第2話 リフレイン・ダイバー

 その空気を鈍く切りつけるような音が響いたとき、何名かの生徒が窓の外を見た。窓際の最後列で机の上に足を投げ出して半ば寝そべるように座っていたその生徒は、もとより黒板のほうなど見ずにガムを噛みながら外を眺めていたために、目の前を高速で通り過ぎた『彼』とまともに目を合わせることになった。数瞬後に発生した、ドサリという衝撃音と、わずかながらも校舎が揺れるのを感じた生徒も大勢いた。

 『彼』が刻みつけたのはなるほど人間の体というものは6階ぶんの高さからの加速度を以てすればコンクリートすら陥没させることができるという痕跡。そして10名を越す生徒の心への―ケアが必要と判断されるレベルの―影響であった。


 そして、何よりも問題なのが。


 『彼』の死体どころか血痕すらも見つからない、ということであった。


 校内でも、周辺でも行方不明者はなく、生徒に限らず飛び降り自殺があったという事実は認められない、それが警察の下した判断であった。

 或いは何か―きっと人間と同程度の重量であろう―を屋上より投げ落とし、人が集まる前に下で回収する、という悪戯なのでは、というのが大方の意見として落ち着いた。生徒たちも次第に元の学校生活を取り戻しつつあった。そして、「二回目」が起きた。


 前回『彼』が目の前を落ちていくのを目撃した生徒は、担任も手を焼く素行不良生徒であったが、結局今回もふてぶてしい態度で授業に臨んでおり、またもやまともに目撃する羽目になった。半狂乱状態に陥り、落ち着いて話が聞ける状態になるまでに相当の時間を要したが、その後もオドオドと挙動不審となってしまっており、話も要領を得ないものであった。今回は振動や音を感じたという生徒はおらず、特定の生徒にだけフラッシュバックが起きたのではないだろうか、というのがカウンセラー兼任の校医の説明であった。


 しかし、その後も窓の外を落ちていく『彼』を目撃した、という生徒は後を絶たず、件の不良生徒はとうとう不登校になってしまった。生徒か或いは親から噂話が外部に漏れたためか、ゴシップ記事の週刊誌の記者などが辺りをうろつき始め、登下校中の生徒を捕まえて話を聞こうとするようになった。教職員たちの混乱も頂点に達しようとした頃、その男は現れた。

 まだ季節的には早そうな厚手の真黒なコートに、目深にかぶったこれまた黒い山高帽。丸いメガネにも色が入っており、その奥の目から表情を窺うことは困難である。


「学校関係の、そういうトラブルにも慣れている人だから」


 事前にかかってきていた県の教育委員会からの電話で素性は分かっていたものの、それでもやはり胡散臭げな様子で対応した教頭に対し、男は関係教職員・生徒への聞き込み調査や屋上への立ち入り許可を取り付けた。


「まだ確証はありませんが」


 彼は、目の前の疲れきった男を安心させるためか、少し砕けた口調で続ける。


「凶悪な霊とか、そういうことではないと思いますよ」


 そしてスタスタと部屋を後にし、行動を開始する。



 それから十日間ほど、校内のあちこちに黒ずくめの男が姿を現したが、事前に全体に通達がされていたのもあり、大きな混乱はなかった。むしろ、聞き込み調査をされた生徒などは、聞き込み前よりいくらか晴れやかな表情となり、落ち着いた様子となっていた。不登校になった生徒の家にも担任同伴で何度か訪問しており、やがて彼も出席するようになった。事件前から素行・授業態度の悪い生徒であったが、すっかり大人しく授業を受けるようになり、これには様子を伺っていた他の教職員も驚いた。


 そして、潮が引くように、『彼』を目撃するという生徒はいなくなっていった。



 放課後の薄暗い教室。のろのろと帰り支度をしている生徒が一人だけ残っている。そこに、姿を現したのはやはり例の黒づくめの男。


「さて、君で最後です、松井くん」


「・・・わかっていたんですよね、最初から」


「さて、ある程度は。『彼』の正体も、ね」


「ここまで大事になるなんて、思わなかったんです・・・」


「こういうものは悪循環でしてね。『本物』も呼んでしまうんです・・・ほら御覧なさい」


 そう言って黒づくめの男は窓の外を促す。松井と呼ばれた生徒はそれに倣って窓の方を向いた。


「!」


 いつの間にか窓が白く曇っており、そこに無数の手形がついていた。


「うあああああっ」


「落ち着いて下さい。これはそんなに性質の悪いもんでもないですから」


「う・・・う・・・はあっ」


「話してください」


「先月転校した、田上くんから連絡があったんです・・・」


 田上少年の隣の市の学校への転校の理由は、ありがちないじめのエスカレートによるところも大きかったようだ。いじめに加担せず、むしろ庇っていた松井少年とは、転校後も度々連絡を取っていた。やがて二人の間でいじめに加担した生徒たちをこらしめるための悪戯の計画が持ち上がる。最初に『彼』の目撃があった日の前夜、対象生徒たちに一通のメールが田上少年より送られている。それは、飛び降り自殺をほのめかすような内容で、いじめの心当たりのある者にとっては真実味を帯びたものであった。

 当日、わざわざ欠席した松井少年は同じく欠席してやってきた田上少年を校内に招きいれ、用意してあった砂を詰めた人形を屋上に運び込んだのだ。あとは叫び声と同時にそれを―いじめの主犯格だった少年の座席のすぐ横を通るようにしたのは言うまでもない―落下させ、下で待機していた井上少年がすぐに人形を回収、布を切って砂場で砂を捨てたあと焼却炉で処分してしまったらしい。


 彼らが行ったのは、そこまでである。その後の目撃談は、全て生徒たちの間で自然に起こったものだったのだ。



「このあたりのことは、学校への報告書には適当に済ませておきましょう」


 聞き取りが終わった後、男は立ち上がりながら声をかける。


「君、見込みありますよ。卒業したら、ウチに来ませんか」


「え・・・?」


「なんといっても、君たちは、人工的に『幽霊』を作り出したんですからね」


 少年に紙片を手渡し、男は立ち去る。紙片は手製の名刺で、こう書かれていた。


 不可解トラブル調査請負

       真額探霊社

 代表    真額 紬(MANUKA TSUMUGI)

       Tel xxx(xxx)xxxx



Ghost Profile CaseⅡ・了

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