(6)

 おそらく数百メートルほど歩いたとは思うのだが、結局この城の構造はよく分からないままだ。

 階段は見かけたので、少なくとも何階層かに分かれていることは間違いないのだが、窓がないのでここがどのくらいの高さに位置しているか分からない。ただ太一の部屋から衣裳部屋までの直線距離は数百メートルあったし、ここが一番端というわけでもなさそうだから、この城自体は自体はかなりの広さがあると考えられる。飾られている絵など差異はあるが、同じ景色がずっと続くので、迷子にならない自信がない。そう言った意味でも一人で出歩くのはやめよう、と太一は思った。

「こちらが衣類の保管庫となります」

 太一を降ろしたフローレンスが、そう言ってドアを開く。ドア自体は太一の部屋のそれと変わりなく見える。ウォークイン・クローゼットというやつかなと考えていた太一は、部屋の内部を見て目を瞠った。

 そこは太一の部屋よりもよっぽど広かった。ちょっとした舞踏会でも開けそうな空間に、整然と衣装や箪笥が並んでいる。いかにもマリア・ヴァン・シルヴァニア嬢に似合いそうなゴシック調のドレスも多いが、太一が言うところの現代風の服もある。ちょっと理解し難い『未来的センス』の服もいくつかある。その数は恐らく百や二百ではきかないだろう。これをフローレンスが一人で集めたと聞くと、なんだか執念めいたものを感じる。

「どうぞ、おかけください」

 フローレンスはまたどこから取り出したのか椅子を太一の背後に置くと、座って待つよう促した。これだけ数があると、衣装を引っ張り出してくるにも相応の時間がかかるということだろう。

 太一は振り返って椅子の位置を確認する。壁際に置かれた椅子は、何故かこの城に似つかわしくない樹脂と金属で作られたアームチェアだった。先程もサブマシンガンやらを取り出していたし、吸血鬼と言ってもフローレンスは近代的な吸血鬼なのかも知れない。

 フローレンスは太一が座ったのを確認せずに、そのまま衣裳部屋の奥へと歩いて行った。太一は頬杖を突いてぴんと伸びた背中を見送る。箪笥を開ける音や僅かな衣擦れの音がよく響く。それくらいこの城は静かだ。吸血鬼となったことで太一の聴覚が鋭敏になっているのかも知れないが、太一とフローレンス以外の存在を、まったく感じ取ることができない。

 ――こんな静かすぎる場所にいて、フローレンスは寂しいなどと思わないのだろうか。

 自分のためでもなく、かと言って誰に着させるためでもなく、ただ集められた衣服の数々を見て、太一はひどく心もとない気分になる。

 フローレンスが戻って来るまでに、さほど時間はかからなかった。選ぶ余地もなかったのかも知れない。彼女が手にしていたのは太一が真っ先に所望していた下着の数々だったからだ。

 紳士用下着もかなりの品ぞろえがあるらしい。トランクス、ボクサーブリーフ、ビキニ、ふんどし――どうやって穿くんだか、よく分からない形のもの……一般的なものからかなり際どいものまで。彼女としては特に意味もなく集めたものなのだろうが、女の子が異性の、それもかなり際どいものも含めて下着を蒐集しているというのは、かなりいかがわしい感じがする。

「どうぞ、お好みのものをお取りください」

 フローレンスが持って来た下着類は、結構な量があった。サイズどれも同じで、太一に合わせてあるらしい。いつの間に測ったのだろうか。想像すると怖いので気にしないことにする。

 ――何故か女物のショーツも混ざっているが無視して、太一は生前から使い慣れていたボクサーブリーフを手に取る。フローレンスは微動だにせず太一の方を向いていた。下着を選んでいるところを見られだけでも恥ずかしいが、このままじっと見られていては穿くこともできない。

「あのさ」

「はい」

「――着替える場所とかないの?」

「いいえ。ここで着替えることは想定しておりませんので、特にお召し変え専用のスペースはご用意がありません」

 ああそう。本当に『保管庫』らしかった。考えてみれば鏡の類も配置されていないし、本当に想定していないのだろう。

「じゃあ、せめてあっち向いててくれないかな……」

 このままノーパンも落ち着かないが、フローレンスが見ている前で下着を穿くのはもっと落ち着かない。太一はフローレンスの背後を指差して、自分に背を向けるよう依頼する。

「私が下着の着用を視認することに問題があるということでしょうか」

 フローレンスは、羞恥心という概念を本気で理解できないらしかった。相変わらずの無表情で淡々と問い返してくる。

「問題あり! 恥ずかしいから見ないでって言ってんの!」

 見せつけるのが好きという輩もいるだろうが、太一にその手の趣味はない。あまりにかみ合わないアンドロイドに、ついに太一は大声を出した。フローレンスは数度瞬きをすると「かしこまりました」と一礼する。彼女はまたどこからともなく大きな布を取り出した。

