おまけ

決して離れない

「ねぇ、ちょっと試してみたいことがあるんだけど」

 ある晴れた休日の昼下がり、駅前にて。待ち合わせ場所に現れた桜井先生がわたしを見つけるなり駆け寄ってくると、目をキラキラと輝かせながら唐突にそんなことを言い出した。

 あぁ……また、突拍子もない思いつきか。

 初めて会った時から彼のそういったところは変わらないので、わたしは特に驚きもしなかった。それどころか妙に脱力してしまい、大きくため息をつく。

 わたしが高校生の頃――わたしたちが、まだ単なる塾講師と生徒という関係性だった頃。彼は突然、どこかへ出かけようとか何をしようとか言っては、わたしを色々と連れ回した。

 あのときは単に授業の一環だ、と言っていたけれど……わたしにとっては、純粋に楽しい出来事でしかなかった。彼もまた、楽しいと言ってくれた。

 正直言うと、今もあまりその辺は変わっていない。変わったと言えば、その行動に『デート』という少々それらしい名前が付いたことくらいだ。

 そんな彼が今、また何かを思いついたらしい。面白いものを見つけた子供のようなその純真無垢な目が、時々憎たらしく感じる。

 それでも、そんな彼を含めて好きになってしまったのだから仕方ない。惚れた弱み、というやつだろうか。本人には口が裂けても絶対言ってやらないけど。

 わたしはもう一つため息をつき、彼に尋ねた。

「今度は、一体どんな馬鹿なことを思いついたんですか」

「君、今サラッと俺にひどいこと言ったよね? 俺がいつも馬鹿な提案をしてるみたいな言い方したよね?」

「否定はしません」

「そこはちょっとくらい否定して!」

 ひどいよ~、と嘆くような声を上げながら頬を膨らませる彼は、やっぱり可愛い。本当にわたしより年上なのだろうか、と疑ってしまう。

「はいはい、ごめんなさいね」

 わたしは笑いながら、自分より首一個分ほど上に位置する彼の頭を、よしよし、と撫でる真似をした(身長的に届かないので、本当に撫でることはできない)。

「で? 試したいことっていったい何なんですか」

「あ、そうだ!」

 忘れてた、というように、彼がポンッと手を叩いた。さっきまで拗ねていたのに……相変わらず切り替わりの早い人だと感心する。

 彼は再び目をキラキラと輝かせると、妙に興奮しているようなテンションの高さで言った。

「手をつなごう!」

「……はい?」

 わたしは眉を寄せた。今更何を言っているのだ、この人は。

「手なら、いつもつないでいるじゃないですか」

 ほら、と言いながらいつもの通り、彼に向かって手を差し出す。しかし彼はわたしの手を取ることなく、ただ首を横に振った。

「違うんだよ、いつものつなぎ方じゃなくて」

「……?」

 わけがわからないので、手を出したままの状態で首をかしげる。彼はじれったそうにわたしを見た。

「うーん、わからないかなぁ……じゃあ実際にやってみるよ」

 言い終える前に、彼はためらいもなくわたしの手を掴んだ。そしてわたしの指と指の間に、彼自身の指を一本ずつ編みこむように絡めていく。いつもより密着したようなその手のつなぎ方に、自然と顔が熱くなった。

「せ、先生!?」

 けれど彼はそんなわたしの心情をまるで知らないかのように、嬉々とした表情のままつないだ手を上へ持ち上げた。

「これさ、知ってる? 恋人つなぎ、っていうんだって」

「知ってますよ。知ってますけど」

 でもそれを今やることはないじゃないか。しかもこんな公共の場で。

 彼を軽くにらみながら、わたしは内心叫びまくっていた。

 たまに、この人には羞恥とかそういった感情が根本的に欠落しているのではないか、と思ってしまう。というか、そうとしか思えない。何事もないかのように、サラッとこんなことをやってのけてしまう彼には……。

 これは、計算してわざとやっているのか。それともそうではなく、単に天然なだけなのか。

 どうしていいか分からずあたふたするわたしを見ていったい何を思ったのか、彼は不意にとろけるような優しい笑顔になった。

「なんかこれってさ、普段より密着してていいよね」

 俺たちは絶対に離れない、って証明しているみたいじゃん?

 ……何で急に、そんな愛おしげな顔をするのか。そして、妙にこちらが嬉しくなるようなことを言うのか。

 やっぱり、あなたはずるい人だ。

 このままでは打ち負かされたような気がして悔しいので、わたしは強がるように精一杯の笑顔を作った。

「じゃあ、今日はこのままいましょうか」

 離したら、許しませんからね?

 彼は大きく目を見開いた。ハトが豆鉄砲を食らったような……という表現が、まさにぴったりだ。

 あまりにも純真無垢な反応に、逆にこちらの方が恥ずかしくなってしまった。彼の手を離さぬまま、黙ってすたすたと歩きだす。すると必然的に彼も、わたしに引っ張られるように後ろをついてくるような体制になった。

「え、本当に離さなくていいの? このままでいてくれるの? ちょ……ねぇ、藤野!」

 後ろから聞こえてくる焦ったような、それでいて嬉しそうな弾んだ声に、わたしは答えることも振り返ることもしなかった。

 この手だけは絶対に離すまい、という、どこからか急に湧き出てきた、わたしらしくもないような熱い思いを抱きながら。

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