第3話 Sweet,sweet,ghost

「それでね、つむぎさん、ここのお店のスパゲッティがね」


「またスパゲッティですか。もう三回目ですよ?」


「だってだって、好きなんだもん」


「やれやれ」


 この仕事を始めて様々なケースの案件に関わってきたが、こういうパターンは初めてだった。黒いコートを身にまとい、同じく黒い山高帽を目深に被った男は、色の入った眼鏡の位置を直しつつ、軽く溜息をつく。カランと鐘の音を響かせ扉をくぐり店内へ。若い女性向けのお洒落で明るい内装を一瞥し、さらなる溜息。明らかに、彼の存在は場違いであった。彼の「連れ」だけならば店内の他の客からも不審がられず、馴染めることだろう。真っ白なダウンジャケットを羽織った、快活そうな少女。年齢は十代後半といったところだ。

 しかし、残念ながら彼女の姿は、彼にしか見えない。傍目には、黒ずくめのむさ苦しい男が所在なさげに立ち尽くしているだけなのであった。


 ややぎこちない態度のウエィターに案内された座席に腰を落ち着ける。さすがに帽子は取って椅子の突起にかけており、顕わになったのは無造作に刈られ癖毛が跳ねた不精な頭髪。ボリボリと頭を掻く仕草は古い映画の某探偵を彷彿とさせるがさすがにそこまでの不潔感ではない。


「やっぱり、浮いてますよね、私」


「みんなこっち見てるよ。もっとこういうお店に合うような服着ればいいのに」


「これは、いわば制服みたいなものでしてね。他の格好だと落ち着かないんですよ」


「でも地味だよね。紬さんけっこう格好いいのに勿体ないよ」


「まさか。あと、この服とコートは、東京でブティックを経営してる姉のお手製でしてね。プロだけにいい仕事しています」


「ふーん、紬さんシスコンなの?ちょっと幻滅」


「シ、シスコ・・・」


 このやりとりの見えない他人からは、男が沈黙の後溜息をついてガクリと肩を落とした、としか見えない。やがてウェイターが遠慮がちに近づいてきてオーダーを求めてきた。


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか」


「カルボナーラとサラダのセット、それから・・・」


 そこで彼は一瞬言葉を切ったように見え。


「あのう、本当にこれ、頼まないと駄目でしょうか」


「もっちろん!これも食べないとここに来た意味ないもん!」


 諦めたような溜息とともに、ボソボソと。


「デザートに、特製ストロベリージェラートを、お願いします」


 ウェイターの注文の復唱を絶望的な面持ちで聞きながら、彼は今回の依頼の経緯を思い出していた。


 実際、原因不明の昏睡が魂魄こんぱくの肉体からの乖離かいりであることは、よくあるケースだった。魂魄は人の精神活動には不可欠な要素であり、生体である脳と併せて意識を作り出している概念だ。彼が今まで受けてきた仕事の中には、この魂魄を肉体に再び定着させることで昏睡状態の患者を目覚めさせる、というものもいくつかあり、成功を収めてきた。今回も、娘を助けたいと藁にもすがる気持ちの両親からの依頼で、病院を訪れたのが始まりであった。


 生命維持装置の静かな動作音、ベッドに横たわる彼女のその顔は、意識が戻らないということを知らずに見れば、ごく普通の、健康的な少女の寝顔だった。ある朝を境に既に二週間目を覚ますことなく眠り続けている症状に、医者も首をかしげるばかりであった。

 ガラス越しに彼女の両親と共にその様子を窺っていた彼に、突如声がかかった。


「ねえ、ゴハン食べに連れて行ってよ!」


 眠り続ける少女と全く同じ外見をしたその少女は、悪戯っぽく笑いかける。


「おやおや、素直に体に戻る気がないようですね」


「わかんないよ。わたしだって戻りたいけど、なんか戻れないんだもん」


「・・・少し、時間がかかりそうですが、依頼、お引受けしましょう」


 両親の方に振り返り、承諾の意を示すと、彼は病院を後にしたのだった。



 それからというもの、少女の所謂『生霊』に連れまわされ、街じゅうの―その多くは女性向きの―有名なレストランの食べ歩きに付き合わされ、遊園地や映画などに付き合わされ、一週間が過ぎようとしているのであった。当然ながら霊がものを食べられるわけではないが、彼女の姿を見、声を聞くことのできる力は、味覚さえも共有できる。霊の苦痛などを共感して理解するための能力だが、このような応用ができるというのは、彼にとっても初めて知ったことであった。



「お待たせ致しました。カルボナーラとサラダになります」


 目の前に運ばれた「炭焼き職人」の名を冠するそれは、その名の由来となる炭の粉に見立てられる黒胡椒のかかったスパゲッティ。本格的にグアンチャーレ(豚の頬肉の塩漬け)を使用しており、濃厚な味わいに彼も思わずほぅと唸り声を上げた。


「これは美味しいですね。しかしよくこれだけたくさんのお店を知っていますね」


「雑誌とかで読んで憧れてただけなんだけどさ、わたし放課後も日曜も予備校ばっかりだったし」


「いまどきの高校生は大変ですね」


「なんというかさあ、急にこのままでいいのか、って思っちゃって。そしたら気がついたらこんなになっちゃってたの」


「美味しいもの食べて楽しんで、気が晴れたらたぶん大丈夫、戻れますよ」


「うん・・・あのね、わたし、紬さんが来てくれて、よかった」


「それはどうも」


 今まで散々我儘言い放題だった彼女が急にしおらしくなったことをいぶかりながら、彼は相槌を打つ。暫く、無言の時間が続いた。味は申し分ないが、やはり女性向けなのか、いささか分量不足を残念に思いながら皿を空にする。そこで、目の前の彼女が再び口を開いた。


「紬さん、あのね」


「なんでしょうか」


「食べた感想、今度聞かせてね?」


「あ・・・」


 返事をする間もなく、彼女の姿は空気に溶け込むように、すっと彼の視界から消えていく。


 依頼の完了を確信し、ひと安心と息をついた彼の目の前に、ゴトリと大きなガラス製の器が置かれる。


「当店特製、ストロベリージェラートでございます」


「・・・っと、これは・・・」


 山盛りのピンク色のデザートを前に、やれやれ、と彼の口からこの日何度目かの溜息が洩れる。



Ghost Profile CaseⅢ・了

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