第8話 倉庫スペース203
ゴーグルを外した事で明らかになったシイナの容貌は――べらぼーに可愛かった。
子供らしく幼い輪郭に、トウヤに負けず劣らず白いだろう肌。トウヤと同じ髪の色、長さ、だけどシイナのほうが少しくせがあるようでふわふわしている。瞳の色もやはりトウヤと同じで、どこか透明感のあるグレー。気力が感じられる眼差しとはお世辞にも言えないが、トウヤより大きな瞳はシイナの幼さと可愛らしさをより強調する。
これは成長したらとてつもない美形になる、と簡単に未来予想図が描けてしまった。ぜひとも拝みたいものだ。
「トウヤも美形だし……何これ楽園? わたしってば両手に花? 普通この場合『花』っつったら女子だけどさ、まあ別にいいよね、そこは。いやあ、眼福眼福。……でもわたし一人普通に平凡で若干いたたまれないですヨ!?」
並ぶトウヤとシイナを見比べて、一人盛り上がるわたし。トウヤは何か言いたそうに、シイナは無表情ながらもどこか戸惑った様子でこちらを見ている。
トウヤはおそらく、この状態のわたしには何を聞いてもまともに答えてはもらえないと学習したのだろう。実にスマン。シイナは、わたしの言葉の中に指示になりうるものがあるか、考えているのかもしれない。どちらも無表情には違いないのだが、それでもなんとなく何を考えているのか分かる。不思議だ。
美形さんと可愛い子に見つめられるなんて経験はこれが初めてなもので、わたしはいろんな意味でドッキドキだ。何というか、場違い感がある。いや、場違いなんだけど。
「……いや待って、わたしおかしくないよね? 普通だよね!? 普通は普通だよね!」
トウヤとシイナが普通ではないのだ、わたしの感覚では。いろんな意味で。
「うん、よし、解決!」
勝手に自己完結して満足して、冷たい壁に背中を預ける。ひんやりとした感触が思いのほか気持ちよくて目を閉じる。
その感触が気持ちいいと感じるのは、体が熱を持っているからだ。もともと、動物の体は常にある程度一定の熱を保っているものだ。しかし、今はそれとは別に体が火照っている。原因は明白。走ったからだ。しかも階段を駆け上がって駆け下りた。普通に平地を走るよりしんどい。呼吸のリズムはだいぶ整ったが、運動によって上昇した体の熱はまだひかない。
ふるり、と体が小さく震えた。体の中は熱いくらいなのに、肌寒さを感じる。冷房でもついているのかもしれない。
深く息を吸い込み、吐き出す動作をしてみて、空気が喉にはりつくような感覚に気がついた。そういえば、頭も少しくらくらしているような……、
「……あ、そだ。水……」
体育で動き回った後、水分が欲しくて欲しくて仕方がなくなる、その感覚に似ている。というか、水分が欲しくなって当たり前だ。本気で本気の全力疾走、しかも間に休憩を挟んでいるとはいえ五階分くらいは駆け上ったのだから。階段を上るのって、どうしてあんなに疲れるのだろう。
隣に鎮座するスクールバッグのファスナーを開いて、中からペットボトルをつかみ出す。わたしはここで目を覚ます前、帰りの寄り道の途中だった。朝コンビニで買った水は当然消費されていて、ペットボトルの中身は半分以下になっている。三分の一もないかもしれない。これは危険、レッドランプが点灯しそうな状態だ。今欲しい分すらこれでは足りない。普段ならそれほど大量に水を飲んだりしないのだが、今なら五百ミリペットボトル一本分くらい余裕で飲めてしまう。
「ねー、トウヤー」
「何だ」
「どっかで飲み物とか手に入らないかなー。なるべくマザーに見つからないルートで。……なーんて」
聞いてはみたものの、いろよい返事は期待していなかった。そんな都合のいい話、そうそうあるわけがない。
「『ノミモノ』とは何だ」
「って、そこからー!?」
さすがにこれは予想してなかったぞ。
「……ちょ、まっ……『飲料水』、とか知らない?」
「知らない」
「み、『水』、は、分かる……?」
「それは分かる」
「よ、よかったー! これ通じなかったらどうしようかと思ったわ!」
心底驚いた。『飲み物』が通じないなんて、どんな文化形成しているんだ、ここは。
いや……そもそも文化というものがあるのかどうかも怪しい感じだが。
「そういう感じのもので、ひと……じゃなくて、トウヤ達パーツが飲むものっていうか……」
「素体維持のために摂取する液体の事か?」
「液……っ!? いや、まあ、うん……そんな感じ?」
