(5)

 アンティークのランタンを手にしたフローレンスは、見た目以上に速い足取りで廊下を進んでいく。太一は素足のままだったので多少戸惑ったが、廊下はどこも上質な絨毯で覆われており、その点において特に不都合を感じることはなかった。ただフローレンスと太一では身長にもほとんど差がないため、太一も自然早足にならざるを得ない。だからと言って、特に疲れるわけではないのだ。ただ慣れないだけ。

 城と言うだけあって、廊下もかなりの長さがある。上質なのは絨毯だけではなかった。大理石の壁、丁寧に鋳られた金色のオーナメント、いつ、誰が、描いたかもわからない風景画や肖像画。磁器で作られた花瓶には、何の皮肉か天使が描かれている。器ばかりは豪華だが、そこに花は生けられていない。こんな世界では花は育たないのか、あるいはこの世界の『ルール』であるマリア・ヴァン・シルヴァニア嬢に花を愛でる趣味がないのか。生前の太一は植物が好きだった。だから、緑の一つもないことがひどく寂しく思えた。

 照明はほとんどないに等しい。たまにランプのようなものが申し訳程度に設えられている程度で、フローレンスの持つランタンだけが辺りを照らしている。それでも特に不便を感じない辺り、太一は『ああ、自分は吸血鬼になったのだなあ』と妙な実感の仕方をしてしまうのだった。吸血鬼は夜のいきものだ。夜目が効かないでは、話にならないだろう。ではなぜ照明がないだろう。完全な闇を見通すことは、夜行性の動物でも無理だろうし、そういうことなのかも知れないが、フローレンスに尋ねてもまた分かりませんと答えられるような気がする。イルミネーションを飾り付けるようなものなのかも知れないと太一は勝手に結論付けた。光っているものは、意味はなくてもきれいだ。

 もう一つおかしなことがある。この城には窓がない。少なくとも、部屋を含め、太一の見た範囲には一つもなかった。地上の建造物ではなく、地下の建造物なのかも知れない。なるほど、それはそれで吸血鬼らしいと言えば吸血鬼らしいが、吸血鬼になって間もない太一にとっては、なんとも息苦しさを感じさせる造りである。窓は、外の世界から光と風を取り入れるためのものだ。好きにすればいいと言われても、窓がないというただそれだけで閉じ込められたような気分になるのは、太一だけだろうか。

 そんな風に周囲を観察しながら歩いていると、フローレンスとの差が開いてしまう。その度にわざわざペースを落としてくれるフローレンスは、融通が利かないだけで案外優しいのかも知れない。太一は目の前を行くアンドロイドに対する評価を、ほんの少しだけ改めることにする。

 そのフローレンスが、丁字路に差し掛かったところで、突然足を止めた。あまりに唐突だったもので、太一は思わず前につんのめりそうになってしまった。文句を言おうと口を開くより先に、フローレンスの声。

「お下がりください」

 何故、と問うまでもなかった。

 いつのまにかランタンは床に置かれ、フローレンスは両手にそれぞれ一丁ずつのサブマシンガンを構えていた。それって、片手で撃つ奴だったっけ。大丈夫なのか。

「少々、騒がしくなりますので、耳をお塞ぎください」

 銃口の指す方向を見て、太一はうっ、と反射的に胃液を吐き出しそうになった。ゾンビなんてまだ優しい部類だった。

「これが人の姿すら失った吸血鬼――私達が『ヴァンパイア』と呼んでいる者達です」

 フローレンスの目の前に飛び出して来たのはぶよぶよした血と肉の塊だった。

 これこそ以前フローレンスが言っていた、『吸血鬼の成り損ない』なのだろう。人間の姿のままなら、まだ良い方。自我さえも失い、本能のままに動く獣以下の存在。いや、こんな姿になって人間の意識が残っているのなら、早く殺してくれというところだろう。あるいは人間の意識が残っていてこの姿になった結果『壊れた』のかも知れない。

「なんでこんなもの放置してんだよ」

「お嬢様がそのようにお決めになったからです。私にすれば、いてもいなくても変わらない存在です。招かれざる客人を排除してくれることもありますし、気に留めたこともございません」

