喫茶店と友の頼み

さて、今日は珍しくバイトが休みだったりする。

昨日、メガネ店長が明日は休んでもいいと言ったんだ。イベント初戦が終わったとかなんとか、ガラケー握り締めて妙に晴れ晴れしい顔で言ってたけど、きっと携帯オンラインゲームか何かにハマってるに違いない。

店長なんてやってるクセにシフトというものを理解してないのだろうか……?

こっちにもこっちの都合があるんだが、まあ、流石にもう少し休みが欲しいと思っていたところだったので、オレはちゃっきりと休むことにした。

学校が終わって真っ直ぐ帰るのはずいぶんと久しぶりのような気がする。

終鈴と同時にサブローは図書室にアキラは武道場に直行するので、オレは一人になる。

バグハントの予定があったりする場合には保健室に行くか、ランたちと誘い合わせてドーナツ屋などに向かうこともあるが、今はその予定もない。

やることがない、というよりも一緒にいる人間がいない、というのも結構手持ち無沙汰になるもんで。

本屋かCD屋にでも寄ろうかと思ってもみたんだが、いかんせん手持ちもないので何となくそのまま家に帰ることにする。

自転車をこいでセブン・ライフズの前を過ぎ、家に着く頃にはやはり、昼休みにサブローが言ったことが頭の中を堂々巡りにまわっていた。

長井がワザワザ自分の家とは反対方向のオレの家まで付き添ってた?

ホモか!? という疑念が一番に浮かぶ。

それからもちろん、黒ずくめのヤツらのことも。

というよりこのタイミングだ。ヤツラと長井を結びつけて考えないほうが難しい。

長井に限ってヤツラと関わりがあるなんてことはないと思うが、ついついその可能性についてのアレコレが浮かんでくる。

家に着いてポストに手を突っ込む。夕刊にはまだ早い時間だが、ポストいっぱいになるほどの広告やDMが入っている。一応は、いる物といらない物に仕分けをしながら玄関に向かう。まあ結局全部ゴミ箱行きなんだけど。

銀行からのDMもほぼ週刊ぐらいの勢いだ。ハント報酬が出入りする口座だから取引金額的には上得意なんだろう。いや、でも高校生に金融商品売りつけようとすんなよ。


グダグダ考えるよりも訊いてみた方が早い。

長井とアドレスの交換はしてたから、オレはスマホのメールアプリを開く。

さて、なんて打とうか。

文字だけってのも、なんか冷たい印象あたえるような気がするんだよな。メールだけで終わらせるにはデリケートな質問のような気もするし。

直接会って訊くとしても長井はもちろん今日も塾だろう。

始まるのは何時からだ? そういや聞いてないな。

どちみち塾の前じゃあんまり落ち着いて話せないよな。

じゃあ塾が終わった後か。結局いつもの時間だな。

迷った末、簡潔なメールを送る。



〈今日、塾終わった後話せないか?


訊きたいことがあるんだ〉



送信してから、オレは長井の塾がどこにあるのかを知らないことに気付く。

それを訊くためにもう一通メールを送ろうとしたところで、長井からの返信が入った。早ぇえな。



〈いいよ。なんだろ?


でも今日は塾休みなんだ。


夏目がよければ今からは?〉



お、それは丁度いい。



〈了解


何時にどこにしようか?〉



どこで落ち合うかについては迷う。

長井の家がサブローの家の近くあたりなら、距離的にセブンライフズまで来てもらうのも申し訳ない。なら、こことの中間地点は学校あたりか。

だけど、そもそもその件について訊くために呼び出してるんだよな。

と、長井からのメールの返信だ。オレが迷うまでもなく、時間と場所を指定してくれていた。



〈いつも別れるところあたりにある、タンポポって喫茶店分かる?


そこで30分後ぐらいにどう?〉



うん、分からねえ。

基本的にはファストフードの店ぐらいしか目に入ってないしな。

だけど、いつも長井と別れる場所あたりにあるんなら探せば判るだろう。何より、それはこの家からすぐの近所だ。


約束の時間よりも少し早めに来たにも関わらず、店には長井の方が先に着いていた。

小さな店だ。落ち着いた店内、と言えば聞こえはいいかも知れないけど、タンポポなんて可愛らしい店名からは程遠い薄暗さ。でんと居座るカウンターと、肩身が狭そうなテーブル席が四つ。アンティークなのかただ古いだけなのかよく分からない調度たち。

まあ個人的にこの陰気さが落ち着くと言えば落ち着くので、やっぱりコレは落ち着いた店内なのかも知れないけど。

だけど……コーヒー1杯で600円だと!? マックならセットが食えるじゃまいか。

おのれ長井、コンビニではいっつもペットボトルのペプシにアメリカンドッグとかなのに、セレブな暮らしをしてやがる。

コーヒーが高いなら、アイスコーヒー……も値段は同じか。

イスに座りつつメニューを手に取ったオレは中途半端な中腰のまま迷っていた。


「僕が奢るから、何でも頼んでくれていいよ」


うおっ!? 神か? 今ここに生き神様が降臨したのか?

ホントに何でもか?? ケーキとかいっちゃってもいいのか??


