第264話 少女の命運

 宴は、夜更けまで続いた。


 酒豪の海留さんは上機嫌で、まだ飲み食いをやめようとせず、これに同じく酒豪の源ノ助さんが加わり、俺も同調せざるを得なかった。


 やがて、心配して旅籠から様子を見に来た『黒鯱』の乗組員二人をも巻き込み、その二人が薰の美しい姿を見て驚愕、それにまた海留さんが気を良くして酒を勧める、と、宴がエンドレスモードに突入してきた。

 こうなってくると、また十代半ばで酒の飲めない薰には、少々辛くなってきたようだった。


「おう、薰。おまえは帰って休め。なあに、俺はたまに様子を見に来てやるよ。こんな旨い物が食えて、旨い酒が飲め、それも美人に酌をされる場所を見つけたんだ。月に一度は来ないといけなくなった!」


 いや、毎月こんな宴会が続いたら、俺も身が持たないけど……。

 しかし、それでも宴会好きの源ノ助さんは


「さすが海留殿! このような猛者と飲めるなど、こんな愉快なことはありませんな!」


 と絶賛する始末だ。

 後から来た二人も酔いはじめて、もう訳がわからなくなってきている。

 クールなのは三郎さんと、たしなむ程度にセーブしている徹さん、登さんぐらいだ。


 それで薰は、先に女子寮に帰る事になったのだが、さすがに夜道を一人で歩かせるわけにはいかないので、護衛として徹さん、登さんの二人が同行することになった。

 なお、この二人も、まだしばらくは阿東藩内に残るという。

 なんだかんだ言って、やはり、海留さんは薰の事が心配なんだろう。

 俺や他の商人達の連絡役が必要、という事情もあるのだろうけど。


 そういう事情もあり、また、薰も二人に話したいことがあるというので、ここに来たときと同じ三人で、女子寮までを歩いて帰る事になった。


*********


 この夜は、月夜だった。

 こんな夜は、提灯は必要なかった。


 三人は、女子寮を目指して歩きながら話をしている。

 今日の宴が非常に楽しかったと、皆笑顔だった。


「薰、おまえは本当に綺麗になったのう。母親も喜んでいることじゃろうて」


 徹は、目を細めながら彼女の容姿を褒め称えた。


「いや、これは、この着物が素晴らしいからだよ……こんなの、一生着られないと思っていたけど……」


 薰は、袖を持ち上げてまじまじと見つめ、改めて緊張の面持ちとなった。

 まともに買えば十両はすると父親から言われた品物だ。

 すぐに返そうと思ったのだが、拓也の嫁達から、


「その姿、女子寮でもみんなに是非見てもらいなさい!」


 と進められ、彼女としても、同じ年代の、友人となった女の子達にも見てもらいたい気持ちもあって、そのままの格好で店を出てきたのだ。

 もちろん、化粧も施したままだ。

 自分にここまでしてくれた拓也やその嫁達に、彼女は感謝の気持ちでいっぱいだった。


「……それにしても、話が上手くまとまって良かったな。最初は前田拓也がどのような者か分からず、噂では強欲な男と言われていて緊張したものだが……会ってみてまずは拍子抜けし、そしてその後、想像以上の人物だと再認識した」


「うむ、そうじゃのう……それでいて、町人からは慕われ、女性達からは人気があり……頭も良く、さらにその上にあれだけの仙術が使えるとあっては、阿東藩主殿が最も重要視するのもわかるというものじゃな……」


「ああ……あえて言えば、剛胆さに少々かけるかと思ったが……薰が『蛇竜』の者達に組み付かれたときに見せた、あの冷静さと気迫……あれには驚かされた」


「ふむ……まだまだ、全てを見せきってはいないのかもしれぬのう。仙界には、あのような男がゴロゴロおるのじゃろうか?」


「そうだとすれば恐ろしい話だが……あの者が一人で来ていて、他の者は来られないと言うことだったから、やはり特別なのだろう」


 二人は、そう考えることにした。


「……気に入った女子は、どのような手段を使っても自分の物とする……それが一番、気になった噂じゃったが、果たして、薰は気に入られたのかのう……」


 その言葉に、当の薰は赤くなった。


「なっ……ばかなことを……私なんか……気に入られる訳がない。二人とも見ただろう、あのとても綺麗なお嫁さん達を」


「それはそうじゃが……少なくとも、今のおまえなら、負けちゃおらんと思うがのう」


 徹のそのひと言に、薰はさらに赤くなった。


「それは……さっきも言ったように、この見事な着物のせいだよ。これだけで、拓也さんが気に入ってくれるとは思えない」


「ふっ……なんだ、薰。おまえも本音では、拓也殿に気に入られたいと思っているんじゃないか。だったら俺達も、協力するがな。兄貴もそれを望んでいるようだし」


 叔父である登のそのひと言に、彼女は、少し考え込んだ。


「……私は、正直なところ、自分の気持ちがよく分からない。確かに、拓也殿がいい人だとは思う。助けてもらった恩もある。けれど、それが、よく聞く恋愛感情なのかと言われれば、それは違うと思う。今まで男として育てられたんだ、いきなり男を好きになることなどないよ……」


 すこし寂しげに、そう話す薰。


「まあ、そりゃそうか……なあに、焦ることはない。おまえはまだ若いんだ。しばらく阿東藩で厄介になるんだ。その間に、拓也殿の事をもっとじっくり見るのでもいいし、誰か別のいい男を捜すのでも良いだろう。ただ、綺麗な嫁さんになって、幸せになって欲しいという、おまえの母親の願いだけは叶えてやって欲しい。それが、おまえ自身のためでもある」


「……分かった……この地で、女として頑張ってみる……」


 薰は、そう言って前を向く。

 その姿に、徹と登は顔を見合わせて、微笑みあった。


「……うぐっ!」


 登は、突然右手を首筋に当てて呻いた。


「……なんじゃ、どうし……ぐっ!」


 今度は、徹が、登と同じように首に手を当てて呻き、二人はそのまま、地面へと倒れ込んだ。


「……えっ、な、なんで……」


 戸惑う薰だったが、次に彼女自身も、首筋に鋭い痛みを感じた。


 思わず手でその部分を覆う。

 次の瞬間、目の前が歪み、力が抜け、立っていられなくなった。


 朦朧とする意識の中、近づいてきた大柄な男が、自分に大きな麻袋を被せているのを感じた。

 そしてすぐに、持ち上げられるような感触を覚え、それを最後に意識を失った。


 ――その夜、『黒鯱』当主の一人娘である薰は、『蛇竜』によって拉致された――。

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