17.答えをください:その2
第一志望にしていた大学の合格発表を、翌日に控えたある日。奈月の携帯にメールの着信があった。
「誰だろう……?」
普段奈月が使用するのは主に電話なので、メールが来るのは珍しい。ごく稀に来るメルマガめいたものだろうか……? と首を傾げながら、携帯を開き送信者を確かめる。
そこで奈月は、驚いたように目を見開いた。
「くるみちゃん……?」
奈月にメールを送ってきた相手は、中学時代から交流のある、友人の東雲くるみだった。
中学時代は同じクラスだったこともあり、厳格な父親に隠れて頻繁に会っていたものだが……高校で別れてからはお互い予定が合わず、連絡することも減っていた。
そんな彼女からの久しぶりの連絡。少しびっくりはしたが、やはり嬉しいものだ。奈月は思わず頬を緩ませた。
メール画面には、相変わらずテンションが高そうな文字が並んでいた。
『やっほー、久しぶり! 元気してる? お互い受験も終わったことだし、久しぶりに会いたいな。これからちょっとお茶でもしようよ!』
奈月ははやる気持ちを抑えながら、拙い手つきで――メールをあまりしないため、操作に慣れていないのだ――返信した。
『いいよ。じゃあ、いつもの喫茶店でいい?』
すると、一分もしないうちに返信がきた。さすがは現代っ子。これぐらいのメール操作はお手のものらしい。
『イエース。じゃ、三時に現地集合ね』
『了解』
手短に返事を打ち、着替えと身支度にかかる。
三時の十五分前に準備を整え終え部屋を出ると、リビングでパソコンに向かう咲葵子に告げた。
「おかあさん、ちょっと出掛けてきます」
「あら、遊びにでも行くのかしら?」
咲葵子がとたんにパソコンから目を離し、嬉しそうに言う。その少女のような無邪気な反応に、奈月は苦笑した。
「えぇ、まぁ。ちょっと友人に会ってきます」
「そう。気をつけて行ってらっしゃいね」
にこっと笑い、咲葵子は再びパソコンに目を向ける。時計で時間を確認し、奈月は家を出た。
「行ってきます」
いつもの喫茶店――外でくるみと会う時は、決まってこの場所だ――に着いた時には、まだ約束の五分前だった。
まだ来ていないだろうか、と思いながら、喫茶店に入り中を確かめる。きょろきょろと辺りを見回していると、奥の席からこちらへ手を振るお洒落な女の子の姿が見えた。
「お客様、一名様でよろしいですか」と尋ねてくる店員に「いえ、待ち合わせです」と手短に告げ、奈月は女の子――東雲くるみのもとへ歩み寄った。
「久しぶり、奈月」
ボブカットの明るい髪をふわりと揺らし、くりっとした丸い目を親しげに細めて笑う。薄化粧を施したその可愛らしい顔や、ファッション雑誌に載りそうなほどセンスのいい服装や持ち物が、まさに『今時の女の子』という雰囲気を漂わせる。
奈月は正直、そういった女の子はあまり得意ではなかった。なんというか、あまりにもテンションが高くて着いていけないのだ。楽しむだけならいいのだが、腹を割って話すにはやはり向かない。
だけどくるみは常に周りに気を配り、気遣い、テンションもちゃんと相手が疲れない程度の高さに合わせてくれる。だから奈月も、くるみの前では自然体でいることができるし、何でも話せるのだった。
くるみは立ったままの奈月に「座りなよ」と促し、そそくさとメニューを開いた。
「せっかくだしさ、飲み物以外にも何か頼まない? 受験頑張ったご褒美で、さ」
そうだね、と笑顔でうなずき、奈月もくるみと一緒にメニューを覗き込む。どれにしようか……としばらく話し合い、結局奈月はキャラメルケーキと紅茶を、くるみはモンブランと珈琲をそれぞれ頼むことにした。
注文したものが来るまで、お互いの志望校や受験についての話をした。
「そういえば、くるみちゃんは推薦で受かってるんだよね」
「うん。あそこの大学なら偏差値もなんとか大丈夫だったし」
「推薦ってどんなことしたの?」
今まで一般入試にしか縁のなかった奈月には、未知の世界だった。
「小論と面接。でも小論はあたし苦手だったから、全然できなくて。だから……」
そこまで言うと、くるみは少し声を潜める。奈月も自然と前屈みになった。
「代わりに面接で、これでもかっていうくらいアピールしたの」
だから合格できたんだよ、と、くるみは軽くウインクした。奈月は思わず笑ってしまう。
「何か、くるみちゃんらしいね」
「そう?」
ふふ、と悪戯っぽくくるみも笑った。
「奈月は? こないだ受験だったんでしょ」
