アンドロイドと待ち人待ちたり

 10円玉を見つけるのは、この世で最も難しくなった。


 水浸しになった世界のあちこちには、まだぽつぽつと小さなボックスがある。

 アジェノイド曰く、それは電話ボックスというものだという。

「また一つ、賢くなったな」


 そっとノックしてボックスの中に入る。ボックスの中には支柱が立っていて、四方をガラスに囲まれている。たいていのガラスは、蜘蛛の巣のようにひび割れてしまっていた。電話ボックスは恐ろしく頑丈なのだという。

 その中に、緑色の公衆電話が入っていた。


 アジェノイドは毎日、枯れた排水溝を漁ると、10円が落ちていないか執拗に探す。一日さがして、やっと3枚見つかるかどうかってところだ。

 僕も、たまに見かけたらアジェノイドに渡していた。「ありがとう」と大げさなぐらいに謝るので、僕は妙だなと思っていた。10円玉を欲しがるのなんて、アジェノイドくらいだから、面白くって何枚もあげた。そうしたら、アジェノイドが目的を教えてくれた。「声を聴きたいような人は居ないか? 居ないな?」と、前置きしたうえで。


 アジェノイドは教えてくれた。このボックスの中に入っているものは電話というもので、10円玉をすきまにねじ込み、ぽとりと落とすと、どこか遠くでちゃりんと鳴った音がする。それで、10円玉は消えてしまう。二度と戻ってこない。

 だからどんどんと、10円玉がなくなっていくのだ。

 硬貨を入れたら、持ち手の方を持ってじっと待つ。震える指で、数字をダイヤルして。じじ、という、硬貨が飲み込まれる音を聞いて、それで、運が良ければ……気の遠くなるほど運が良ければ、失われた人たちの声が聞けるのだ。


「もしもし?」




 番号には途方もないいくつもの組み合わせがある。アジェノイドはずっとそれを探していた。文字通り、0から探すのだ。適当にやればそのうちに誰かに繋がるだろうと思っていたら、しかし、アジェノイドはかつての、彼の持ち主の番号を探しているのだった。

 誰でも良かったら、とっくに、その願い事は叶っていただろうになあ、と思う。

 あるいは似た人とか。同じような声の波なんていくらでもあるだろうから。



「10かける……なんとおりだろうね」

 ぼくは、ただ一人を待ち続けるアジェノイドに聞いた。アジェノイドは古いけれど、ぼくよりもずっと頭が良い。

「そういう計算は問題じゃない。いかようにもやるさ」

 理性的なロボットが口にするとは思えないことばだなあ、と思った。

 いっそアジェノイドの聴覚がぶっ壊れてしまえばいい。誰のか分からないかすれ声だって、大好きな人のだと錯覚するだろう。

「声を聞けば分かる?」

「ああ、わかる。ひとこと聞けば分かる。品のいいお坊ちゃんだ。言葉を覚えたときからいっしょだ」

 そんなのわかりっこない、と、僕は思っていたのだけれど、アジェノイドは自信を持って断言した。

「そうしたら諦めがつく?」

 アジェノイドはいやそうな顔をしたけれど、頷く。

「それをするまでは壊れきれん。ミレンだ」


 アジェノイドは、未練で立ってる。バッテリーの保証期間はとうに過ぎ去っていたけれど、それでもなお、この地面に立ち続けるならなにか意味があるのだろう。


 アジェノイドには、いつだって眠る権利はあるはずだけど、ただ一人に「おやすみなさい」って言って欲しいのだ。


 どうか。神さま、彼の途方もない試みが、とっとと終わってくれますように。アジェノイドは0から試しているから、9の字が続いてばかりいれば、アジェノイドは眠れない。なるべく早く、なるべく早い数字で、アジェノイドが眠れますように。アジェノイドの浮いた基盤が痛々しくて仕方ない。


「その子はなんて名前?」

「―――」

「ひょっとすると、僕がその、―――、かも」

「ありがとう」

 せっかく僕が得意のうそをついてあげたのだけれど、アジェノイドは笑ってごまかしただけだった。

「いいんだよ、長生きするから」

「そっか」

 アジェノイドはふうっと息をついた。

 ひょっとして、アジェノイドの聴覚が衰えたりしたら、誰かを目当ての人と間違っても好きだろうか。だって、うそつきの僕には、その方が早そうに思えるのだもの。

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