第263話 嫁に出すにはもったいない

「薰の着物姿か? それは一度、見てみたいなあ」


 海留さんがそう呟く。

 しかし、顔はにやけており、なんというか、


「どうせ大したことないだろう」


 みたいな、少し小馬鹿にしたようなものだった。

 それには、当の薰がちょっとむっとしている。

 俺は一度、彼女の着物姿を見たことがあるので知っているが、相当可愛く変わる。


「そうですね。ぜひ一度、見てみてください。俺の事業で作っている絹織物でできた振り袖が、どれほど彼女を引き立てさせるかぜひその目でご確認ください」


 俺がそう言うと、海留さんも


「ふむ……今評判の阿東藩の絹織物か……そうだな、それは興味がある」


 と本気にしてくれた。

 しかし、俺の狙いは、そこではなかった。


 真剣に、彼女の振り袖姿を見てもらいたかったのだ。

 そして薰は、決意を込めた表情のまま、凜や優に連れられて、店の奥へと向った。


「ふっ……あいつめ、『思い知らせてやる』って顔だったな……やっと女としての自分に目覚めた、ってわけか……いずれにせよ、まだガキだがな……」


 酒を飲みながら、海留さんは楽しそうに笑った。

 自分の娘の成長が嬉しいのか、それとも、言葉通りに、それでもまだまだ子供だと思っているのか……。


 さらに四半刻(約三十分)後、源ノ助さんと海留さんが、剣術談義で盛り上がっているところに、凜、優に付き添われた薰が登場した。

 それを見た海留さんは、箸につまんでいたトコブシの煮物を、ポトリと取り落とした。


「お……おまえ、本当に薰か?」


 目を見開き、口をパクパクさせている。

 その様子に、逆に薰が戸惑う。


「えっと……やっぱり、おかしいかな……」


「いや……なんてこった……えらく別嬪べっぴんになりやがって……」


 その姿は、一度彼女の着物姿を見たことのある俺でさえ、唖然とするほどだった。


 まず、振り袖の品質自体が異なる。

 最高級の絹織物で作成された、黄色を基調としたそれは、身に纏う者を、まるで本物の姫君のように格調高く見せてくれる。


 しかし、それはその者が、それに耐えうる美しさを備えていれば、こそだ。

 薰の美しさは、前回とは次元が異なるものだった。


 あのときは、先に『可愛い』という印象を持った。

 しかし今回は、凜によって施された、大人っぽい本格的な化粧に、元々の顔の作りの良さ、そして女として生きていく覚悟、自覚を伴ったのか、女であることを隠そうとしていないこと……それが、今の彼女の『美しさ』をもたらしていた。

 正直、俺は十秒近く見とれて、言葉を発することを忘れていた。


「……ほら、拓也さんも見つめていますよ。言った通りでしょう?」


 凜の言葉に、薰はわずかに頬を赤らめた。

 俺は我に返り、


「あ、ああ……凜の言う通りだ。ここまで変わるとは思っていなかった……」


 と呟いた。


「うむ……俺も驚いたぞ。これは……拓也殿に嫁に出すのにはもったいないな……」


 海留さんも同調する。


「なっ……それはひどい!」


 と、俺が慌ててそう反論すると、視線が一斉に集まり、一呼吸置いて皆から大爆笑された。


「やっぱり、本音では狙っていたんですねっ!」


 とからかう、俺の嫁達。


「いや、拓也殿が真剣に考えてくれるなら、あとは本人の意思次第だ」


 と乗り気に戻る海留さん。


 無言で、頬を赤らめながら、それでも笑顔を浮かべる薰。

 やばい、彼女は本当に自分に自信を持ち始めたようで……俺は少しだけ『大人の女性』の魅力を感じてしまった……。


 徹さん、登さんは、


「我々は前から薰の器量の良さは知っていた」


 と、心にもないことを? ドヤ顔でそう言って、また笑いの渦を巻き起こした。


*********


 俺達が、そんな馬鹿騒ぎをしているときに、前田美海店を離れたところから様子を監視している一人の男がいた。

 彼は手練れの『しのび』に近い存在であり、ある恐ろしい使命を受け、俺達の隙をうかがっていた――。

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