午前二時


 なんとなく、大須を歩こうということになった。

 お年寄りと若者、リア充とオタク、日本人と外国人。混沌に満ちた人種のるつぼのようなこの商店街も、深夜は人一人いないゴーストタウンだ。

 名古屋へ来た彼に最初に紹介した場所が大須だった。日本全国を飛び回る彼にとって、名駅のビル群も栄の繁華街も東京や大阪に見劣りするだろう。でも、大須の混沌ぶりだけは、どこにも負けないと思っていたのだ。

「またお店が開いているときに来たいですね」

 私の予想通り、最初にこの商店街を歩いたときの彼は楽しそうにしていた。だけど今はどうだろう。

「じゃ、ここで待つ?」

「さすがにそれはやめておきます。風邪ひきそうですし」

 それに、と付け加えて。

「さっきも言いましたけど、明日は午後から出勤です」

「休んじゃえ休んじゃえ」

「そうしたいところですけど、自分の尻くらい自分で拭かないといけないんですよ」

 その尻を汚したのはあなたじゃないというのにね。

「会うたびに嘘が上手になっていくんだから」

「いやいや、余計な詮索しないでくださいよ」

 どうしてこの人はこんなにも嘘を吐くのが下手なんだろう。

「奥さんには土曜の昼帰りをいつもどうやって説明してるの?」

「いやだから、奥さんとかいないですから」

「うん? もう愛想つかされて出ていかれたの?」

「違いますって……」

 ほう。

「図星」

「いやだから――」

「あのね、カオル君」

 間髪入れずに私は言葉を続けた。


「男の子と女の子がお互い好きになって、身も心も交し合って、一緒に時を過ごすことが当たり前になっていたら……もう夫婦生活は始まってるんだよ」


 うふふ、と笑みを浮かべながら、私は左耳の後ろの髪をかき分けた。

「それでー、カオル君は何人奥さんがいるの? というか、私は奥さんに入っているのかな?」

「一華さん」

「うん?」

 ぎゅっと彼は私の肩をつかんだ。

「もし俺が結婚してくださいって言ったら……一華さんははいって言ってくれますか」

 まっすぐで真剣な眼差し。

 でも。

 どこか揺らいでいる眼差し。

「ダメ」

「……でしょうね」

 すっと肩から手を離した。

「いい加減に――」

「それじゃ、こうしようか」

 彼に何かを言わせる前に、また私は言葉を発した。

「ちょうど今、観音様の前まで来ているし、お参りしていかない?」

 アーケードが途切れた向こう、降りしきる雨の中に大須観音はたたずんでいた。

「そこで今一番かなえてほしいことを願うの。観音様に誓いたいくらい、かなえてほしいことを」

 持ってきた傘を私は開く。さすがに相合傘で盛り上がるようなお子様ではない。

「あ、私には言わなくていいよ。観音様にだけ」

「……わかりました」

「それじゃ、行こ」


 ねぇ、観音様。

 もしこの男が嘘を吐いた日には、どうしてくれてもいいからね?

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