頷くには少々抵抗感があったけど、間違ってはいない。……いない、はずだ。水も液体には違いないのだから。が、『液体』と表現した途端、飲料としてのイメージが大幅に薄れてしまうのは何故だろう。
言葉が持つイメージって、すごい。
「少し待て」
「うな?」
トウヤがすっくと立ち上がり、数歩分離れたところに積み上がっていたコンテナを一つ抱えようとした。しかしどうやら持ち上がらなかったようで、諦めた様子でコンテナから手を離す。簡単な留め具で閉められていたフタをはずして、中からボトルのようなものを取り出して戻ってきた。そして、それをわたしに突き出す。
「……何これ」
「栄養液だ」
「えいよ……なんスかその激しくビミョーな名前……」
ヒクリと顔が引きつる。
しかし冷静に考えてみれば、トウヤ達はパーツ、つまりモノ扱いされているわけだ。パーツの維持のために必要な栄養を含んだ液体、という事でそういう名称になった……の、かもしれない。こんな事をトウヤに聞いたところで解決するわけがないので、そういう事にしておく。
ところで今のトウヤの行動は、カメラに映ったのではないだろうか。そう長い時間でもなかったが、不安だ。あまりここでのんびりしてもいられないかもしれない。
いや、そもそものんびりすること自体論外なんですが。
「あ、ありがと……」
ひとまず、栄養液とやらを受け取る。
こんな都合の良い事あっていいのかなー、と思わなくもない。が、困らないし。というかぶっちゃけ助かるので、いいって事にしてしまおう。
ざっとボトルの形状を観察する。ボトルはボトルでもペットボトルではなく、水筒のようなものだ。ひんやりした丸っこい円柱型のフォルム。まあボトルなんてのは基本的にそういうものなんだけど。角々してるボトルとか、想像するとすごく違和感ある。
大きさは、わたしの左手にある五百ミリリットルのペットボトルより二回り大きいくらい。上にしているほうには、横にしゅっと線が一本走っている。その線の真下の位置には突起が二つ、線で結べば見事に縦半分にボトルを分断できるように配置されている。
「いや、分断しないけどね!」
左手で持ったままだったペットボトルを床に置き、その手でボトルを固定して右手で線より上の部分を掴んで手前に捻ってみる。大した抵抗もなく、ボトルの上六分の一くらいが本体から分離した。
「……ですよねー」
当然、フタだ。その下からぴょこんと飛び出してきたのはストローだった。ボトルに付属しているものらしい。
一旦フタを閉めてそれを床に置いて立ち上がる。トウヤとシイナの視線が追いかけて来きたが、それはとりあえず流す。
トウヤがボトルを取り出してきたコンテナの中を覗き込む。中は板で二つに仕切られていた。ボトルが横たわって詰め込まれている広いスペースと、紐状の何かが束になって放り込まれている狭いスペース。
紐らしきものを一つ手に取ってみる。素材は分からないが、輪になっているわけではなく、伸ばせば直線になる。平たく、平面積は紐というには広めだ。両端にはプラスチックらしきものが取り付けられていて、その中央あたりは輪郭に沿わない図形がくり貫かれている。
「……ふむふむ、なるへそねー」
こんなに都合の良い事が連続して発生しちゃってていいのかなーとは思う、が。
「ラッキー」
困らないからよし。
コンテナからボトル三つと紐四つをひったくって元の位置に戻り、二人にボトルと紐を一つずつ渡していく。
「トウヤ、シイナ。二人もこれ持って」
「何故だ」
「用心。この外がどうなってるかわからないけど、飲み物だけでも確保しておけばだいぶ違うと思うから。……さすがにここに固形物までないよね。あるならもらってっちゃうんだけど」
「固形物……固形物をどうする」
「いやどうするって、もちろん食べるに決まって、……………………は? ちょ、何言った? 今何言っちゃった?」
素で答えかけて、ふとトウヤの反応に、なんというか、不穏な響きを拾い上げた。気のせいかな。気のせいであってほしい。
トウヤはいつも通り、真顔だ。むしろわたしのほうが何を言っているんだ、と言うような目を向けてくる。
「……待て、待てやオイこら。まさかとは思うけど、パーツって固形物食べないの!?」
思わず顔を近づけて問い詰めると、トウヤは不思議そうに首を傾けた。
端正な顔が間近にあっても気にならない、というか別の理由ですごくドキドキするんですが。
「『タベナイ』とは何だ」
「…………………………………………………………………………………………………………。」
果てしなく面倒くさくなった。聞かなかった事にしてしまいたい。