「わたしは……そうだね、まぁまぁかな」
曖昧に答える。
くるみはちょっと顔をしかめ、納得いかないというように首をかしげた。
「奈月ならもっと上狙えたんじゃないの? ……まぁ、同じ大学行けるのは嬉しいけどさ」
そう。奈月が受けた大学は、くるみと同じ地元の大学だった。奈月の家から優に通える距離に位置する、街中では少しばかり名の知れた中堅大学だ。
偏差値だけで言えば、中の上ぐらい。奈月の学力ならば、もう少し上を狙っても良かったのだ。
だけど、あえてそうしなかったのは――……。
「やっぱり、お母さんと暮らしたかったから?」
恐る恐るというように、くるみが尋ねる。奈月は微笑んで、ゆっくりとうなずいた。
「やっぱり、今まで一緒に暮らせなかったからっていうのもあるけど……やっとあの人を『おかあさん』って呼べるようになったのに、また離れるなんて嫌だったから」
「そっか……」
くるみが切なげに瞳を揺らす。いくら友人でも、家庭の事情にまで首を突っ込むことはできない……そんなもどかしさを感じているようだった。
そんなタイミングで、ちょうど図ったかのように注文の品がやってきた。二人はそれぞれ自分の分を取り、しばらく言葉もなくちびちびと食べ始める。
やがて再び、くるみが口を開いた。
「そういえば、奈月」
「何?」
フォークを口にくわえたまま、奈月が顔を上げる。妙に年相応に見えて、くるみは思わず笑ってしまった。奈月が怪訝そうに顔をしかめたのに気付き、慌てて抑える。
「いや、ごめん……」
それから言おうとしていたことを思いだしたのか、くるみは急に真剣な顔つきになった。
「桜井先生のこと、どうなってるの」
「どうって……?」
奈月が心底不思議そうに首をかしげる。じれったい、と呟き、くるみはテーブルに手をつき前のめりになった。びっくりして奈月がのけ反るのにも構わず、まくし立てる。
「だから! いい加減あんたは答えを出したのかって聞いてるの!!」
「答、え……」
その言葉に、奈月はハッとした。
かつて咲葵子にも、『答えを出さなければならない日が来る』と言われた。けれど……今は考える時じゃないからと、ずっと逃げていたのだ。
塾へ入ってから――桜井に出会ってから、今まで数えられないぐらいたくさんの出来事があった。色々な場所に連れていってもらったし、多くのことを教えてもらった。
同時に彼の様々な面を見てきた。子供っぽく無邪気で手がかかるところも、大人のように頼もしく何でも受け止めてくれるところも……守ってあげたくなるような弱々しいところも、立ち止まってしまう奈月をぐいぐい引っ張っていってくれる、強い意志にあふれたところも。
彼と塾で過ごしたり、どこかに出掛けたりするのは楽しかった。彼に触れてもらえるのは嬉しかった。彼の笑顔にはいつも元気付けられた。彼の隣にいるのは、いつだって心地が良かった。
そんな数々の思い出が導き出す、一つの答え。それはただ――……。
「……答えなんて、ずっと前から出ていたんだよ」
ただ、考えるのを避けていただけ。
「わたしは、」
わたしは、彼のことを。
「彼を……心から愛しいと思っている」
ただ、それだけなの。
絞り出すような声で、奈月は言った。
くるみは我が子を見守るような目で、奈月の頭を撫でた。
「じゃあ、伝えなきゃ。ちゃんと伝えたら、先生からも答えを貰うの。できるよね?」
奈月はただ、黙ったまま小さくうなずいた。
◆◆◆
「おかあさん。わたし、明日答えを出してきます」
くるみと別れ、帰宅したあと、奈月はリビングにいた咲葵子に向かってそう宣言した。
何の、とは言わなかった。けれど咲葵子にはちゃんとわかったようで、ただ穏やかな微笑みを浮かべながら
「頑張りなさい」
とだけ言った。
自室で携帯を開き、久しぶりに見る名前と番号を呼び出す。単調なコール音が鳴り続けるのを、奈月は心臓を押さえながら聞いていた。
やがて留守電に切り替わった。今日はどうも忙しい日だったらしい。彼が電話口に出なかったことに落胆したものの、何故か少しだけ安堵している自分もいた。
メッセージをどうぞ、というアナウンスが聞こえると、奈月はすぅ、と息を吸った。
「先生、藤野です」
それから一気に用件を、言葉に詰まらないうちに早口で告げたのだった。
「明日、塾へ行きます。いつもの教室で待っていていただけますか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます