第6話
あめと普通の将棋で戦った僕は、勝った。一応。
でも。
琥珀の言った通りだった。序盤では、僕がゾッとするほど――いや、本当のことを言おう。あめと将棋を指すとき、僕はいつだって、ゾッとしっぱなしなんだ。だから、それは、あめと将棋を指すときに限っては、ごく当たり前のことだったんだ。
あめが普段通り将棋を指せたのは、序盤――せいぜい、中盤が始まって少しまで、くらいだった。なんだか、あめが妙に、鼻をフンフンいわせはじめたな、とか、なんであめはあんなに、自分をひざに乗せている琥珀の体に顔をこすりつけているんだろう、とは、なんとなく思っていたけど、あめが突然、ガクン! と将棋盤に突っ伏しそうになったのを、琥珀があわてて、だけど、今にして思えばなんだか妙に慣れた手つきで支えてやったときには僕もさすがにギョッとした。
「え、え、え!? あ、あめ、どうしちゃったんですか!?」
「あー、気にすんな。単なるエネルギー切れだ」
琥珀は苦笑いしながらそう言って、あめを抱っこして、よしよし、とちょっとあやした。
「こりゃ、もうあめが将棋指すのは無理だな。おい、陸翔、おまえの勝ちだ。胸を張れよ。おまえは、あめのエネルギーをすっからかんにしちまうレベルで将棋が強いんだから、よ」
「……でも」
「でも?」
「……なんか、すっきりしない……」
「しょうがねえだろ。あめはもう、今日は将棋指すの無理だよ」
って、琥珀が言うからあめの顔をのぞきこんだら、あめはまた、ほっぺたを真っ赤にして、他のところは真っ白にして、フゥフゥいいながらぐっすり――いや、ぐったり眠り込んでた。
「だから、今日は、おまえの勝ちだ。じゃあ、俺は、これでもう、あめ連れて帰るから」
「……ねえ、琥珀さん」
「なんだ、陸翔?」
「あめはいつ、最初から最後まで、普通の――ちゃんとした将棋を指せるようになるのかな?」
「さあ、なあ。そりゃ、俺にもわからねえよ。――でも」
「でも?」
「俺だって、あめには将棋、強くなって欲しい――っていうか、あめはこんなに将棋が好きなんだから、あめがもっと長いこと、将棋を楽しめるようになって欲しいからな。だから俺は、っていうか俺ら家族は、あめのエネルギータンクをもっとでっかくするために、毎日あめを鍛えてやってるんだ」
「マラソンでもさせてるの?」
「いや、お散歩だ」
って、琥珀は真顔で言った。
その言葉が本当だったことを、僕は、その後すぐに、自分の目で確認することになった。
「あれ? 今日はもう帰っちゃうの?」
将棋道場から出てきた琥珀を見て、僕は思わずそう聞いた。僕は正直、琥珀みたいな中二病でやかましくて人の話を聞かなくて――あ、いや、琥珀は案外人の話を聞いてるときもあるから、そこがまた油断ならない。でも、琥珀がなんだかものすごくマイペースで自慢こきなのは確かなことだと思う。
とにかく僕は、琥珀みたいなタイプのやつがあんまり好きじゃない。でも、あのときは、なにしろあめはまだたったの3歳で、舌が回らない、どころか、正直僕はあめが言ってることが半分以上わからないこともしばしばだったから、どうしたって琥珀と話をするしかなかったんだ。あめはなんだか一所懸命話してるんだけど、それが、なんていったらいいんだろう、赤ちゃん言葉? とにかく、僕の耳にはウニャウニャウニュウニュとしか聞こえなくて、困っていると琥珀がなんとなく通訳してくれるってことがよくあった。
とにかく、僕はまず、琥珀にそう聞いた。
「ああ。お散歩して帰る。あめが将棋強くなるために、俺達はお散歩して帰るんだ」
って、琥珀は大威張りで言った。その隣であめが、
「おしゃんぽ! おしゃんぽ!」
ってピョンピョン飛び跳ねながらはしゃいでる。
「お散歩なんかで将棋が強くなるの?」
「嘘だと思ったらおまえも試してみろよ」
「…………」
本当は、わかってた。
確かにあめだったら――あのときの、たった3歳のチビ助で、自分の身体もまだ全然出来上がっていないようなあめだったら、お散歩で将棋が強くなるっていうのは本当のことだっただろう。あのころのあめは、超高性能なのにエネルギータンクが滅茶苦茶ちっちゃい機械みたいなもんだった。いや、今だってまだ、そんなところが残ってると思う。だから、お散歩をして、体を動かして、体を鍛えて、体力をつけて、エネルギータンクを大きくすれば、将棋が強くなる――っていうか、将棋が指せる時間が長くなるから不戦敗で負けることや終盤がグダグダになって負けるってことが少なくなって、結果的に将棋が強くなったように見える、っていう意味で、あめは、散歩をしたら将棋が強くなる、っていうのは別に全然間違いじゃなかった。
