保健室の目のやり場

「くそおおおおおおあおおおおっ」


オレは思いっきり叫んでいた。時は昼休み。所は学校の保健室。


「鶴撃ちと寒波で四十五万ぐらいでつかぬ。そりゃ叫びたくもなりまつね」


「言うな」


具体的な金額は考えないようにしてたんだ。ショックがでかすぎる。


「何があった?」


そう訊くのは保健室の先生のカリンさん。

腰まで届く長い黒髪をアップに纏めていて、切れ長の眼を飾るのは細いフレームの赤縁メガネ。保健室の先生だから当たり前なんだけど、白衣なんて着こんだクールビューティーなもんだから、男子生徒からの人気には凄まじいものがある。

しかしその実、カリン先生もオレたちと同じく魔術士だったりする。

だけど、先生はバグハントには参加しない。学校の就業規則で教職員の副業が禁止されているからだそうだ。そんなの隠してりゃ分からないのにって、オレなんかはつい思っちまうけどな。

オレたちやカリン先生が魔術士だなんてことを知ってるヤツなんて、この学校には誰もいない。そもそも魔術士は自分がそうであることは周囲には極力隠すもんなんだ。

けどそのつながりで、保健室は普段からオレたちパーティーの溜まり場にさせてもらっていた。今も昨夜のメンバーが全員、この狭い保健室に集まっている。


「昨日のバグハントでトラブルがあったんですよ」


「そうだ。事情を説明する前に、ユキト、これを飲んでみてくれ」


液体の入った紙コップが、オレの鼻先に差し出された。

バグハントには参加しない代わりに、カリン先生の興味は魔術で人のケガとか病気を治すことの研究に向けられている。

まあ保健室の先生らしいっちゃ、らしいんだけど、中でも先生が特に得意とする魔法である解毒魔術に対しての情熱は並々ならないものがある。

……あり過ぎてコッチが身の危険を感じることも多々あるんだが。

うん、つまりは……。


「これわなんでつか?」


ウメノが紙コップをつつく。


「サキシトキシン、いわゆる貝毒の水溶液だ。摂取すると四肢の弛緩性麻痺や呼吸困難が起き、死に至る」


「飲みません !!」


この保健室に通うようになって間もない頃の、人生初の臨死体験の苦い記憶が甦る。

あの時は、先生の濡れたような睫毛の奥の瞳にしっとりと見つめられて舞い上がり、なんの疑問も持たずに、出された飲み物を一気に飲み干したんだ。

後からウメノに聞いた話じゃ、先生は白目を剥いてケイレンを起こしているオレに数種類の魔法を試し、最後に「もうそろそろ死ぬか」と呟いてようやく、解毒の魔法を使ったんだそうだ。

ちょうどその頃、オレは死んだばあちゃんと思い出話に花を咲かせていたわけだが。

と、ようするにカリン先生は、オレを解毒魔法の実験体にする機会を虎視眈々と狙っていて、だからオレはここで出された物には絶対に口を付けないことにしてるんだ。


「そうか。飲むのがイヤなら筋肉注射でも構わないんだが?」


言いながら、既にカリン先生はディスポ注射器のビニール袋を開封している。


「ちょ、ちょっと。もちろん注射もしませんからっ!」


デスクで長い足を組む先生から逃げるように、オレは対面の椅子から立ち上がる。


「冗談だ。座りたまえ」


いや、絶対に本気だった。


「だけど注射器がムダになってしまうな。ユキトに投与するつもりだった毒だが、どうだアヤメあたり?」


ベッドの端にちょこんと座っていたアヤメは突然話を振られて、大きな目をぱちくりさせると


「ユキトくんのためだった毒……なんか嬉しい」


花が咲いたようにニッコリ笑う。


「いや、やめとけよっ!?」


二人以外の全員のツッコミが入る。


「とにかくですね……」


カリン先生の外道っぷりに呆れながらも、脱線どころか始まりもしていなかった本題に話をもどすべく、オレは口を開いた。


「ふむ……」


オレが昨夜の出来事をできるだけ詳細に伝え終わると、先生は腕を組んで思案顔になった。

組んだ腕の上に乗っかる大人のボリュームに釘付けになる目を引き剥がす努力をすることもなく――ようはガン見しながら、オレは先生の言葉を待つ。


「一番の疑問は、なぜその一団が昨夜のその時刻、その場所でバグハントが行われることを知っていたか……だな」


いつどこにどんな異界体バグが出現するのか――それはカンパニーからハントを請け負った魔術士のみに知らされる情報だ。

昨夜オレたちがバグハントを行うことを、あの黒ずくめどもが知ることなどできなかったはずなんだ。

あいつらが去った後、オレたちもその点については話し合っていた。だけど、もう時間が遅かったこともあり、結論は今日に持ち越すことにして昨日は解散したのだ。


「タマタマ、というのわどうでつか? 人の獲物を横取りしちゃろうと狙って街を徘徊してたアイツらが、タマタマ、オイラたちのハントを見つけてラッキーみたいな?」


ウメノが口を開く。コイツがタマタマいうとやたら引っ掛かりを覚えるんだが、まあその意見自体はマットウじゃないだろうか。


「ランの区界魔法が効いていたのだろう? 魔法はなんだ? 『小さな庭』か? アレはそこに〈在る〉と知っていない限りは魔術師でも発見するのは至難の技だと思うが……」


思案顔を崩さないままカリン先生が応える。いや、この少し冷たいような顔が萌えるんだ。オレは胸と顔に視線を行ったり来たりさせる。

なかなかに忙しい。


「ではカンパニー内部での情報漏洩というのはどうでしょうか?」


ランが言う。


「出現予測の段階ではそれは有り得なさそうだが、ハント依頼のメールの内容が何らかの手段で漏れる、ということはあるかも知れないな」


カンパニーはバグの出現を100パーセントの正確さで予測する。カンパニーの情報管理はかなり徹底されており、情報の取り扱いも限られた担当者のみが行うらしく、そこから外部に漏れる可能性は限りなくゼロに近い。