そんな時、くぅ~、とお腹が鳴いた。
「はうあ!?」
……しまった。『食べる』なんて言っていたら、自分の中の空腹感が思い切り刺激されてしまったらしい。
左手に巻きつけてある腕時計に視線を落とすと、時針が十、分針が三と四の間を向いている。この時計が示している時間が正しいかどうかは判断しようもないし、この国においても正しいかどうか疑問だが、他に時間を示すものはない。今はこれを頼る事にする。つまり現在、夜もしくは朝の十時十五分過ぎ。どちらにしても、空腹は必然だ。最後にまともに食べたのは、昼に食べたコンビニのいちごジャムパンなんだから。
「……改めて考えるとまともかどうかもあやしい気がしちゃうなあははん……」
いやでも、おいしいじゃないですか、いちごジャムパン。
再び鞄の中に手を突っ込み、がさがさと音を立てながらビニールの袋を取り出す。おやつという名の非常食、一口チョコレートだ。幸運なことに、昨日(最後の記憶になる日常を今日ということにして)新しく買ったばかりで、量はそれほど減っていない。しかも、コンビニとかで手に入るような小さいパッケージではなく、スーパーのお菓子売り場にある大袋なので、かなり量はある。チョコレートは栄養価が高くて、遭難時の非常食としてもよく知られる。……まあ、日常で言えば高カロリーなので、食べ過ぎは良くないんだけど。甘いものは活力の元だ。
「……今ほど自分が甘党で良かったと思ったことはないわ」
苦笑しながら袋を開け、中から二粒拾い上げてトウヤとシイナにそれぞれ一つずつ差し出す。
「はい、トウヤもシイナも手を出してー」
上向きに広げられた二つの手のひらの上に、透明なビニールに包まれた状態のチョコレートを落とす。それから、大袋からもう一粒、自分の分を取り出して、少し上に掲げた。
「この茶色いものは、チョコレートといいます」
「『チョコレート』……」
トウヤが小さな声で繰り返した。
「食べ物です」
「『タベモノ』とは何だ」
「トウヤ達風に言うところの、素体維持のために摂取するもの、固形物版」
「そんなものがあるのか」
「あるんです。ただしこのままでは摂取できません。はい、こうやって包みを開いてー」
二人に見えるように、ねじれた両端を逆にねじってチョコレート本体を外気にさらした。トウヤがわたしの真似をする。動かないシイナには、真似するように言った。
「で、これを口の中に入れます」
言って、チョコレートを口に放り込む。チョコレートの濃厚な甘さが口の中いっぱいに広がる。口に入れただけなのに、脳みそにまでその甘さが届いたようで、じんわりと弛緩したような気がした。どうやらわたし、自分で思った以上に疲れていたらしい。
トウヤは勝手に私の真似をして、やっぱり動かないシイナにはもう一度真似をするように言った。
トウヤの目が驚いたみたいに丸くなる。それはまだ予想の範囲内だったけど、シイナの目まで丸くなるとは、ちょっと思わなかった。
「……何だ、これは」
「んっふふー。それ多分、『甘い』って感覚だよ」
「『アマイ』……」
「味覚の一種ね。味覚ってのは舌で感じるものの事。他にも『苦い』とか『辛い』とかあるんだけど。まあその辺はおいおいね」
チョコレートを口に含んだままなので、しゃべるとくちゃくちゃ音がして行儀が悪い。しかし、すぐに胃に収めてしまうにはもったいない甘さだ。癒される。
かと言って、ずーっと口の中に入れとくわけにもいかない。
「んで、これを歯で潰したり……」
言って、口内の熱ででろでろ溶け出していたチョコレートに歯を立ててみた。くちゃ、と気持ち良いとは言いがたい音がして、口の中の甘味が濃さを増したような気がした。トウヤとシイナの口がもごもごと動く。シイナは少し学習したようで、もうわたしが何も言わなくても勝手に動いて見せた。子供の吸収は早い。実際の年齢は知らないが、体格からするとおそらく小学校高学年から中学生といったところだろう。
このまましゃべり続けるのもアレなので、甘味への未練を断ち切り、それを食道に押し込んで胃に落とした。
「っていう動作を噛むっていうの」
「……知っている」
「お、そっか。で、水分を飲むみたいに飲み込む。この一連の動作が『食べる』って事」
「…………。なるほど」
トウヤの喉が上下に動いて、それから納得したように呟かれた。シイナはまだもごもご口を動かしている。小動物みたいでべらぼーに可愛い。
「シイナ、おいしい?」
「…………」
