第289話 奥宇奈谷生まれ
松丸藩の城下町から目的の奥宇奈谷までは、普通に歩いても三日以上かかる。
そのため、普通はかなり本格的な旅の支度が必要となる。
俺の場合は時空間移動装置「ラプター」があるためさほど大きな荷物は必要ないが、それでも何が起こるかわからない山道だ、それなりの装備は調えている。
まず、足下は足首までしっかりと覆われた登山用の靴を用意している。
この時代の人であればワラジであり、すぐに駄目になるために、何足分も予備を持っていた。
駄目になったワラジは道ばたに捨てておいても問題なかった。
自然素材で作られているそれは、すぐに土へと帰る。そして付近で育つ木や草の肥料となるのだ。
俺も、目立つのは嫌なので、街道沿いは普通にワラジを履いて歩く。
現代のサンダルなどとは異なり、足首まで縛るひものようなものがついているので、この時代に来るまでに思っていたよりはずっと脱げにくく、滑りにくく、実用的だ。
それでもやはり、耐久性などを考えると現代の登山靴に分がある。
山道に入るとすぐに履き替えるつもりだったが、松丸藩は思っていてよりも開けていて、初日は山の方に向かって数時間歩いてもそれなりに道幅のある街道が続いていた。
いくつか町や村を通過し、さらに奥地を目指す。
基本的には『麦川』と呼ばれる結構大きな川を遡るように歩くのだが、たまに分かれ道に遭遇するときがある。
そんなときに役に立つのが、行商人から受け取った地図だ。
大雑把にしか書かれていないと思っていたのだが、こういうポイントとなるところはきちんと押さえていてくれている。
例えば、
「大きな木が生えているところで道が分かれていたならば、その下に道案内のための碑があるかどうか確認しろ。そこに次の村がどっちにあるか示しているから」
などと書いていてくれるのだ。
まあ、念のために分かれ道の度にラプターでいつでも戻れるように地点登録はしておくのだが。
靴と地図のほか、もちろん水と食料も持っている。
季節は初夏、歩いているだけで汗も出るし、腹も減る。
この時代、日本には竹筒があるのでそれを携帯している。
とはいっても、中身は水でもお茶でもなくスポーツドリンクだ。
ペットボトルで持つ方が軽いのだが、そこは目立たないようにするのと、あと、雰囲気を重視した……単なるこだわりだけど。
そして食料は、竹の皮で包んだおにぎりだ。
これは、優が早起きして作ってくれたものだ。
現代でコンビニに立ち寄れば気軽にいろんな具材のおにぎりが買えるが、やはりそんなものよりも愛する妻が握ってくれたものの方がずっとおいしい。
それに、江戸時代の街道を旅している雰囲気も味わえる。
なんだかんだで、この時代の徒歩の旅を、俺は楽しんでいるのだ。
もちろん道は舗装などされていない。
車もバイクも、電柱なども存在せず、自然のままの風景が続いているのだ。
鳥の鳴き声の数も現代とは段違い。
それに、猿や鹿など、野生の動物たちと出会うこともしょっちゅうだ。
イノシシに出会ったときは少しビビるが、大抵は人間の姿を見ると向こうが逃げていく。
熊とはさすがに出会ったことがないが、そうなったら逃げるしかないな……。
あと、この時代はオオカミも普通にいたんだっけ?
マムシに噛まれることだってあったという。
俺は『ラプター』があるから普通に逃げることができるが、この時代の人たちにとっては、盗賊なんかいなくたって、特に山道を旅をすることは本当に命がけだったのだ。
俺は現代に生まれたことを感謝しつつも、それでもこの自然豊かな山道を歩けることに喜びを感じていた。
そうこうしているうちに、昼を過ぎ、大分日が傾いてきたところで、この日の目標にしていた集落にたどり着いた。
川上村。
どこにでもありそうな名前の村だ。
これといって変わったところはないのだが、そこそこ大きな集落で、宿屋もある。
目指す奥宇奈谷とは異なり、ここでは稲作が普通に行われており、いい米が穫れる里として知られている。
もちろん、ここでもラプターで地点登録する。
なので、現代の自宅に帰って寝て、朝にまた戻ってくればそれで事足りるのだが、せっかくこの地を訪れたのでそれなりに探索もしてみるし、宿にも泊まってみることにした。
ここで提供された料理は、山菜の炊き込みご飯と、鮎の塩焼き、漬物、味噌汁。
想像以上に旨く、しかも宿には小さいながらも檜風呂もついているということで、なるほど、ここに観光目的で訪れる者がいるという話も納得できるかな、と思った。
しかし、実はこの村、料理だけが評判なのではなかったわけなのだが……。
料理を食べ終わって、部屋でくつろいでいたところ、給仕の若い女性が膳を下げに来た。
おいしかったことを素直に告げると、嬉しそうに
「ありがとうございます!」
とお礼を言ってくれた。
二十歳ぐらいだろうか。
目鼻立ちが整っており、素朴でかわいらしい感じで、世間話にも付き合ってくれた。
すっぴんでこれなのだから、化粧をすると相当な美人になりそうだ。
情報収集は大事なので、あれこれと噂話やこの村の景気の話、もっと奥に行くと山賊が出るのは本当か、などということを聞いてみる。
「山賊……ですか? はい、噂では聞いたことがありますが、最近は私、もっと奥へは行かないので、よく分からないのですよ」
「最近……ってことは、以前はもっと川の上流に行ったことがあるんだね」
「はい、行ったことがあるっていうか……元々私、もっと山奥で生まれ育ったんですよ」
「へえ、そうか……実は、俺ももっと山奥を目指しているんだ。奥宇奈谷っていうところだけど……さすがにそこまでは行ったことはないよね?」
「えっ、奥宇奈谷!? ……私、そこで生まれたんですよ!」
彼女は目を見開いて驚いた。まあ、俺も驚いたが……。
「でも、お客さん。今、あの村は道が崖崩れで通れなくなってるから、行くことはできませんよ」
「ああ、それは知っている。でも、だからこそ、なんとか回り道かなんか見つけて、生活に必要な物資を届けようと考えているんだ」
「そ、そうだったんですね。でも……」
そこまで話したところで、
「
と、宿屋の女将が彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「はーい、今、戻りますっ!」
と彼女は声を上げると、残念そうに戻っていった。
ただ、なぜか少しだけ赤くなって、
「……では、この続きは、また後で……どうかよろしくお願いしすね」
と言ったのが気になっていたが……。
そしてその夜。
そろそろ寝ようかと布団に入ったところで、
「失礼します……あの、お客さん……少しよろしいですか?」
と、薄い
思いもかけない展開に、俺は仰天した――。
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