カンパニーは、予測した異界体バグの強さや出現位置から考えて、適任であると判断した魔術士に討伐依頼の連絡をする。その手段は大体、メールのようだ。

だから、もし漏れたとすれば、やはりそちらということになるのか。

どうしてもメールを使えない、使いたくないという魔術士の場合には(高齢者なんかだとけっこういるらしい)電話などでの連絡も行っているようだが、オレたちの場合はパーティーを代表してランがメールでやりとりをしてくれている。もしもそのメールが覗かれたとしたら、いつどこでバグハントするかなんてのも丸わかりだろうし、待ち伏せだってヨユーだよな。


「もしもインターネットサーバー自体をハッキングしちゃえば、メールの内容もやり取りしてる画像なんかも見放題ですもんね」


そこまで言うとサクラはなぜか赤らめた頬に手をやった。そしてさらに小さな声で、独り言みたいな言葉を続ける。


「やだ、あの黒ずくめたちはきっと、〈昨日の写真を送るね〉なんていってやりとりされてるハメドリ画像が添付されてるメールなんかも覗きみたりしてるんだわ」


何か珍しい鳥の話なのか?

だけどチビっ子、今はとりあえず画像は関係ないぞ。


「だが私はそうではないような気がする」


カリン先生は眼鏡の蔓をくいっと上げる。

そりゃそっすよね。今は鳥とか関係ないし。


「と、言われますと?」


ランが訊き返す。


紺のブレザーを押し上げる胸のボリュームならランも先生に引けは取らない。むしろコッチの方がデカいかも知れない。

目のやり場に困る、とはこのことかも知れない。もちろん、どちらも見ていたいという意味で。


「ナニをキョロキョロとしてるんでつか?」


「何でもねえよ」


ウメノの声にはそちらを見ずに返す。板には興味がないんだ。


「正直言って、君たちパーティーのレベルはそれほど高くない。まあ、ほとんどの魔術士が成人した後に魔法に目覚めて、そこから成長していくことを考えると、君たちの年齢でそれだけの魔術を使いこなしているのは奇跡にも近いし、これからの可能性を考えればそれは恐ろしいほどのポテンシャルだとは思う。だけど、だ」


先生はそこで言葉を切ると、考えを整理するかのようにデスクの上のコーヒーカップを口元に運んだ。

ランは黙って言葉の続きを待っている。

白衣の巨乳はカップをソーサーに戻してから、後の言葉を続けた


「バグを横取りした者たちは20人はいたのだろう? もしもメールから好きに情報を盗むことができ、それだけの戦力があれば、もっと強いバグを狙うと思うのだよ」


「それもそうですわね」


ブレザーの巨乳もあっさりと納得した。


「確かにそうだよな」


前向いて後ろ向いてを繰り返して疲れてきた首を回しながら先生の言ったことを反芻していたオレも頷く。

カンパニーが異界体バグにふさわしい魔術士を選ぶということは、言い換えれば、レベル的にその魔術師が倒せないようなバグをあてがわれるようなことは殆どないってことだ。そして報酬はもちろんバグの強力さに比例して高額になっていく。

つまり、20人もの人間を揃えていた昨日の黒ずくめのヤツらからすると、キュクロープス一体というのはいささか物足りない獲物だってことになる。

そしてワザワザ物足りない獲物を横取りするぐらいなら、自分たちでカンパニーから仕事を請ける方が何倍も効率がいいはずだ。


「じゃあ、あとは何が考えられるんだろ?」


アヤメがアゴに人指し指を当てながら呟く。


「あと考えられる可能性は〈この中の誰かが漏らした〉だよ」


変わらない温度の声で先生はそう言った。


「え! さくら漏らしてないよ!!」


びっくりしたような声を上げたのはサクラ。この反射的ともいえるタイミングが怪しすぎるんだが……。


「オモラシしたみたいになってるね、とか、ほらもうビショビショだよとか、恥ずかしいけどちょっと低めの声で囁くように言われてみたいような気もするけど……」


オモラシがどうとかって一人でブツブツ言っているところをみると完全に勘違いしてるのが分かる。いや、オモラシってホントのちびっ子かよ。


と、そこで予鈴。


――キーンコーンカーンコーン


スピーカーから、電子合成されたどこか間抜けなベルの音が響き渡る。


「もちろん意図的にとは言ってないぞ。ただ、思わぬところで話を聴かれてたりメモ書きを読まれたりするようなことはあるかも知れん。みんな心当たりがないかよくよく考えてみておいた方がいい。ところで――」


カリン先生は話を打ち切るようにそう言うと、ふと思い出したように付け足す。


「ユキト、私の胸は堪能したか? まあ見ていただけだから、お代は軽めの毒にしとこう。アコニチン――トリカブトあたりでどうだ?」


死にますよね……それも。







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