思わず聞いてみたが、シイナから返事はない。
「……あう。そっか、『おいしい』って事も分からないんだな……」
トウヤもシイナも、人生損している。まあパーツには人生など関係ないんだろうけど。おいしい物が食べられるというのは、生きる事の立派な醍醐味だと思う。
こくん、とシイナの喉が上下に動いた。ようやくチョコを飲み込んだらしい。
「……もう一個食べる?」
「…………タベル」
また一粒つまみ出してシイナに聞いてみれば、シイナが無表情のまま、けれどグレーの瞳に期待の光を映し出して、手を差し出して来た。わたしは小さく笑って、シイナの手にチョコレートを乗せる。シイナはさっきの一連の動作を繰り返した。チョコレートを口に入れたシイナは、無表情なのにものすごく幸せそうに見える。それを見ているだけで、少し癒された。
わたしは笑顔のまま、袋からもう二粒取り出し、一つをトウヤに差し出した。トウヤは何も言わなくても手を出してきた。わたしはそこに一粒乗せる。
「本当に知らないの? 『食べる』」
「知らない。初めて行った」
「ふーん……」
という事は、そこのボトルの栄養液とやらだけで体を維持してきたのか。
そんな事が可能なのだろうか。わたしからすると現実性が皆無なのだが……しかしそもそも、国の住人がパーツ扱いというあたりで十分すぎるくらい非現実的だ。それに、必要なだけの栄養素がその栄養液とやらに含まれていれば、可能なのかもしれないという気がしなくもない。
「……難しい事なんて分かんね」
早々に理解を放棄。
手に持った包みを開いて、チョコレートを口に入れる。その甘さを十分に堪能してから、てろてろ溶け出しているチョコレートに歯を立てて、胃に入れる。
正直なところ、物足りない。空腹感を満たすには、圧倒的に量が足りないのだ。しかし、今あまり食べるとこの先で問題になりかねない。今確保できている食料はこれだけだ。大事に食べていかないと。
チョコレートの大袋を鞄の中に戻し、今度は傍らに置いたボトル一本と紐一本に手を伸ばす。
「んで、これはたぶん……」
試しに、紐の片側をボトルの突起の一つに合わせてみた。カチ、という音がして、見事にはまる。紐のもう片方の端もボトルの余った突起にはめ込む。紐は、ボトルを挟んで輪っかになった。やはり、この紐はボトル携行用のストラップだったらしい。
ストラップを肩から斜めにかけ、じっとこっちを見ていた二人に振る。
「こうなるわけ。二人もやって」
「了解した」
二人分の返事を受け取り、わたしはストラップつきボトルを肩からおろす。
わたしの言葉通り、ボトルにストラップを取り付けて肩から斜めにかける二人を横目に確認しながら、わたしはスクールバッグの中身を眺めた。
教科書、ノート、筆記用具、手帳、ハンカチ、ポケットティッシュ、お財布、携帯電話、チョコレート。少し迷ってから、教科書とノート、それに筆箱を鞄の中から取り除く。
武装した連中から逃げるのに、荷物が重いのは不利だ。できるだけ軽くしたい。
教科書は、痛い出費にはなるがまた買えばいい。ノートも新しく買って、友達に見せてもらえばいい。
「……手帳は……一応持って行くか。メモに使えるし。となればペンがいるよね」
筆箱から黒ペン二本(普段使ってるものと予備用、二本持ち歩いてるのだ)取り出し、一本は手帳のペンホルダーに、もう一本はバッグの内ポケットに。
「お財布はいるでしょ。ケータイは……」
スリープモードのそれを手に取り、フォームボタンを押してディスプレイを表示する。相変わらず圏外表示。
「……まあ、ここ地下だし。地上に出たら電波あるかもだし。ていうか家族も友達も連絡先この中にしかないし」
当然持って行く。
「ハンカチとティッシュもまあ一応。チョコは必須でしょ。あとは……」
外に出してあった水のペットボトル。見れば喉の渇きを思い出した。シイナは分からないが、トウヤは絶対喉が渇いているはずだ。何も言わない上に行動を起こさないところを見ると、おそらく自覚はないのだろう。ちょっと変だな、と思うくらいなのだろう。……ちゃんと見とかなきゃ絶対倒れる、コイツ。
ペットボトルを手にとって、キャップを空け、現れた空洞を唇で挟み込む。そのまま顔を天井に向け、ごっくごっくと中に残っていた水をすべて飲み干した。
「ふっはー、生き返るー!」
空になったペットボトルを口から解放して、一応キャップを閉めておく。どうしようか少し考えて、バッグの隣に置いた。
「トウヤ、シイナ。ちょっと喉や口の中がこう、はりつくような感覚ない?」
