ブラッディ・ローズ Level 1.0『血染めの白薔薇』

蒲生 竜哉

ブラッディ・ローズ

ブラッディ・ローズシリーズの開幕編です。至近未来の東京を舞台としたマレスと和彦、クレアの活躍をお楽しみください!

1. 二〇三九年五月三十一日 一五時二〇分

帝国ホテル 本館ラウンジ


プロローグ


「この子なんだけどね。和彦、どう思う?」

 山口は自分のタブレットの上で指を滑らせると、プロフィールシートを俺のタブレットに転送した。

 いつものように同時にクレアにも渡したのだろうが、どちらにしてもクレアに電子的な隠しごとは一切無意味だ。

 クレアは澄まして俺の隣に座っている。もうすべて読み終えてしまったのだろう。

 俺はティーカップをソーサーに置くと、タブレットを手に取った。

 霧崎マレス、十八歳。日本とイタリアの二重国籍。イタリア人の母を持つハーフのようだ。二〇三七年八月より米系民間軍事会社PMC、エクストラ・オーディナリーズ社に所属。

 添えられた写真には柔らかく微笑む少女が写っていた。卒業写真かなにかなのだろう、青い背景の写真にはどこか人工的な雰囲気があった。


 ひょろりとした長身の山口が背中を丸めてコーヒーを啜りながら、資料を読む俺を無表情に見つめている。

 情報端末を兼ねたリムレスの眼鏡をかけた山口の髪には、いつものようにきれいに櫛目が入っていた。今日は派手な紫色のシャツにオレンジ色のネクタイを合わせている。脱いだスーツの色は光沢のあるほとんど銀色のような薄いグレーだ。

 いつもながら素っ頓狂な取り合わせだが、この男が着ると妙に様になる。

 山口とは俺が国連監察宇宙軍に在籍していた時からの付き合いになる。当時俺は第六機甲偵察中隊、奴は情報業務群の一員としてOCV71アルテミスという名の小さな軌道空母に乗務していた。

 除隊後、妹の涼子が死んで抜け殻のようになっていた俺を半ば無理やり内閣安全保障局に引き入れたのは山口だ。国連監察宇宙軍には日本人が少なかったこともあり、また俺よりも三歳年上だったこともあってアルテミスに乗艦していた頃から何かとお節介な奴だったが、俺の危機を知るといち早くその手を差し伸べてくれたのだ。

 涼子の一件以来、俺は基本的に他人とは距離を置いて深く関わらないようにしているのだが、そうしたわけで山口にだけは逆らえない。しかも山口にはいつの間にかに誰とでも仲良く話せるという不思議な特技があり、なぜか常に引き込まれてしまう。

「二年? なんで十八歳の小娘がPMCに二年も所属しているんだ。山口、これ間違ってるだろう?」

 俺は山口に質した。

「戦歴も凄まじいですよ。ミャンマー、クェート、イスラエル、パキスタン、朝鮮半島ってどこもここも超激戦地帯じゃないですか」

 クレアが横から口を挟む。

「まったくだ。こりゃあ、四十過ぎの傭兵の戦歴だ。データが混ざっているんじゃないのか? そんな短期間でこれだけの経験を積むことが出来るとはとても思えん」

 東京都千代田区の内幸町にある帝国ホテルの本館は、都心にあるにも関わらず静寂と安らぎに満たされていた。

 周囲を満たす真空のような静けさの中、ときおり聞こえてくるティーカップの音や談笑する声が心地よい。大きなフロアランプや観葉植物が点在するこのラウンジの内装は五十年以上変わっていないそうだが、いまだに古さは感じさせない。

「いや、間違いじゃないんだよ、和彦」

 山口は眼鏡を人差し指で押し上げると、ちょっと長い話になるんだが、と前置きした上で

「彼女の家族はね、JAL九二〇八便のテロで全員亡くなっているんだ」

 と、話し始めた。

 JAL九二〇八便事件なら俺も良く覚えている。

 二〇三七年の七月、リオ・デ・ジャネイロに向けて羽田空港を出発したJAL九二〇八便は、ロケットモーターによる加速により順調に弾道軌道に移行した。しかし、本来そこで燃焼終了するべきモーターはなぜかさらに燃焼を続け、旅客機を一気に地球周回軌道にまで押し上げてしまったのだ。

