11.永遠の思い出:中篇

「おはよう、くるみ」

 いつも通り家の玄関に立っていた男の子は、朝の空気にぴったりのさわやかな声であたしにほほえみかけた。

「……おはよう」

 あたしはぶっきらぼうにあいさつを返す。これもいつものことだ。

 目の前の彼――青柳蓮はあたしの上級生にあたるが、それでも小学生。まだまだ子どものはずなのに、どこか子どもらしさを感じさせない不思議な雰囲気がミリョクなのだと、蓮と同級生であるお姉さんたちがうれしそうに話していたのを聞いたことがある。

 まぁ、あたしは小さい頃からずっとこいつといっしょだから、その辺のミリョクとやらはよくわからないのだけど。

「どうしたの、くるみ。用意できているのなら、早く行こう」

 そんなことを考えていると、蓮から声がかかった。ハッと我に返って彼を見ると、不思議そうにコテンと首をかしげている。そういう仕草はやっぱり子どもっぽい。あたしは玄関にかかっていた時計を見た。そろそろ小学校に行かなくちゃいけない時間だ。

「ごめん……ぼうっとしてた」

 素直にあやまると、蓮は困ったように笑った。

「まったく、くるみは相変わらず天然だね」

「テンネン?」

「周りを見てないってこと」

「そんなことないもん! ちゃんと見てるもん……わわっ!」

 ハンロンしながらもくつをはいて家を出ようとしたら、玄関のダンサにつまづいてしまった。完全に転んでしまう前に、蓮に身体をうけとめられる。

「ほら、危ないな」

「むぅ……」

 悔しくて唇をとがらせたあたしを見て、蓮がおかしそうに笑った。

「さ、行こう?」

 笑顔とともにさしだされた手。それは白くてやわらかそうで女の子みたいだけど、あたしのより大きくてしっかりしている。

 フマンはもちろんあったけど、これ以上ぐずぐずしていては学校に遅れてしまう。しかたなく、あたしは目の前の手をとった。


 歩いて五分ぐらいのところにある小学校までたどりつくと、げた箱で蓮と別れ、くつをはきかえ自分の教室へ行く。

 教室についたら、先に来ていた友人とあいさつを交わし、自分の席に着く。ここまではいつもの流れだ。

 それまでと違う日になるのは、ここからだった。


 朝の会が始まるまで時間があったので、あたしはマイペースにランドセルから教科書を取り出していた。すると、さっきあいさつを交わしたばかりの友人が数人あたしのところによってきた。

 あきらかに目の色がいつもとちがう。あたしが少しケイカイすると、友人のうちの一人があたしにこうたずねてきた。

「くるみちゃんって、蓮くんと付き合ってるの?」

「……へ?」

 この子たちは、いったい何を言っているのだろう。

 わけが分からず半ばコンランしてしまうあたしにかまわず、友人たちはあたしを机ごと囲むようにしながら、ぐいぐいとつめよってきた。

「ね、どうなの? 付き合ってるの?」

「蓮くんとどこまで行ったの?」

「ひょっとしてもう、キスとかしちゃった?」

「ちょ、ちょっと待って! 一気に言わないで!」

 両手をつき出して一度、コーフンしている様子の友人たちを制す。あたしが本当に困っていることを察したのか、みんな思ったよりも素直にはなれてくれたのでほっとした。

 あたしはふぅ、と息をつき、おちついてみんなにたずねた。

「まず、どこからそんな話が出てきたのか教えて」

 友人たちはいっせいに顔を見合わせた。

「えー、だってさぁ……」

「男の子と女の子がいつもいっしょにいたら、だれだってそう思うよ」

「しかも、手をつないでいたじゃない」

「みんなうわさしてるよ? あの二人はコイビト同士なんだって」

 ……あきれた。

 そんなコンキョもないうわべだけの情報で、あたしと蓮の関係を勝手に語るなんて。あたしたちのこと、何一つ知らないくせに。

 あたしは大きくため息をついた。

「あたしと蓮はオサナナジミ、だよ」

「オサナナジミ?」

 みんなには意味が分からなかったらしい。しかたがないので、かみくだいて説明することにした。

「家近いし、小さい頃からいっしょ……っていうか、メンドーを見てもらってるっていうか。兄妹って言った方がカンタンかな」

「……むずかしいなぁ」

「じゃあくるみちゃんは、蓮くんのこと好きじゃないの?」

 まだ納得できないというように、みんなはそれぞれ首をかしげたり顔をしかめたりしている。

 あたしはダメ押しするように答えた。

「好きは好きだけど、レンアイ感情じゃないよ。みんなだってお兄ちゃんと手はつないでも、恋はしないでしょ?」

「「「絶対ない!!」」」

 お兄ちゃんがいる友人たちは口をそろえ、ぶんぶんと首を横に振った。青い顔をしたり、身震いをしたりしている。多分、それぞれ頭の中でヘンな想像をしてしまったのだろう。

「でしょ? それとおんなじ」

 あたしは勝ちほこった気分で笑った。

「わかったら、もう戻った方がいいよ。もうすぐチャイム鳴るから」

 しっし、と犬を追い払うように手を振ると、友人たちは簡単にはなれてくれた。口々に何か話しているようだけど、完全にキョーミを失ったような、安心しているかのようなみんなの表情を見る限り、どうやらあたしの言うことを素直に信じてくれたらしい。あたしはマンゾクしてうなずいた。

