第12話
やっぱりふかしたての饅頭そっくりだなあ、と、僕の目の前でニコニコしているあめを見て思った。
「よろちくおねがいちまちゅ!」
ふかしたての饅頭が、僕に向かってあめがペコリと頭を下げる。僕もつられて、ペコリと頭を下げてしまう。
「あんねえ、りくにぃ」
あめがポニャポニャした顔でフニャフニャ笑った。
「みんないると、たのちいねえ!」
「みんな、いる――」
一瞬戸惑ってから、あめが将棋の駒のことを言っていることに気がつく。
「みんないるのが、普通なんだよ」
「そっかあ」
あめは感心したような顔で大きくうなずいた。
「みんないたほうが、たのちいもんねえ」
「…………」
そういう問題だろうか? とちょっと思ったけど、それがそういう問題じゃないっていうことを、あめに説明してやれるっていう自信もなかった。
「――じゃあ、はじめようか」
「あーい!」
あめは大喜びで、両手を上げて万歳をした。
「りくにぃ、ふってー」
「うん」
振り駒は僕がやった。あめの手は小さすぎて、正式な振り駒、つまり、歩を5枚使ってやる振り駒は出来なかったんだ。もちろん、いっぺんに5枚振るんじゃなく、1枚ずつ振るやりかたでやったり、歩を1枚だけ使う簡略版でやったりすれば、あめにだって出来たんだろうけど、その時は正式なやりかたでやったんだ。
「うああ、しゅごいねえ!」
5枚とも『歩』の側を出した振り駒を見て、あめは目をまるくしてパチパチと拍手をした。こんなところで運を使っちゃったりびっくりされたり感心されたりしてもなあ、と、僕は正直ちょっとげんなりした。
「りくにぃ、おしゃき、どーじょ!」
振り駒では、5枚の歩兵のうち、『歩』の側が出た数が多かったら振った人が先手に、『と』の側が出た数が多かったら振った人が後手になる。だから当然、この場合は僕が先手を取るに決まっていた。
「――わかった」
そして。
僕は、また、あめと将棋を指しはじめた。
あめの言う「みんないる」将棋、つまり、駒を全部使った、本将棋を。
「おおー、綺麗な盤面だなあ」
琥珀が無遠慮に、感心したような声を上げた。
「琥珀――さんも、将棋出来る――よね、うん、琥珀さんが、将棋指せるのは知ってるんだけど――」
「だから、前にも言ったじゃん。俺は、将棋の天才じゃなくってラノベ書きの天才だって!」
琥珀は大威張りで胸を張った。その上黒皮の指ぬきグローブをはめた手を胸の前にかざして無意味に無駄なポーズを決めた。
「けどなあ陸翔、天才じゃなくたって天才の凄さはわかるし、将棋のプロじゃなくったって将棋の名人戦は楽しめるだろ? そういうもんだよ」
「今琥珀さんが言った『天才』っていうのは当然、僕じゃなくってあめのことだよね」
「それが悔しいんなら、『天才』は無理でも『名人』にはなれるように努力しろよ」
「はあ? 何言ってんだよ。『天才』だから『名人』になれるんだろ?」
「俺はそうは思わない」
琥珀はものすごい確信を込めて、びっくりするくらいあっさりきっぱりそう言い切った。
「まあな、人間ってやつはたぶん、どいつもこいつもある種の天才なんだろうから、そういう意味で言えば、『天才』だから『名人』になれるっていうのも、あながち間違っちゃいねえんだろうけどな」
「……そんなわけないじゃん」
「え、なんだって?」
「人間がみんな天才だなんて、そんなこと、あるわけないじゃん」
「おいおい、視野と心が狭いなあ、陸翔。あのなあ、モブキャラ演じ切るのだって立派な天才的才能だぜ?」
「それって、なんていうか、遠回しに馬鹿にしてない?」
「馬鹿になんかしてねえよ」