 しかも運の悪いことに、遭難空域は軌道空母の軌道から離れた空白領域だった。燃料を使い切り、減速手段をもたない旅客機は各国の救難努力も空しく地球軌道を周回し続け、旅客と乗務員二百二十八人は約十時間後に二酸化炭素分圧上昇と酸素欠乏により全員死亡した。

「彼女はなんらかの事情で一緒に行くはずだった家族旅行に行けなかったんだよ。ま、ラッキーといえばラッキーなんだが、結果として家族全員を失ってしまったわけさ」

 山口は言葉を続けた。

「ところで彼女のお祖父様って人がイタリアではたいそう有力な方でね……ちょっと下のほう見てくれる?」

 人差し指を滑らせて、プロフィールをスクロールさせる。

 彼女自身のプロフィールに続いて、そこには霧崎マレス嬢の家族の詳細が記述されていた。霧崎雄二氏が彼女の父親、母親の名前はマリア・デ・センゾ・霧崎。マリアの家族はイタリア在住で父親の名前はマリオだった。

「その、マリオ・デ・センゾさんが彼女のお祖父様さ」

 資料によればマリオ・デ・センゾ氏はどうやら貿易商を営んでいるようだ。とても裕福な人物で、イタリア政府とのパイプも太いらしい。

 ただ、副業がいろいろとあり、

「エクストラ・オーディナリーズ社? 家業なのかよ。驚いたな」

 山口が黙って頷く。

「しかし、民間軍事企業が家業って、恐ろしい一族だな」

「そう、そうなんだよ。いや実際、本当に恐ろしい一族なんだ。デ・センゾ氏は自分の可愛い娘とその家族がテロで死亡した直後、唯一生き残った孫娘を手元に呼び戻したんだけどさ」

 山口はわざとらしいしぐさで嘆息した。

「普通に考えたら一人になってしまった孫娘を引き取ったんだろうって思うじゃないか。ところがどうやらデ・センゾ氏の思惑は違ったようでね、彼は孫娘をすぐに専属の教育係二人と共に自分が所有しているPMCに送り込むと、徹底した戦闘訓練を施したんだ」

 山口は再びコーヒーのカップを傾けた。

 コーヒーの湯気に、山口の眼鏡が白く曇る。

「まあ、ひどいことをしたもんだよ。約一年後、教育係二人と共に彼女は本格的に活動を開始したようだ。記録に残っているだけで彼女らが殺害した反社会組織の関係者は三百人を超える。手段は狙撃、爆殺、なんでもござれだ。しかもたった半年程度でだよ? どうやら彼女はかなり吸収の早い生徒さんだったらしい」

「…………」

 俺は再びタブレットの経歴書に目を落とした。

「面白いのはその中には例のJAL九二〇八便の件の被疑者と思わしき連中が多く含まれていることなんだ。ほら、あの件は半島がらみだったおかげで、核心部には僕らも手が届かなかったじゃないか。でも、僕らのフラストレーションはデ・センゾ氏にとっても一緒だったようでね。と言うか、おそらくデ・センゾ氏はこうなることを見越していたんだろう。思うに、僕らが外交でもがいている間にデ・センゾ氏は一歩先を行ったんだ。デ・センゾ氏は外交を当てにせず、自らJAL九二〇八便の実行犯を特定して殺害するために孫娘を鍛えぬいたんだよ」

 現在では各国の取り決めにより、航空機内での重大犯罪は国際刑事事件として扱われる。従ってJAL九二〇八便のテロ事件に関しては国連管轄下の捜査当局が担当したのだが、各国の利害等もあって捜査は遅々として進まなかった。特に朝鮮半島には日本政府も手を出しにくいところがあり、この事件では俺たちもさんざん歯がゆい思いをしたものだ。

