に響く音は私とタカラとトウヤの足音だけになった。
しばらく経った。
先を歩いていたタカラがぴたりと足を止めた。私とトウヤもその後ろで止まる。
前方数メートル先には壁がある。行き止まりだ。
「……ねえトウヤ。これ、どうやって外に出るの?」
「…………」
「……ちょ、おまっ……まさか、外に出る方法そのものを知らないの?」
「……そうだ」
「マジですか。……でも、外には出れるはずなんだよね」
「……そうだ」
「じゃあ、それを信じて、ちょっと探りますか」
「……『シンジテ』とは、何だ」
「トウヤが言ってる事は間違ってないって思う事」
タカラは私とトウヤを置いて、前方の壁に駆け寄る。それから、孔の入り口でしたように、手で壁のあちこちを探り始めた。
トウヤは少しの時間を置いて、タカラの後ろについて回り始めた。タカラからの指示は一切なかったが、トウヤはそう動いた。
私は、私も、指示がなくても動くべきなのだろうか。ふと、そんなものがどこかを過ぎった。
――そんなはずがない。
指示があって初めて行動がある。そうであるべきだ。タカラは指示を出すものだから勝手に動くのは当たり前だ。もしかしたら、私に聞こえないだけでタカラに向けてどこかから指示が出ているのかもしれない。トウヤにも。
指示を待つ私を置いて、タカラはトウヤを引き連れてあちこちを探る。
ふいに、タカラが移動を止めた。視線は床に向かっている。タカラは前へ、後ろへと移動を繰り返し、履物で床を叩いた。何かを探っているようだ。
「んー……やっぱり、ちょっと違うな」
「何がだ」
「音。ほら、ここと、……ここだと、音が違う」
行き止まりの面よりも私に近い場所でタカラが床を鳴らす。歩いている間中響き続けていた高く、軽い音。タカラが一歩、行き止まりの面に向かって進み、再び床を鳴らす。ガン、と先ほどに比べて硬く重そうな音がした。
「……違うか?」
「違うよ! トウヤ、違い分かんない? シイナは? 同じ音に聞こえた?」
「違う音だ」
問われたので、認識したままを答えた。トウヤは何も答えなかった。
「……管理パーツと武装パーツだと五感の認識に差が出るのかな」
タカラはそう言った。何の事だかはよく分からない。
タカラが床に膝を付き、タカラの指が床に触れ、何度も同じ場所を行き来する。今度は膝を折ったまま一歩前に進み出る。それからまた床を探る。
しばらく繰り返して、ふいにタカラが目を細めた。
「んー……なんか書いてあるな、ここ……なんだろ」
タカラの指が床を擦る。トウヤが腰を下げる。
「……見えない」
「薄くなっちゃってるなー……あっ」
カチン、と床の中で音が鳴った。直後、私と、タカラとトウヤを遮るように柵が下から伸びてきた。柵はタカラとトウヤを囲むように、正方形を作る。高さは私の胸部下ほど。
タカラの前の床に四角い穴が開き、その穴と同じ形をしたものが伸びて行く。それは太い棒のように長く伸び、トウヤの腰あたりで動きを止めた。
タカラが立ち上がり、床から伸びた太い棒を上から見下ろす。トウヤの腰ほどの高さになっているそれは、タカラの胸部下あたりの高さでもある。棒のように伸びているが、何かの台のようだ。上端は斜面になっている。タカラに近いほうが低く、遠いほうが高い位置になっている。
「あー……うーん……これ、多分こっちが前であってるんだよね」
「分からない」
「ああ、うん。気にしないでいいよ、独り言だから」
「……『ヒトリゴト』とは何だ」
「第三者の反応を期待せずに口にする言葉、かな。うん、とにかくこっちが前って事は……これは『上』、こっちは『下』……バッテンマークは、やっぱ『閉じる』とか『終了』とか、そういう感じだよね、きっと」
「タカラ、それもヒトリゴトか」
「そうでーす」
タカラの右手の指が台の表面をなぞるように動いた。続いて台を軽い動作で何度か叩き、それから十秒も経たないうちにタカラが私を見た。私に向かって腕を伸ばし、手首を上下に動かす。
「おいで、シイナ」
「…………」
動作の意味も、言葉の意味もわからない。しかし、『オイデ』という言葉は以前にもタカラから発せられたような記憶がある。
「あ、そっか、分かんないのか……。シイナ、『おいで』って言われたら『こっちに来い』って事だと解釈して」
「了解した」
そうだ、たしかあの時も、タカラは直後に「こっちへ来い」と指示を修正していた。オイデ。こっちへ来い。同じ意味なのか。
ようやく命令内容を理解し、私はその通り、タカラと私の間に立つ柵を飛び越え、タカラの隣に立った。
「二人とも、念のため周りの手すりに掴まってて」
「手すり……この柵の事か」
「そうそう、それそれ」
「了解した」
私とトウヤが、近くの手すりを片手で掴んだ。タカラは台の前に立ったままだ。
「『上』か『下』か、ね。そりゃーもちろん、……」
タカラが台の上平面に向けて右手の人差し指を突き出す。そして、ピ、と音がした。
「『上』へ参りますよ、っと」
連動するように、床が揺れた。素体が不安定に傾いだが、手すりを掴んだ腕に支えられ、床に横転する事はなかった。非常に大きな駆動音が鳴り、数秒後には、足は平常時と変わらない状態で床に着いているというのに、素体の内部のものが床の下に押し込められるような感覚がやって来た。この感覚は、知っている。エレベーターを使用して上のフロアに向かう際と同じだ。
天井が頭頂部へと近づく。トウヤの頭頂部が天井に衝突するよりも先に、天井は駆動音とともに動き、四角い穴を開ける。ちょうど、私とタカラとトウヤを上へと押し上げている床の面積と同じ大きさの四角い穴だ。
私とタカラとトウヤは、その穴の中へと押し込まれた。
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