第2話 メインシステムエリア
いつからだったろうか。腹部の底に、重く得体の知れない何かが溜まり始めたのは。
最下層のメインシステムエリアで《マザー》の映像記録のチェックを行いながら、ふと網膜の向こうに浮かんだのは、廃棄処分されるパーツ達の姿だった。
この国は、至るところにカメラが取り付けられており、《マザー》はそれを常に記録し、保存している。その映像に異常がないかチェックするのは、《マザー》および《管理パーツ》の役目だ。映像に異常があれば、その原因を見つけ出し、修復しなくてはならない。
もちろん、一つのパーツでその作業を行うわけではない。現在このエリアには、私以外に四体のパーツが存在し、私と同様の作業を行っている。それぞれ規定の活動時間が終了すれば、別のパーツと交代する。
保存されない時間帯というものは存在しない。カメラはいくつも存在するため、保存される映像記録は膨大な量になる。
パーツの維持には相応の手間がかかる。栄養の摂取、適度な休息など、諸々の作業に時間を割かなければすぐに使い物にならなくなってしまう。ゆえに、この国では一日の時間を四つに区切り、交代で役目を果たしていく。パーツとしての役目を果たしている以外の時間は、素体維持のための休息、メンテナンスにあてられる。
廃棄処分の映像を見るのは、それが初めてではなかったはずだ。廃棄処理は一定期間ごとに行われる。当然、廃棄場のカメラに異常がないかを確認する必要があるため、その内容の確認は必須作業だ。ゆえに、私の中に刻まれていくその時々の記憶というものは存在するが、映像の再生が終了してなお目の前で再生されるという事はなかった。記憶として留めておくべき情報は重要なものであるべき。その情報には重要性はない。留めておく必要性はない。
では、何故そのような記憶が視界を奪うように現在再生されているのか。もちろん、実際にディスプレイに映し出されているわけではなく、私の中に残された記憶が私にだけ見えるように再生されているのだ。
その映像の中で、一体のパーツが廃棄場から出て行こうとしていた。それは警備を担当していた《武装パーツ》に取り押さえられながら、頭部を激しく左右に振りまわし、眼球と外皮の隙間から出てきたらしい水の粒を無軌道に振りまき、口腔を大きく開いたり閉じたりしながら、左右の腕を《武装パーツ》に引っ張られ、廃棄場の中央へと戻された。
数秒後には廃棄処理は終了していた。廃棄場から出て行こうとしていたパーツも予定通り廃棄された。
再生されるのはほんの数分の映像。しかし、この短い映像は時折、今のように、私の視界の邪魔をする。記憶から消去してしまっても作業に何一つ差し障りのないこの情報は、何度も何度も、私の目の前に現れる。
そしてその度に、腹部の奥底に重たいものが積み重なり、気がつけばそれは胸部のあたりを圧迫するようにまでなっていた。呼吸活動がはかどらなくなる事もある。呼吸活動は、パーツが素体を維持するためには必須活動だというのに。
ふるり、と頭部を軽く左右に振り、中断していた作業に戻る。カメラの映像を横目で確認しながらコンソールをゆったりと叩いていく。これまでに何度も繰り返してきた作業だ。手元を誤る事もない。
積み上がるようにいくつもあるディスプレイには、それぞれ別の映像が映し出されている。例えば訓練スペース。《武装パーツ》が銃器やナイフの訓練などで動き回っている。異常なし。例えば倉庫スペース。コンテナが積み上げられている。異常なし。例えば備品製造スペース。新規稼働予定のパーツのための装備品を専門のパーツが製造している。異常なし。例えばメンテナンススペース。休息中のパーツがメンテナンスベッドに入り、メンテナンスパーツがステータスを確認している。異常なし。パーツ製造スペース。液体に満たされたカプセルが並び、その中には稼働前の小さなパーツ達。異常なし。
――しかし、そうして作業を再開しても、どこかに何かが引っかかるような感覚は消失しない。
まだ新しいパーツだった。素体のどこかに異常が出ている様子はなかった。異常だったのは、その行動。廃棄場から出て行こうとする事。《武装パーツ》を振り払うように暴れたこと。眼球の隙間から流れ出た水。
あれはおそらく、《イレギュラー》と呼ばれるものだ。
この国は一つの目的を果たすために存在している。私も他のパーツも、その目的を果たすためのパーツだ。与えられた役目を務め、この国を目的達成へと導くために製造される。
素体の異常以外の何らかの理由でその役目を放棄したパーツを、国は《イレギュラー》と呼ぶ。
