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 夜の街を、メイドは歩く。

 この街はとても雑多だ。家電量販店、パソコン専門店、オタク好みの飲食店、サブ・カルチャーの専門店。路上ではやけにスカートの短いメイド服を着た二十代前半と思しき女性が客引きをしている。雑居ビルの二階には『ねこカフェ』の文字。その隣からは大きく引き伸ばされた猫の写真がこちらを見ている。

 太一が生まれ育った日本という国について、下調べは済ませていた。太一のようなティーンに好まれる娯楽が一般的にどういうものであるかについても。

 ゲームやドラマ、映画など映像コンテンツ。ロック、ヒップホップ、電子音をふんだんに使ったテクノポップ。あとは続きが気になっている小説やコミック。『好み』というものがようわからないので、何度か繰り返し見ていたもの、特に流行しているものを優先して選ぶことにする。それにあたってフローレンスが選んだのは秋葉原という街だった。ここはメイドが出歩いていても違和感がないようだ。フローレンスが着ている物とは大分異なるが、実際にメイドがいる。

 とにかく、娯楽に関連する店舗が多い街らしい。――太一のその認識には少なからず誤解もあるのだが、フローレンスの知るところではないし、些細な問題だ。

いかに弱点が増えるとは言っても、自分が人間ごときにどうにかされるとも思わない。だが、目立つのは好ましくないだろう。この世界にも貧弱ながら吸血鬼狩りが存在するらしい。傷や返り血を作って太一の前に戻るのは、なんとなく気が進まない。

 そんなフローレンスの目論見とは裏腹に。

 このメイドは実に目立っていた。

 切り揃えた銀髪は染色とも銀髪とも違う艶を放ち。

 整った目鼻立ちはどこか作りものめいた美しさを備え。

 古き良きヴィクトリア朝時代のそれを模倣したメイド服はコスプレと呼ぶには完成度が高く。

 背筋はピンと伸び、歩く姿は控えめで、しかし堂々たる気品に溢れていた。

 二次元の世界から飛び出し手来たようなその姿に、通りすがる人々が、振り返り、目を見開いて自分の目を疑う。スマートフォンで写真を撮る者もいた。SNSを通してフローレンスの存在は拡散され、本人もあずかり知らぬところで彼女を一目みようと人が集まってくる。

 もっとも彼女自身は、随分混雑する場所なのだな、程度にしか考えていない。今彼女が考えているのは、何を持ち帰れば太一が喜ぶか、この一点のみだった。

つまるところ、どうでもいいのだ。

目ぼしい店を探しながら、フローレンスは大通りを外れ、少し暗い路地に入ってみることにする。いや、そこに目当ての店あるわけではない.

 東京の都市計画は、フローレンスの故郷と比べて洗練されているとは言いがたい。大通りから少し逸れると、途端にこの街の雑然とした姿が顔を出す。

路地は複雑に入り組み、目立たぬようオーバーテクノロジーの使用を控えて移動すると、あっと言う間に現在地を見失う。簡潔に言い換えれば、フローレンスは迷ったのだ。

 どうしたものかと考える。地図情報自体は頭に叩き込んでいるので、現在地の検出さえできればどうとでもなる。人工衛星に無理矢理アクセスすればそれは可能だが、この世界の文明レベルに見合わない道具を使ってそれを見咎められると、面倒な連中を引きよせる原因になりかねない。しかしこのまま迷って帰りが遅くなれば太一はきっと心配するだろう。ジレンマだ。

 来た道を引き返すのが良いとフローレンスは判断した。踵を返そうとしたところで、人の気配を感じ、彼女は動きを止める。吸血鬼狩りだろうか。この世界では吸血鬼などフィクションの産物に過ぎないと考えられている。

そんな社会においても吸血鬼狩りは存在するのだが、彼らが察知したにしては少々早すぎる。

 フローレンスは不審に思いながら視線を巡らせる。

 物陰に合計三人。ずっと後をつけていたのだろうか。気配を消しているわけではない。動きはまるで素人だ。敵意も殺気も感じなかった故にだろう。

 舞い上がっていた自分を恥じながら、フローレンスは足を止める。

 後ろを振り返って視線を向けると、男の内の一人が進み出てきた。

 髪は荒れ白髪が混じり、唇はかさつき、肌は皮脂でべたつき、複数の吹き出物。だらしなく太った体に合わない服を着ているためかシャツにプリントされた少女の絵柄はすっかり横に伸びて原型をとどめていない。

 他の二人も痩せているか中肉中背かくらいで似たりよったりだ。年齢、あるいは種族そのものが違うとは言え、同じ男性であるのに太一とはまるで違う。

 そんな男たち三人が、こちらを舐めるような目で見ている。フローレンスの胃の辺りにじくじくと不快感がせり上がってきた。

 気持ちが悪い。敵対する意思がないのなら、相手にする必要もないだろう。あえて騒ぎを起こす必要もあるまい。

 フローレンスはさっと踵を返しその場を立ち去ろうとするが、その耳に太った男の言葉が滑り込む。


「こ、こ、こんなお店に来るなんて、えっちなメイドさんですなあ」


 その言葉に、フローレンスは首を左に向け、傍にある建物を仰ぎ見た。一階に店舗が入っているらしい。黒い看板。どうやら性的コンテンツを取り扱う店であるらしい。


「小生達もご、ご奉仕して欲しいですぞ~」


 痩身の男が言った。顔色は悪いのに、分厚い眼鏡の奥の瞳はギラついていて、ひどく不気味だ。

 フローレンスは無視を決め込んでその場を立ち去ろうとするが、中肉中背の男がその行く手を遮った。


「ドゥフフ、どこに行くのかなあメイドさん。どうせご主人たまに奉仕しまくってん

でしょ? 拙者たちにも奉仕して欲しいなあ、もちろん性的な」


 バシュ。


 言い終わる前に、男は頸動脈から血を噴き出して倒れる。フローレンスの手は水平に振り切られ、その手には緑青色に光り輝くメスのようなものが握られている。彼女の故郷でよく使われていた医療用の刃物だ。


「邪魔です」


 フローレンスの手の平から光の刃物が消える。そのまま手を太った男の方に向ける。どこからともなく極端に砲身の短い銃のような何かが現れる。そこからほんの一瞬細い光条が走ると男の額から細い血の筋が流れ、そのまま男は糸の切れた人形のように仰向けに倒れた。


 そんな仲間二人の姿を見た痩身の男が悲鳴をあげようと息を吸い込むが、フローレンスは声をあげる暇さえ与えず、もう一筋の光条を放つ。反動のないレーザー・ガンの狙いは、拳銃と違い極めて正確に額を貫き小脳を焼き、脳幹を撃ち抜く。


 声を上げる以前に体を動かすためのシステムを破壊された男は、目を見開いたまま奇妙な体勢で倒れる。


 フローレンスは冷めた目でその姿を見下す。


(こんな不味そうな連中でも、けだものの餌くらいには……)


 始末した男たちはどうみても不健康そうで、とてもではないが太一や主人たる吸血聖母ブラディ・マリーに飲ませられるような血の味ではなさそうだ。だが保管しておけば非常食にはなるだろうし、《ヴァンパイア》を始めとする下級の吸血鬼たちを大人しくさせるのには丁度良いだろう。

 レーザー・ガンはフローレンスの手の平からいつの間にか消え、その手には注射器と銃を掛け合わせたようなものが握られている。フローレンスは無言にそのえげつないほど太い針の先端を、男の首筋に突き刺した。

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