「場所をご用意いたしますので、少々お待ちください」

 フローレンスは部屋の角に移動すると、天井へ向けてばっと布地を広げる。一秒と待たず、彼女の空いた手の平に空中から拳銃のようなものが出現する。いや、厳密には違う。拳銃にしては砲身にあたる部分が存在しない。恐らくは工具の類だろう。電動ドライバー? それとも違うもののように思えるが、太一が解答を得るよりもフローレンスの動きの方が遥かに早い。フローレンスは工具を天井に向けると、トリガーを数度引く。カツン、カツン、カツン。工具から釘が放たれる。布にが天井に触れる瞬間を狙って正確に投射された釘は、そのまま布を天井に縫い留める。上辺を天井に固定された布は垂れ下がり、カーテンのように部屋の角を覆い隠した。

「どうぞ、こちらをお使いください」

 即席の更衣室ができあがりである。太一は数秒の間ぽかんとしていた。数秒経っても「ど、どうも……」としか言えないような曲芸である。

「フローレンスさん、灯り貸してくれる?」

「どうぞ」

「ありがとう」

 カーテンの内側には照明はなさそうだ。太一はフローレンスからランタンを受け取ると、更衣室に入り、そそくさと下着を穿いた。

「いくつか服をお持ちして参りますので、お待ちください」

「はい」

 フローレンスがその場を離れる気配がする。彼女は特に太一の好みを尋ねなかった。記憶を読み取った時に太一の趣味も読み取ったのだろうか。あるいは彼女は彼女なりに、趣味だとかこだわりのようなものがあるのかも知れない。

「服をお渡しします。こちらを開けますが、よろしいですか?」

「うん」

 カーテンを片手で開くと、フローレンスは服を一式、太一に手渡した。受け取った太一は、更衣室の中でそれを開げてみる。スラックスとベルト、ワイシャツ、ベスト、ジャケット、幅広のネクタイらしき布。黒と白だけの、いかにも吸血鬼らしい服装だった。普段着にするには少々かっちりし過ぎている気もするが、タイ以外は太一にとっても比較的見慣れたものだった。寝間着を脱ぐと、ブラウスに袖を通し、ボタンを留める。シャツの裾はズボンの中に収めた方がいいのだろうか。迷った末、裾は外に出した。鏡がないので確認できないが、少しダブついているのが気になる。

 ――まあ、人前に出るわけでもないし。

 ネクタイもなんだか窮屈そうだし、中高と学ランだった太一には着け方もよく分からないのであっさりと諦めた。

 太一はそのままカーテンをくぐって即席の更衣室を出る。フローレンスは着替えを終えた太一を、つま先から頭の天辺まで、じっと観察している。

「……何?」

「いえ……裾をお直しします」

 視線の意味を問うた太一の声を受け流して、フローレンスはその場に膝を付くと、慣れた手付きで裾を折り畳み、空中から取り出した待ち針で印をつけていく。

 ふと、太一は不思議に思う。

「フローレンスさんは――どうやってこういうの覚えたの?」

 フローレンスは、太一の問いのほんの一瞬、手を止めた。動揺したのではなく、純粋に作業が終わったのだろう。立ち上がると「下を脱いでいただけますか」と平坦な口調で言った。

 太一はもう一度更衣室に入り、スラックスを脱いで、フローレンスに手渡した。

「私にも、過去があります。吸血鬼になる前の私は、服を売るのを生業としていたようですね。家事も、衣服の扱いも、その頃覚えたものでしょう」

 まるで他人のことのように、彼女は語る。

「今の私には感情がありません。ただ、かつて服を売っていた頃、そのことで喜びを得ていたという記憶だけはあるのです」

 カタカタと、ミシンの回る音。

「私の脳からは、感情という機能自体が失われています。喜びを得ることはできません。けれど、楽しかった出来事を、思い返すことはできます」

 ミシンの音が、止んだ。

「きっと百年経っても、千年経っても。私は過去を思い返しながらここで過ごしているでしょう――絶望するという機能もまた、私にはありませんから」

 太一が言葉を返す前に、フローレンスは「裾をお直ししました」と言って、カーテンの隙間から太一にスラックスを手渡した。

「太一様。シャツの裾は、ズボンの中にお入れください。それから、タイをお付けしますので、ズボンを穿いたらこちらにいらしてくださいますか」

「あ、はい」

 きっちりと釘を刺される。やはり、彼女なりのこだわりがあるらしかった。太一はシャツの裾を今度はズボンの中に押し込んで、ベルトを締める。

 太一が再び更衣室を出る。フローレンスは太一に歩みより、首元に手を回すと、ワイシャツの襟を立ち上げる。女の子にネクタイを結んでもらうというシチュエーションが、ひどくくすぐったく感じられた。フローレンスは緩く作った結び目の上に結び目を重ねて、太一の首元に大きな結び目(ボウ)を作っていく。要するに蝶ネクタイなのだが、太一にとっては馴染のない形だった。ボヘミアン・タイとも呼ばれるそれは、ネクタイというより、スカーフと呼んだ方が適切だろう。

 フローレンスはネクタイの他にもジャケットやベストまで妥協なく太一の着こなしを整えると、心なしか満足げに頷く。鏡がないのでどんな出来栄えか分からないが、それなりに見れる状態ではあるのだろう。太一は慣れないネクタイを窮屈に感じながらも、なんとなく誇らしいようなむずがゆいような気持ちになって、無意識に頭を掻いた。

「ど、どうかな?」

 フローレンスは、数度瞬きをすると、笑顔を作った。

「大変よくお似合いですよ、お客様」

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