第251話 自分なんかのために
俺は、薰の最後の、けれどまったく大したことのない『お願い』を叶えるために、再び『前田美海店』に戻ることにした。
その前に、今回世話になった姉御や、その他の海女さん、海女ちゃん達に挨拶をする。
即戦力の太鼓判をもらっていたので、
「またすぐに来るんだろう? その時は終わった後に酒を飲もう!」
と誘われていた……いや、彼女に酒はまだ早い。
俺がそれとなく注意すると、
「わかってるって。甘酒だよ!」
と笑いながら言われたが……うーん、ちょっと心配だ。
薰は、ここに来る前とはすっかり表情が変わり、やっていける、という自信のようなものを取り戻したと感じた。
まあ、そういう意味では、来て良かったのかな。
前田美海店に戻る頃には、すっかり夕方になってしまっていた。
しかし、この時間はまだ店の『夜の部』が始まるには早い。
一応、料理の仕込みなど、ヒマではないが、話ができないほど忙しい、というわけではなかった。
凜の『前田妙薬店』はもう閉店の時間だ。
そこで、事前に無線で連絡して、嫁の六人と娘の舞、全員集合してもらった。
『夜の部』開店前に、優、凜、ナツ、ハル、ユキ、涼。
そしてお蜜さん、お梅さんの二人と、薰。
仕込み作業をしている奉公人を除いても、今、客席で談笑している女性だけで九人が揃った。
いや、楽しそうにはしゃいでいる満一歳の舞を入れると、十人か。
薰は、嫁達の姿を見て、
「……ナツさん以外にも、こんな美人ばっかりなのか……やっぱり、拓也殿は器が違う……」
と、妙なところで感心されてしまった。
「あら、薰。そんなに落ち込まなくても、あなただって素材はすごく良いのよ。ただ、まだお化粧とか、髪型とか、そういうのを整えるのに慣れていないだけ。現に拓也さん、あなたのことをこれほど気にいって、全部のお嫁さんにあなたのことを紹介するんだから……これってやっぱり、ひょっとして、新しいお嫁さんに加えるつもり?」
お梅さんが茶化すように言ってきた。
それにあわてて反論したのは、俺ではなく、薰だった。
「ち、違う……いや、違いますっ! 俺が拓也さんにお願いしたんです、お嫁さん達をどうしても見てみたいって!」
「へえ、そうなんだ……でも、そう言うってことは、少なくとも薰は、やっぱり拓也さんの事、気になっているのよね?」
お梅さんはさらにたたみかける。
「気になっているっていうか、松丸藩では、伝説的な人だったので……それに阿東藩に来て、あれだけ、特に女性に人気があるお人が、一体どんな女性を、しかも六人もお嫁さんにしているのかと思うと、どうしても知りたくなって……ごめんなさい」
そう言って頭を下げる薰に、逆に嫁達が慌てた。
「そんなに気にしなくてもいいですよ。拓也さんはこういう人。可愛い女の子の頼みには弱いの」
凜がそう言って、嫁達は全員、その通りだと笑いながら頷いた。
「でも、みんな、本当に拓也さんの事を慕っているんだな……なんか、本当に幸せそうで、うらやましい……」
「……うらやましいって言うことは、薰も、拓也殿のことが分かってきたのか? 朝は、『どこがそんなに良いんだ?』とか聞いていたが」
ナツが、少し意地悪く笑みを浮かべながら聞いた。
「ご、ごめんなさい……だんだん分かって来た。っていうか、分からなくなったのかな? 何で俺なんかのために、丸一日かけて、これだけ時間と労力をかけて世話してくれるのかなって思って。それで恩義というか、そういうのが湧いてきて」
薰が、本心でそう思っているように言った。
すると、嫁達から「おおっ!」とか「まあっ!」とか、そんな声が漏れた。
「……よく分かってきたじゃないか。薰、拓也さんは、親しくなった女性が『放っておけない』というただそれだけで、信じられないほどの事をしてくれるときがあるんだ……それが、割に合わなかったり、無謀であったりとしても。私に言わせれば、私達なんかのために、なんでそんなバカなことをやってくれるんだと思うときが何度もあった。でも、そういう人なんだ。大仙人とか、大商人とか……そういうの以前に、なんていうかな……」
そこでナツは、言葉を詰まらせた。
こころなしか、少し涙を溜めているように見えた。
「……お涼ちゃんを除く私達五人は、元々、他所へ身売りされるはずだったんですよ」
優が、やはり少し目に涙を溜めながら、そう切り出した。
その言葉に、薰が目を見開く。
「その当時は、まだ拓也さん、今ほどお金が無いときだったのに……それこそ、私達なんかのために必死に駆けずりまわって、危ない目にもあって、それでも、最後まで諦めずに、本当に……それも、放っておけないっていう、ただそれだけの理由で……もし、拓也さんがいなかったら、私達、今頃……」
優はそこまで言って、涙をこぼし始めた。
泣いている姿に、舞が不思議そうに近寄る。
優は、そんな舞を、愛おしそうに抱き締めた。
その様子に、他の嫁達も涙を流し始めた。
「……なんか、辛気くさくなったけど……私達はみんな、とても幸せだ。普段は優しく、お人好しで、そしていざというとき、バカじゃないかって思うほど、損得を考えず行動する、そんな拓也殿を、私達はみんな心から尊敬しているし、また、愛しているんだ」
ナツが、そんな風に言ってくれた。
「うん、タクと一緒にいられて、毎日楽しいし、心から嬉しいって思ってるよ!」
ユキが、涙を貯めながらも笑顔を見せる。
「……そうですよ、私達は、みんなとっても幸せですっ!」
ハルも、涙声だ。
「私は、後からお嫁さんにしてもらいましたが……そんな私にも、分け隔てなく接して頂いています。私も、何度も皆さんと同じように感じています!」
そう言ってくれたのは、阿東藩主の一人娘、涼だ。
その身分の高さにもかかわらず、俺なんかのところに嫁いでくれた、そして他の嫁達と同じように、俺に対して恩義を感じてくれているという。逆に俺の方が恐縮する。
そんな嫁達の様子に、薰は、少し戸惑う。
「……ああ、すまない。まだ薰には分からないだろうな。だが、いつか分かるときが来るかもしれないな。まあ、そんなのは来ない方が幸せなのかもしれないが……とにかく、そういうことなんだ。私達の絆はこれほど強く、拓也殿に対する思いもこれほど強い。今は、それだけ理解してくれれば十分だ」
ナツの、思いを込めたその言葉に、薰は深く頷いたのだった。
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