アンドロイドとニンジンの花
土壌。ドジョウ?どじょう。土壌……。
ぼくが廃図書館のあたりを歩いていたら、思いがけずに電子本を見つけた。家庭菜園の本だった。ふむふむ。
パラリとホログラムのページをめくってみた。わざと34ページ目から開いた。ぼくの癖で、よくかつての人間がそうするようにだった。
再現された<気まぐれ>。
ぼくらは、毎朝、今日のラッキーカラーというべきものを決めている。その本に図柄が多くてそんな色合いをしていれば、「へえ、面白そうじゃないか」と判断するという寸法だ。
ページいっぱいに広がったのは小さなポットとにんじんの花だった。にんじんのRBG値はおおむね240の244の252だった。ぼくはそれが痛く気に入ったようだった。
写真に白い字でキャッチコピーが添えてある。
「にんじんは白い花を咲かせます」
なるほど。
ぼくはどうしてもそのデータを持ち帰ろうとしたのだけれど、裏表紙の折り返しの中に入っているチップに反応してブザーが鳴った。
持ち出しには許可がいるらしい。けれど辺りには一切の気配はなかった。生き物いない。けど、ルールは守らなくっちゃ。ぼくは諦めてその本をぼろぼろのカウンターに置いて立ち去った。
この世界には、ロボットや、アンドロイドのほうが数が多い。人がぎっちりたくさんいたのは、もうすっかり昔の話。
人間のほうが、実は珍しいのだ。
ぼくたちアンドロイドは、人真似に結構な努力を重ねて来たもんだ。ぼくらは定期的に集まって踊って見たり泣いてみたり笑ったりしていることにしていた。そうすると何か、人間性らしきものが芽生えるのかもしれないと思っている。
「よお、*****」
ぼくらは働くお父さんをリスペクトして、毎週の金曜日の夜か土曜日に集まる。そこで燃料をぐいぐいと飲む。スーツは着なくても良いことにした。ぼくらはそこでなにか見世物をするのが決まりだった。
先週のkebin-25号など1から習得したロシア語を披露していた。彼の持ちネタだ。真似して。単語から。文法から。チップでインストールしないで。基盤に刻むように。少しずつ足して。声に出して。それで下手なロシア語をkebin-25号はようやくマスターしたと言った。鼻にかかるようなとんちんかんな発音をしたが、それで何かが変わったかと言えば何も変わっていないんじゃないかなあと思う。その場の他の誰もがロシア語を理解していなかった。25号は何も変わっていないでまた妙なものを落として記憶の範囲を狭めたもんだね、という空気。
うーん。
そんな感じの気持ちは分からなかったんだけど。
まわりを見ても、kebinの話は誰も聞いていなかったように思う。kebinのやることは一番人間的でよくわからない。約束の10分が過ぎたので、アストロイドがベルを鳴らした。それでもkebinは喋りつづける。
「(にんじんは白い花を咲かせます)」
あたまのなかで、ぼくはまたあの34ページから開いてみた。そして左へ左へとめくってみた。その先のページは、読んでいないので白紙である。
「おい、君の番だ」
やり遂げた顔のkebin-25号がマイクを寄越してきた。
「にんじんは白い花を咲かせます」
ぼくは思ったことをそのまま言った。一部のアンドロイドたちが笑った。半分くらいは笑わなかった。そして4分の1くらいは神妙な顔をして頷いた。
「なるほどジョウチョ的だ」
kebinはどうも満足したらしかった。
農耕?
