Ghost Profile
マサナス(那須 司朗)
第1話 金曜終電の乗客
職場の仲間とさんざん飲んでしまい、終電に間に合わなくなるところだった。改札を通り階段を駆け上がると、今まさにその電車が到着したところであった。
乗り込もうとした私の目に、ベンチに座っている男の姿が映った。その男は酔った風もなく、眠り込んでいるでもなく、背筋をまっすぐに伸ばし、電車を眺めているようだ。反対方向の電車は既に終わっているから、これに乗らなければ始発まで5時間ほど間が開く。
アナウンスでも「本日の最終列車・・・」と聞こえているし、知らないわけでもないだろうに・・・分厚い手帳を膝の上に置き、なにやらメモを取っているようにも見える。
確かに興味を惹かれはしたものの、だからといって終電を逃してまで何をしているのかを尋ねるほどの酔狂でもない。
「閉まるドアにお気を付け下さい」
のアナウンスに急かされるように、私は車内に乗り込む。プシュッという短い音とともに閉められたドアの窓から、再びベンチの男のほうを覗いてみた。彼はこちらの視線に気づいたのか、じっとこちらを見つめていた。丸い眼鏡をかけ、古臭く黒い山高帽をかぶっており、コートも黒。
ふいに、視線が合った。私の目には、その男は口元に小さな笑みを浮かべ、頷いたように映ったのだった。
電車が動き出し、景色が流れ始めると、私はそんな奇妙な男のことなどとりあえず忘れ、ゆっくりと車内を見渡す。週末の終電にしては、異常に空いていた。両隣の車両にはそれなりに人がいるように見えるのに、おかしなこともあるものだ。あるいは酔った乗客が汚物でも撒き散らしたか、などと考えたがそんな臭いも感じない。あれこれ考えを巡らしてはみたものの、ともかくゆっくり落ち着いて座れる幸運を喜ぶべきだろう。ヒーターのおかげで暖かいシートに腰を下ろし、私は縦の手摺に体をもたれかけ、目を閉じる。ゆっくり、ゆっくりと灰色のもやが濃くなり、意識が沈んでいく。
気がつくと、目の前に電柱。これにもたれかかって、立ち寝をしてしまっていたのだろうか。居酒屋の外で同僚と別れてから、どれだけ経ったのだろうか。腕時計を見ると終電に乗れるかどうかというギリギリの時間であった。朦朧とした意識のまま、少し早足で歩き始める。改札を抜け、階段を苦労して上がると、そこにちょうど電車が到着したところであった。
目の前で開いたドアから入ろうとして、奇妙なことに気づく。ほかのドアでは、終電に乗るための大勢の客が並び押し合っているというのに、私の目の前は誰もおらず、車内もずいぶん空いている。そのとき、背後に強い視線を感じた。振り返ると、そこには全身黒ずくめの男がベンチに座っており、私のほうをじっと見つめているのであった。黒い山高帽をかぶり、丸い眼鏡をかけたその男は、私から視線を外さず、手元に置いた分厚い黒い手帳に何やら書き込んでいる。
以前に同じようなことがあったような既視感にとらわれながら、私は車内に入る。反対側の端のほうに数人乗客がいるだけ、というガランとした車両。一組のカップルらしき男女がこちらのほうをチラリと見たあと、何やらコソコソと喋っているような気がした。一体何なんだ、と思ったものの、空いていて座れることには文句があるはずもない。私はゆっくりと腰を下ろし
終電に滑り込みセーフで飛び乗ることができた。車内は私だけだ。なんだ、なんでこんなに空いているんだ。不自然に思いながらもシートに腰を
ああ、ちょうど終電だ。なんとか間に合ったか。飛び乗ろうとする私の肩を、何者かが掴んだ。びっくりして振り返った私の目の前に、黒い山高帽、黒いコートを着た男がいた。
「何をするんだ、家に帰れなくなるじゃないか」
文句を言う私に、その男はゆっくりと首を振り、答えた。
「このままでは、本当にどこにも帰れなくなります」
<調査報告書>
1.依頼内容
西宮塚駅「金曜終電の乗客」に関する調査
2.調査期間
2007年12月7日(金)より同年12月22日(土)
(各金曜23時より翌日1時30分)
3.調査記録
12月8日 1時20分
対象を確認、習慣より発生したと思われる自律行動
階段付近の乗車口より乗車後、周囲を見渡す
こちらに気づく素振りあり 意識の残留を認める
多くの一般客からも視認されており、強い執着を感じる
12月15日 1時19分
苛立つような行動が見られる
感情の残留を確認するが、危険度は低いと判断
シートに座るような行動の直後に、消失
12月22日 1時21分
電車の前で出現、すぐに消失(約1分)
4.考察と対応案
対象の身元の調査結果はクライアントの予想通り11月24日、車内で
心臓発作にて死亡した客であることがほぼ確定。容姿も一致する。
観察より攻撃性はなく、危険度は低いと思われるが、一般人でも視
認できるほど執着が強いタイプであり、このままでは駅の利用に支
障をきたすと思われる。
意識の残留から交渉による”立ち退き”の要請が最適と考える。
「・・・なんですかこれは」
渡されたワープロ書きの奇妙な文書に目を通し、私は男に訊ねる。いや、既に私は納得しつつあったのだ。対象というのは、つまり。
「貴方のことです。****さん」
ああ、やっぱりそうなのか、と思ったものの、呼ばれた名前もどこか他人のもののように感じる。そもそも自分が何者なのか、ということすら曖昧で、それを不自然とも思わないのだった。
「私の仕事は」
男の言葉を、遮り、私は最後の言葉を口にする。
「いいんです、もう。他の人に迷惑をかけたみたいですしね。”立ち退き”ます」
「理解が早くて助かります。いつもこうだといいんですが。ありがとうございます」
その「ありがとう」を聞いたとき、ああ、最後に聞く言葉としては悪くないなと思った。自分自身がゆらぎ、薄まっていくのを感じながら、目の前の男を見た。黒い山高帽を外して胸にあて、丸いメガネの奥の目を閉じ、黙祷を捧げているように思えた。
終電が去り、すっかり人気のなくなったホーム。様子を見に来た駅員に全てが終わった事を告げ、黒ずくめの男は歩き出す。
Ghost Profile CaseⅠ・了
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