12.わが胸の悲しみ:前篇

 秋は別れの季節と、昔から言うけれど……。


 秋風が吹き、周りの木々が揺れた。枝についた色とりどりの葉がそのたびに、かさかさと控えめな音を立てる。はらりと落ちてくる紅葉や銀杏の葉を一瞥しながら、藤野奈月は目の前の背中を追って、石階段を歩いていた。

 奈月の前を歩く、奈月よりも大きな背中の持ち主――桜井健人は、ただ黙々と石階段を上っていた。時折振り返り微笑むのは、奈月がきちんと着いて来ているかを確かめて安心するためだろう。

 気遣いは嬉しいですが、なんだかいつもと違うから調子が狂っちゃいますよ、先生……。

 そう、奈月は桜井の背中に訴えた。


 思えば今日の桜井は、様子がおかしい。顔を合わせたときから、奈月はそう感じていた。

 そう、奈月をこの場所まで誘った時も――。


    ◆◆◆


「ねぇ、藤野」

 街外れの塾での、いつも通りの授業中。桜井は唐突に奈月を呼んだ。

「何ですか」

「あのさぁ……今日この後、時間ある?」

 桜井は上目遣いで奈月を見ると、遠慮がちに尋ねてきた。その様子になんとなく違和感があったことが気になり、奈月は小首を傾げた。

「ありますけど……どうかしましたか?」

「うん……あのね、ちょっと付き合って欲しい所があるんだけど」

 桜井がそんなことを言うのは珍しかった。行きたい所があるならいつも唐突に、有無を言わさず奈月を連れて行こうとするのに。

 思えば今日の桜井は、ずっと様子がおかしかった。いつものテンションの高さはまるでないし、子供じみたふざけた言動もない。普段の桜井とは真逆の、人前に出ずいつも隠れているような消極的な子供を見ているようだった。

 もしかしたら、何かあったのかもしれない。

 奈月がそんなことを考えながら黙っていると、「駄目……かな?」とためらいがちな声がした。

「……いえ、大丈夫です」

「ありがとう。……ごめんね。大事な時期なのに、時間取らせるようなことして」

「構いませんよ」

 ひどく弱々しい様子の桜井を少しでも安心させるため、奈月は出来得る限りの満面の笑みで応じた。桜井も安心したように微笑む。

「ところで、どこに行くんですか」

「場所は……とりあえず今は伏せるね。俺についてきてくれればいいから」

 桜井はその事についてそれ以上は何も言わず、それからすぐに授業を再開させた。


 やっぱり、変だ。


    ◆◆◆


 授業後、奈月は桜井の車に乗り込んだ。車内でも桜井は静かで、ずっと前を見つめていた。その様子は、かたくなに運転することへ意識を集中させようとしているようにも見える。

 やがて車は低い山道に入った。

「ここから、ちょっと歩くけど、いいかな」

 手ごろな場所で車を止めると、桜井が口を開いた。奈月は不安げな目で桜井を見つめたあと、黙ってうなずいた。

 途中で買った花を桜井が抱え、車内に乗っていたさまざまな小物を奈月が持つ。まるでお盆に実家へ帰り、親の墓参りをしに行くような……。

 桜井は奈月の準備が整ったことを確認すると、「じゃあ、ついてきて」とだけ言って、山道に作られた石段を登り始めた。


 ――そして、現在に至る。

 桜井は相変わらず喋らない。奈月も、いつもと雰囲気が違う桜井に話しかけるのをためらっていた。聞こえるのはただ、ザッ、ザッ、という二人の足音と、時折聞こえる葉擦れの音だけだ。


 いい加減、どこへ行くのか教えてもらってもいいですか。

 この状況を打開するため、奈月は思い切って桜井に話しかけてみることにした。

「あの、」

「やぁ、健人。来てくれたんだね」

 奈月が口を開いた、まさにその時。

 二人とすれ違おうとした男性が、桜井に向かって親しげに話しかけた。

「柳さん……」

 ん?

 桜井が呟いたその呼称に、奈月は聞き覚えがあった。恐る恐る男性の方を見ると、よく知った顔がそこにあった。

「青柳塾長!」

 年配の、落ち着いた雰囲気を纏った男性。彼は街外れの塾で一番偉い立場にいるはずの人――塾長だった。

 奈月の声に気づいたのか、塾長こと青柳は桜井の後ろへと視線をやった。奈月の姿を見つけ、にっこりと笑いかける。

「おや、奈月君。君も来ていたのかい」

「あ、はい」

「ふぅん……」

 青柳は軽く唸り、桜井へ再び視線をやる。薄い唇が、ゆるやかに弧を描いた。

「奈月君を、連れてきたんだね」

 桜井はきまり悪そうに目を泳がせた。うなだれるように俯き、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でぼそりと呟く。

「だって……こんなとこ、俺一人じゃ絶対来れなかった」

 覗き込んでみると、桜井は唇を尖らせていた。その部分だけ見ると不機嫌そうに見えるが、瞳はひどく悲しげに揺れていた。

 青柳はそんな桜井をいたわるかのように、優しく目を細めた。

「お前が今日こうして来てくれただけでも、あいつは喜んでいることだろうよ」

 どういうことだろう。全く話が伝わってこない。

 奈月は訝しげに首を傾げながら、二人が話しているのを聞いていた。


    ◆◆◆


 途中で青柳も同行し、三人は長い石段を登り切った。

 足場がきれいに整った広いその場所には、それぞれ名前が刻まれた墓石が敷き詰められていた。墓石は最近作られたと思しき真新しいものから、まだ日本が土葬を行っていた時代の古いものまでたくさんあり、その大小も様々だ。

 奈月はその光景を見て、一瞬で悟った。

 ――ここは、墓地だ。

 青柳が先頭を歩き、桜井が奈月の手を引く。そんな風にしてしばらく墓と墓の隙間を進んでいたが、やがて一行は一つの墓の前で立ち止まった。

『桜井家先祖代々之墓』

 黒みがかったその石はまだ新しかったが、側面にはすでに幾人かの戒名が刻まれていた。

 その一つを、青柳が優しく撫でる。桜井はつらそうな表情で唇をかみしめながら、それを見つめていた。奈月もそれを追うように、青柳の手を見つめた。

「これは……一体、どなたのものなんですか」

 奈月が思い切って尋ねる。

「これはね、」

「柳さん。俺から、言わせてもらってもいいですか」

 青柳が説明しようとしたところに、黙っていた桜井が突然そう言った。青柳は待ってましたとばかりに微笑むと、鷹揚にうなずいた。

 青柳の反応を確認した後、桜井は意を決したように口を開いた。

「これは、見ての通り俺の家族のお墓だよ。そして……今、柳さんが触れているその戒名は」

 そこでいったん切り、桜井は深呼吸をした。すぅ、という音が、静かな墓地に響き渡る。

 桜井は目を凝らすように開き、墓地を――戒名を真っ直ぐ見つめた。

「その戒名は、今日命日を迎えた人――俺の、父親のものなんだ」

 奈月は初めて聞く真実に、ただ目を見開くことしかできなかった。

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