亡き友を偲ぶ
私――青柳龍次には、随分長い付き合いの友人がいた。
彼の名前は桜井葉一、桜井健人の父親だ。だから健人のことも幼いころから知っていたし、二人の関係についても熟知していた。
葉一には頑固なところがあって、それゆえに彼を嫌う人間も多かった。
自由主義な健人は、そんな葉一にずっと反発していた。実際、親子間での諍いも絶えなかったようだ。
健人は葉一と何かあるたびに私のところに来て、自分は父親のような人間には絶対ならないと、子供のように頬を膨らませながら不機嫌そうに愚痴っていた。
私は特に何かアドバイスをするわけでもなく、いつも黙ってそれを聞いていた。私が下手なことを言うと、健人は私に対しても反発心を抱く恐れがあったからだ。あまり敵を作りたくないという私の勝手なわがままもあったけれど、それ以上に私は、純粋な健人に、これ以上他人を簡単に嫌うような人間になってほしくなかった。
『あんな奴じゃなくて、柳さんが俺の父さんならよかったのに』
これが、健人の口癖だった。
◆◆◆
「龍次、俺はどうしたらいいんだ……」
街外れの塾、塾長室――私の部屋にて。
私の目の前には、来客用のソファに腰掛けながら頭を抱えてうなだれている一人の男がいた。ただでさえ跳ねている彼の茶髪が、さっきから掻きすぎてぐちゃぐちゃになっている。
私はため息をついた。
「葉一……お前、また健人と喧嘩したのか」
一応尋ねてはみたが、聞くまでもなく分かっていた。先ほどまでこの部屋には健人がいて、散々父親に対する愚痴を聞かされたばかりだったからだ。
案の定、葉一は憔悴したようにこくりとうなずいた。
「お前のことだから、また何か……そうだな、おおかた門限がどうとかうるさく言ったんだろう」
葉一がますますうなだれる。私はもう一度、大きくため息をついた。
「全くお前という奴は……いつも言っているだろう。いちいち縛り付けるようなことを言ったら、健人は反発するだけだって」
「そうは言ってもだな、健人は昨日夜中に帰ってきたんだぞ。何の連絡もなく……まだ中学生だというのに、危ないだろう」
「心配なのはわかる。が、頭ごなしに『何時には帰ってこい!』などと言うのはよくないと思うぞ。お前のことが心配だからせめて連絡ぐらいしてくれと、正直に言えばいいのに」
「それが言えたら苦労はしないんだよぉぉぉ」
うああああ、と錯乱したような声を上げながら、葉一は抱えた頭を激しく振った。ガツンガツン、と机に頭がぶつかる音がする。さすがに危ないので、私は彼の暴走を止めるべく立ち上がった。
全く、これで出血でもされたらたまったものじゃない。私の机が汚れたらどうしてくれるというのだろう。
ようやく葉一を落ち着けたところで、私は一つの提案をしてみた。
「思い切って、ビデオでも撮って気持ちを伝えてみてはどうだ。もうすぐ健人の誕生日だし、ちょうどいいんじゃないか」
今までうなだれていた葉一は顔を上げた。その眼は大きく見開かれている。
「す、すぐに撮ってすぐに健人に見せるのか!? それは駄目だ、心の準備が……」
再びあうぅ、と奇声を上げ、葉一は頭を抱えた。また机に頭をぶつけられたら困ると思い、思わず腰を浮かせる。
が、私の意に反して、葉一は暴走しなかった。時々少しうめき声をあげたりはしていたが、基本そのままの姿勢で動かない。何かを考えているようだ。
葉一はしばらくそのままの姿勢でいたが、やがてゆっくりと顔を上げた。表情からして、おそらく彼の中で何かを決めたのだろう。
「よし、わかった」
宣言するかのごとく言うと、「ありがとうな」と形だけの礼を告げて、葉一は急ぐように部屋を出て行った。
――数日後、葉一は再び私の部屋にやってきた。いつもの通り来客用のソファに腰を下ろすと、挨拶もそこそこに、私に一つのビデオを差し出した。
「……なんだ、これは」
何の説明もないままいきなり差し出されたそれを見て、私は首を傾げた。
葉一は少しの間言いよどむように口を開閉させていたが、私の目を見据えると、覚悟を決めたように話し始めた。
「昨日、お前は『ビデオでも撮って気持ちを伝えてみればどうだ』と言っただろう。それで……撮ってみた」
「しかし昨日お前は、心の準備ができていないとか言って却下したじゃないか」
私はびっくりして、思わず口をはさんだ。しかし葉一は静かに首を振った。
「違う。今年渡すんじゃない」
「じゃあいつ?」
「……健人が成人した時に、見てもらおうと思っている」
「成人、した時?」
葉一は目を細め、こくりとうなずく。
「だから、それまで……お前にあずかっていてほしいんだ」
「自分で渡さないのか」
「俺が渡したところで、あいつが受け取ってくれるはずがないだろう」
自嘲気味に葉一は笑う。そんなことない、と言ってやりたかったが、否定はできなかったので何も言わなかった。
「健人が成人した時に……渡してほしい」
真剣な目で、葉一が私に頭を下げる。
愛すべき不器用な友人の頼みを、私が断れるはずもなかった。
「わかった」
◆◆◆
結局、私が健人にビデオを渡す前に、葉一はいなくなってしまった。突然の事故で、彼はあっけなく帰らぬ人となってしまったのだ。
病院にも顔を出さず、葬儀でも終始どこか不機嫌そうだった健人に、私はビデオを渡すことができなかった。成人しても、まだ父親のことを家族として愛することができずにいる――そんな健人に渡しても、意味がないような気がしたのだ。
だから今年の命日、健人が奈月君を連れて墓参りにやってきたときは驚いた。どういう風の吹き回しだろう、と思ったものだ。
しかし隣に奈月君がいるのを見て、納得した。
きっと最後の年を迎え、奈月君に自分と同じ思いをしてもらいたくないという気持ちが強まったのだろう。それで、あえて彼女をこの場所に……。
今の彼になら、真実を伝えてもいいだろう。
ようやくそう思うことができるようになったので、少し遅くなったが、私は葉一の形見を健人に託した。
数日後、塾にやってきた健人の目はひどい有様になっていた。それでもその表情は清々しいものになっていたので、おそらく彼の中で乗り越えたものがあったのだろう。
健人は私を見かけるとすぐに寄ってきて、深々と礼をした。
「ありがとうございました、柳さん」
「あのビデオを、見たんだね」
私が声をかけると、健人は元気よくうなずいた。
「俺は……馬鹿者ですね。あんなに立派で、愛情を注いでくれた父親がいたのに、それを全部反故にしていたんですから。だから今更、こんなこと言うのもアレなんですけど……」
どうしようもないというように、小さくため息をつき……それから健人はにっこりと笑って、
「俺の父さんは、あの人です。間違いなく。あの人しか……ありえません」
と言い切った。
あぁ、やっと……やっと、健人はわかってくれた。健人にようやくお前の思いが通じたよ、葉一。
私は心の中で友人に語りかけながら、にっこりと笑い返した。
健人は「それからね、柳さん」と弾むような声を上げると、心からうれしくて仕方がないというような様子で、もう一つの報告をくれた。
「藤野もやっと、咲葵子さんのこと『おかあさん』って呼べるようになったんですって!」
「本当か! それはよかった」
私も発する声が自然と明るくなる。
それからしばし他愛のない話をしてから、健人とは別れた。
鼻歌を歌いながら、仕事をすべく部屋へ向かう。柄にもなく、スキップでもしたいような気分だった。
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