イレギュラーを実際にこの目で見た事はない。イレギュラーはマザーに発見され次第武装パーツに拘束指示が出され、拘置エリアの一室に収容される。その後、定期的に行われる廃棄処理時に合わせて処分される。そのために空いた作業の穴は、一時的に同じ作業パーツによって埋められ、その後は新たに生成されるパーツによってサイクルを元通りにする。
素体に異常が発生した、稼働年数が規定を超えたなど、通常の理由によって廃棄されるパーツでも、流れは同様だ。イレギュラーとならなくても、役目を果たせなくなれば廃棄処分され、新しいパーツが稼働を開始する。
それを何度も繰り返す。それがこの国のシステムだ。
定められた役目を務め、果たす。それがパーツ。そのためのもの以外はすべて不要なもの。役目を果たせないパーツは不要なもの。不要なものはあってはいけない。ゆえに、不要なものは廃棄される。
そういうものだという認識を持っているのは、私が《管理パーツ》と称される種類のパーツだからだ。管理パーツはマザーにエラーが発生した場合、それをマザーに頼る事なく判別できなくてはならない。そのため、国内における様々な情報、規則、意義を、そうと知っている。そうでなければ、有事の際に役目を果たせないからだ。おそらく、武装パーツも、開発パーツも、製造パーツも、他のパーツはみなそういうものであるという認識すらない。必要がないからだ。ただ、マザーから出される指示に従って行動する。管理パーツ以外のパーツは、それで十分なのだ。
ふいに、視界の端で流れる映像に、異質なものが映りこんだ。
カメラは国内のあらゆる個所に設置されている。国内の環境に生じた異常を察知するためだが、異常が映りこむ事はほぼない。イレギュラーの発見は各パーツが耳に取り付けているユニットによって行われる。その詳細は管理パーツでも知るところではない。少なくとも、カメラ映像によって発見される事はほぼない。
しかし今、ディスプレイに映し出されている映像は、私にも分かるほどに明白な異常だった。
肩部のラインよりも下にある毛髪の先。パーツはみなメンテナンス時に毛髪の長さを整えられているのだから、あれほど長く伸びたまま残される事はありえない。
左側の肩部から、何かを提げている。おそらくは荷物入れの類。
身に着けているもの。白も含まれてはいるが、他の色も多く取り入れられている。上半身に身に着けている黒にも見える深い青。首の下には黒を混ぜたような赤。白はその下から少しだけ見えているだけだ。下半身に身に着けている灰色。膝より上から灰色までの短い距離は素体の色が露出しており、膝から下は黒に覆われている。足元は黒に近い茶。
その外観だけで十分な異常。
まごうことなき《イレギュラー》。
そのパーツは武装パーツに囲まれ、武装パーツが移動するのに合わせてやはり移動している。じっと見る。それは時折頭部の向きを進行方向以外へと変更する。何をしているのか。廃棄場にて処分されたものもそうだったが、イレギュラーの行動原理は分からない。
――ふいに、目が合った。
それは間違いなく錯覚というものであろうが。
交錯したのはほんの一秒にも満たない時間だ。そもそも私はその姿をカメラの映像で捉えており、あちらはカメラの存在にすら気づいていない可能性があり、気づいていたとしてもカメラの映像を見ている私の事など知りようがない。
ゆえに、目が合ったなどと、そんな事はあるわけがないのだ。
あちらこちらへと頭部の向きを変えていたがために、その目線が一時真っ直ぐカメラのレンズと向き合った。それを私が見た。それだけの出来事だ。
現に、相手の視線はすぐ別の方向へと移動した。
しかし、私の手は止まったままだった。こんな事はいつもの廃棄場の映像が再生される時以外、なかったのに。
作業を再開しよう。私の役目は、マザーに異常がないかをチェックし、異常があればその修復を行う事だ。そのために必要なこと以外に時間を割くべきではない。
コンソールの上で指を動かしながら、一度は目を離したディスプレイに再び視線を向ける。新たなイレギュラーの姿はもう映っていなかった。おそらく拘置エリアへと移動したのだろう。拘置エリアにもカメラが設置されているが、今は私の作業範囲外だ。映像で何度か見た事はあるが、実際に行った事はない。どこにあるのかは知っていても、行く理由はなかった。
「…………」
ぴたり。また手の動きが止まる。
網膜というスクリーンに再生されたのはいつもの廃棄場の映像ではなく、それよりもさらに短い時間でしかなかったはずの映像。
黒で縁取られた、新たなイレギュラーの瞳。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます