04.恋に悶える心
「私、青柳先輩のことが好きなの」
深雪にそう告げられ、くるみは何故か胸が引き絞られるような痛みを感じた。
くるみがあまりにも深刻そうな表情をしていたからだろうか、深雪が不安げに瞳を揺らしながら、恐る恐るといったように尋ねる。
「駄目……かな?」
その声にハッとしたくるみは、何度も首をぶんぶんと横に振った。
「全然! っていうか、大歓迎!」
あたしも、蓮にはいい彼女を見つけてあげたかったからさ。
強がるように、自分の心情を悟られまいとしながらそう言うと、深雪はほっとしたように笑った。
「ありがとう」
「任しといて!」
絶対、今度こそ。この恋は叶えてみせる。
心に生まれた違和感を消し去るように、くるみは決心を固めた。
夕方、いつもの喫茶店――大学以外で奈月と話をするときは、いつもこの場所を使っている――で、くるみは早速このことを奈月に報告した。
「今度こそは絶対成功させるの。深雪のためにも、蓮のためにも、絶対!」
興奮気味に息まきながら報告するくるみに、奈月は若干気圧され気味になっていた……が、やがて哀しそうに瞳を細めた。
気付いたくるみが話をやめ、心配そうに彼女を見る。
「……どうかした?」
奈月は少しの間、言おうか言うまいか迷うように口を開閉させていたが……意を決したようにくるみを見据えると、一言こう言った。
「くるみちゃん……本当に、それでいいの?」
後悔とか、絶対しないって言える?
くるみは意表を突かれ、思わず目をぱちくりさせた。
「後悔って……何よ、それ」
「くるみちゃんが後で苦しむことになったら……嫌だから、わたし」
心からくるみを心配しているかのような声とその表情に、くるみは胸がちくりと痛んだ。
「な、なぁに……奈月ったら、変なこと言って」
絞り出すように声を出しながらも、くるみは耐えるようにうつむいた。
奈月にはきっと、全部わかっているのだ。わかっているからこそ、くるみのことを心配しているのだろう。
ならば、このまま奈月に全てを告げて、この違和感の正体が明らかになったら……そうしたら、自分は楽になれるのかもしれない。この正体不明の痛みと苦しみから、逃れられるのかもしれない。
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎる。
けれど……もしそんなことをしたら、今からやろうとしていることができなくなるかもしれない。一度したはずの決心が、揺らぐかもしれない。
そうなったら……深雪にも、蓮にも、申し訳が立たなくなってしまう。
そう思い直したくるみは、勢いよく顔を上げた。眉をハの字にしながらこちらを見ている奈月を励ますように、心配ないという気持ちを込めて、精一杯笑顔を作ってみせる。
「大丈夫。……絶対に、後悔なんてしない」
全てがうまくいけばきっと、あたしだって嬉しい。あたしも、幸せな気持ちになれるはずなんだから。
「……そっか」
くるみの笑顔を見て、奈月も微笑む。けれど瞳はいまだ哀しそうに、彼女の身を案じるかのように儚く揺れていた。
◆◆◆
「――蓮は大体、昼は食堂にいるから。友達と一緒の時もあるけど、大体は一人。だからさりげなく同じテーブルについて、話しかけてみるといいよ。『ここ、空いてますか?』とか言って」
翌日の早朝、大学の校舎裏にて。
目立たない茂みのところに隠れるように座り込みながら、くるみはこそこそと小声で話していた。
「他のところだと……そうだなぁ、授業終わっても案外遅い時間まで図書室とかにいるよ。そこで話しかけてみるのも手かも」
くるみの隣に座っている女の子――深雪はうんうん、と相槌を打ちながら、真剣な表情でメモを取っている。
「深雪はちょっと人見知りなところがあるから、初めは緊張しちゃうかもしれないけれど……案外蓮って気さくだよ。話もちゃんと聞いてくれるし。緊張なんてすぐに和らぐから、大丈夫」
自信を持って、と言って、笑いかけてみせる。
