アンドロイドの一日は23時間

 お腹の中にぽっかりと大きな空洞が空いている。腹が空いているのだろうか。


 アーヴィンはゆっくりと空を見上げると、夜光性塗料の瞬きに目を凝らした。

 午前2時。

 誰かに時間を問うまでもない。

 ネオンサインがまたたく、午前2時の空。河岸を変えるサラリーマンたちが居酒屋に流れ込み、24時間営業のファストフード店には、人影がまだある。ブティックはとっくの昔に営業を終えているが、ビルの上階ではそれと交代するように、レストランや、バーや、ラーメン屋の屋台や、日本風の寿司屋がまばらに営業をしていた。

 深夜2時の街頭テレビは喋ることがもうないらしく、広告と交代交代で気温と湿度を無機質に大フォントで強調していた。

 底知れない暗さを地面に横たえて、上層の青さはそのままに。ビル群の明かりがまだらにしのばれる大都会の空。

 都会のあちこちを、空っぽのアンドロイドがゆっくりと歩いている。行くあてもなく、なにもすることがない彼らは、実は同じ場所をぐるぐると行ったり来たりして寂しくなった都会の隙間を埋めている。


 街のアンドロイドはせわしない。

 周りを見渡せば、人間に似通ったものからそうでもないものまで、姿はさまざまだ。ヘッドライトのような光がぐるぐると機能的にあちこちを向いて、底の黒さを拭い去るようにビル街の底を歩いている。

 雑踏を織りなすアンドロイドの群れは、ぶつかりそうでいて誰にもぶつかることはなかった。ここはすっかり、アンドロイドばっかりの箱庭だ。

「まあ、機械の方が多くなったよな」

 アーヴィンの問いかけをくみ取ったように、男はぼやいた。アーヴィンがそちらを向くと、一人の男が、電柱によりかかってタバコを吸っていた。

 道路に車は走っていないから、交通規制を守る必要もない。信号機は昼間は青で、夜中はずっと黄色の点滅だ。なにもかも発達した未来において、移動はあまり意味をなさないのだ。


 一家庭に一台、アンドロイドを使うのがふつうになった未来のことだ。出生率は緩やかに下がり、人がいなくなり、労働力を必要として、世界にますますロボットは増えた。小さな不具合がいくつか。それ以上の安全がたくさん。SF映画で見るような機械の反乱など、たいした問題ではなかった。労働者との細かないさかいはあったが、アンドロイドは、値段が下がるにつれて謙虚になる。普及するたび人口に膾炙する。

 堅いアンドロイド、不眠不休の、半永久的に動き回るアンドロイドは、ときに隅っこに縮こまりながら、緩やかに人口比率を逆転していったのである。

 午前3時。

 機械たちは一斉に動きを止めた。鉢の底の光がぱちぱちと消えていく。

 決められたメンテナンスの時間が、今だからだ。アーヴィンは、目の前で先ほど雑談していた男が静止しているのにあんぐりと口を開け、閉じた。声をあげるほどのショックはなかったが、慣れていることにいささか辟易した。


 アンドロイドのなかには、人間とはさほど変わらないくらいの会話をできるものも少なくない。人の良い、困った笑顔のようなかたちで固まっている目の前の男をしばしば見た。

 機械にとって、1日はきっかり23時間。一時間を充電とメンテナンスにあてて、人よりもずっと長く生きる。

 アーヴィンは制止した機械の中を潜り抜けて、スパナを片手にぶらぶらと街を歩いて行く。地下歩行空間には水が溜まっていた。水に入れるのはごくわずかな作業のロボット類と、ごくごくわずかな人間たちの特権だ。

 一説によると、人は、海から生まれたそうだ。

 アーヴィンも泳ぎを忘れて久しい。


 午前4時。1時間かけてゆっくりと奥にたどり着くと、地下にあるサーバールームに出た。都市の心臓部とでもいえる。

 アーヴィンは、配電盤からブレーカーに手をかけてふと考える。

 もしも、自分がブレーカーをあげなかったら、機械はこのまま、みんな眠っているのだろうか。

 アーヴィンはアンドロイドだ。

 アーヴィンの初期不良は、体内時計の基準が日本ではないことだ。1時間のアップデート。耳から入りこんでくるWi-Fiに身をゆだねて、アーヴィンはゆっくりと目を閉じた。起きるのは1時間後。

 ぷっつりと意識を失うまでに、アーヴィンの脳裏をふとした疑問がかすめる。

 こんなにロボットがいるのに、この中に人間なんているんだろうか。ブレーカーをあげなかったらどうなるんだろう。自分のバグがこの街を動かしている。そう思うと、なんだかぞくぞくとする心地がして、それはたしかに人間的な感情であるようにも錯覚されるのだ。


 ぴちゃりと水音がした。小さな魚が住みついている。水が引いていることに気がついた。目を覚ましたアーヴィンは、きっかり一時間経っていることに気が付いた。魚を水の中に戻してやると、地下を回ってライフラインを辿る。

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