でも。
でも、僕は別に、あめみたいに体力がなくて将棋に負ける、なんていうことはなかったんだから、っていうか、仮にあったとしても、三歳児のお散歩につきあったくらいで僕がめきめき体力がつく、なんていうことはなかっただろうから、僕があめといっしょに散歩したって、僕が将棋が強くなることなんてなかったんだ――と、思う。
それなのに。
僕はなぜか、あめや琥珀といっしょに、お散歩とやらを始めてしまった。あめは、最初から最後までずっとご機嫌で、しょっちゅう、
「にに、おはなさん、ねー」
とか、
「りくにぃ、にゃんにゃ、いたー」
とか、
「とりしゃん! とりしゃんよぅ!!」
とか言ってはしゃいでた。まあ、僕は正直、あめの言葉を全部きちんと聞き取れたわけじゃなかった。でも、僕にはさっぱり意味のわからないウニュウニャ語のほうは、琥珀が適当に、なんとなく相手をしてやっていた。
「ににー」
不意に。
あめは、琥珀を見上げて甘えた声を出した。
「あめ、おなーかしゅーいたよぅ!」
「おー、あめ腹へったかー。じゃあ、いつもの公園でおやつにしようなー」
琥珀はそう言いながら、僕のほうをヒョイッと見た。
「陸翔、おまえ、蒸しパン好きか?」
「え? む、蒸しパン? 別に、好きでも嫌いでもないけど」
「そっか。じゃあ、一つやるわ」
琥珀はそう言いながら、小さな――っていうかしょぼい児童公園にのそのそ入っていって、そこのベンチに腰かけて、あめを自分のひざに乗っけた。
「おひざ、のんの、ねー」
と、あめが機嫌よくニコニコする。
「おー。あめをじかにベンチに座らせたら、あめの尻が冷えちまうからなー」
って、琥珀は真顔で言った。そんなことを言いながら琥珀は、いつも背負ってるリュックから、なんだか可愛い柄の巾着袋をゴソゴソと取り出した。
「……俺の趣味じゃねーぞ。おふくろと、あめの趣味だ」
僕の視線に気づいた琥珀は、なんだか仏頂面で言った。
「別に僕は、誰の趣味だってどうでもいいけど」
「うっわー、かわいくねえ!!」
そんなことを言いながら、琥珀は巾着袋からさらに小さな巾着袋と水筒を取り出した。
「ほーら、あめ、おやつだぞー。今日は、おふくろとてんがつくった蒸しパンだぞー」
「むちぱん!」
「……てん?」
「天青(てんせい)。俺の弟。料理が好きでさ、特に、お菓子づくりが好きで、将来の夢はパティシエなんだ」
「……兄弟、多いんだね」
僕はちょっとあきれて言った。僕が知っているだけでも、琥珀に、あめに、瑪瑙に、話の中だけに出てきた、玻璃と天青で、少なくとももう5人兄弟だ。
「おー。俺も、めんどくせえから10人から先はもうろくに数えてねえなー」
「そんなにいるの!?」
「ああ、そんなにいるんだなあ、これが」
って、琥珀は真顔で言った。
「ににー」
あめが不意に、きょとんとした顔で琥珀を見上げた。
「むちぱんはー?」
「おー、ごめんなあめー。ほーら、カボチャに、おいもに、黒糖だぞー」
「むちぱん!」
琥珀が小さな巾着袋から取り出した、ほとんどお団子一つ分くらいの大きさしかない小さな蒸しパンを見て、あめが喜んでパチパチと拍手をした。
「これはあめサイズ。こっちが俺サイズ」
って言って琥珀は、今度はげんこつくらいのでっかい蒸しパンをでっかいほうの巾着袋からいくつも取り出した。
「陸翔、おまえ、カボチャといもと黒糖、どれがいい?」
「え――じゃあ、カボチャ」
「ほれ、一つやるぞ」
「……ありがとう」
なんか、ツッコミどころはいろいろとあるような気はしたけど、それでも、さすがの僕も、琥珀が親切で僕に、自分のおやつをわけてくれたんだ、っていうことはわかったから、そこは素直に御礼を言っておいた。
別に、だからといって、何がどうなるっていう話でもないんだ。
ただ。
あめのそばにいると、そういうことってしょっちゅう起こるんだ、っていうことを、僕がまだ、よくわかっていなかったころの話だっていうだけ。
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