第234話 被害

 茂吉さんが見たという『黒い幽霊船』が、果たして海賊船と関連があるのかどうか、正直な所それは分からなかった。


 しかし、松丸藩で海賊船が出没し始めた頃に、黒い船を目撃したという情報があったということなので、危険度を考えても、事態を悪い方に予測して先手を打った方が良さそうだった。


 幸か不幸か、俺は自分の商船を持っていない。

 阿東藩主や、同じ地域で協力して商売している黒田屋、阿讃屋からは、何度もその事業に乗り出さないか、と打診を受けていたのだが、俺が造船や海運に対する知識が乏しいこと、事業規模が大きくなりすぎること、そして何より、事故が起こったときに乗組員の生き死にに関わってしまうほどの大事になってしまうことから、前向きに考えることができないでいた。


 そのため、絹織物の運搬には高額な輸送費を要求されていて、それが悩みどころでもあった。

 しかし今回、海賊の話が出て来た以上、ますます海運事業に手を出すことは躊躇される状況になってしまった。


 一応、運送してくれる菱垣廻船ひがきかいせんの船員には、万一海賊に襲われたなら、絹織物が高価とはいえ命の方が大事なのだから、戦ったりせず、荷物を放棄してでも逃げることを優先してほしいと伝えてはおいた。


 そして、数日の内にそれが現実となってしまった。


 阿東藩沖ではなく、大分東側に移動した海域にではあったが、実際に海賊が出没し、米や醤油なんかより運び出しやすく高価な絹織物は真っ先に持ち去られてしまったという。

 まさかこんなにすぐに被害が出るとは、予想外の出来事だった。


 その日の夜、俺は阿東藩主、郷多部ごうたべ元康もとやす公の別邸にて、非公式の協議を行っていた。


「……それで、被害はどれほどになるんだ?」


「金額で言えば十両ほどです。ただ、これは船員さん達が機転を利かせて、船底に隠していた残りの反物を差し出さなかったためです。それも見つかっていれば、三十両ほどになっていたかもしれません」


「三十両か……少なくないな。しかしそれより、今後持ち出ししやすい反物が標的にされてしまう可能性の方が痛いな。海賊襲来を恐れ、取引してくれる商船が減ってしまう可能性がある」


「そうなんですよ。それに、今回は海賊が鉄砲を持っていたということで、無抵抗で積み荷を渡したと言うことでしたが、もし下手に抵抗していたら怪我人、死人まででていたかもしれません。隠していた積み荷が見つかったとしたら、それもどうなっていたか……」


「ふむ……」


 元康公は、苦い顔をしていた。


「……藩の警備の者に鉄砲を持たせ、護衛させることができれば話は早いのだが、そんな事をすれば、阿東藩の領海ならばともかく、他藩の領海に入った時点で大問題になってしまうしな……いっそ、拓也殿の仙術で運んでしまった方が、安全で速いのではないか?」


「それも考えたのですが、やはり『阿東藩から運んだ』という証明がないと駄目です。ブランド……つまり、『専売品』という箔を付ける事が重要なのです」


「もちろん、それは分かっている。だが、菱垣廻船を利用して運んでもらっている時点で、その『箔』はあまり強くないのではないか?」


「それは……そうなのですが……」


 俺には、藩主様が何を言いたいのか分かっていた。

 阿東藩独自の商船を持つ……それは前々から藩主に打診されていたことだった。

 今や、八代将軍徳川吉宗公と面識を持つまでになった俺ならば、慎重に事を進められれば、不可能ではない話だったのだ。


「……いや、そうだったとしても、海賊の脅威は変わらないです。今回、海賊船は、漁船を装って四方を取り囲み、一気に接近してきて鉄砲で威嚇、商船側の抵抗の意思を奪った上で、鉤付きの綱を使って一気に船側を駆け上がって来たという話です。手慣れた、訓練された海賊集団。銃器が使えないのであれば、今のところ、有効な仙界の道具は思いつかないです」


 藩主様から言われそうなことを、俺は先に話した。


「……仙界の武具でも防げぬか」


「はい。三百年後は今以上に太平の世です。そもそも、武具自体が入手困難なのです」


 俺は正直にそう話した。


「その方がそう言うのであれば、そうなのだろうな。とすると、ますます対応が厄介になる……やむをえないな。その方が言うとおり、対策が決まるまで絹織物の出荷は見合わせるとするか。日を置いても腐るものでは無いし、生産はこれまで通り頼む」


「はい、お任せください!」


 俺は、笑顔でそう答えたものの、実際に海賊という脅威に遭遇してしまったことに恐れを感じ、また、今後収入が大幅に減ってしまうことに対して、内心焦りを感じ始めていた。

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