「ある」
二人分の即答を得た。
「やっぱりな! それね、『喉が渇いてる』ってサインなんだよ。水分を取らないといけないの。ということで、こいつの出番です!」
コンテナから頂いてきたボトルを一本手に取る。二人の視線が私のボトルに集中した。
わたしはボトルのフタを開け、それから頭を突き出しているストローに口をつけた。ゴム製なのか、柔らかい感触が唇から伝う。
「喉が渇いたら水を飲む。……水限定じゃないけどね。これも水じゃないしね。つまり水分、トウヤ達風にいうところの、体を維持するために必要な液体を飲め、という事だな。わたし達の体は、ちゃんと水分摂らないとすぐダウンしちゃうから。あ、液状のものなら何でもいいってわけじゃないから、そこ要注意! 飲んでいいものか分からないだろうから、ちゃんとわたしに確認する事!」
「了解した」
すると、二人ともそれぞれのボトルを手に取り、フタを外してストローを口に含み、じゅじゅっと音をさせた。わたしはその様子を観察しながら口元にある柔らかいストローを歯でかむかむする。
どうやら『飲む』という行為については詳しく説明しなくてもよさそうだ。考えてみれば、この栄養液は普段から飲んでいるものなんだから、当然だ。喉が渇いたら水分摂取、という基本的な公式が成り立っていないだけなのだ。
それにしてもこの栄養液とやら、どんな味なのだろうか。気になって少し吸い上げてみて、
――激しく後悔した。
「っ!? に、にっが!? 苦い! 苦すぎ! っつーかまっず! 何これ超まずい! なんじゃこりゃー!? トウヤ達、普段こんなもん飲んでんの!?」
本当に人生損しているな、こいつら。
ストローを口から離し、ごっほごっほと咳き込むわたしを見る二人の視線は、不思議そうだと思った。
「これは『ニガイ』のか」
「……少なくともわたしはそう思う」
「そうか」
言って、トウヤは再びボトルの中身を吸い上げ始めた。慣れているのかもしれない。日常的に飲んでいるわけだから。
しかし、これがこの先の水分になるのか。ちょっと、何と言うか、こう……躊躇う。背に腹はかえられないという事は分かっているつもりだが、それにしたってこれは厳しいレベルのまずさだ。
「……何でできてんの、これ」
「廃棄物から生成しているはずだが」
トウヤが首を傾げながら、答えた。わたしは言葉を失った。
……はいき、ぶつ。
わたしは一度だけその単語を脳内で再生して、決めた。
「わたしは何も聞かなかった。何にも聞かなかった! ――ってできたらいいよねくっそー!!」
何故人間は時間を巻き戻す事ができないのか。せめて記憶から完全に抹消する術くらいないものか。
「ううう、深く考えるな、考えるな、わたし!!」
……うん、無理。
「……トウヤ。これ以外の飲み物って手に入らない?」
「パーツが摂取する水分はこれだけだ」
「……。あ、花!」
「花?」
「花、創ったら育てるんだよね? 花には水やるよね? その水は手に入らないかな」
「あれを飲むのか?」
「飲めそうなら」
「……地上に出れば入手は可能だ」
「ホント!? やったー! ちょっと希望持てた!」
ほっ、と安堵して。じっ、と手の中のボトルを見下ろす。
正直なところ、今すぐこのボトルを投げ捨てたい。しかし、そういうわけにもいかない。うまくすれば普通の水を手に入れられる可能性は出てきたが、確実ではない。現時点で確保できる飲料はこれだけなのだ。
この国がどれだけ広いのか分からないし、国の外がどうなっているかも分からない。生きるためには食べる事も飲む事も必要だ。特に飲む事。固形物はしばらく口にしなくても生きてけるけど、水分はちゃんと摂らないとまずい。どこかでそんな事を聞いたか読んだかした。どのくらい生きていけるのかとか、そういう詳細は忘れたてしまったが。
衝動を押し込んで、二本のボトルをスクールバッグに詰め込んだ。一応、ストラップも一緒に入れる。わたしはバッグがあるから必要ないが、今後何かの役に立つかもしれない。ストラップ自体は軽いから、問題ないだろう。
……トウヤとシイナの分は、この倉庫を出る前に新しいものを調達したほうがよさそうだ。
いまだにストローを口に含んでちゅうちゅうしている二人を眺めて、そう思った。
「……この国の外で普通の飲み物が手に入るといいなあ。なるだけ早く」
今はとにかく祈るしかない。
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