農耕民族。ノウコウ、農耕族、ノウコー。
「なんか気になっちまってさ」
今日はkebinが一緒だった。アンドロイドは暇である。人間たちがすっかりいなくなってしまったので、なにもやることがない。人間らしいヒューマニズムを巡って、ぼくらはぐるぐる色々考えている。
「なあ、にんじんってなんだ?」
「今キャプチャーを送るよ」
ケビンは手のひらを垂直にあげると首を横に振った。
「自分の目で見て確かめろっていうのが俺の信念なんだ。百聞は一見にしかずってロシア語でなんだか知ってるか?」
「知らない」
「俺もまだだ」
ぼくはあのページをkebinに見せてやろうと思って、再び図書館を訪れていた。それなりに歩いただろう。kebinもうしろをついてきた。
あの本を見つけてページを開くと、にんじんが白い花をページに散らしている。
「なあ、これがにんじんか?」
「いや、それは紙媒体だよ」
「はぁん」
kebinはつまらなそうに息を吹いた。
けれど、にんじんのページはその本の中でも数ページだったようだ。にんじんの花を咲かせるには、どうやら種が必要らしいことがわかった。
種をどこで見つけられるかは書いてなかった。ぼくはとてもがっかりした。
「種が欲しいんだよね」
「ああ、俺も見なきゃならん。見て登録しなきゃならないな。みんなにも見せないと。驚くだろう。種ならグローサリーストアじゃないか? ロシア語で言えば……グローサルィストゥアンノッフ」
わざとせき込んだみたいなケビンが本を持ってゲートに近づくと、またビービーと警告音が鳴った。
「それ、借りれないんだ」
「ああ」
kebinは本をひっくり返すと、持ち出し禁止のためのチップを引きはがして口の中に放り込むとばりばり噛み砕く。深いbeep音が鳴って、「それは禁止されています」とつらつらとした声で誰かが言った。kebinはああ、と言って知らんぷりをすると本を抱えて廃図書館を抜け出した。
「フレキシブルにずるっこい、kebinはひょっとすると人間なのかな」
「俺が?」
kebinの首はぐるっと180度回っていた。
「俺は、人間にはなれないよ。ヒトになれるかどうかって、決まってるんだぜ、*****」
西に23、北に15。
グローサリーストアは半分くらいは水に浸かっているようなもので、今にも壊れてしまいそうだった。けれど、園芸コーナーは比較的浅い部分にあって、ぼくらはすぐに網棚から種を手に入れることが出来た。ニンジンは赤い円錐形をしていて、白くはなかったが、照らし合わせるとすぐにわかった。kebinはいなくなったとおもったら植木鉢を抱えて戻ってきた。
ぼくは指で誤差を作りながら3cmの穴をあけて種をざらざらと注ぎ込んだ。kebinは「それを俺にもやらせてくれ」と言った。ぼくらはひとつ穴をあけるごとに交代した。
「明日芽が出るかな」とぼくが言うと、kebinが「発芽にはまだまだかかるだろう」と言った。ぼくは水やりは忘れるまいとto doに予定をセットした。すこし加熱ぎみになったタービンがぐるぐると空回りしていた。kebinは何度も何度も頷いてみせた。
「このニンジンにもロシア語を付けてやらなきゃなるめえよ」
金曜日。kebinとぼくはほこらしげに植木鉢を集会所に持ち込んだ。kebinに手柄をはんぶん取られたみたいだったけどぼくは特に不服はなかった。
集会所のアンドロイドみんながいっせいに植木鉢を覗き込んだので植木鉢に影が差した。植木鉢は沈黙していて、ふちぎりぎりまで入ったまっ平らな土がぴっちりと収まっていた。みんなはじっとしていて誰も動かなかった。10分が過ぎても、アストロイドはベルで警告しなかった。そして誰も動かなかったので、ぼくらはなんとなくかわるがわるに番をした。芽はなかなかでなかった。けれど、アストロイドだけが凄い残念そうな難しい顔をしていて、あとでこっそりとぼくを呼んだ。
「たぶん芽は出ないんだと思う」
「どうして?」
ぼくはいちばん機械的なアストロイドが園芸に興味があることに多少まごついた。
「土が悪いんだな。それはよくない」
「土が悪いって?」
「もう生えないんだ。どこにも植物は生えないと思う」
「そんなことはないとおもうよ」
「あー……そうだな」
アストロイドはひどく気の毒そうな顔をしていた。
「kebinにはきみからそう言ってやってくれないか?」
しばらくの間があった。
「わかったよ」
ぼくが返事をすると、アストロイドは満足そうに鼻を鳴らす仕草をした。
「すまないな」
ぼくはずうっと植木鉢を見つめていたが、不意にくるりとひっくり返した。
どさ、どさ、どさ、と、土が地面に塊ごとに落ちてくだけちった。
6月3日。
そして、金曜日。
とてもいたたまれなくて、ぼくは植木鉢におもちゃを植えた。どうしようもなかった。拾ったなにかのプラスチック片だ。あったかそうな土を詰め直して、ぼくは植木鉢を集会場に持ち込んだ。集会所のアンドロイドはとても、なんだかとても喜んだ。kebinもだ。ちくりと心が痛んだ。ぼくを取り囲むようにアンドロイドたちは並び、ぼくに手を差し伸べて、「知ってたよ、」と言った。kebinは申し訳なさそうに頭を掻いた。アストロイドは、「アンドロイドは嘘をつけたら一人前だ」と言った。
「おめでとう、きみはもう人間だ」
ぼくは植木鉢を持って、ずっと立ち尽くしていた。そしてなんだか悲しくなって、ポロリと泣いた。植木鉢に涙がしみ込んでいった。わあっと拍手が起こる。そうか、僕は人間だったのか。
うそつきは人間の始まり。
ぼくには、嘘をつく才能があるんだ。
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