第二話 感情を失くした少女のはなし。
(1)
「大変よくお似合いですよ、お客様」
黒髪の少女は満面の笑みを浮かべ、目の前の女性を褒め称えた。
文句なしの美少女だ。スラリとした体型で、出るべきところはきちんと出ている。目は吊り目気味で少しばかりキツめの印象を与えるが、人懐っこい笑顔がそれを差し引いて余りある愛嬌を与えていた。
「そうかしら? じゃあ、これをいただくわ」
少女の言葉は心からのものだった。何せ、少女は自分の見立てには自信がある。それがきっと客の女性にも伝わったのだろう。姿見を確認し、試着した自分の姿に満足した女性は、少女に釣られるように満面の笑みを浮かべると、そう言った。
「ありがとうございます!」
少女はにっこりと笑う。服を包装し、女性に手渡し、店先まで見送ると、少女は自分も姿見を覗き込む。お客さんが喜んでくれた、やったね。にっこりと、鏡の向こうの自分に笑いかける。
ここはとある世界の服屋だ。と言っても、本物の商品は店に並んでいない。
今だって、姿見が一つ出ているだけ。その姿見にしたって、触れることのできない
少女は姿見の隣にある壁に手の平を軽く押し当てる。淡い光の破門が、手の振れた場所を中心にした半径五センチメートルにほんの一瞬広がり、ピ、と電子音が聞こえる。
『
機械的な音声が少女の耳にだけ届く。
「姿見をしまって」
『
姿見が消えると、少女の服屋は真っ白な、完全にもっとも近い立方体に戻った。
この世界では、高度に科学技術が発達している。商品となる衣服や脱いだ服をかけるハンガー、試着室にいたるまで、必要なものはこことは別の場所に保管して、
これくらいすっきりしていた方が何をするにも楽なので、インテリアに拘るのはごく一部の、物好きな富裕層のみである。
『時刻は午後十九時、閉店時間です』
もうそんな時間か。この世界では時計を持ち歩く必要もない。あらかじめ記憶しておいたスケジュールに合わせて、AIがこのような通知をしてくれる。その通知を受けた少女はもう一度壁に手を触れた。
『
「閉店の処理をお願い」
『
会計も後片付けも、機械が代わりにやってくれる。終業時刻、イコール、帰宅。少女にとっても、他の労働者にとってもそれが普通だ。
店を出るためのドアも、AIが自動で開けてくれる。というより、その場で『作ってくれる』と言った方が的確かもしれない。少女は労働の喜びをかみしめながらインスタントの裏口をくぐり、店を出た。
***
この世界の人々が科学文明を発達させ、多くの作業を自動化していったことには理由が二つある。
一つは、少子高齢化。文明の発達は、平均寿命を大きく跳ね上げたが、一方で労働人口の減少を招いた。加えて出生率は低下し、人間の手だけで社会を運営するのが困難になっていった。もう一つは、
結果、社会は快適になったが、一方で人間にできることは極端に少なくなっていった。人間はほぼ働く必要もなくなり、寝て、起きて、管理されたスケジュールの範囲内で好きなことをして、また寝る、という日々を繰り返している。
だが、代行できないこともある。創造性や想像力、こればかりは極限まで発達したAIにも搭載することができなかった。
少女の仕事も『AIでは代行できない作業』の一つである。客の要望に合わせて服を見繕い、時に助言をする。これは知識や経験だけではどうにもならない『センス』が必要な作業だ。十二歳の時『適正あり』と判断された少女は、以後そのための教育を受け、十五歳でこの仕事に就いた。
この世界において労働者というのは『選ばれた存在』なのだ。だから労働者のほぼ全員が労働することに誇りを持ち、労働することによって喜びを得ている。少女も例外ではない。彼女の日々は、活力と躍動感に満ちている。
この世界の人々は、透明なドームに覆われた都市で生活している。ドームの内部では湿度、気温は完全に管理され、公害も災害も存在しない。少女の帰るべき自宅は店から十分ほどのところにある。彼女はそこで家族と暮らしていた。両親は労働者でなく、初等教育を終えていない弟はまだ働ける年齢に達していない。だから家族は少女の仕事の話を毎日楽しみにしていて、少女もそうして家族と話すのを楽しみにしていた。
都市内で徒歩で移動する機会というのは、ごく限られている。店にある商業区画から自宅のある住宅区画に移動する時は、全自動で運転されるリニア・タクシーを使う。少女の場合は、店の裏口から乗り場までの数十メートルと言ったところ。その一分とかからない距離を、少女は機嫌よく、鼻歌などを歌いながら歩く。
店内も白かったが、街も白い。この都市は概ねそんなようなものだ。白い方が、汚れの有無を
だから、誰もが忘れている。
それは少女が、タクシー
――リニア・タクシーの自動操縦を行っているAIに、致命的な
その後の検証によって、そういう事実が明らかになったらしい。
気付けば少女は壁に叩き付けられていた。腹部には、タクシーの流線的な車体が突き刺さっている。腹部は押しつぶされ、骨は砕け、胸より下の感覚が、何もなくなっていた。指に針を刺す以外に痛みを経験することなく育った少女には、それが内臓と骨と筋肉を破壊された激痛であると気付くこともなかったが、ただ本能の領域において、自分は死ぬのだ、ということだけは理解していた。
死にたくない。まだ私は恋の一つもしていないのに。
そう嘆いた瞬間、少女は別の場所にいた。そこには、長い金髪の美しい少女がいた。少女が何か言っているが、聞き取ることはできなかった。そこから先のことはよく覚えていない。その場所の景色も。気が付けば少女はもう、労働の喜びも、死への恐怖も、恋へのほのかな憧れもすっかり失っていた。
過去に、そういうものがあった。その記憶とフローレンスの名前だけが、今の少女に残されている。
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