第9話

 年寄りは嫌いだ。

 僕はただ単に、あめと田岡さんとの対局の感想戦が見たかっただけ、聞きたかっただけなんだ。

 それなのに、なんで僕は延々と、崎村さんと崎村さんの奥さんとの馴れ初め話だの、崎村さんの娘さんが小さかった時の話だの、崎村さんの息子さんとそのお嫁さんの日々のあれこれだのやらまで聞かなきゃいけなかったんだ!? 崎村さんの娘さんが赤ちゃんだった時に初めて話した言葉が、崎村さんが娘さんに桃を食べさせてあげた時の「もんも、おいち、おいち!」だったなんて情報、正直僕にはこの世界で1番――って言って言い過ぎなら1、2を争うどうでもいい情報だ!!


 あの時の僕は、そんなことを考えながらずっとカリカリしていた。こう言っちゃなんだけど、崎村さんはそういう、あのころの僕にとってはどうでもいい世間話、っていうか自分の今までの来し方行く末だの日々の近況だのを楽しそうにペラペラしゃべりながら、びっくりするほどランダムに、なかなか読みの鋭いあめと田岡さんとの感想戦に関する意見とかをヒョイヒョイ挟み込んでくるもんだから、僕としても否が応でも崎村さんの話に耳を傾けざるを得なかったんだ。


 僕がカリカリしている間、あめと琥珀は、なんというか平気な顔でニコニコしていた。あめはまだたったの3歳だから、琥珀のひざに乗って時々琥珀だの崎村さんだのからあやされていたら、話の内容とか全然関係なくそれで十分満足だったみたいだし、琥珀のほうは琥珀のほうで、


「やっぱ、生の情報っていうのは二次や三次の情報とは全然違うよなー。ある意味究極のオリジナル、究極の一次だよな。なあ、崎村さん、俺、いつもみたいにメモとるけど、いい? 後、崎村さんが話してるエピソード、俺の小説に登場させてもいい? もちろん、細部や個人名は変えるからさあ」

「ああ、どーぞどーぞ! 好きに使って! ああ、それじゃあ、やっちゃんとひろちゃんがお馬さんに乗りに行った時の話もしてあげよう!」


 とかいう、僕からしてみたら、っていうか、あの時の僕からしてみたら琥珀と崎村さんの二人をまとめてブッ飛ばしてやりたくなるようなのほほんとしたやりとりを崎村さんと交わしていた。ちなみに、それまでの話の流れからすると、どうやら「やっちゃん」というのが崎村さんの娘さんで、「ひろちゃん」というのが崎村さんの息子さんらしかった。まあ、あの時の僕としては、それもまた、この世で1、2を争う心底どうでもいい情報ではあったんだけど。


「――おい、サキ」


 不意に、煙草のにおいがプンとした。

 ハッと振り向くと、そこには仏頂面の田岡さんが立っていた。


「いつもながら、おめえの話は脱線が多すぎていけねえ。俺ぁ別におめえがいくら脱線しようがどうでもいいが、ここにいる坊主は、おめえがあんまり脱線しまくるもんだから、だいぶとさかに血を上らせちまってるみてえだぞ?」

「ああ~、ごめんごめん、そういえば、おじいちゃん将棋の感想戦やってたんだっけね。ごめんね陸翔君、おじいちゃん、ちょっと調子に乗りすぎたね~」

「い、いえ、別に、そんな……」


 田岡さんにぶっきらぼうにそう指摘された崎村さんに、ペコペコ頭を下げて謝られたりなんかしたら、僕だってもう、そういうふうに言うしかない。いくら僕がたった10歳、小学4年生の子供だからって、最低限の礼儀くらいは心得ているんだ。


「それじゃ、感想戦再開~」


 のほほんと、楽しそうにそんなことを言いながら、元気よく感想戦を始めた崎村さんの手元を、正確に言うなら崎村さんに動かされていく将棋の駒を、琥珀のひざの上のあめが、身を乗り出してジッと見つめた。


「……あぁ~! あめ、わかったあ!」


 不意に。

 あめが、細い一重まぶたの、普通にしててもいつも何だか眠たそうにしているように見える目を、それでも精一杯大きく見開いて叫んだ。


「あめ、ここでまちがえたねえ!」

「ん? あー、そうだねえ……そう、かなあ?」


 と、僕がひっくり返りそうになるほど頼りないことを平然と言い放つ崎村さん。


「まあ、悪手だわな」


 と、田岡さんがボソッと言うのを聞いて、僕も盤面を見直す。しばらく一所懸命考えてみて、ようやく僕にもあめと田岡さんが言っていることの意味がわかった。確かにそうだ。ここであめは悪手を指してしまったんだ。