「変なギワクなんて抱かれたら、こっちが困るもんね」

 笑いながらつぶやいて、そのまま自分の席に着く。直後、チャイムが鳴ったかと思うと、同時に教室に先生が入ってきた。


「――今日はなんだか、疲れちゃったな」

 授業がぜんぶおわったあと、あたしはため息をつきながらランドセルに荷物をつめていた。

 あの後、何人ものクラスメイトに朝と同じことを聞かれて、そのたびに同じ説明をしなければならなかった。みんな納得してくれたのはいいけど、その代わりあたしのヒットポイントが順調にけずれていくのを感じて涙が出そうになった。

 そのうち、蓮のクラスメイトからいやがらせを受ける日が来るんじゃないかと思い、寒気を覚える。

 ダメだ……早く帰ろう。

 そう思って急いでしたくをととのえていると、あたしのところにまたクラスメイトの女の子がやってきた。

「ねぇ、くるみちゃん」

「……なぁに?」

 またか、と思いながらも、笑顔で返事をする。

 目の前にいた女の子は朱里あかりちゃんだった。学年一かわいいと評判で、クラスだけでなく上級生の男の子からもひっきりなしに呼び出されているらしい。モテるってこういうことなのかなぁ……と思いながらあたしはいつも彼女を遠巻きに見ているのだが、こうして声をかけられるのは初めてだった。

 いつも自信に満ちている朱里ちゃんの大きな黒目がちの瞳は、なぜか不安げにゆれていた。

「くるみちゃん……蓮くんとは、本当に何もないよね?」

 やっぱりとは思ったけど、またその話か。まわりから聞いているだろうに、わざわざカクニンしにくるなんて、彼女はいったい何を考えているのだろう。

 あたしは半ばイライラしながらも、そんな感情はおくびにも出さず笑顔でこくりとうなずいた。

「あたしと蓮は兄妹みたいなもので、そういう感情はなんにもないよ」

「そっか……」

 朱里ちゃんは安心したように笑うと、急にもじもじしだした。

 そんな彼女は本当にいじらしくて、ため息が出てしまうほどにかわいい。『朱里ちゃ~ん』とか気持ち悪い声を上げながらさわぐ男の子たちの気持ちが、ちょっとだけわかったような気がした。

 やがて朱里ちゃんは意を決したように顔を上げると、あたしを見つめた。その目は先ほどとはうって変わって、キラキラとかがやいている。

「じゃあさ、わたしに蓮くんをちょうだい!」

「……はい?」

 ちょうだいって何だ。何をカン違いしているのだろう。蓮はあたしのショユウブツじゃないのに。

 とりあえずつめよってくる朱里ちゃんをどうにかおちつけようと、あたしはしずかな声で言った。

「それなら、蓮にキョカをとってよ。あたしに言われても困っちゃうからさ」

「えぇ……」

 朱里ちゃんは不満そうだ。きっと告白され慣れてはいても、自分から告白することはできないのだと思う。朱里ちゃん、プライド高そうだしな。それに家はお金持ちだと聞くし、きっと欲しいものは何でも手に入れてきたんだろうな……。

「じゃあ、わかった」

 あたしは朱里ちゃんに向けて指をピンと立てて見せた。

「蓮が朱里ちゃんを好きになってくれるように、あたしがサポートする」

「本当に!?」

 朱里ちゃんは再び目をかがやかせ、ずいとあたしにつめよってきた。あたしはのけぞりながら、何度もこくこくとうなずいた。

「手始めに、今日からいっしょに帰りなよ。もうすぐここに蓮が来ると思うから」

 言いながら、なだめるように彼女へと両手を突き出す。それで朱里ちゃんはようやくはなれてくれた。「やったぁ」と言いながら自分の席に戻り、荷物のつまったランドセルをひったくるようにしてつかむ。

 これ以上めんどくさいことに巻き込まれてはたまらない。

 そう思ったあたしは数分後、何も知らずに教室へやってきた蓮に、むりやり朱里ちゃんを突き出した。不思議そうに首をかしげる蓮とうれしそうにほっぺたを染める彼女を、むりやりにくっつけ教室を出す。

 やがて蓮は朱里ちゃんに連れられ、玄関に向かって歩いて行った。

 二人の姿が遠ざかると、あたしは自分の席にもたれかかって大きなため息をついた。

 ぼうっとしながら窓の外を見る。二人はもう玄関を出たみたいで、校門の近くを歩いている姿が見えた。あたしや朱里ちゃんよりも丈夫そうな蓮の腕に、朱里ちゃんがミッチャクするように自分のほっそりとした腕をからめている。二人とも本当にきれいな顔をしているから、そうしているとすごくお似合いに見えた。まるでこの間行った美術館で見た、絵の中の恋人たちのようだ。

 ちょっとだけ、ちりちりと胸が痛んだような気がした。だけどそれ以上に大きな疲れがあたしをおそったので、その時はあまり気にすることはなかった。

「……帰ろ」

 へとへとの状態でランドセルを背負う。

 帰っている途中であろう二人に会わないように十分ほど時間をつぶしてから、あたしは教室を出た。


 ――これが、あたしのキューピッド人生の始まりだった。

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