第292話 樵(きこり)

 弥生と一夜を過ごした俺は、翌朝、麦飯と味噌汁、漬物の簡単な朝食を摂って、その旅籠を後にした。

 経営者と思われる老夫婦は、弥生と仲良さそうに話している俺を見て、『そういう関係』になったと思っただろう。


「またご贔屓に、よろしくお願いいたします」


 と、満面の笑みで送り出してくれた。

 金払いも良かった俺を、上客と考えてくれたのかもしれない。


 まあ、仲良くなったのは事実だし、普通に『特別料金』も支払った。

 しかし、実際には弥生に手を出したりはしていない。

 また、時空間移動能力を持つ俺は、おそらくもうこの宿を利用することはない (おそらく、だけど)。


 一期一会。

 弥生はいい娘だったし、話をしても楽しかったが、それ以上の関係になることはないと、そう考えた。


 いや、本音で言うと、ものすごく誘惑に駆られたことは事実であって……。

 独身で、彼女がいない身だったら、ひょっとしたらそういう関係になっていたかも……。

 そんな妄想にかられる時点で、やっぱり俺は聖人君子でもなんでもなく、単なる健全な一般男子なのだろう、と思った……浮気は絶対にしない……つもりだけど。


 川上村を、麦川に沿ってさらに川上に向かって歩く。

 ここから上流は、道がかなり荒れてくる。

 その幅は、狭いところでは、向こうから歩いてくる人がいれば、なんとかすれ違うことができる程度。

 といっても、誰ともすれ違わなかったが。


 でこぼこも激しく、荷車なんかを引けるようなものではない。

 おまけに、両脇の雑草も伸び放題で、かろうじて人が踏みしめているおかげでそれが道と分かるような状態だ。

 たぶん、一日に一人か二人ぐらいしか通らないのだろうな……。


 ここまで来ればもう人目を気にしなくてもいいだろうと、準備していた登山靴に履き替える。これで荒れた道でも安心だ。

 とはいっても、それは足を挫きにくくなるというだけで、疲労が貯まることには変わりないのだが……。


 歩いて行くと、途中でいくつかの集落に出くわすことがある。

 といっても、それは数軒の家が集まっているだけで、村とも言えないぐらいだ。

 たぶん、親子とか、親戚とか、そういう単位で暮らしているんだろうな……。


 いや、人の気配がしないから、もう空き家なのかもしれない。

 もしくは、農作業とかに出ているのか? そんな疑問を持つぐらい、人に出会わなくなっていた。


 目指す奥宇奈谷は、もっと先だ。

 本当にそんな場所に村があるのだろうか……と思って、道なりに三時間ほど進んでいたら、ちょっと開けた場所に出た。


 なんか、山から切ってきたっぽい木材が積み上げられている。

 遠くから、コーン、コーンという結構大きな音が聞こえてくることから、きこりが仕事をしていることが分かる。


 すぐ側にある小屋から人の声が聞こえたので近づくと、近くにつながれていた犬に吠えられた。

 すると、血相を変えて、斧や鉈を持った男が三人出てきた。


 三十~四十歳ぐらいのおじさんたちで、俺がたった一人、かつ、武装していない事を確認すると、ほっとしたように武器を下ろして、


「脅かすなよ……兄ちゃん、見かけない顔だけど商人か? 木を買いたいなら話を聞くぜ」


 と、商談を持ちかけてきた。


 実際、俺は商人には違いないし、ここで会ったのも何かの縁だ。

 情報収集のついでに、話をすることになった。


 この時代の林業は、木を切る「樵」はもちろん、それを山から谷に下ろす人、川で筏に乗せて下流へ運搬する人、さらにそれを港から船に乗せて運ぶための卸問屋など、いろんな人達が絡んでいる。もちろん、松丸藩の税収にも関わってくるので、一介の商人が単独で商談を進めることはない。


 ここの人たちも、そういったいわゆる『組合』の人たちで、俺のことをどこかの卸問屋の手代、ぐらいに思っていたようだ。


 俺が阿東藩の商人であることを告げると凄く驚いていた。

 しかし、ちゃんと松丸藩の重鎮に、この地を旅する許可をもらっていることを告げ、すぐには商売にならないかもしれないが、そのうちに景気が良くなってきた阿東藩で木材が足りなくなったら購入するかもしれない、という話をして、人脈を作ることに成功した。


 しかし、今回の旅では、この成果は『おまけ』というか、ついでだ。

 本来の目的は、奥宇奈谷の救済である。

 そのことを告げると、


「あんなところまで行くつもりなのか」


 と驚かれた。

 この場所まででも結構遠出したつもりだったのだが、目的地はまだまだ先のようだ。

 そして彼らでさえ、奥宇奈谷は噂に聞くだけで、実際に行ったことはないのだという。


 なので、奥宇奈谷については、すでに知っていること以上の情報は得られなかった。

 ただ、そこに至るまでに注意しなければならない『山賊』については、ある程度情報を得られた。


 山賊は、いくつかのグループが存在するという。

 それぞれ特徴があり、本当に身ぐるみに近いぐらいに強奪される強硬なグループもあれば、少しお金を出せば、道案内や護衛までしてくれる親切な盗賊? も存在するという。


 共通するのは、下手に抵抗しなければ、命までは奪われないということだ。

 それに、相当広域に渡って活動しているので、そんなに頻繁に会うわけではないのだという。


 まあ、それは考えてみれば当たり前の話で、活動場所が限られていて頻繁に会うのならば、さすがに討伐されてしまうはずなのだ。


 ただ、最近は少しずつ、強硬な盗賊が増えているらしい。

 また、抵抗しなければ殺されないとはいっても、本当に抵抗せずみすみす金品を奪われる羽目になっては、今後絶好のカモにされてしまう。


 そのために、少なくともこの山小屋にいた三人は、犬が吠えたタイミングで盗賊がやってきたかもしれないと思って、武器を手にして出てきたということだった。


 この場所でずっと働くものにとっては、そこで被害を受けることは、それこそ生きていく上で重大な支障をきたすということなのだろう。


 しかし、俺にとっては、これでいきなり襲われて殺されることはないと、さらに自信を深めることができる重要な情報だった。

 万一襲われたとしても、ラプターで緊急脱出すれば済む話なのだ。それが分かっただけでも有益だった。


 俺は彼らにお礼を言って、山小屋を後にした。


 そしてこの時点では、まさにその山小屋の彼らが盗賊団と情報をやり取りしているのだという可能性に、まったく気づけていなかった。  

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