第291話 弥生との一夜

「奥宇奈谷を目指しているということは、どなたからかあの村のお話を聞いていたからだと思ったのですが……」


 俺が奥宇奈谷の事をあまり知らない様子に、弥生は意外そうにそう話した。


「ある程度は、あの村へ行商に行っていたという商人のおじさんから聞いてはいたよ。かなり山深いところにあるとか、平家の末裔とか、あと、刀剣の製造も行っているとか」


「そう……ですか。結構、ご存じなのに……」


「あ、そいえば、そのおじさんは『若い頃、特別な歓迎をされた』って言っていたけど……、まさか、それって……」


「……多分、そうですよ。あの村では、外部から若い男の方がいらした場合、その歓迎として、若い娘を一夜の嫁として歓待する習慣があるのです。まあ、訪れる方自体が少ないですし、さらに若い人となるともっと頻度は少ないのですが……私はそれが嫌で、村を飛び出したっていうのもあるのです。でも……誰の紹介もない女が働ける場所なんてなかなかなくて……このお店に雇ってもらって、結局はこういう仕事しているんですけど……でも、それでよかったと思っています。里の大人たちから押しつけられるのではなく、自分で選んだ仕事ですし、それにお給金だってもらえるのですから」


 彼女は明るくそう語った。


 ここは、阿東藩でなない。

 いや、阿東藩も以前はそうだったのかもしれないが……女性がなんのコネもなくふらりと別の集落にやってきて、おいそれと仕事があるわけではないのだ。


 それにしても、なぜ若い男性を歓迎するのか。そうであったとしても、なぜそんな、若い娘を差し出すようなまねをするのか。

 俺が素直にその疑問を口にしたところ、


「私も、詳しくは知らないのですが……村の伝統というか、代々伝わるしきたりみたいなんです。なんでも、そうやって『新鮮な血』を村に入れることが大切なんだとか……」


「新鮮な血……血筋……なるほど、そういうことか!」


 俺は、ようやく納得するある結論にたどり着いた。


 閉鎖された村の中で、その集落の人間たちだけで婚姻を繰り返すと、その子孫はどうしても同一の血統が重複してしまうことになる。

 親族同士で結婚を繰り返すと、血が濃くなり過ぎてしまい、先天的な異常が発現しやすくなってしまう……それはずっと昔から経験的に知られていたことであり、だからこそ親子や兄妹間での婚姻は、古来よりタブーとされてきたのだ。


 遺伝子を残すだけなら、それほど若い男にこだわる必要はないのかもしれないが……まあ、普通に考えればその方が丈夫な子供が生まれそうな気はするのだろう。


 でも、理屈でそう分かっていたって、それを強要される少女たちにとっては、それは耐えがたいものなのだろう……弥生が逃げ出したのだって分かる気がする。


「……いくらしきたりといったって、それはさすがに耐えられないよな……」


「……でも、私たちはそれが当たり前だって思っていたんです。どこの村でも、同じようにしているんだって……でも、もう三年も前になるのですが、そのときにお相手をした方から、こんなのはこの村だけだって言われて……他の村では、絶対とはいえないけど、惚れたもの同士が婚姻するのが普通だって教えてくれて……でも、そのことを大人たちに言っても、それはおまえが騙されただけだって……どうしても納得がいかなくて、それで……あ、こんな話、つまらないですよね……ごめんなさい……」


 彼女は、自分が愚痴をこぼしていると感じていたのか、俺に謝ってきた。


「いや、そんなことはないよ。さっき言ったじゃないか。奥宇奈谷のことを、いろいろ教えて欲しいって。だから、すごく貴重な話だよ。そんな話、あの人はしてくれなかったからな……事情を知らずに行っていたら、とんでもない悪習だって思ったに違いない……いや、まあ、悪習なのかもしれないけど……」


 最初、話だけ聞くと、この時代のことだけとはいえ、女性蔑視の不必要な風習に思えた。

 しかし、村の血筋を残すための、必要なしきたりだったのかもしれない。


「いえ、でも、そのしきたりがなければ、私は生まれてきていませんでした。私の母は、若い旅の人と一夜限りの夫婦となって、私を宿してくれたのです……それに、村の中も不便とはいえ、生まれてきた子供は集落全体で大切に育てていましたし……他の村では、惚れたもの同士が夫婦になっても、お金の問題とかで子供を育てられなくなっている様子を見て、そういう意味では、私たちの里の方が、子は幸せに育つと思っています」


 彼女は、懐かしむように笑顔でそう語った。

 子供時代を幸せに過ごした思い出……今、身を売って生計を立てている彼女にとっては、それはとても大切で、美しいものなのだろう。

 まだ、女性として本当の幸せを知らないであろう彼女にとっては……。


 その後も、彼女は堰を切ったように、故郷の事を、楽しげによく話し……しゃべり疲れたのか、かわいらしい寝息を立てて眠ってしまった。


 俺とあまり変わらない年頃の、気立てのいい、器量もいい、若い娘。

 そんな彼女が、無警戒に、俺の隣で熟睡している。

 単に無警戒なだけではなくて、手を出したとしても許される状況なのだ。


 村のことを話してくれればそれでいい、と約束したが、関係を迫れば、おそらく彼女も受け入れてくれる。

 それを分かっているし、俺だって若い男だから、そういう欲求がないわけではなかった。


 けれど、そんな一時の快楽だけで、優や、他の嫁たちの事を裏切りたくなかった。

 ばれなければいい、という問題ではない。

 彼女たちが別の男性と浮気をしたと考えると、俺は耐えられない……だから、俺も浮気はしない……単純にそう考えていた。


 だから、欲望を抑えつけることができた。


 しかし、奥宇奈谷では、そのしきたりが村存続の鍵を握っている、だからその行為を拒むことは村にとって死活問題になる――この時点では、俺はそこまで考えを巡らせることができないでいた。

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