第13話
「あ~う~、あ~う~、あ~う~……」
たぶん、スタミナ切れだったんだろうと思う。それに加えて僕が好手を指したというのもある。――あったと思いたい。
今まで割と快進撃を続けてきたあめに、僕が反撃し、そして、盤の上には一種の膠着状態が出来上がっていた。あめは、どこからどう見ても天才肌の指し手だった。それは、初めて会った時から今までずっとそうだ――っていうか、たぶん天才は生まれつき天才なんだろうから、そんなのある意味当たり前だ。
とにかく、盤の上の膠着状態を見て、あめは小さくてプクプクした体をユラユラ揺らしながら、顔をクニュクニュにしてあ~う~あ~う~と考え込んでいた。特に持ち時間とか制限時間とかは決めていない試合だったし、それに、いまにして思えば性格が悪いなあ、と思うんだけど、その時の僕は、自分の指し手であめがポヤポヤした眉毛をハの字に下げて困り顔で一所懸命考え込んでいるのがなんだかうれしくて気持ちがよかったんだ。
「どうした、あめ、わかんなくなっちゃったかー?」
「うぅ~……むじゅかちい……」
「そっかー、難しいか。どうする? もう、『負けました』するか?」
「やー!」
あめはまるい頭をプルプルとふった。あめにはそういうのってないんじゃないかとちょっと思ってたけど、やっぱりあめだって負けるのはいやなのか、と、僕は少しだけ意外に思った。
「あ、しょうだ!」
あめの細い目がパチンと大きくなった。
「にに、にに、あめ、あっちからみりゅ!」
「え? あっちから見るって、どっちから見るんだあめ?」
「あんねえ、あめねえ、りくにぃのほうからみりゅ!」
「え? 陸翔のいるほうから見たいのか? なあ、陸翔、あめがこう言ってるんだけど、見せてやってもいいか?」
「え? 別にいいけど――それって意味あるの?」
僕は首をかしげた。ポーカーや麻雀だったら相手の手をのぞくことにものすごく意味があるだろうけど、将棋っていうゲームは、そもそも最初からずっと、お互いの手がお互いに全部丸見えだ。隠せることなんてなんにもない。それなのに、僕のほうから見たいっていうのはいったいどうしてなんだろう? と僕は思った。
「いや、俺にもよくわかんねえけど、とにかくあめはそうしたいんだってさ。あめ、陸翔はいいってさ。じゃ、行くぞ」
「あーい!」
琥珀はそのまま、あめを抱っこして僕のほうにやって来た。琥珀が中腰になって、座っている僕と同じ目線の高さで、あめに将棋盤を見せてやってる。僕の横に来たあめの顔を見て、僕はぼんやり、やっぱりこいつ饅頭そっくりだなあ、とか、髪の毛が栗色でポヤポヤしててフワフワしてて、なんだかちょっと鳥のひなみたいだなあ、とか、そんなことをとりとめもなく思っていた。
「りくにぃには、こういうふうにみえてりゅのか」
あめは真面目くさった顔でそういうと、饅頭顔をコクコクうなずかせて、クリンと首を動かして自分を抱っこしてる琥珀を見上げた。
「にに、あめわかったから、もういいよ」
「そっか、もうわかったのか」
「うん!」
いったい何がわかったっていうんだ!? と、僕はかなりギョッとしたけど、琥珀は平気な顔であめを抱っこしたまま元の席に戻った。そして、席に戻った途端、プクプクプニプニした短い腕を伸ばして、ちっちゃな手の短い指で駒をつまんでパチリと指した、あめのその一手は――。
文句のつけようもない、抜群の好手だった。
「…………な、なんで…………!?」
「んー? あめ、あめはどうして、陸翔がいるほうから見たいって思ったんだ?」
「んー?」
琥珀の質問に、ちょっときょとんとしていたあめは、しばらく考えてからフニャッと笑った。
「あんねえ、だってねえ、しゅいねぇ、え、かくとき、うりゃからみてうよー」
「ああ、そっか、確かにすいは、イラスト描く時時々裏から透かして見てるもんな」
「だかりゃ、あめも、りくにぃのほうからみたりゃ、わかうかな、って、おもったのー」
「なるほどなー、視点を変えれば新たな発見があるってことか」
「え? え? え? あの、えーっと――いったいなんの話なの?」
「ああ、悪ぃ悪ぃ、陸翔にゃチンプンカンプンだよな」
琥珀はなんだかおかしそうにクスッと笑った。
「えーっと、陸翔は確か、もう翡翠に会ったことあるんだよな?」
「え、あ、うん。あ、そっか、もしかして『しゅいねぇ』って翡翠さんのこと?」
「お、よくわかったな。そうそう、『しゅいねぇ』は翡翠のことだよ。あめはまだ舌が回らなくて『すい』が『しゅい』になっちまうんだ。うちじゃ、翡翠のことはみんな『すい』って呼んでるからな」
