10.永遠の思い出:前篇

『僕も、くるみのことが好きだ』

 あたしのつたない告白に蓮がそう答えてくれたとき、あたしはこれまでにないぐらい動揺した。『僕のものになって』という彼の言葉は、あたしの心をひどく揺らめかせた。

 一瞬、本当にいいのだろうか、と思った。今まで蓮が無下にしてきた女の子たちの想いをあたしが全部奪う気がして、すごく申し訳ない気持ちになってしまったのだ。

 だけど同時に、すごく嬉しかった。ようやく自覚することができた自分の想いが、伝わるなんて。そのことが、こんなにもあたしを舞い上げるなんて、思ってもみなかった。

 だからその日の夜は、妙に興奮して眠れなかった。

 いつまでも身体中から熱が引かなくて、頭の中では落ち着いた蓮の『好きだよ』という声が、壊れたCDのように何度もリピートされて――……。

「っ、あたし……こんなに乙女だったっけ?」

 布団にくるまりながら、自分で自分に突っ込みの言葉をつぶやいた。


 ――それから数日後。

 その日は土曜日で大学に行く用事もなく、あたしは一人ベッドでゴロゴロとしていた。今までの疲れがドッと来たのか、もはや動く気力もない。

 そんな時だった。蓮から電話がかかってきたのは。

『明日、どこかに出かけようか』

 携帯を耳に当てたとたん、唐突にそんな声が聞こえてきた。思わず、だらしなく開いた口から変な声が漏れてしまう。

「……へ?」

『これまであんなに気を張って、疲れたろう。何かおごるよ』

 そうなったのも僕のせいだし、ね。

 電話の向こうで蓮が小さく笑った。そんな何気ない彼の声すら、今のあたしには愛おしい。

 それにしても……確かにこのところ精神がやられていたこともあって、疲れていたのだけれど、そんなに気を張っているように見えたのだろうか。

 ともあれ、蓮がくれる好意を無下にするわけにはいかない。それに……大学以外でも蓮と一緒にいられるのは、正直言ってすごく嬉しい。

 だけどこれって、もしかしてデート?

 いや、今までも一緒に出掛けたりすることはあったけどさ。だけどあの時は幼馴染だったし。友人と一緒に遊びに行くのと同じような感覚だったし。

 変だよね。蓮と出かけるという行為自体は、今までと何ら変わらないはずなのに……あの日蓮が紡いだ『好き』という一言が、まるで麻薬か何かのようにあたしの頭をふわふわとさせて、あたしをおかしな気持ちにさせる。

『……くるみ?』

 黙ってしまったあたしを不審に思ったのか、蓮が声のトーンを落としてあたしの名を呼ぶ。いつもより低いその声はかすかな心地よさを伴って、あたしの耳に届く。

 顔が尋常じゃないほどに熱くなっているのを感じながら、あたしは電話向こうの彼に向けて、ぶっきらぼうに答えた。

「……本当におごってくれるって言うんなら、行ってもいい」

 クス、と蓮が笑う声がした。電話越しにこちらの動揺を全て見透かされているような気がして悔しい。やっぱりあたしは、蓮に勝てないんだ。

『じゃあ、明日の十一時に近くの公園で待ち合わせようか』

「……わかった」

『それじゃ、また明日。楽しみにしているよ』

 妙に感情のこもった言葉を最後に、存外そっけなく電話は切れた。温もりを一気に失ったような寂しさが、一瞬だけあたしの心を包み込む。だけど冷静になってみて、今起こった状況を整理していくうちに、あたしの身体には再び熱が戻ってきた。

 だって、ま、待ち合わせなんて……本当にデートみたいじゃん。

 今まで一緒にどこかに出かけるときは、互いに家が近いこともあって、どちらかが相手の家に迎えに行くというのがいつものスタイルだった。まぁあたしの方が蓮を待たせることが多いから、たいていは蓮があたしの家まで迎えに来てくれていたのだけれど。

 それなのに……。

「蓮の馬鹿。いつもと違うことするなんて、ホントに調子狂っちゃうじゃんか」

 枕に顔をうずめながら、あたしは小さな声で毒づいた。

 多分きっとあたしは、今夜も眠れない……。


 気付いたら夜が明けて、日曜日になっていた。

 約束の時間まであと三時間。そろそろ準備をしなくちゃなぁ……と思いながら、寝不足と昂揚感であまり働かない頭を無理やりに動かそうとする。なんだか身体がふわふわとして、変な気分だ。

 いつもより可愛い服を選んで、メイクも念入りに。少しでも蓮に可愛いって思われたいな……なんて普段のあたしなら絶対に考え付かないようなことを、気付いたらやってのけていた。恋って怖い。

「ちょっと出かけてくる」

 二階に位置する部屋を出て階段を降り、玄関先で声をかける。リビングからひょこりと顔を出した母さんが、あたしの格好を見て意地悪く笑った。

「あら、デート?」

「べ、別にそんなんじゃないし」

 恥ずかしさに顔をそむけると、あたしはそれ以上追及されないうちにそそくさと家を出た。後ろで「青春ねぇ」なんて言って笑った母さんの声は、聞こえないふりをした。


 待ち合わせ場所である近所の公園までは、せいぜい歩いて十五分くらい。日曜日ということもあって、遊びに来たのであろう親子連れの人たちがちらほらと見受けられる。

 ちょっと恥ずかしかったから、見られないようにできるだけ身を隠すようにしながら、端っこの方へこそこそと寄っていく。

 広い公園の端っこには大きな樫の木があって、その陰に隠れるようにひっそりと、白いベンチが一つだけ設置されている。こんなところは目立たないし誰も寄ってこないので、案外誰も知らない。

 偶然この場所を見つけたのは、小学校に上がったばかりの頃だっただろうか。あの頃から蓮はあたしの傍にいたから、一緒にこの場所でよく遊んだ。いわゆる、秘密基地というやつだ。

 今はもうそんなこともなくなったから、蓮がこの場所を覚えているかどうかは分からない。だけどこの公園を待ち合わせ場所に指定したのは蓮だし、きっとわかっていることだろう、とあたしは勝手に高をくくった。

 古いけれど案外立派で丈夫なベンチに腰を下ろし、あたしは何気なく腕時計を見た。十時ちょうど。……約束の十一時まで、あと一時間もある。

 蓮の性格からして、現れるのはきっと約束の二、三分前ぐらいだろうし……それまで無駄に時間を持て余してしまった。どうしようか……と思いながら、あたしはぼんやりと、樫の木から落ちていく葉っぱを眺めていた。

 はらはら、はらはら。

 ……どうしよう。なんだか眠くなってきた。

 寝るべき夜に眠れなかったくせに、こんなところで睡魔が来るなんて……これまでの怒涛の数日のせいで、あたしの身体はどこかおかしくなってしまったに違いない。

 あぁ、まぶたが重い。

 蓮が来るまでだいぶ時間があるし、少し寝ようか……。

 完全に決心を固める前に、あたしの意識は気まぐれな睡魔によって一気に連れ去られた。


    ◆◆◆


 ゆらゆらと、身体が流されているような感覚。視界もぼやけてはっきりしない。まるで強い引力によって海に突き落とされて、成す術もなく水中で溺れているみたいだ。

 そんなよくわからない状態は、少しの間続いた。


 それから……唐突にぱちん、とシャボン玉のようなものがはじけたかと思うと、視界が一気にクリアになった。


 そして、目の前に広がったのは――……。


 懐かしい、光景だった。

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