第304話 地獄耳

 その大男の姿は、江戸時代の資料で見たことのある刀鍛冶の姿……というよりは、もう少し古い時代のものに見えた。


 しかし、上半身の服ははだけさせてかなり露出しており、裸に近い。

 それにより、鍛え上げられた分厚い胸板が見えるわけで……ぶっちゃけ、殴られただけで死んでしまいそうだ。


 しかも、素手ではなく、右手に太刀を持っている。

 鬼気迫る表情ではあったが、隣に如月が居るのだ、いきなり斬り殺されることはないだろうと、少しビビりながらもその場で待機した。


 その大男も、如月の姿に気づいたようで、若干歩く速度を緩めて俺たちの方に近づいてくる。

 しかし、俺の顔をよく見て、そしてまた表情を険しくした。


「如月……その男、よそ者だな?」


「……いえ……、その、村外から来た方ではありますが、きちんと正式な通行許可証も持ったお客様です」


 如月も若干怖がっている。

 さっき造ってもらったばっかりの通行許可証だが、すぐに役に立ったようだ。彼女の言うとおりにして良かった。


「通行許可証、だと? ……では、あの崖崩れが解消されたと言うことか?」


 また、これまで出会った人と同じ質問だった。

 俺は今までと同様に、崖を登ってきたこと、自分の名前、松丸藩の依頼でこの奥宇奈谷の現状調査に訪れたこと、さらに商人であることを説明した。


 その上で、如月が、


「前田様は、たくさんのお塩を運んできてくれました。それに、いくつもの仙術を駆使する仙人様でもあるのですよ」


 と、にこやかに話した。


「仙人だと?」


 大男……「南雲」という名の、四十歳過ぎの刀鍛冶は、いぶかしげな表情で俺を見つめた。


「……しかし、松丸藩の役人であるのだろう?」


「いえ、先ほども説明しましたとおり、依頼……というか、なかば強制的にこの村の現状調査を命令されたのです……ですが、俺は商人でもあります。南雲様が鍛えられた奥宇奈谷刀を、是非商品として取引させていただきたいと思っています」


 俺はそう本題を切り出した。


「……俺の刀を、か……だとしたら、軽率だったな。得体の知れない奴が、その小屋の中を見てしまった。生かして返す訳にはいかぬ!」


 南雲さんは、そう言って太刀を構え、今にも俺に切りかからんばかりの気迫をみなぎらせ、再び鬼の形相で睨みつけてきた。

 その迫力に圧倒されるほどだったが、俺は冷静に、


「……ご冗談を。私は秘密は守りますよ。商人は信用第一、ですから」


 と、作り笑いを浮かべて返した。


「……なぜだ冗談と思う?」


「だって、本気で俺を殺すつもりはないのでしょう? 貴方からは、すさまじい気迫は感じましたが、殺意のようなものはその中に含まれていませんでした」


「……ふむ……それが分かるか。どうやら貴様も、如月と同じく、人の心が読める者のようだな。もっとも、生まれついての如月と違って、それなりの修羅場をくぐり抜けてきたからなのだろうが……その若さで、大したものだ」


 彼はそう言って、構えていた太刀を下ろした。

 如月は、俺の隣で、小さく安堵の息を漏らした。


「……君でも、少し怖かったのか?」


 俺が小声でそう如月に確認すると、


「はい……本気で危害を加えるつもりではないとは分かりましたが、相当怒っているようではありましたので……ごめんなさい、私の不注意でした」


 ここで言う不注意とは、迂闊に小屋の中を見てしまったことだろう。

 すると南雲さんは、彼女の小声に反応した。


「……いや、俺も不用意だった。最近はこの鍛冶場に近づく者は、弟子の八雲以外にはそうおらぬからな……つい開けっぱなしで槌を取りに行ってしまっていた」


 如月のすぐ隣にいる俺でも聞こえるかどうかの小さな声だったのに……地獄耳だ。


 そして彼は、別の何かに反応したように、少し視線を俺たちから外した。

 つられてその方向を見ると、一人の少年がこちらに走ってきていた。十二、三歳ぐらいだろうか。


「師匠ぉー、大変ですっ! 『外』からこの村に使者が来たらしいですっ! 早く隠さないと……あっ!」


 彼は、俺と如月の姿を見つけて、二十メートルほど離れた場所で立ち止まり、困惑した表情を浮かべていた。


「ふむ……間が良いのか悪いのか……まあ、見られてしまったものは仕方がない」


 南雲さんはそう言ってため息をはいた。

 もう、怒っているようではなかった。


「前田拓也と言ったな……貴様、ここで見たことを、奥宇奈谷以外……いや、この村も含めて、すべての者に秘密にできると約束できるか?」


 南雲さんが厳しい表情でそう問いかけてきた。


「はい、もちろん」


 俺のその答えを聞いた彼は、如月に視線を向けた。


「……拓也殿は、本心を言っておられます」


 彼女が、少し緊張した面持ちでそう答えた。


「……ふむ。おまえがそう言うのなら、そうなのだろうな……ならば、客人として扱おう。話したいこともいくつかあるのでな」


 これが、気難しいがこの地方随一の名工である、「河部南雲」との出会いだった――。

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