「ああそう――」

「ですが太一様にとっては、厄介な存在でしょうね。貴方は、『ヴァンパイア』にとっても、大変魅力的な獲物ですから」

 太一からは、吸血鬼を惹きつける甘い匂いがする。そんなことを以前フローレンスが言っていた。こんな姿になっても、吸血鬼は吸血鬼。食べ物の好みはそう変わらないのだろう。

 それらは、ぶるぶるとゲル状の体を震わせると、甘い匂いの元を探り当てるべく、触手のようなものを伸ばし、昆虫の触覚のように空中を探り始める。

 触覚は、太一の方を向いたあたりで、ぴたりと静止した。フローレンスの言う通り、太一がお目当てだったのだろう。一人で部屋の外に出ていたら、こんなのに襲われていたわけか。不死の体になっていたとしても、感覚は生前と同じ。生理的嫌悪感に太一は思わず身震いする。

 フローレンスは動揺することなく、二つの銃口を『ヴァンパイア』に向けた。

「彼らもまた不死不滅の存在ですが、物理的に叩き潰せば、しばらく活動を停止します」

 フローレンスは、さらっと恐ろしいことを言う。

「叩き潰すっていうのは」

「粉砕する、の方が的確かもしれません」

『成り損ない』が今にも飛びかかろうと体を収縮させると同時に、フローレンスはトリガーを引いた。太一は慌てて耳をふさいだ。二つの銃口が火を吹き、薬莢がバラバラと地面に散らばっていく。一斉掃射される大量の弾丸は、相応の反動をもたらすはずだが、彼女は微動だにしない。吸血鬼というだけあって、身体能力もやはり尋常の物ではないのだろう。

 銃なのだから、当然弾丸も有限である。サブマシンガン二丁分の弾丸を撃ち切ったフローレンスは、あっさりとそれらを投げ捨てると、今度はどこに隠し持っていたのかガトリングガンを構えた。モーターで回転する機械式の重火器は、そもそも人間の手で保持できるようなものではないのだが、彼女は躊躇なくトリガーを引くのである。

 フード・プロセッサーで肉をぐちゃぐちゃにするかのように、三つの砲身は回転し、大粒の弾丸を雨あられとゲル状の物体に叩き付ける。半液体のそれらは、衝撃に耐えきれずあちこちにその欠片を飛散させる。肉の腐ったような匂いと、嗅ぎ慣れない硝煙の匂いが混ざりあって、とんでもない異臭を放っていた。

 フローレンスが弾丸を使いきった頃には、もう視界には見るも無残になった廊下と、無数の弾痕と、ゲル状の赤い破片だけが辺りに広がっていた。

 もう動かない。

 太一は恐る恐る、耳から手を離した。すぐさま口と鼻を抑える。これ以上は異臭に耐えられないからだ。

「やり過ぎじゃないか? 床とか壁とか――色々ボロボロだけど」

 これは修繕というか、改築が必要なレベルなのではなかろうか。

「問題ありません。気が向いた時に修繕致します」

 フローレンスはガトリングガンを投げ捨てると、床においていたランタンを再び手に取った。

「私達には、時間が無限にありますので」

 そういうものか。そういうものなのかも知れない。いくら修繕に時間がかかったところで、この『どこでもありどこでもないどこか』にいる限り、吸血鬼達は不滅なのだ。

 フローレンスは何事もなかったかのように再び歩きだす。太一も慌ててその後を追った。剥き出しに蹂躙された床には、鋭角の瓦礫が無数に転がっている。

「っ!」

 すぐに傷は塞がるのだが、痛いものは痛い。そこは吸血鬼になっても変わらないようだ。太一は、足の裏を刺した痛みに思わず小さな悲鳴をあげてしまった。

 フローレンスは振り返り、太一の顔をまじまじと見つめ、足元に視線を向けてようやく状況を把握したらしい。

「これは失礼をいたしました」

 フローレンスは太一に歩みよると、有無を言わさずに太一の膝裏に手を差し入れ、その体を抱え上げた。

 確かにこれなら足を傷つける心配はないが――なんだか腑に落ちないものを感じる。

「どうかなさいましたか?」

「――なんでもない――」

 恥ずかしい、という感情を、この吸血鬼に理解してもらうのはどうにも難しいようだ。

 フローレンスは太一という荷物を抱えてもなお変わらぬペースで、衣裳部屋へ歩いていった。

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