しかしそれでもまだ、深雪には気がかりなことがあるようだった。少々おどおどしながら、くるみを呼ぶ。
「ね、ねぇ、くるみちゃん」
「なぁに、まだ心配なことでもある?」
不思議そうにコテンと首をかしげたくるみに、深雪は恐る恐るといった風に尋ねた。
「くるみちゃんってさ、青柳先輩といつも一緒にいるよね」
「え、あぁ……まぁね」
それがどうかしたの、と尋ね返すと、深雪は泣きそうな顔で必死にまくしたてた。
「私、不安なの。くるみちゃん、私の想像以上に青柳先輩のことたくさん知ってるし。お願いだから、そうだったら今のうちに言っておいてほしいの」
「言うって何を?」
「だから……くるみちゃん、青柳先輩と付き合ってるんだったらそう言って。私に遠慮なんてしなくても全然いいからっ」
あぁ……なるほど、そういうことか。
深雪が不安に思っていることをようやく察したくるみは、今にも泣きそうになっている深雪の肩を励ますようにポンッと叩いた。
「大丈夫よ。あたしのことは気にしなくていい」
そうだ。気にする必要なんて全然ない。
「あたしと蓮は、単なる幼馴染だよ。いわば兄妹みたいなもの。それ以上の関係なんてありえないし、今更恋愛感情なんて抱くはずないわ」
あたしもそうだし、蓮だって同じはず。
半ば自分に言い聞かせるように、満面の笑みで言った。
「本当に……?」
潤んだ瞳で見上げてくる深雪に、そのままの表情でうなずく。
「本当よ。あたしを信じて」
それでようやく、深雪は心から安心したようだった。哀しそうな表情から一転して、嬉しそうな笑みを浮かべる。
くるみはにっこり笑って、もう一度うなずいた。
そうだよ、蓮と自分は単なる幼馴染。そんな彼に対して、今更恋愛感情なんて抱くはずがない。
胸が腫れ物のようにじくじくと痛むのは、きっと気のせいだ。
くるみは一瞬真顔になると、深雪に聞こえないように呟いた。
「大丈夫。気のせいに……決まってるんだから」
――昼休み、二人は早速行動を起こすことにした。
多くの人をかき分けながら食堂へ向かうと、案の定蓮はそこにいた。幸いなことに、今日は一人のようだ。
蓮は比較的静かなところを好むので、よほど人が多くて座れないとかそういったことがない限りは、誰もいないテーブルに座る。やはりその日も例外ではなく、空いているテーブルを目ざとく見つけた蓮は、食事が置かれたお盆を置くと、自らも椅子に腰を下ろした。
その様子を壁に隠れてこっそり見ていたくるみは、彼女の背後に恥ずかしそうに隠れている深雪に小声で声をかけた。
「ほら、チャンスだよ。誰も来ないうちに早く行かなきゃ」
「うぅ、くるみちゃん……」
不安なのか緊張しているのか、深雪が泣きそうな顔でくるみを見上げる。きゅ、とくるみの服をつかんでいるのがやたら女の子らしくて、思わず守ってあげたくなってしまうほど可愛らしい。
くるみはそんな深雪を優しい瞳で見つめた。
「大丈夫、自信持って。深雪は可愛いんだから。蓮だって、きっと気に入ってくれるはずよ」
微笑みながらぽん、と彼女の肩を叩くと、深雪は意を決したようにうなずいた。
「……行ってくるね」
「行ってらっしゃい、深雪。健闘を祈っているわ」
くるみから離れ、てとてとと食堂の中へ駆けていく深雪を、くるみはどこか切なそうな瞳で見送っていた。
◆◆◆
深雪の蓮に対するアタックが始まって、数日が経った。
深雪はうまく蓮に話しかけることができたらしく、あの後嬉々とした様子でくるみに報告してきた。
『私の名前も覚えてもらえたみたいだし、もう幸せっ!』
心から嬉しそうに微笑む深雪に、くるみまで嬉しい気持ちになる。けれどやっぱり、心に生まれた違和感は消えないままだった。
その日は楽しみにしているゼミナールの日だったが、くるみはなんとなく憂鬱な気分だった。行きたくないなぁ……と、いつもなら考えないだろうことを考えてしまう。