琥珀は不意に、怖いくらいに真剣な目で僕をにらみつけた。
「あのなあ陸翔、モブキャラややられ役がいない娯楽作品なんかねえぞ? いや、あるのかもしれねえけど、それでもやっぱり、娯楽作品にはモブキャラややられ役が絶対に必要なんだよ。――と、俺は思ってる」
「……僕の人生は娯楽作品じゃないし、僕はモブキャラややられ役なんかじゃない!」
「ああ、そりゃ当然だ」
琥珀はやっぱり、怖いくらい真剣な顔でうなずいた。
「おまえがそういうやつだから、あめもおまえのことを好きになったのかもしんねえな」
「…………え?」
「……りくにぃ?」
その時になってようやっと、あめは将棋盤から顔を上げて僕と琥珀のことを見た。あめが顔を上げる一瞬前に、あめが将棋盤においた駒から、パチッと澄んだ音が響いた。
「りくにぃ、ににとなかよししゃん? りくにぃ、パチパチやめてににとあしょぶのー?」
「そんなことするもんか」
僕はちょっと、ムッとしたというかあきれたというか、とにかくあめはずいぶんと突拍子もないことを言うなあと思った。僕がこんないい勝負を放り出して、琥珀なんかと遊ぶわけないじゃないか。そんなこともわからないのか、と思った。
――でも、考えてみれば、わからなくて当然だったんだ。だって、あめはまだ、たったの3歳だったんだから。
でも。
「そっかあ。よかったあ。あめ、りくにぃとパチパチしゅるの、しゅきよー」
ほんわかニコニコ笑うあめをにらみつけていたあの時の僕は、そんなこともわからなかったんだ。
そう、僕は。
「……なんだよ」
「えー?」
「なんで、僕のことずっとジロジロ見てるんだよ?」
「うー?」
言いがかりをつける僕を、あめは小首をかしげてきょとんと見つめた。
「あんねえ、あめねえ、りくにぃが、ちゅぎ、どこにパチッてしゅるのかなー、とおもって、みてゆのー」
あめが僕にむける視線の意味すらも、きちんとわかっていなかったんだ。
「……ああ、そう」
「そうなのー」
あめは幸せそうにニコニコ笑った。
考えてみれば、あめはいつも、ニコニコ笑うか、不思議そうにしてるか、真面目な顔で考え込んでるか、だいたいその3パターンだったような気がする。
「…………」
確かに綺麗な盤面だ、と、僕は思った。そして、その『綺麗な盤面』をつくりあげるのには、僕よりももっと、ずっと、あめのほうが貢献しているんだっていう事実に、なんだかムカッときて、すっごくイラッとした。
でも、そう思いながらも、僕はやっぱり、ああ、すっごく綺麗な盤面だなあ、とも、思わずにはいられなかった。
「……よし、ここだ」
僕はそうつぶやきながら、盤にパチリと銀を置いた。
その『パチリ』が、あめの『パチッ』よりもずいぶんと、濁ってぼやけた音だってことを、僕の耳はきちんと、聞きわけてしまっていた。
「……うぅ~……」
あめはしばらく、ウフウフウフウフ、とも、プユプユプユプユ、とも聞こえるような、へんてこりんな呼吸音を上げて真面目に考え込んでいた。
ああ、そうだ、盤の前ではあめはいつだって、盤に心を吸われてしまうんだ。
そう、きっと――時には、命までをも。
「……よち」
あめは、丸くて大きな頭をこっくりうなずかせた。
「いってらっちゃい!」
あめはそう叫ぶや否や、パチッと鋭い音を立てて、盤に桂馬を綺麗に指した。
ああ――そうだ。
あめの手は、とてもとても小さくて、あめの力は、とてもとても弱くて。
それなのに、いつだって。
あめが指した駒からは、とても澄んだ、とても高らかな音が響き渡っていたんだ。
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