「ああ、もちろんケーキでもいいよ。ブルーベリーのチーズタルトがお勧めだけど、わりとどれでも美味しいと思う」


あ、感動のあまり心の声が漏れてたか。

いや、もう決まりだ。コイツぜったいに悪いヤツじゃねえ。

オレは長井を信じる――そして、ブルーベリーチーズタルトとガトーショコラと紅茶のシフォンケーキを頼むんだ。


「分かった。ちょっと待ってて」


オレから注文を聞くと、生き神様はカウンターのマスターを呼ぶのではなく自ら席を立った。

そして意外なことに慣れた様子でカウンターに入っていくとケトルを火にかける。


「え、長井?」


「ここ、父さんの店なんだよ」


長井は慣れた手つきでコーヒーを淹れ、テーブルに置く。


「父さん……」


ということは、ここは長井の家で。

じゃあ塾帰りにコッチまで来てるのには何の不思議もなくて。つまりは……。


「で、僕に訊きたいことって何なの?」


コーヒーに加え、オレが頼んだ三種のケーキが全て並ぶと小さなテーブルの上はいっぱいになる。長井の親父さんの店だなんて知らなかったもんだから、奢りと聞いて欲張った自分が恥ずかしい。もちろんヨユーで全部食べるけど。

いや、でも訊くことなくなっちまったな。


「なんつか、もう解決したというか、訊くことなくなったというか……」


「そうなんだ」


不思議そうな顔を浮かべる。

一瞬、コイツになら魔術士のことから全部説明してしまおうかとも思ったが、流石にそれは思いとどまる。


「うん、悪いな。何かケーキご馳走になりにきただけみたいで」


長井の塾の話やオレのバイトの話、二人ともが知っている国語教師のことなど、ひとしきりの雑談をした後、ふと思い付いてサブローのことを出してみる。


「そういや長井って、甲斐サブローと同じ中学だったんだろ?」


「甲斐君って本好きの甲斐君だよね。ああ、中学一緒だよ。そんなに話したことはないけど。夏目君仲いいんだ?」


「仲良いつうか、弁当一緒に食ってるぐらいだけど。でも中学がサブローと一緒のトコってことは、長井は引っ越してきた?」


「いや、今でも僕の家は東区にあるよ。ココは父さんの店兼住居なんだ。ウチ離婚したから……」


「あ、そうなのか。ごめん」


咄嗟にそう言いながら、ごめんも変だよな、とは思うけど、じゃあこういう時になんと言えばいいのかなんて数時間考えたところでオレには分からない。

しかもすぐそこのカウンターに親父さんがいるから余計にキマリが悪い。まあ各家庭にはそれぞれの事情もあるだろうし、これ以上はこの話題は避けるべきだよな。


「父さんが脱サラしてこの店を始めたことから色々とおかしくなっちゃってね」


って、うぉい! 今それを言うのかよ!?


「お前はいつもそう言うけどな。けっきょくそれは切っ掛けに過ぎなかったんだよ」


って、親父も話に参加か!?


鼻の下に髭をたくわえた長井父はいかにも喫茶店のマスターという雰囲気で、どことなく長井と似ててやっぱり優男。


「よく性格の不一致とかいうだろ? だけどあれは最初から噛み合ってないワケじゃないんだよ。

元は良かったものが、少しずつ少しずつズレていってだな、気が付いた時には修復できないところまで来ている。

そりゃあ、時間を掛けてズレたものだから、頑張って直そうとしても一日や二日で直せるものじゃない。

だけど、一緒にいたくないという気持ちは一日や二日も我慢できないと当事者たちに思わせるんだ」


いや、なんか語り出したし、優男……。


「すまない。若い君にはこんな話つまらないよね」


はい、何一つ面白いところを見出せません。


「だけどね、私は二人で一つのことを一緒にやれば――つまりこの店を女房と一緒に切り盛りすることで、そのズレを徐々にでも修復できるんじゃないかと思ったんだよ」


って、話し止めないのかよ!?


結局なんだったんだ……。

長井の親父さんの話を聞かされること二時間。経済的自立だとかパーソナリティの尊重だとか。何を言ってるのか正直よく分からなくて。そして興味もなくて。

せっかくバイトが休みだというのに、オレはずっしりしっかりぐったりと疲れていた。


「ごめんね、父さん話長くって」


今日は母親の家の方に帰ると、オレと一緒に喫茶店タンポポを出た長井が頭を下げる。

オレは家まですぐだから歩きだけど、隣に並んだ長井は自転車を押している。

……いや、そう思うんなら途中で話打ち切ってくれたら良かったんじゃね?


「父さんもアレで寂しいんだと思うんだ。口では僕に母さんのトコに帰れ帰れと言うんだけどさ、ホントは僕が塾帰りに寄ること喜んでるんだよ」


この父親想いめが。なんかオレが心が狭いみたいじゃないか。


「コッチ寄ってから東区の方の家に帰ってるのか?」


「最初はそうしてたんだけど、最近はそのまま父さんトコに泊まることが多いかな。なんか向こうも居づらくてさ」


「お袋さんとあんまりうまいこといってない?」


「彼氏がいるんだよ、母さん。もちろん家には連れてはこないけど、電話とかメールとかしてる姿見るとさ、なんかね」


いや、もうそのへんでストップ! 気軽に訊いただけなのに、そんな話まで出てこられると反応に困るって。

……いや、まあ、話すことで長井がちょっとでもスッキリするんなら、聴くのは聴くけどさ……何も言えんけど。


「あのさ……夏目君」


ホイ来た。さあ聴こう、少年よ。

オレは慈愛の心で待ち構える。

だけど言葉を選んでるんだろう長井は、中々言い出せずにモジモジしている。

そしてようやく思い切ったように口を開く。


「鳴滝さんと仲いいよね?」


は? ナルタキ?? 誰だソレは???


「夏目君と同じクラスの鳴滝ウメノさん。彼女って、その、彼氏とか好きな人とかいたりするのかな……?」


は????

ウメノ?????

消え入るような語尾のその暗号文が意味するところを、オレは中々読み解くことができなかった。

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