(7)

 フローレンスが笑顔を見せたのはあれっきりだった。ああして客を褒めるところまでを含めて、彼女の『追体験』の一環なのだろう。

 太一の体格を把握したフローレンスは、あれ以来衣裳部屋に籠っていることが多い。何をしているかは分からないが、裁縫でもしているのだろう。今ある服のサイズを調整しているのかもしれないし、新しい服を作っているのかも知れない。それに何年かかろうが、彼女にとっては大した問題ではないのだろう。時間は、無限にあるのだから。

 太一は、自室のベッドに寝転んで、フローレンスから手渡されたクリスタルガラスの呼び鈴ハンドベルを光にかざしてみる。

 ベッドに横たわるだけで眠くなるという、随分便利な体になってしまった。これも悠久の時を過ごす上で必要な仕組みなのかもしれない。襲ってくるまどろみと戯れながら、太一は呼び鈴を手の中で弄ぶ。

 御用があればその鈴を鳴らしてください。そんな風に彼女は言った。今もこの呼び鈴を鳴らせば、彼女は音もなくこの部屋にやってくるだろう。

 控えめな彫刻の入った呼び鈴はとても綺麗だ。フローレンスが美しい思い出を飽きることなく愛でるように、太一もずっとこの鈴を飽きずに眺めている。生きている間は、大人だろうと子どもだろうと、時間に追われることは避けられない。こうして綺麗なものだけを、ずっと愛していられるのは、吸血鬼だけの特権だろう。

 服を売る仕事が、自分にとって楽しかった出来事だとフローレンスは語る。

 ――自分にとって楽しかった出来事は、なんだろう。

 自分の短い一生を、もう一度思い返してみる。

 己の不幸を呪うのは簡単だ。恨みを糧にして生き続ける者も沢山いるだろう。

 でも、記憶の中にある綺麗なものだけを掘り起こして、大切に眺め続ける永遠も、そう悪くないかも知れない。


 家族と囲む食卓。友人と過ごす放課後。


 他愛もないけれど、あの時、太一はいつも笑っていたように思う。

 他愛もないことをしよう。他愛もない、お喋りを。ありふれていたけれど決して取り戻すことのできない日々を、百年経っても、千年経っても。


 何度だって、振り返るのだ。


 太一は、体を起こすと、呼び鈴を軽く振った。

 澄んだ音が、波紋のように広がっていく。


 静かに、扉を開ける音。





「お呼びでいらっしゃいますか、太一様」


「退屈なんだ。話相手になってよ」

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