雨とアンドロイド

頻子

終幕――そして、世界にはびこるロボットたち

雨とアンドロイド

 雨が何だか真っ黒に見える。

 廃ビルの隙間を塗って上を見上げると、わずかに覗く空は雲に覆われて灰色だった。けどそこから降ってくる雨は透明だった。私は間抜けにうえを見て歩いていた。だから、つま先が、かっつんかっつん、たまに段差にぶつかって止まった。

 街に立ち並ぶビルの背は、どれもこれも恐ろしく高かった。そうやっていると口元に水滴がぴしゃりとはねた。唇を舌で舐めとるとどこかやっぱり苦い気がする。気のせいなんだろうか。ほんの一瞬、刺すような味がしたきがした。

 化学調味料?

 あんまり知らないんだけど。

 ここしばらく、清涼な水を飲んでいない気がする。




 美味しい水はとても美味しいらしい。ほんとかなあと私は思った。山奥の湧水が一番おいしいんだとか、デパートのケント・ガールは言ってた。ケント・ガールは旧式のアンドロイドで、もうデパートがあったのは何年も何年もずっと前だっていうのに一流デパートの売り子をしていたのが自慢だ。

 彼女はすらっとした体躯を持っていて、愛想笑いの出来がものすごく良くて、頭が良くて、そしてワガママなアンドロイドだ。

 ケント・ガールはありとあらゆるものに潔癖で固形の栄養食物なんかブロックみたいってよく泣く。そうやって何もしばらくは食べなかったんだけどハングリーランプが黄色に点灯して、どうしようもなくなったからなのか陰で悔しそうに燃料電池を食べていたのを見たことがある。

 私はなんだか見てはいけないようなものを見た気になって黙って引き返した。こんな優しさがロボットを傷つけるんだろう。なんとなく。


 ケント・ガールを少し気の毒に思う。

 接客する相手ももういないのに、すっと立ってビルを眺めている。自慢の美貌もすらっとした足もロボット相手には通じないのだ。


「水を飲んだらショートしちまうぜ。防水加工がなってないからな」

 アジェノイドが私に小さな缶詰をくれた。プルタブを引っ張って開けると、パキって音がした。私はじいっとにおいをかいでいるアジェノイドを見ていた。アジェノイドはにおいだけもらえればいいのだ。覗きこむと、肌色のつるりとした塊がゼリー状のものに包まれてぎゅうぎゅうと中に入っていた。

「なんなの?」

「鶏の水煮って書いてあるよ」

「水?」

「らしいな」

 アジェノイドは缶詰を私に渡した。ひっくり返してみたけれど水は一向に滴り落ちてこなかった。干からびてしまったのかしらと思った。缶詰の中身はぷるりと揺れた。アジェノイドが顎で促した。

 私はそっと肉片を小さく裂いて口元に運んでみた。おいしいのかよくわからない。これっておいしいのかな。

 でも「美味しい」と言っておいた。

 するとアジェノイドはふっと笑って優しそうな顔になる。アジェノイドもまた、人の役に立つことが好きなのだ。そう思えば、アジェノイドもやっぱりアンドロイドだ。

 アジェノイドは、浮浪者じみてる赤いアンドロイド。もともとは立派なかたちをしていただろうことが偲ばれる。立派な赤い塗装はところどころはげていて、なんだか悲しそうだ。

 けど、娯楽用というか彼には少し趣があった。私はへえ、そうなのと相槌を打ちながら点滴を腕に刺していた。ヒトの消化器官はなんだか廃れてしまった。私はそうやって水を飲む。点滴の跡は、小さな絆創膏を張ると均されてすっかり消えてしまう。ちょっと焼けるような感触がして、それはほのかに暖かくて、瞼にちいさな蛍が散るような感覚がした。こういうちっちゃい感情は、きっと、アジェノイドには理解してもらえないだろう。

 透明な絆創膏は皮膚によくなじんで、もうよくよく見なければ針の跡はわからない。

 やはりここ最近水を飲んでいない気がする。

「ショートしちまうけど、でもそれだけの価値はあるんだ。味覚デバイスが流暢にピリピリするのさ」

 アジェノイドの喉が美味しいものを求めるように上下した。そうやって食べている気にでもなるんだろうか。私はどっちかというとお腹がすくもんだと思うけれど。このへんがアジェノイドとケント・ガールのちがいなんだろうな、とわたしは思った。

「そんなに水って刺激的?」

「いや。いや。なにも味がしないんだ。けどそれがたまんねえのさ」

「どういうこと?」

「機微ってやつかね」

 アジェノイドは困ったようにデーターバンクを参照したようだった。

「上手く言えないけど。ニュアンスってやつだな」

「水飲んで死にたい?」

「死……」

 アジェノイドは答えられずに静止した。アンドロイドにとって、死ぬとかそういうのは範疇外だった。だからケント・ガールも餓死できないし、私をかばうなら喜んで砕け散るだろうけど。


 アジェノイドがわからない、と言う結論を導き出すのに三時間を要した。

 膨大な設定をいちいちたしかめるからだ。

 アジェノイドに死ぬということばはなかった。




 ここのところ、雨がずっと降っている。それでロボットたちはビルの中に避難している。けど私は構わずにそのへんをほっつきあるいていた。

 私の皮膚は水滴を弾く。色々な器官を人工物ととっかえたが、皮膚はまあ私のものだ。寒さで二の腕を触った私の腕が、絆創膏のところでわずかにひっかかった。

 もうほとんどいないようなものだが、もともと人間は海に居たらしい。

 精密なロボットは水にとても弱い。二重三重にはするけれど、しみこんでアバウトに平気なふりはできない。

 じゃあ私泳ぐのも平気なんじゃないかな、って思っているんだけど。

 泳いだことないけど。


 ずっと雨が降っている。透明に見えた水はたくさんあつまると、なのか地面の汚れをうかしてしまったのかコンクリートを映しているかで黒みがかって見えたのだ。

 水位がだいぶ増していた。

 地面には大量のジャンクがぶちまけられていて、ところどころ高くなっている。縁石やそんなところを選んで、私はそれらをたまにスニーカーで踏みながら町をてくてくと歩いていた。歩くたびに足元のネジがはねた。


 科学的に完成されたアンドロイドは半永久的に動き続けるはずだったけど、理論上ってだけでやっぱり結構壊れてしまうものだ。

 赤いネジと貝殻みたいな人工声帯がひとつずつ流れてきて、私はそれをすくってポケットにしまい込んだ。アジェノイドとおんなじ恰好をした、でも、アジェノイドではないアンドロイドの残骸だ。

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