「へんだねえ、あめ、どうしてさっきはわかんなかったのかな? あめ、いまはわかるのにな? うぅ~……ふしぎだねえ?」


 と、真顔で首をひねるあめ。真顔で、って言っても、あめは言っちゃなんだけど、ふかしたての饅頭そっくりな顔をしているもんだから、そんなあめがいくら真顔になったってなんだかものすごくすっとぼけた顔にしか見えない。それにだいたい、あめはまだ、たったの3歳なんだし。3歳児がいくら真顔になったって――。


 と、そこまで考えて僕はゾッとした。そうだ、あめはまだ、たったの3歳なんだ。それなのに、ついさっきやった対局の感想戦を見てすぐに、自分がいったいどこで握手を指したのかをしっかりと、完全に理解することが出来るんだ。おかしい。何をどう考えてもおかしい。あめが13歳だっていうんなら僕だって別にこんなに驚いたり焦ったりなんかしない。でも――でもあめは、まだたったの3歳なんだぞ!?

 僕は、そんなことを考えながら一人で青くなっていた。でも、そんなあめの姿を見て、赤くなったり青くなったりしているのは僕だけで、当の本人のあめはもちろんのこと、琥珀も田岡さんも崎村さんも、あめがそんなことをやってのけるのは、別になんてことはない全く当たり前のことなんだ、っていう顔をして平然としていた。


 そうだ、今の僕にはわかる。っていうか、あの時の僕にだって、ほんとはとっくの昔にわかってたんだ。ただそれを、あんまりはっきり認めたくはなかったってだけで。


 それは――あめがそういうことを平気でやってのけるのは、あめを知っている人達からしたら、別に驚くようなことでもなんでもない、ただの、当たり前のことだったんだ、ということを。


「それはねえ、あめちゃんが、さっきよりもおっきくなったからだよ! さっきみっちゃんと将棋を指した時のあめちゃんより、今のあめちゃんのほうが時間がたったぶんおっきくなってるからね。だから、さっきはわかんなかったことも、今はわかるようになったんだよ。いやあ、子供の成長って、本当に早くて、本当に素晴らしいものだねえ!」


 という、僕からしてみたら無茶苦茶としか言えないことを大真面目な顔で言い放つ崎村さん。――とはいっても、どうやらこの場で崎村さんの発言を、無茶苦茶なことだと思っているのはどうやら僕だけらしくて、3歳児のあめはもちろんのこと、たぶん20代前半くらいの琥珀も、お年寄りの歳はよくわからないけど、どう考えても70歳は確実に超えているんじゃないか、いや、もしかしたらもっと歳がいってるんじゃないか、っていう田岡さんも、崎村さんの発言に、真面目な顔をしてうんうんとうなずいていた。


「そっかぁ、あめ、おっきくなったからかあ」


 あめはうれしそうにそう言いながら、ニコニコとその場にした全員の顔を見まわした。


「おー、そうだぞ。あめはどんどんでっかくなってるからな!」


 って言いながら、あめの頭を優しく撫でてやる琥珀。


「ガキは、でかくなるのが早え。――食え。食わねえとでかくなれねえ」


 ぶっきらぼうにそう言いながら、ポケットからおせんべいを取り出してあめにやる田岡さん。うれしそうにニコニコしながら、そのおせんべいを琥珀にわけてやるあめ。


「ほれ、おめえも」

「……え?」


 唐突に、田岡さんからおせんべいを差し出されて、僕はポカンと口を開けた。


「……えっと……」

「おめえ、せんべいは嫌えか?」

「え、あの、えっと――あ、ありがとうございます。い、いただきます――」


 どうしていいのかわからずに、とりあえずおせんべいを受け取る僕の耳に。


「ああ~! おじいちゃん一生の不覚! おじいちゃん、今、あめちゃんや陸翔君や琥珀君にあげられるようなおいしいもの全然持ってないよ! えっと――ねえ、仁丹でもいいかな?」

「よせ、サキ。ガキは大抵、仁丹なんか好きじゃねえぞ」


 という、崎村さんと田岡さんの、脱力度120%ののどかな会話が響いた。

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