 その点、政治的なしがらみからは無縁で、しかもふんだんな資金力のある彼女のほうが有利なのは想像に難くない。

 だが、犯人に肉迫して、しかもそれを排除するとなると話は別だ。

「それに関係するのかどうかわからないけど、最近ではアジアを中心に活動していたみたいだね。日本でも少なくとも六人は殺してる。一部は激しい尋問の末に、ね」

 ともあれ、と山口は言葉を継いだ。

「そうは言っても我々としてはこんな無茶苦茶は看過できないわけさ。国内で勝手に活動されるのは非常に困る。ぜひやめて頂きたい」

「じゃあ、彼女を排除するの?」

 とクレアが尋ねた。心なしか気遣わしげに眉をひそめている。

「まさか、彼女を排除してどうすんのよ」

 山口は両手を大きく広げた。

「要はさ、勝手に活動されなければいいだけなんだ。局内に取り込んでしまえば『世はすべて事もなし』、さ。特に黒田長官が超乗り気でね、こんな逸材を今まで見逃してたのはどうしたことかってえらく叱責されたよ。なんで、長官自ら先週デ・センゾ氏にコンタクトしてね。デ・センゾ氏も日本の内閣安全保障局の長官からいきなり電話を貰ってえらくたまげたみたいなんだけど、血の繋がった祖父として、孫娘が政府機関に所属するのは大歓迎らしい」

 口角を歪め、どこか邪悪な笑みを浮かべる。

 デ・センゾ・ファミリーにも困ったものだが、うちもうちだ。

「ま、デ・センゾ氏にしても孫娘の行く末は気になるんだろうさ。なんせお祖父様の命令に素直に従って常軌を逸した戦闘マシーンになっちゃうような子だよ、きっとデ・センゾ氏にしてみれば目に入れても痛くないような素直で可愛い孫娘なんだろう。綺麗だしねえ。見なよ和彦、この写真」

 山口は封筒から取り出したクラシックな写真を長い指でテーブルの上に広げて見せた。

 どうやら公衆セキュリティシステムを使って隠し取りした画像のハードコピーのようだ。マレス嬢がコーヒーカップを傾けたり、あるいは身体の前に服を当てたりしている写真がテーブルに広がる。

「なあ和彦、美人だろう? まあないとは思うけどさ、芸能界デビューしたら売れるぜこの子。マスコミに出せないのがつくづく残念だよ」

 山口は一息つくと言葉を続けた。

「ともあれ、そんなわけでこの案件が僕のところに来たわけさ。黒田長官はもう何がなんでも彼女をうちの要員に加えたいらしい。なんせ我が局のモットーは『報復執行機関Department of Vengeance』だからね、戦闘能力が高くて家族をテロで失っている彼女は黒田長官的には百二十%のベストフィットなのさ」

 山口が意味ありげに眼鏡の縁から上目づかいに俺を見上げる。

「君と同じようにね」

「…………」

 俺は敢えて答えなかった。確かに彼女がスカウトされた経緯は俺と似ている。だがあえて、なぜ山口がそれを持ち出したことは問わずにいた。

 山口が再びうまそうにコーヒーを啜る。

 俺はテーブルに広がった写真を手に取って眺めてみた。

 確かに美人だ。それもとびきりの。

 だが、俺は彼女の美貌に引かれると同時にどこか違和感を感じていた。

 この違和感はなんだろう?

「…………?」

 やがて俺はその違和感の原因が彼女の瞳の奥にあることに気がついた。

 確かに笑顔は自然だ。だが、目が全く笑っていない。

 それが原因で、彼女の表情には笑顔であるにもかかわらず影があった。

 これは何か心に闇を抱えている人の表情、兵士の表情だ。

 山口はカップが空になってしまったことに気づくと、「コーヒーおかわり下さい」と快活にウェイトレスに告げながら言葉を継いだ。

「ただ僕はね、正しい選択をしたいんだよ。彼女がうちの局に本当にふさわしい人材なのかどうか正直僕にはまだ判らない。だから、和彦」

 リムレスの眼鏡の向こうで人の良さそうな細い目が冷たく光る。

「悪いんだけどさ、見極めてくれるかな、彼女を。試験して欲しいんだ」

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