「でも、翡翠さんと将棋といったいなんの関係が? だって、この前会った時、翡翠さん、自分は将棋が指せないって言ってたよ?」
「ああ、すいは将棋は指せねえな。あいつが好きなのは絵を描くことだ。うちでもしょっちゅうイラストやらなんやら描いてる。えっと、陸翔は絵とか描くのか?」
「え……学校の図工の時間では描くけど……」
「つまりは、別に絵を描くことが趣味なわけじゃねえな?」
「うん」
「そっか。あのな、俺もすいから聞いたんだけど、イラストを描く時って、時々デッサンが狂ってないかどうか裏側から透かして見たりするんだと」
「え? それでなんでデッサンが狂ってるか狂ってないかってことがわかるの?」
「あのな、えーっと、陸翔はもう、学校で習字はやってるか?」
「やってるけど、ここでなんで習字の話が出てくるの?」
「習字の時、横画を書くとさ、右利きのやつだったら普通は自然と、ちょっと右上がりになるんだよ。陸翔、おまえ右利きだよな、将棋も右手で指してるし」
「えっと、うん、そうだけど……」
「で、その、ちょっと右上がりになった線を、俺らは普通に『真っ直ぐな線』っていうかあれだ、『水平な線』として見てるだろ?」
「え……そういうこと、別に考えたことなかったけど……」
「少なくとも、なんか変だな、とは思わねえだろ?」
「うん。まあ、下手な字だな、とか、上手い字だな、とかは思うけど」
「ああ、そりゃまた別の問題だ。とにかく、そんなふうに、人間には手癖ってもんがある。それとおんなじように、人間には、目癖っていうもんもあるんだ。手癖と目癖が一致すると、人間は、本当は歪んだ形でも、別に歪んでいない、正しい形だって思いこんじまうことがよくあるんだ」
「えーっと……?」
「わかんねえか? つまりさ、人間はフリーハンドで正方形を描くと、その横辺は大抵右上がりになるんだ。まあ、右利きのやつの話なんだけどなこれ。けど、人間の目には、その右肩上がりの歪んだ四角形が、結構普通にきちんとした『正方形』に見えちまったりするんだよ。イラストを描く時も、これとおんなじ現象が起こるんだ。でも、裏返してみたり、上下を逆にして見たりすると、手癖と目癖がずれるから、形の歪みを発見しやすくなるんだよ」
「ふーん、そうなんだ。――でもさ」
「でも?」
「でも、自分で見て歪んでないって思う絵だったらさ、他の人が見たってやっぱり、歪んでるって気がつかないんじゃないのかなあ?」
「まあ、そういう説もある。実際それはその通りって面もあるしな。けどなあ陸翔、イラストのキャラクターの顔が歪んでるくらいなら、ある意味個性って言ってすむ。キャラの顔の歪みはそのキャラの個性、っていうか、全然顔に破綻がないキャラのほうが無個性でつまらない、っていうところもあるしな。けどなあ、手癖や目癖のせいで、キャラクターの左右の腕の長さがずれちまったりしてると、これって結構恥ずかしいぜ?」
「ふーん……そんなもんかなあ……」
「だからすいは、イラスト描く時しょっちゅう裏返して透かして見たり、上下を逆にして見たりしてるんだ。そうすれば、デッサンの狂いや構造的におかしいところが見つけやすくなるからな。あめは、それをいつも見てるんだよ。だから、自分でもおんなじことしてみようと思ったんだろうな」
「え? おんなじこと、って――」
「視点の転換」
琥珀はニヤリと笑った。
「自分の側から見ていたんじゃ打破の仕方がわからない戦局でも、おまえの側から見たら、突破口が見つかるかもしれない、って思ったんだよ、あめは。あめが自分でさっき言った通り、すいがいつもイラストを違う視点から見て問題点や改善点を見つけてるのがヒントになったんだな」
「え……」
僕はちょっと絶句した。だって、あめはまだたったの3歳だ。たったの3歳なのに、もうそんなことが考えられるものなんだろうか? ――いや、考えられるものなんだろうかも何もない。あめは実際にそう考えて、実行して、そしてその手段がこの上なく有効だったんだ。
「う? りくにぃ、パチパチ、ない? りくにぃも、わかんなくなったった? ねー、りくにぃも、あめのとこからみりゅー?」
「ぼ、僕は別にいいよ!」
「妙な意地はるなよ陸翔。おまえがそうしたいんならいつだって、こっち側から見ていいんだぜ?」
「べ、別に、僕にはそんな必要ないし!」
僕は虚勢を張りつつそっぽを向いた。
あめは琥珀の膝の上で、そんな僕を不思議そうに見ながら、きょとりと首をかしげていた。
将棋道場の饅頭姫 琴里和水 @kotosatokazumi
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