しかし唯一の楽しい講義だから、と自分に言い聞かせ、指定された教室へと足を向けた。
いつものテーブルに着くなり、深雪が華やかに笑いながら「あ、くるみちゃん!」とこちらへ手を振ってくる。いつもおとなしい深雪にしては珍しい。今日の彼女はよほど機嫌がいいと見える。
暗い気持ちになるのを無理やりにでも浮上させると、くるみは笑顔で手を振り返した。
席に着くなり、頬を紅潮させながら深雪が話しかけてくる。
「あのね、くるみちゃん」
「機嫌良さそうだね。蓮とうまくいってるの?」
そう言ってやると、深雪は元気良くうなずいた。
「うん! 結構仲良くなれたかも」
「そっか、よかったね」
ズキリと胸が痛むのを堪えながら、くるみは嬉しそうな笑みを作った。
「でね、聞いてくれる?」
「いいよ、何でも話して」
「ありがとう。昨日ね……」
その日の深雪は、いつもよりよく喋った。蓮と徐々に距離が近づいていることが、本当に嬉しいようだ。
深雪が幸せならば、こちらも嬉しい。……はずだった。
なのにどうして自分は今、彼女の笑顔にひどく苛立っているのだろう。
「でね、蓮先輩が……」
いつの間にか呼称が『青柳先輩』から『蓮先輩』へと変わっていることに気付き、くるみはドキッとした。
それだけ……二人の距離は縮まっていたということなのだろう。自分が関わっていないところで。
自分の、知らないところで。
自分の中で渦巻く混沌とした感情を悟られまいと、くるみは笑顔を貼り付けた状態で、深雪の言葉の一つ一つに相槌を打っていった。
――その日の夜、くるみは蓮にメールを打った。
『芹澤深雪って子、どう? あたしの友人なんだけど。可愛いし、いい子でしょう』
送信しようとして、一度ためらった。
けれど自分は、あくまでも二人のキューピッド役。蓮が深雪のことをどう思っているのか、知っておかなくてはいけない。そう思い、我慢して送信ボタンを押した。
蓮はいつも返信が遅いので、返事が来るまで放っておくことにした。
しかしどうしてもあれこれ考えてしまい、自然にちらちらと携帯電話の方を見てしまう。気を紛らわせるため、近くにあった雑誌を適当に広げて読んでみるが、集中できない。
雑誌に目を落とし、落ち着きなく携帯電話をチェックして……ということを幾度も繰り返し、やがて三十分ほどが経った。携帯電話がメールの受信を知らせたのに気づき、くるみは慌てて携帯電話を手に取った。
送信者は蓮。今日はいつもより比較的返信が速いな、とくるみは思った。
荒れ狂う心臓をなだめながら、深呼吸しつつメールを開く。
蓮は絵文字や顔文字といったものを使わない。黒い文字だけが並ぶメールは一見そっけなく見えるが、慣れてしまえば別にそうでもない。むしろ蓮が絵文字や顔文字を使い始めたら、逆に気味が悪くて引いてしまうだろう。
いつもの文字だけのメール画面には、こう書かれていた。
『あぁ、深雪ちゃん? 最近仲良くなったけれど、本当にいい子だよね。話しやすいし、一緒にいても楽だよ』
ほとんど働かなくなった頭で、書かれている文字の意味をようやく理解したとき、心臓のあたりがキリキリと痛んだ。
蓮が今まで女の子の名前を憶えていることは、ほとんどなかった。ましてやくるみ以外の女の子のことを、下の名前で親しげに呼ぶなんて。
そして、彼から初めて発された『一緒にいて楽』という言葉。今までの女の子をそんな風に表現したことなど、一度もなかったのに……。
これは、初めてうまくいきそうな予感がする。
今まで色々と苦労させられてきたくるみにとって、それは長年の願いがようやく叶うのと同じことで、何より喜ばしいことのはずだった。
なのに……何故、こんな気持ちになるのだろう。
まるでこの世の終わりが来たみたいな、絶望的な深い悲しみを、感じているのだろう。
原因不明の感情に耐えるように、くるみは強く唇をかんだ。
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